マーガレットの火葬
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「っらぁぁあ!!」
「いい加減ッ倒れて!」
目の前で血を吹き出しながら息荒く唸り声を上げるブラッドホーンに、私は頭のどこか冷静な部分が麻痺してきているのを感じて被りを振った。
あの後特に会話もないまま私たちは現着し、ブラッドホーンの捜索を開始した。
何もない荒野を探しながら、少しばかり気を抜いていたところで無線から「目標発見!座標を送る!」とフィッツの緊迫した声が飛んできて、私とグラディオは現地へ向かう。
十分ほど走ったあたりでブラッドホーンが雄叫びを上げながら岩に衝突するのが見えた。
思っていたよりも大きい。
咆哮を上げて岩を粉砕する姿はここから見ても強大だ。
私はサーキュラーソウをもう一度確認して仲間と合流した。
……それが多分二時間くらい前のこと。
ブラッドホーンは巨体に似合わない速さで突っ込んでくる。
岩に衝突しようと頑丈なツノが砕いてしまうのだ。
私たちはその破片にも気をつけながら仲間たちと連携を重ねていく。
ナターリヤの振った剣が弾かれて、私のサーキュラーソウがベリアの槍がブラッドホーンの足を掠める。
それでも減速することすらなく、ロジェの放った魔法も意に介さない。フィッツの銃弾だって確実に入っているのに!
「こん、なのッ、倒せるの?!」
ナターリヤが悲鳴交じりに叫ぶ。
仲間たちも顔には疲労が浮かんでいて、言葉にしてはいないが皆同じように思っているだろうことは見てとれた。私も一度大きく息をするとブラッドホーンを睨みつけた。
グラディオには下がっていてもらうよう頼んだのは私たちだし、何としても私たちだけで倒さなくては。
歯噛みしてサーキュラーソウを握り直す。
よく観察しなきゃ、ちゃんと避けなきゃ、早く倒さなきゃ、頭の中でグルグルと言葉が回って思考がうまくまとまらない。
吐き出した息が震えているのが分かって、心底嫌になる。
ブラッドホーンが地面を強かに踏みつけた。
その足から血が滴っているものの一向に弱った様子は見せない。
ギョロリとした黒い目が私たちを睨みつけた。
突進してくる!
考えるより先に身体を動かす。左へ飛び出せば、視覚で確認するより早く風が駆け抜けていく。この巨体でどうしてここまでの速度が出せるのか、呼吸すら風に巻き込まれて奪われているようだ。背後でまた岩が砕けていく。最初に比べて随分と見晴らしが良くなってしまった。
「シャンディ!」
「っグラディオ?!」
「いいか、膝の裏だ!関節を狙え!」
「関節?!」
遠くからグラディオの怒号が飛んできて、私も返すように声を張る。
関節、と簡単に言ってのけるがブラッドホーンの足は短く、筋肉と体毛に覆われて傍目に判断がつきにくい。
詰所でも足を狙えとは言われたけれど、この速度と攻撃力の中で狙うなんて。
再びブラッドホーンが嘶く。
重たい音を立てて地面を踏みならしている。
「シャンディ! ナターリヤ! 俺がやってみる!」
「ロジェ?!」
「俺たちの腕力じゃこの太い脚は薙ぎ払えない、だから出来るだけ至近距離で魔法を打つんだ、それならでき……ってうわ!」
ブラッドホーンは一度大きく地面を踏みつけると突進を繰り出してきた。
それを間一髪避けながらチームで一番魔法の得意なロジェが叫ぶ。
更に直線状にいたフィッツが銃弾を脚関節めがけて撃ちながら「俺は賛成だな!」と声を張る。私も攻撃を加えながら声を張った。
「ッだったら引き付けるのは私たちに任せて!」
「私とシャンディなら避けるの得意だし、ポーションもまだ予備がある!」
もう一度腰の重みを再確認する。
私とナターリヤは身軽だからほとんどアイテムは使ってない。大丈夫、万が一の時はすぐに援助に入れる。
「なら私とフィッツでロジェの援護を!近接だったらサポートできるわ!」
「おっし、ベリア前は任せたぞ!」
再び轟音がして岩が砕け散る。
相当ダメージも蓄積されて居るはずだけれど、それは私たちとて同じだ。こちらの体力が尽きるまでに倒さなくては。
ロジェがファイラの封じられたカケラを手にする。その前に剣を構えたベリアが入って、斜め後ろにフィッツが銃のハンマーを鳴らしながら入った。私とナターリヤも正面から迎え撃てる姿勢をとる。
ブラッドホーンはその黒々とした目を私たちに向け一度大きく咆哮をあげると、前足を高く上げてその勢いのまま突っ込んできた。
真正面からその顔を睨みつける。
言葉は通じないはずなのに、すでに散々私たちに傷付けられて怒っているのが全身に伝わってくる。
全身が恐怖で粟立ち、逃げたくなる衝動に駆られる。
怯むな、なんとしてもこの一撃で……!
突進してくるブラッドホーンとタイミングを合わせてロジェ達も駆け出した。私とナターリヤは息を詰めて距離を測る。そして
「っ!今だ!」
「いッけえぇえ!!」
ブォオオオ!!
目標をギリギリで見失ったブラッドホーンが一瞬躊躇った瞬間、ロジェのファイラが、フィッツの銃弾が、ベリアの一閃が、前足に叩き込まれた。
悲痛な雄叫びをあげて崩れ落ちるブラッドホーン。
「よし!この隙に…ッ!」
私たちは疲れ切った身体にもう一度活を入れ直して、有りったけを叩き込む。暴れて抵抗していたブラッドホーンは徐々にその動きを小さくさせて、そして最後に一言鳴き声をあげると、そのまま絶命していった。
(は、っ、たお…した…?)
その様子を私たちは無言で見ていた。
しばらく誰も何も言わず、私たちが殺したものを眺めている。
はぁ、はぁ、自分の息がやたらうるさい。
手のひらを見る。
どれだけ力が入っていたのか、武器を握りしめていた拳は白く血の気が引いている。
(…………)
何故だか誰かに謝りたくて仕方なくて私は顔を上げた。
きっとみんな同じ気持ちなんだろう、一様にぼんやりとして死体を眺めている顔を見回して、私は空を見上げた。
もうすぐ日が落ちてしまう。遠くの空はもう夜の色をしているし、シガイが出る前にキャンプを張らなくては。
グラディオの駆けてくる足音を聞きながら、私は誰かに「ごめんなさい」と謝るのだった。
火の粉が弾けて夜闇に消えていく。
パチパチ、木の弾ける音が心地よい。
グラディオが小さく燃える焚火に木を投げ込んだ。火の粉が一際眩しく弾ける。
私たちは口数も少ないまま黙々とキャンプを張り、そして味気のない食事を摂って、誰ともなくテントの中へと消えていった。
グラディオはそんな私たちの顔を見て何も言わず、静かにその背中を見送っていた。
私もチームメイトたちの暗い顔を見渡して、すっかり根が張ってしまった椅子に深く沈み込む。
そして気がつけば、外には私とグラディオだけになっていた。
「……」
「…………」
頬を打つ風が心地よい。
ぱち、火の粉が一つ高く夜空に溶けていくのを見送って顔を上げると、焚火の向こうのグラディオと目が合った。
べっこう飴みたいな色をした綺麗な目だ。焚火でいつもより一層鮮やかに光っている。
「……シャンディ、お前は寝ねぇのか。」
「うーん…あんまり眠くなくて…もう少し起きてようかなって。グラディオは?」
「俺ももう少し起きてる。……なんか飲むか?」
「ありがとう。じゃあコーヒーで」
物資を入れた箱の中からインスタントコーヒーとカップを取り出してグラディオはこちらに背を向ける。私はその背中を眺めて、自分の手のひらに視線を落とす。どうしてもまだ現実味がない。
(……わたしたち、やったんだ)
ブラッドホーンを倒した。
ブラッドホーンを殺した。
倒せたことへの喜びと、手のひらに残る感覚と、流れ出て行くブラッドホーンの血の匂いと。
最後に鳴いた弱々しい鳴き声が耳に残っている。キュウキみたいな小さな野獣はこれまでも何度か倒したことがある。
警護隊の訓練でもっと大型を倒したこともある。
けれど、…………
「シャンディ」
「えっ、……ああ、ありがと」
名前を呼ばれて顔を上げるとグラディオがマグカップ片手に立っていた。
湯気の立つそれを受け取ると、じんわりと暖かくてそれだけでホッと息がつけた。
グラディオが椅子に腰掛ける音を聞きながら私は一口コーヒーを口にする。
ほとんど香りのない苦い液体だけれど、おかげで少しだけ現実に引き戻されてくる。
暫く無言でコーヒーを飲んでいると、不意に声がかかる。
「後悔してんのか?」
「え?」
「初めて自分たちだけでブラッドホーン倒したってのに浮かない顔してやがる。」
彼もそう言ってコーヒーに口をつけた。ぱちり、火の粉がまた一際大きな音を立てて弾けていく。
後悔。後悔、かぁ
「…少しだけしてる、かな」
「……」
「私、ブラッドホーンの目を見ちゃって」
黒々と光る、生きたものの目。近所の犬、公園の猫、私たちにも付いている目だ。
ブラッドホーンの目は激しく怒りを滲ませていて、言葉がなくとも意思が伝わってきた。
私たちと同じ、意思のある生き物の目。
「戦ってる時、ブラッドホーンの動きがわかったの。あぁ、突っ込んでくるな、誰を狙ってるのかなとか。それって多分私があの目を見て、同調…っていうのかな、なんて言ったら良いのかわからないけど、してて。…だからブラッドホーンを殺した時……何も反応が返って来なくなった時、今までで一番怖くなったんだ、と思う」
「…………」
命を奪う、奪われる。
王都の外では日常的に起きてる出来事で、そんなこと、外をよく知るグラディオに改めて話すこと自体笑われてしまうかもしれない。
日々を懸命に生きている人達からすれば「何を今更」と言われてしまうかも知れない。
それでも私は、今もまだこの手には握りしめた武器の冷たさを、ブラッドホーンの皮膚の硬さを、温かさを覚えているのだ。
手の中でマグカップを弄ぶ。
未だに湯気の立つコーヒーの水面に情けない顔をした私が映っている。
こんな顔で王都警護隊だなんて胸を張って言えたもんじゃない。思わず少しだけ笑ってしまった。
グラディオはそんな私に目を向けて、もう一度マグに口をつけた。
そして少しばかり考えて彼は燃え上がる火の粉を瞳に映す。
「……『それが生きている、と言うことだ』」
「?」
「俺も随分と前に将軍に言われた。やっぱり其奴も苦戦した相手で、今日のシャンディたちくらい時間が掛かって…それで俺も同じことを思った。」
「グラディオが?」
「ああ。」
「嘘、信じられない」
嘘じゃねぇよ、そう言って彼は少しはにかんだ笑顔を浮かべた。
子供っぽい笑顔に私の頬は少し熱を持つ。
「野獣だろうと、俺たちだろうと…同じ生き物で、この世界で生きてる以上生きるし死ぬんだ。
俺たちだって明日帰り道に殺されるかも知れない。それが自然の在り方で、王都の外だ」
「……うん」
「だからお互い様……あーいや違うな。『そうやって生きていたものに敬意を持てば自然と強くなる』…か」
「それも、将軍?」
「後半はな。前半は俺の信条だ」
「ふふ、グラディオらしいね」
コル将軍にも、こんな気持ちになる夜があったんだろうか。
そう思うと少しだけ気分が楽になった。
私からは遠くて遠くて、背中すら見えない人。そんな人にも、グラディオにも、静かに目を伏せて倒したものを、死んでいったものを振り返る日があるんだろうか。
火の粉が風に揺れて舞い上がる。
見上げれば王都の中じゃ絶対に見られない満天の星空が広がっていて、今にも落ちてきそうな錯覚を受ける。
「外に出ると、生きてるって感じるね」
「ああ。ホント、自然の中ってのはいいよな」
「…….グラディオ良く似合ってるよ」
「は、そうか?」
「うん。」
ハンターがすごく似合う。
そう言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。
グラディオは産まれたときから王のために生きることを定められてきたのだ、そんな事、誰よりグラディオ自身が一番わかってるだろう。
私の言いかけた言葉を察してしまったのかグラディオは口を噤んでコーヒーを一気に飲み干した。私もつられてコーヒーを煽る。半分冷めかけたインスタントコーヒーのなんて美味しくないことだろうか。
「……」
「……」
2人で何も言わずに焚火の弾ける音を聞いていた。
遠くで風が唸って吹き抜けていく。
その風は私の、グラディオの髪を揺らして遠くへ駆け抜けていく風だ。
荒野を抜けて、山を削って、そして野原をかけていく。
私はまだ見たことがないけれど、海へと抜けて、さらにその向こうにはオルティシエや帝国があって、そこに住んでいる人達の髪を同じように揺らしていくのだ。
どこまでも自由で、どこにだって行ける。まるでグラディオの心のようだ。
……ああ、このまま彼が風になって自由になれるのなら私はなんだってするというのに。
なんて、馬鹿な願い事を嗤うかのように、焚き木が崩れ落ちて火の粉が大きく弾け消えた。
夜は更けていく。