マーガレットの火葬
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「先輩、このあいだの記事の校閲おねがいします」
「りょーかい。……にしてもホント記事書くの早くなったよね」
「え、もう一人前ってことですか?」
「ンなこと言ってないって。この数週間でもうガーディナの特集記事書き上げたじゃん?そういうトコの話」
「なんだ喜んで損した。まぁ先輩が一ヶも猶予を下さってますからね。とっとと記事にしますよそりゃ」
「あ その件だけど そろそろ特ダネにありつけそうだからあんま外行かないように。」
「あ やっとですか? もーいい加減にその特ダネってなんなのか教えてくれても良くないですか?」
「ンーまぁ ヒミツ」
「ケチですね……」
「どーも、ご機嫌麗しゅう。お二人さん」
「「は?」」
今日はひときわ強く潮風が頬を打つ。
ガーディナに泊まり込んでどれほどになるか、最近はずっと波止場でぼんやりしてるディーノを捕まえて仕事をふったところ、漸く特ダネとやらの件が動き出したらしい。
もったいぶるディーノに唇を尖らせていたら、背後から胡散臭い猫撫で声が飛んできて、私は思わず睨みを利かせてしまった。
振り返った先には飄々とした風貌の、リゾート地がどこまでも似合わない男が一人。
猫かぶった笑みを貼り付けてそこに立っていた。
深淵が私を覗くとき
ざん、ひときわ大きく波が波止場に打ち付ける。
「……なんですか、貴方」
「ん?ただの観光客。」
「……」
突然現れた男に私は警戒心を隠すことなく男に向き直った。
照りつける太陽を飲み込むほどの黒い服を着込んだ男はガーディナというバカンスリゾートには不釣り合いだ。
どう見たって観光客ではない。
誰だってわかるような嘘を悪びれもなく吐く男に鋭い視線を向ける。
そんな私に、檜皮色の髪を潮風に揺らしてニヤニヤとした笑みを浮かべる男は私とディーノの顔を窺うように覗き込みながら肩を竦めた。
「そんなことよりさ、船、来なくなっちゃったね」
「え?」
「オルティシエを出られないんだってさぁ」
男は飄々と笑って言う。
思わず船場のボードに視線を向けたが今日も変わらず運行情報が記載されているばかりで、どこにも運航中止の話はない。
この男は何を言っている?
不信感を隠しもせず男の顔を睨み返して、…息をのんだ。
「ねぇ……いったい何が…あったんだろうね?」
ぞわりと悪寒が背筋を駆け上がった。
男の目は漆黒そのものだった。
深い深い塗り潰したような黒が目の奥に広がっている。
一度触れて仕舞えば感情も衝動も恐怖も呼吸もなにもかもを喰らい尽くしてしまう黒。なにもない、黒。
テンガロンハットの影になった瞳はなにもかもを喰らい尽くす。
太陽の光ですら塗り潰してしまうかのような色。
その目の中に私が映っている。
じっとりと背中に流れる汗が……まるで這い回る蛇のようだ、気持ち悪い、気持ち悪い。
胃液が喉元までせり上がってくるのを感じる。
あらゆる視界が切り取られる、あらゆる音が消滅する。
私はこの目に捕捉された。
(こいつはなに、この感覚はなに、この恐ろしいほどになにもない瞳はなに、相手は本当に人間か?)
視線を反らせない。
反らした瞬間私はこの闇に殺されてしまうと言う確信がある。
気持ち悪い、恐ろしい、怖い、全てが混ざり合った不愉快そのものの気配。
ああ、でも、この視線は、この気配は、私はたしかにどこかで
「シャンディ」
「…っ! ……せんぱ、い」
手首に暖かさを感じて我に返った。
未だに男から視線を反らせないままの私の手首を、少し痛いくらいに掴んでくれている熱に引き戻されてくる。
骨ばってゴツゴツとした手。振り返るまでもない、上司の手。
少し強めの力で後ろに引かれて肩がぶつかって、見上げればいつだかにみた真剣な表情がある。
「船出ないってマジで言ってる?それどこの情報?」
「オレのツテ情報。確かなスジからだし嘘じゃないよ、っと。気になるなら確認してみれば?」
「……」
「あはは。怖い顔。ああそうだ これ、プレゼント。」
ティンッ、澄んだ音を響かせて何かが跳んでくる。
銀色に輝くそれを咄嗟に受け止めて確認すると一枚の硬貨だ。
見覚えのある横顔が彫られている、少し大きめのメダル。
「……これは?」
「記念硬貨。テキトーに売ってお金にしても良し、大切にお守り代わりにしても良し。好きにしなよ」
「なんで、……そもそも貴方は」
声が震えるのを必死にこらえて男を睨みつければ、彼は眉をあげると口元に笑みを浮かべて、恭しく礼をした。
そしてその勢いのままくるりと背を向けてレストランの方へ続く階段を上っていく。
私は慌てて声をかけ
「待っ……!
「お姉さんさ、お金に困ってるんでしょ。ソレ、宿代くらいにはなるよ」
……!?」
なんでそれを、言いかけた言葉は続くことなく腹の底に消えた。
男はそんな私に満足そうに笑みを深めるとそのままゆったりとした足取りで階段の陰に消えて行ってしまった。
まるで何事もなかったかのように波が波止場に打ち付けている。
だらりとディーノに掴まれていた腕の力が抜けて、それから膝が震えていることに気がつく。
「シャンディ、」肩を抱かれて促されるままにベンチに腰掛けた。
ギラギラと照りつけてくる日差しも不愉快なだけだ。それほどまでに背中に嫌な汗をかいている。
横からディーノの視線を受けながら私は大きく息を吸って、そして思い切り吐き出した。
潮気を帯びた風が肺の空気を入れ替えて行き、ようやく息が詰まっていたことを思い知らされる。
そのまま背もたれに全身を預ければドッと疲れが押し寄せてきた。
「……なん、ですか。あれ」
「……シャンディさ、あいつの腰にあった武器みる余裕あった?」
「ないですよそんなの……アイツの視線とにかく気持ち悪くて気持ち悪くて。」
「あれ、帝国の武器だった」
「えっ……」
「あの服もアクセサリーも帽子も。……そうだ、アイツからなんか貰ってたっしょ。見せて」
言われるがまま受け取ったコインを手渡す。
この世界で一番慕われている女性の横顔が彫られた銀色の硬貨。
華美過ぎないデザインが彼女の横顔を引き立たせていて、そして彼女の性格を表しているようでもある。
そこに彫られた文字は。
「神凪就任記念硬貨……」
「何ですかそれ。そんなのありましたっけ……」
「……」
ディーノは私の問いには答えず、硬貨を光にかざしてみたり裏表を確認してみたり、手元のギルと比べて重さを確認してみたり……五分ほどかけて行うと「本物の銀だね」と首を振った。
「こんなの一般には出回ってないし。俺の知り合いも貰ってる人はナシ。
はー、なるほどね、こりゃ参ったな」
「もう、先輩だけで納得してないでくださいよ!」
「いや うーん あの男 多分帝国の関係者 しかもかなり上の方」
「えっ?!」
相変わらず気の抜ける声音のまま、ディーノがとんでもない発言をしてくる。
「オルティシエから船が出ないっていうのがマジなら、市長か帝国絡み、服装からもアイツが帝国の方から来たのは確実。
んで、これ。神凪の記念硬貨は出回ってない、つまり少数の人に配られたってこと。
ってなるとこれを持ってるのはルナフレーナ様が就任した時のパーティに呼ばれるような超お偉いさんになるってワケ。オルティシエであんな男見たことないし?っつーことは帝国の上層部になるわけよ」
…………。
「何その顔」
「……いえ…先輩もしかして頭良いのかなって…思って」
「えーっ?! 何ソレひど! 俺と四年も一緒にいて今更すぎじゃん?!」
いや、素直に、びっくりした。
唇を尖らせたまま手の中で硬貨を弄んでいたディーノはそれを上手いこと手のひらの中に収めると私の顔をみた。
「問題はさ、アイツがシャンディのこと知ってたこと。まさか知り合い?」
「知りませんよ、あんな不気味な男!」
「だろうね なら向こうが一方的にこっちを探ってたか。んーマズイかなこれ」
「…………えっ、あのもしかして…いやていうかまさかなんですけど先輩のいう特ダネって帝国に関係する記事なんじゃあ…」
「……ナキニシモアラズ」
「ええええええええええええ?!」
ちょっと待ってよ本当に聞いてないんですけど?!そんな大物捕りだったんですかこの取材!!
大声で叫ぶのをなんとかこらえた私を褒めて欲しい。
やーアハハと能天気に笑う上司だがこちとら笑い事じゃない。
帝国、帝国上層部に監視されるほどの情報って何?!せめてヤバいのが相手なんだよねーくらい教えてて欲しかったです!
口をパクパクさせる他に言葉が出てこない私の肩にポンと手を置いたディーノはいつものようにヘラリと笑うと軽く肩をすくめた。
「とりま、情報収集っしょ。三十分後 またここに集合ってことで。」
* *
四年間ディーノのもとで記者として働いて知ったことがある。
それは『情報』という物は目には見えないが、誰かを殺せ得る刃でもあるということだ。
「……たとえ目に見えなくても、情報の取り扱いにだけは絶対に注意しないとね。ましてや俺たちは”記者”なんだし」
戦争がなくとも、争いがなくとも、人々は常に情報を得、与え、そして他者を監視し、許容し、自分を決定し、未来を決める。
過去は安易に捻じ曲げられ、どんなにたくさんの命が失われ、生活が失われようともその命は「死者多数」という言葉で片づけられてしまう。
そんな目に見えない糸であり刃であるそれを取り扱うには、出すべき場所、与える相手、そして真偽にいたるまで……きちんと考えなくてはならない。
私たちが取り扱っているのはそんな繊細なもので、一瞬の判断で命を奪いうるものなのだと。
私はそれが下手だった。
だから、ディーノはそれを真っ先に私に教え、そして私に今も教え続けてくれている。
「情報屋ってのは信頼が大事でしょ、そして一方的に利用されるのもダメ。俺たちはそーいう仕事をするんだよ」
* *
閑話休題。
私はまず、あの男が記念硬貨を観光客を中心に配っているのではないかと憶測を立てた。
記念硬貨を投げ渡した際に言っていた「宿代くらいにはなるよ」とのセリフから考えても、少なくとも私たちが「宿」を必要とする、旅人であると分かったうえで発言している可能性がある。
そこであの男が歩いただろう渡船場を中心に聞き込みをしたところ、やはりほかにも記念硬貨を受け取った人たちはいた。
受け取った人たちの共通点は不明だが、私たちのほかに四組。
全員男に面識はなく、ただルナフレーナ様が刻印されているから手元に残しておく、という人が多かった。
「…と、ここまでが私の立てた憶測と報告です。先輩の方はどうですか?」
「船が止まったのはマジっぽいねー。確認したら向こうの知り合いが身動き取れなくなってる。…で ちょうどついさっき運行停止のお知らせも来た」
指を追いかける、そこには本日全便運休の文字が。
なるほど、あの男の情報は本当なのか。
問題は運休になった理由、だけれど。
私の聞きたいことがわかったのかディーノは肩を竦めた。
「なんか向こうでも理由ハッキリしてないっぽい。海にシガイが出たからだとか船が帰ってこれないほどの大荒れの天気だとか、好き勝手な理由が飛び交ってるってさ」
「ふぅん…なんだかますます怪しいですね。」
「そ。 んであのメダル?あれもやっぱり出所不明。どこで作られて、どこで配られたのか誰も知らない。」
「でもあの男はこの辺りの観光客を中心に配り歩いている……」
もし仮にあの男が帝国関係者なのであれば、明日の調印式に来た可能性もある、が。
果たして調印式に参列するほどの地位を持つ男が、わざわざ海路を使ってくるだろうか?
帝国には安定して空を飛ぶ技術がある。風や天候に左右されてなおかつ時間もかかる海路をわざわざ選ぶだろうか。
不意にあの男の蛇のような視線を思い出して小さく身体が震えた。
確かにどこかで感じたことのある視線。
あれはいつだったか、…取材をしながら頭の中にずっと燻っていた疑問だった。
しかしふとハンター向けの張り紙を見た時、私はアレがなんなのか、思い出した。
到底バカらしい話だし、これを肯定してしまえば帝国という国そのものへの不信感が増すだろう。
思い至ったときは、私だって「そんなはずない」と笑ってしまったのだ。
けれど、私はあの既視感に名前をつけてしまった。
拭いきれない感覚は時間が経つほどに確信めいてくる。
これを果たして先輩に言うべきか。
私はベンチに腰掛けたまま考え込んでいるディーノの顔を見る。
鼻筋が通っていて、こうして真剣に考えていればアンニュイな雰囲気もある。
いい加減見慣れすぎてしまった顔だ。
得体の知れない私を拾って四年も仕事のやり方を教え込んでくれた先輩。
この人は笑って「そんなわけないじゃん」と否定してくれるだろうか。
この悪魔のような感覚を拭い去ってくれるだろうか?
この人なら、私を、しんじて
「――先輩、あの実は」
あの男、なんだか雰囲気が、
シガイみたいじゃ、ありませんでしたか
「あー、船本当にいないよ~…えぇなんで?」
「マジか」
「全便運休……」
「見事に一隻もねぇな」
声が耳に飛び込んできた。
「えっ……」
思わず顔を上げて、声のする方を振り返る。
キラキラと輝く海原がまぶしくて目を細めた先に、黒い大きな背中がある。
船が一隻もない波止場、黒い服を着た四人の男性たち。
その最後尾にいるひと。
私はこの背中を、よく知っている。
心臓がひときわ大きな音を立てた。
まるでようやく息をしたかのような、そんな錯覚が……あって
「さて、どうす……」
彼が振り返った。
黒髪が揺れて、そして
「……グラ、ディオ…………」
「――…シャンディ……」
私は再びあの目に射抜かれた。