マーガレットの火葬
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わたしにとって。
なによりもおそろしいことは。
大好きなあの人が死んでしまうことでした。
世界は広くて、とてつもない不条理でできています。
どれだけ努力をした人でも死んでしまう。
その死という現象の前には、王も、英雄も、市民も関係なく、呆気なく、すべてが平等です。
だからこそ、わたしはこわかった。
あの人が死んでしまっても この世界が変わらず巡り続けることが。
あの人が死んでしまっても、世界はなに一つとして変わらないことが。
…王様たちが生きていく世界であの人だけが欠けてしまうことが……とてもとても恐ろしかった。
「いっつもシャンディはあいつの背中見てるよね。そんなに好き?」
「……あの人は、ずっと一人で戦って行こうとしてるんだと思う。…盾って、傷ついても傷ついても決して貫かれたり砕けてはいけないものだから。
…………だから少しでも。その傷を私が肩代わりできたらって、思うんだよ」
……私は。
逞しい背中も。
快活に笑う声も。
琥珀のような美しい茶色の瞳も。
あなたの不器用さも、厳しさも。
盾という使命を背負いながら、前に進む強さも。
全て、全て、大好きでした。
もし、貴方が決して砕けることなく、盾として在り続ける世界があるのなら。
もしも、貴方が笑って生きていける世界が手に入るなら。
その何にも代えられぬ使命のために生きていく世界があるのなら……
この恋心も、…命すら差し出せるほどに。
わたしは、あなたの全てが、大好きです。
……だいすき、なのです。
かわらないもの。
暖かい陽だまりにつられて、私はゆっくり目を開ける。
木目の天井と緩やかに揺れるカーテンが目に入った。
頬を撫でる風も、甘い香りも、通りの喧騒もある。
……ここは暗い暗い林の中でも、行く当てのない雨降る夜でも、階段の下の暗がりでもない。
柔らかなベッドの上、だ。
「…………」
体の痛みが酷くて、一瞬にして記憶が戻ってくる。
そうだ、私路地裏であの男に……。
思わず貫かれた腹をそっと触る。
包帯が巻いてあって、触れた瞬間爆ぜるような痛みが身体中を駆け巡った。
その手をそのまま左の耳に持って行く。
先輩がくれたピアスも、もう無い。あの男に踏み潰されて、砕かれてしまった。
それでも、私は生きている、ようだ。
目を閉じる。
とても暖かい夢を見ていた。
懐かしくて、愛しい陽だまりの夢だった。どんなところにいても見つけてくれる、優しい場所。
所詮夢だけれど、それでも私を支えてくれていた甘い夢だ。
「…グラディオ」
声に出す。
忘れないようにその言葉を噛みしめる。
今私がここにいるその理由を。
もう一度、名前を呼ぶ。
「グラディ、オ」
「……シャンディ、!」
「…えっ」
返事が返ってきて思わず目を開けた。
途端に綺麗に光る琥珀色が視界に飛び込んできて、息を飲む。
理解しきるより先に手のひらに温もりを感じた。
ゴツゴツとしていて強い手のひらが私の手を握りしめている。
そこには、さっきまで私の手を引いていた、いや、夢の中で私を見つけてくれた人が、いた。
グラディオ。
私の大切だったひと。忘れられないひと。
今は王子との旅に出ているはずなのに。
「どうし、て……」
「それは俺のセリフだ!何で死にかけて、どうして…ああクソ、ちげぇ。シャンディ、なにがあった」
真剣な、どこか怒ったような。強くてまっすぐな彼の目だ。
それがふたつ、私を射抜いて……
まるであの夜のような。
(っ……!)
途端に血の気が引いたのが分かった。
寒くて、暗くて、怖い場所へ突き落とされる。
あの夜の感覚が蘇ってきては底知れない恐怖が身体を満たしていく。
こわ、い、
「ごめ、んなさ……」
とっさに絞り出した声はみっともなく震えていた。
グラディオはハッと息を飲んで目を伏せると、ゆっくり手を離す。
私は離れていく暖かさと力強さに…ほんの少しだけ安堵している。
「…………悪い」
「……」
小刻みに震える身体を自分で撫でて落ち着かせる。
大丈夫、ここは暗い林の中ではない。
薄暗い路地裏でもない。大丈夫。
ぶり返す恐怖から必死に目をそらす。
大丈夫、大丈夫……。
わたしは、大丈夫………
……。
……。
ようやく震えが収まって小さなため息をついた。
相変わらずとても寒いけれど、それでもさっきよりは少しマシになった、と思う。
瞼を閉じたらすぐ目の前に眼球があるような気がして、目を開ける。
視線を向ければ、グラディオはベッドのそばに置いてあるソファに腰掛けて項垂れていた。
その身体は普段よりも随分と小さく見える。
彼は私と目が合うと、自嘲じみた笑みを浮かべて、再び視線を落とした。
「……あのときも、…今も。……結局俺は変わってねぇな。」
低くゆっくりとした口調で言うと、グラディオは頭を下げた。
「…色々…悪かった」
「……」
(ちが、う。)
グラディオは、何も悪くないのだ。
何もかも、逃げてしまった私が悪い。
グラディオやロジェたちに向き合う勇気がなかった。
ナターリヤが死んでしまったことを受け入れられる強さがなかった。私は私を守ることで精一杯で、あの夜も結局私を守る事しか考えられなかった。
その結果、グラディオたちを傷つけたのは私だ。
……なんて、情けないんだろう。
グラディオを守る、なんてそんな甘すぎる夢を見て、結局私は彼を傷つけることしかできない。
なんて馬鹿なのだろう、あの日の夜も、今も、私は何も変わらなかった。
テンガロンハットの男にも敵わない。
グラディオも守れない。私は私自身のことすら守れなくて……今だってこうやってグラディオを傷つけている。
くやしい。
じわりと視界が滲む。
あまりの情けなさに視界はそのまま滲んで、目尻を伝ってシーツを濡らしていった。
パタパタとシーツに涙が落ちていく。
悔しい。情けない。…….
「…ごめんな、さい、……っ」
言葉が涙と一緒に零れ落ちていく。
「わた、し、…こんなワガママで、…弱虫で、グ、ラディオに…迷惑かけて…っ傷つけて…!本当に最低で……ッいまだって、グラディオはなにも、っ悪くないのに…!ごめん…ほんとうに…ごめんなさい…!」
グラディオは本当に何一つとして悪くなどない。
悪いのは全てわたし自身だ。
だからあれからずっと悪夢を見続けているのだ。
全部、全部、自業自得。
嗚咽を吐き出すたびに身体中が痛みで震えたけれど、それよりももっともっと違うところが痛くて、私は腕を目の上に乗せた。
光が遮断されて、暗い世界だ。
やっぱり瞼の裏には私を見つめる眼球があった。
ずっと、そう。
私がずっと生きてきた場所。
逃げてばかりの私に相応しい、そんな場所。
「わた、し、がっ…よわいから…、みんな傷付けて、……こんな、のじゃっ…みん、なっナタ、リヤみたい、にっ……死んじゃう…!」
もう、なにもかも、いやだった。
私は私自身が許せない。
私を貫く剣が、私の息の根を止めていく。
陽だまりに手を伸ばしたくとも、その手が陽だまりを陰らせてしまう。
それならいっそ、望みたくない、会いたくない、願いたくない。
わたしはとっくに諦めたはずなのだ、あの陽だまりを、大好きだったあの背中を、美しく輝く琥珀の瞳を。
すべて、すべて、暗い暗い夜の底へとしまい込んだのに。
思考がドロドロと溶けていく。
身体に燻っていたナニカが体を支配していく感覚があって、私の思考はゆっくりと死んで行く。
眼球がギョロギョロと蠢いて私を睨みつけている。
ああ、これでいいの。これで。
いっそ、このまま、
「シャンディ」
不意に手首を掴まれて、光が差し込んだ。
美しいオレンジに、眩しくて目がくらむ。
「っ」
すぐ目の前に、グラディオの目があった。
反射的に逃げようとした私を、グラディオの手が阻む。
左手首を掴まれて、顔のすぐ横に縫い付けられる。
逃げ場を失った私を追い詰めるようにベッドが2人分の重みで深く沈んだ。
とっさに唇を噛んで悲鳴を飲み込んだ私を良しとせず、グラディオは身を乗り出してさらに顔を寄せてくる。
美しい琥珀の目まで、距離にしておよそ20センチ。
視線に呼吸まで奪われて、私は息を飲んだ。ぞわりと背筋が粟立って、慌てて目をそらす。
「シャンディ、俺を見ろ」
「ひ、っ、いや、だ…!」
「シャンディッ!」
「っ!」
ビクリと身体が跳ねた。
怖くなって強く目を閉じたけれど、グラディオの息づかいと、手の感触がリアルに感じられて、よけいに気がおかしくなってしまいそうだ。ガタガタと恐怖で体が震えている。閉じた目の裏でたくさんの眼球がわたしを睨みつけていた。
【お前のせいだ、お前が、お前が、】
「ひっ……!」
なんとか振り解こうとして手を動かしたら、グラディオはさらに強く縫い付けてくる。
逃しはしないと言わんばかりに。
身体中が悲鳴を上げているけれど、それ以上に私はこの場所から、あの夜から、逃げ出したくて必死にもがく。
【シャンディ、どうして私を殺したの】
【お前が殺したのか】
【人殺し 人殺し 人殺し】
逃げられない。
どこまでも、目玉が私を、
怖い、
怖い…………!
「ヤだっ…ごめ、ごめんなさっ…わた、ッごめ、ごめんなさいッ!ゆる、して、っこわ、い、よ!暗い、やだ…ッたす、けて……ッ!」
やだ、や、だ、こわい、いたい、!
何も見えない、暗い暗い場所に迷い込む。
誰もいない、
何もない、
暗い林の中で私は溺れていく。もがくほど身体を捕らえる縄は私に食い込んで痕を残していく。
息ができない、苦しい、こわい、暗くて、
そして
【一緒に、死んで】
優しい声音で私を導くのは。
「シャンディっ、…シャンディ……っ!」
それはあまりに悲痛な声だった。
弱々しく震えて、今にも泣き出しそうな声に腕を引かれる。
思わず目を開けて顔を見ると、グラディオの顔は悲しく歪んでいた。
一瞬ほんとうにグラディオなのかわからなくなるような、そんな苦しそうな顔。
それでも失せない輝きが、私を見ている。
透き通って、目の奥の奥まで見えてしまいそうな、美しいオレンジ色。
キラキラとした輝きの向こうに、私が写り込んでいる。
それは、まるで温かい陽だまりのような。
あの日踊り場の隅で蹲っていた私を見つけてくれた、あの時と同じキラキラとした、美しい光だ。
「グラ、ディオ」
こんなに近くでグラディオの瞳を見たのは、初めてだった。
お互いの鼻先が触れ合ってしまいそう。
私はその目に吸い込まれて、そうしてゆっくりと息をつく。
いつのまにか、震えは収まっていた。
あんなにも、怖くて怖くてたまらなかったのに。
温かいものがじんわりと身体中を満たして行く。
「シャンディ
手が伸びてきて、頬に触れた。
温かい人の肌を感じる。
まるでこの人自身が光り輝いているような、そんな錯覚だ。
あの時と同じ。
世界中がキラキラと輝いていた。
私はその輝きに目を奪われて、思わず手を伸ばしかけた。
「ぐらでぃお、」
今ここにグラディオが、いる。
わたしも、グラディオも、生きている。
声が、喉が、胸の奥底が震えている。でもこれは怖いからじゃ、ない。
私はどうしても確かめたくて、もう一度その光に手を伸ばし、
「シャンディ…大丈夫だ、だから」
「っ!」
彷徨った私の手をグラディオはあの日と同じように、しっかりと握り返してくれた。
温かい手のひらの熱がじんわりと私の体を温めていく。
暖かい場所。忘れられなかったそのぬくもりを。
やっと、見えた。
私の光。
「わた、し」
「……やっと、お前を見つけられた。」
「…………」
ほろり、私の目から涙が零れた。
ポロポロととめどなく流れ落ちていく。
でもこれは怖いからじゃない、悲しいからじゃない。
あまりにその瞳が、美しいから。
そのキラキラとした陽だまりが、とても暖かいから。
私を見ていた瞳たちは、私が恐れたあの瞳は
こんなにも、温かくて美しいのだと、
私は、この瞳が大好きなのだと
夜が明けて地平線を照らすように。
森が開けるように。
世界が光を、色を取り戻してゆく。
「グラディオ」
「ああ」
「生きててくれて…ありがとう……っ」
陽だまりの中へ、私は飛び込んだ。
逞しくて強い背中へ手を伸ばす。
その腕は私の体を優しく受け止めて、そのまま2人してベッドの上に転がった。衝撃で身体は涙が出るほど痛んだけれど、それ以上に嬉しさで胸が痛い。
私も、彼も生きている。
今確かにこの場所で、息をしているのだ。
「グラディオ…グラディオ…っ!」
「……ああ」
今度こそ、私は彼を正面から感じることができる。
「シャンディ。よく、帰ってきたな」
涙が止まらない。
やっと、やっと見えた光はこんなにも温かい。
だいすきで、だいすきで仕方ないひとは、こんなにも温かいのだ。
琥珀色をした美しい光に私は照らされる。
その瞳に、唇に、温かさを感じて、私はゆっくりと目を閉じるのだった。
「わたしね、グラディオのこと好きだったよ。すごく、すごくむかしから、…ずっと大好きだったの」
そう言ってシャンディは眠りについた。
体力の限界だったのも、精神的に疲れていたのもあるだろう。
ひとしきり泣き声をあげてから眠りにつく姿を見ていたら、なんだか昔を思い出してしまった。
あの頃は、明日があることが当たり前で、こんな日々がずっと続いていくんだって、そんな絵空事を描いていた。
王の盾ではない「グラディオラス・アミティシア」を見てくれたあのまなざしはずっとそこにあるんだと、思っていた。
けれどあの夜、現実を突きつけられて、そして自分は大切にしてくれていた人一人守れないどころか…傷つけてしまうんだと知ってしまった。
そして、それからずっと守れなかったことを悔いてきた。
けれど今日、ようやく彼女に伝えることができた。
みつけることができた。
ようやく前に進めそうだ、とグラディオは立ち上がる。
上着に腕を通す。
すっかり忘れていたが、ノクティスたちを放置したままだった。
なんて説明するか。
なんて考えつつ首を回して窓の外に目を向ける。
ベランダには白い小さな花が植えられていた。
なんと言う名前の花だろう。贈り物に使われるような花ではないから、名前は分からない。
だけれど、どこか彼女と重ねてしまうのは平凡だけど幼さがあるからだろうか。
白い花弁が風を受けて小さく揺れている。その様子がどうしようもなく愛しかった。
グラディオは視線を移す。
泣き腫らして赤く腫れた瞼が痛々しく、それでも安心しきって眠りにつくシャンディがいる。
「シャンディ」
純粋に、真っ直ぐに俺を追いかけてくれていた人。
「……俺のこと、好きになってくれて、…ありがとうな」
きっと彼女には聞こえていないだろうけど。
【俺】のことを、大切にしてくれて…。
大切に想っていてくれて、ありがとう。
グラディオはしばしその寝顔を眺めると、小さく微笑んで部屋を出た。
これからまた、長い車旅の始まりだ。
完全な自由ではないけれど、自分が求めていた世界がそこにある。
国のため、王子のため。休んでる暇はない。
静かに部屋の戸を閉める。
「いってらっしゃい」と、まるでその背中を見送るようにベランダのマーガレットは小さく揺れて、その花弁をハラリと散らした。