マーガレットの火葬
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イグニスは扉を閉めて首を振った。
その様子にプロンプトが「えっ…」と声を漏らし、イリスは暗い顔のまま扉を見つめている。
ノクトはそんな3人の顔をぐるりと眺めると、腕を組んで従者を見返した。
「……グラディオの奴は?」
「中に残るそうだ。…今はそばにいてやりたいらしい」
「…お姉さん、大丈夫なの?」
「正直……なんとも言えない」
「そんな…!」
イリスが悲鳴混じりの声を上げた。
イグニスはため息をついて再度首を振る。
「刺し傷の状態があまりに良くない。かなり鋭利なもので滅多刺しにされたか、あるいは抉られたか……失血もひどい。」
「イグニス。」
ノクトのブルーの瞳がイグニスを貫く。
いい加減説明しろ、ノクトの目が圧をかけてくる。(アイツら過去に何があったんだよ)…ノクトは少しだけ怒っているようだった。
イグニスはため息をついて扉を振り返った。
壁が厚いわけではないし、中のグラディオに聞こえてしまうのはなんだか申し訳なく思って「ここで話すことじゃない」と返す。
ノクトは「じゃあ部屋戻るぞ」と顎で借りている部屋の方を指した。
本人が居ないところで過去の話をすることに少しの後ろめたさを感じながら、イグニスはその最後尾を歩いて行った。
扉の向こうは、まるで何もないかのような静寂が広がっている。
夢の中なら痛くない
西日が眩しい。
レスタルムの日差しはインソムニアに比べると随分と暴力的だ。
昼下がりにしては強い熱線がグラディオの肌を焼く。
だが、それを煩わしく感じないほどに冷房が効いた部屋の中には彼と、そしてシャンディがいた。
グラディオは一点を見つめたまま表情を硬くしている。
(……シャンディ)
ベッドの上で横たわるシャンディの顔は青白く、胸が上下していなければ死んでいるのではないかと思ってしまうほどだった。
薄手の布団の中、投げ出された彼女の手のひらはまだ少し血で汚れている。
グラディオは深いため息をついて、腰掛けた椅子に深く沈んだ。
シャンディ、どうしてここに。
お前はガーディナにいたんじゃないのか。
なんで血まみれなんだ、何があった、誰にやられた、何をしていた、…これまで、……どうしてたんだ。
グラディオがホテルに着いた時、室内には濃い血の匂いが充満していた。
脇目も振らずにベッドに駆け寄れば、そこにはシーツと同じくらいに青白い顔で横たわるシャンディがいた。
視線を巡らせれば、シャワールームへ血の跡が続き、その床には真っ赤に染まった布が投げ捨てられていた。
それが全てシャンディから失われた血液なのだと思うと、頭の奥が痺れるようだった。
(……シャンディ)
再びベッドに視線を向ける。
嫌に白いシーツの中にシャンディの血で汚れた腕が投げ出されていた。その傍でノクトは無言で魔力を込めて回復薬を使っている。
その光景を飲み込むことができずに、グラディオは口を開いて、閉じた。
「兄さん」
シャンディの服を脱がせたのか血液と涙でぐちゃぐちゃになったイリスの顔を振り返る。
「シャンディさん、このままじゃ死んじゃう」
「っ」
その一言に、頭を殴られたような気分だった。
シャンディが、死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
……しぬ。
それからは、どこかボンヤリとした感覚でシャンディの顔を見ていた。
頭はハッキリと冴えているはずなのにどこか霧がかかっていて上手く繋がらない。
そうやってツギハギに思考を続けるうちにざわつく感情が切り離せなくなった。
もしかしたら、シャンディはもう目覚めないかもしれない。
もう、もう……
「くそ」
四年前にも諦めたはずだ。シャンディのことを、全て。
照れながら、頬を真っ赤に染めて駆け寄ってくるシャンディの笑顔も、真剣に汗を流して特訓している姿も、「グラディオ。」心底嬉しそうに、…俺が生きていることを、今ここにいることを喜んでくれているのかと思うような声音で俺の名前を呼ぶ彼女のことを。
グラディオラス・アミティシアはその全てを…たしかに、諦めたつもりだったのに。
「シャンディ」
彼女の名前を呼ぶたびに心の奥底が暖かく感じるのは、なぜだ。
血で汚れた手を握る。
失ったものの多さを物語るようにその手は氷のように冷たかった。
……昔、学校のクラスメイトから「シャンディ、お前のこと好きらしいぜ」と言われたことがある。
もう顔もあまり覚えてないが、たまたま同じ班になった…年の割には幼い印象の男だったように思う。
それは青春特有のキラキラと輝く目のせいか、それとも顔の作りのせいなのか判別できなかったが、グラディオがまともに話すのはそれが初めてだった。
「…そうなのか?」
「ああ、他のやつが告ったらしいんだけど、玉砕したって。」
ふぅん。
視線を彷徨わせて目的の人物を見つける。シャンディは教室に幾つか点在する女子グループの中にいた。
派手なグループではない。
だが、地味と言うわけでもなく、どちらかというと純真に青春を送っているような…真面目でそれでいて全力で青春を過ごしているような。平々にして凡々、そんなグループだった。
その中でもシャンディはさらに平凡な出で立ちだった。
華がないわけではない。…言われてみれば確かに可愛らしい顔立ちではあると思う。
だがそれは幼さからきているあどけなさが主だ。
例えば花屋に並ぶような大輪ではなく、民家の軒先に置かれた鉢の中で揺れるような、小ぶりな花。
目は引くが、気には止まらない。そんな花。
誰かに好かれて嫌になる人はいないと思う。
だが、当時その頃は別のことでいっぱいいっぱいで、それを気取られないよう取り繕うことが精いっぱいだった。
だから、グラディオは「へぇ」と返して、それでその話は終わりとした。
グラディオには、使命がある。
王のためとして生きる使命だ。
いざという時はその身を晒してでも王を守る。
文字通り、【盾】としての使命。
だから。
グラディオ自身がその使命を忘れてしまうような、人生をかけて守るべき人は。居るべきではない、のだ。と。
確かに、覚悟を決めたはずだった。
…今だって、変わらない。…はずなのに。
今ここで死ぬかもしれないシャンディを前にして、何一つ諦められていなかったことを思い知る。
使命のため、王のため、グラディオは産まれてきた。
それが王の盾としてここに居る理由で、答えだったはずなのに。
視界の隅で白いカーテンが揺れている。
緩やかに入り込んできた風がグラディオのほほを撫でていく。
シャンディの前髪も撫でたその風は、どこにいくでもなく部屋の中に霧散して、溶けて消えた。
まるで今の思考のようだ。
こんなにも胸が締め付けられる心地になるのは、なんでだ。
触れることすら躊躇ってしまうのは。
「…………俺は」
彼女の気持ちも、自分の気持ちも、
「どうするべきだったんだよ……」
ベランダの鉢植えに飾られたマーガレットが、答えるように小さく揺れた。
むかし、私がまだ小学生だった頃。
私はクラスでも目立たなくて、休み時間には教室の隅でポツンと座っているような、そんな子供だった。
友達がいないわけではなかったけれど、友達たちの「1番」にはなれないタイプ。
路肩の石くれみたいな、そんな子供だった。
その日、私は体調が悪くて。
朝は頑張って登校したけれど、学校に着くなり気分が悪くて立てなくなってしまって。登校してくる上級生たちの邪魔にならないように階段の下、踊り場の影で蹲っていた。
(きもちわるい、おなかいたい)
目の前がぐるぐる回ってなんだか吐いてしまいそうになるのをなんとか堪えていた。
授業が始まるチャイムが鳴っても気分は一向に良くならなくて、私は膝を抱えて座り込んでいた。
保健室に行かなくちゃ。
そう思ったけれど体は動いてくれなくて。
そうしてるうちにどんどん時間は過ぎていって、どんどん気分も悪くなってきた。
このまま死んじゃうのかな。
死んじゃったら、どうしよう……。
だれか見つけてくれるのかな…。
あまりの吐き気にそんなことを考える。
そうやってどのくらい経ったのか、ふと足音が耳に飛び込んできた。
「あ、いた。」
「…?」
顔を上げる。
窓枠から飛び込んでくる陽射しに照らされて、その男の子はキラキラ光って見えた。実際、その男の子の、べっこう飴みたいな色の目がとても美しくて、そのオレンジに目を奪われていた。
痛みなんて吹き飛んでしまうほどの沢山のキラキラで彼は何よりも輝いていた。
その男の子は、私の姿を見つけると嬉しそうに途中まで駆け寄ってきて、それから大袈裟なまでに眉を寄せた。
そして気づく。この男の子は同じクラスのグラディオラスくん。
いつもクラスの真ん中にいる子たちと仲のいい子だ。
身体が大きくて、少しだけ怖いひとだ。
ビクリと体を揺らした私を気にも止めず、グラディオラスくんはすぐそばまで来て難しい顔をした。
「……おなかいたいのか?」
「う…うん……」
「そっか。じゃあ保健室行かなきゃな」
彼はひとつ大きく頷いて言う。
思っていたよりも落ち着いた静かな声に私は驚いた。いつもクラスの真ん中のグループにいたから、すごく騒がしい印象があったんだけど。
目の前にいる彼は穏やかで、優しくて、それでいて二本の足でしっかりとそこに立っていた。
「ほら、送ってやる。立てそうか?」
「うん」
魔法みたいに消えてしまった痛みにビックリしながら、私はグラディオラスくんの背中を追いかける。
私より頭一つくらい大きいから、歩く速さに追いつけなくて小走りになってしまう。
(あ)
小走りになった私に気づいたのか、グラディオラスくんは何も言わずに歩く速度を落としてくれた。
途端に並ぶ私たち。
思わず顔を見上げたけれど、彼はまっすぐ向いたまま(ほっぺは少し赤かったけど)絶対にこっちを見ようとしなかった。
きっかけは、本当に些細なことで。
私はその時初めて恋をしたのだ。
そして、私は頬を赤く染める彼の横顔が、恥ずかしそうに逸らされた瞳が、
本当はとても、とても温かくて不器用だということを…
(おなか、いたい。)
……なんだか気持ち悪い気もする。
さっきの夢の続きだろうか。
随分と懐かしい夢を見た。
10年以上前の、なんてことない、埃の積もったアルバムのような夢だ。
薄暗くて寒い場所。
私はあの時も1人で膝を抱えていたっけ。
チャイムの音も、みんなの声も、全部別の世界の出来事のようで。そんな中に私は1人でいて、痛くて気持ち悪くて…
「シャンディ」
名前を呼ばれた。
低くて、安心する声だ。
陽だまりみたいに暖かくて、優しい。
私は確かにこの声を知っている。
思わず泣きそうになる。
心の1番奥、冷たく寝そべる何かをゆり起こすような声に酷く安心する。
やっと見つけた、やっとここまでやってきた。
私はこの声を知っている。
私はこの声を。
この陽だまりを。
「グラ、ディオ」
それが、大好きで、大好きで、仕方のない、私の陽だまりの名前だ。