マーガレットの火葬
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懐かしい夢を見た。
かつて王都で守られ生きていた頃の話だ。
目を開ければ美しい街並み、鮮やかな空、笑顔の人々。
私はその中で大好きだった人の背中を眺めている。
服の上からでも鍛え上げられているのがわかるほど広い背中だ。
楽しそうな声を上げて、仲間とふざけて肩を組んだりして笑っている。
街中に響く笑い声と同じ声。
眩しいほどに弾む声が耳にとても心地よくて目を閉じる。
私はその横顔が確かに好きで、
あの低い声も仕草も好きで好きで仕方がなくて、
そんな彼とともに居ることがどうしようもない幸せだった。
ふと、息苦しくて目を覚ます。
見慣れた天井、聞き覚えのある喧噪。
変わらない朝がやってくる。
深いため息をつくと、私は倦怠感で項垂れた体をゆっくりと起こした。
キラキラと窓の外で海が輝く。
時計を見れば目覚ましの鳴る時間まであと十五分ほどある。
「……最悪」
ポツリと呟いた声は気だるい水曜日の朝に飲み込まれて溶けていった。
私の上司はちゃらんぽらん
「んー、気持ちいいなぁここは。さすがバカンスリゾートって感じ?
ねっ、シャンディもこっちきて正解っしょ」
「そうですねぇ。私としてはオルティシエも十分魅力的でしたが。」
「はぁ、そこは大人しく《センパイのお供できてよかったです~》とか言うとこでしょ」
「いえべつにそこまでは思ってないので」
「辛辣~」
とかなんとか言いながらもヘラヘラとした表情で、シャンディの上司…ディーノ・グランスは黒いジャケットを腕にかけた。
ツーブロックに掻きあげられたシルバーゴールドの髪が揺れて、いつもよりも鮮やかな色で光っている。キラキラと輝くガーディナの海の光に照らされて、このちゃらんぽらんな上司もいつもの1.2倍くらいは素敵に見えるから不思議なものだ。
シャンディは深いため息をつくと上司の後を追うように羽織っていたカーディガンを脱いだ。
ディーノと違い、重たい茶色混じりの黒をした髪が潮風で揺れて顔にかかる。
じりじりと気温を上げる太陽を全身で浴びて、シャンディは額の汗を拭った。
オルティシエに比べるとガーディナは嫌になる程暑い。
船から降りてすぐだと言うのにもうすでに背中に汗をかき始めている。
「あーもー。なんの用があってワザワザこんなところに。センパイ私が暑いの嫌いなの知ってるでしょう」
「えっ?あ、そうだっけゴメンすっかり忘れてた」
「…………」
「そんな目で見るなってば、冗談通じないなもう」
「センパイはいつも冗談みたいな言い方しかしませんし。自業自得って言うんですよ」
「ひでー。まっ、でもオルティシエ行くよりよっぽど特ダネ拾えるかもってのはマジ。オレ真剣。
ついでに可愛い後輩のシャンディが付いてきてくれてハッピーなのもマジ」
彼の耳につけられたピアスが揺れて光るのを目で追いかける。
まぁシャンディチャンと仕事するの楽しいからさ!なんて子供のように笑うディーノ…センパイに、私は「もういいです」と本日数度目のため息をついた。
リード地方の最南端に存在するリゾート地、ガーディナ。極上のエステや、高級料理のレストラン、洗練されたデザインのホテルに、穏やかな海が広がる、セレブ向けのこの地には他の大陸からの観光客も多い。
そんな休暇でやってくるような場所に何が楽しくてスーツで来なくてはいけないのかと言うと、まぁ端的に言えば仕事だからだ。
私の仕事はジャーナリスト。
情報を集めて新聞や雑誌、テレビ局などに売る仕事だ。私の勤める会社『メテオ・パブリッシング』はそこそこ業界でも幅を効かせている会社で、自由を売りにした大手企業だ。
その取材範囲はルシス全域に及び、世界中に同僚がいる…(自由にかこつけて)かれこれ五年以上本社に顔を出してないような猛者もいるとかで……まぁ言ってしまえば自由勝手がまかり通る。
そんな会社なのだ。
そこに勤めて四年ほどになるか、私の上司がこの目の前で「あっつー」とかボヤいている男、ディーノ・グランスだった。
もう彼との付き合いも四年になる…というか入社時から世話になっているのでどちらかというと私直属の上司みたいなものだ。
そんなわけで、今回もまたディーノ先輩の取材の手伝いという名目で私はわざわざこんな暑い場所にスーツ姿で立っているのである。
ボゥ、と汽笛を鳴らして今しがた乗ってきた船がオルティシエに向けて出航していく。最新鋭のスマートなデザインをした大型客船は元来のものに比べて揺れが少ないのがウリだそうで。なるほど確かにとても快適だった。船内のレストランのランチもとっても美味しかったし……頭の中にメモを取る。
上司の言う特ダネとやらが何かまだ教えてもらっていないが、もしものときはガーディナ特集でも組んで誤魔化そう。
ディーノ"センパイ"の腕を疑っているわけではないが、それでもやはりルナフレーナさまの婚約や平和議定の調印式より大切なものなど無いように思うのだ。
このちゃらんぽらん上司、いったい果たして何を企んでいるのやら。
「さて。俺はちょっくら挨拶に行くけど。
……あー、シャンディも来て。今後も記者を続けてくなら知ってて損はない。」
「はぁ。まぁセンパイが言うなら。…って聞いてないし」
こちらの返事を聞くでもなくヒラリと後ろ手を振ってディーノは歩き出してしまった。
飄々とした後ろ姿が本気で憎たらしい。私はこっそりその細い背中を睨み付けると、ため息をつくのにも疲れて静かに上司の後を追いかけた。
息抜きや新婚旅行やらでガーディナを満喫している人たちの間をすり抜けてグレーのカッターシャツを追いかける。
たどり着いたのはオーシャンビューのレストランだ。よく雑誌でも見かける、名前だけは聞いたことのあるような、リゾート地ガーディナでも飛び抜けてお洒落なレストラン。こんなところに何があるのか。
もしや船の中でしっかり食べたのにもうお腹でも空いているのだろうか。
問うにもディーノはサクサクと人を縫うように進んでしまって私は一向に追いつけない。
下手をすれば見失ってしまいそうだ。
楽しそうに歩く親子連れの陰に、幸せそうに歩く夫婦に、姿がかき消される。
「ちょっ…まって、くださいよ!」
私の悲鳴じみた声にディーノは足を止め……
「ふふーん~」
…るはずもない!!
あっのクソ上司!少しはこっちの事を気にしてほしいんですけど!
憤慨する私の事など気にもとめずサクサク進む上司が老夫婦の影に完全に消えてしまい、私は足を止めた。もうディーノがどこに消えたのかもわからなくなってしまった。目の前にあるのは人混みばかり。
「もー……」
ほんと自分勝手なんだから!
ムッと口を尖らせて携帯を取り出す。
発信履歴の一番上に残されている電話番号を素早くタップして耳に当てた。
ワンコールが鳴った途端「シャンディ、こっち!」なんて声が受話器と周囲から聞こえてきて周囲を見回す。
ブンブンと大きく振られる手を見つけて駆け寄ればそこはレストランのカウンターだ。
人の波に逆らいながらなんとかたどり着くと、ディーノはカウンターを肘掛にしながらヘラリと笑った。
「ごめんごめんシャンディが案外歩くの遅いの忘れてたっていうか。
別に置いてくつもりなかったんだよねぇ。
あっそうだ彼女、カクトーラ。ここのボス。」
むっすりと顔全部でよくも置いていったな、をアピールした私にディーノは片手間ついでのように謝罪して、そしてさらに片手間ついでにカウンターの中でキョトンとしている女性を紹介してきた。
あまりに流れるように紹介されたものだから、一瞬何の話をしているのか全くわからず反応に遅れてしまった。
慌てて紹介された彼女を見ると彼女もあきれたような顔をしていた。きもち、とてもわかります。
「だれがボス、よ。失礼しちゃうわ。
…初めまして、私はカクトーラ。ここのレストランのチーフをしてるの。あなたは彼の後輩の?」
「あ、はい。初めまして。私シャンディと言います。このちゃらんぽらん上司の部下です」
「シャンディ今日なんか辛辣じゃない?なに どうしたの、いつもはもっと静かなのに。」
「……ガーディナにきたからいつもより開放的な気分なんですよ。」
「あら。シャンディさん、気が合いそうね」
「ええとても。」
カクトーラさんとカウンター越しに固い握手を交わせば、ディーノが不満そうに「えー」と漏らした。
いやいや、その顔をしたいのは私の方です。
不満そうな顔にもう一度ひと睨み返して、私はカクトーラさんに向き直る。
「カクトーラ、夜はここでバーもやってるから情報通なワケよ。
この辺り一帯の情報は大体彼女のトコロにくるってコト」
「はぁなるほど。そういうことですか」
「シャンディさん、お酒は好きかしら?もしよければ今夜にでも遊びに来てちょうだい。…色々溜まってそうだしね」
「あ、わかります?積もりに積もったストレスが」
「ええ。」
そりゃディーノと四六時中一緒なんですもの、あまり無理はしないでね、と付け足して微笑むカクトーラさんに思わず涙が出そうになった。これはいいお酒が飲めそうな気配がする!
涙ぐむほど嫌なの?とディーノが隣で言っているが、今はカクトーラさんの手の温もりが愛しいので聞かなかったことにしよう。
* *
カクトーラさんと別れて、私たちは観光客向けの小さな商店街を歩いていた。
地元で取れた海産物や、旅行で必要になりそうな細々とした雑貨屋、服屋に派手なランジェリーショップ、お土産屋、が数十メートルほど連なっている。
かつてはもっとたくさん店があったらしいが、数年前にシガイが突然ガーディナを襲った事件で随分と店が無くなってしまったのだという。その時のニュースはルシスでも大きく報じられたのを覚えている。
死者は百人近くに上り、ガーディナの商店区は半壊。
シガイがハンター協会によって討伐されるまで、ガーディナに訪れる観光客も随分と減ったと聞いていたが、こうして見ているととてもそうとは思えないほどの活気がある。
もうすぐ日が沈み出す頃だ。
蛍光灯に照らされた今はもうない商店街のことを思うと少しだけ胸中が苦くなる。
『シガイがこんな所に出るなんて。こりゃ俺らも悠長にしてらんねぇな、シャンディ』
「……」
不意に思い出したのはそんな言葉だった。
テレビの向こうの惨状に眉を寄せて、それから挑発的に笑うヒト。
タイガーアイのような色の目で私を見ていたあのひと。
私は頭を小さく振った。
何で今更こんなことを。
なんてことない日常、なんてことない数分のやりとり。
ああそれもこれも朝方に見た夢のせいだ。
ふ、息をついて空を見上げる。
明るく光る一等星がチラチラと見えている。今夜は星が綺麗だろうな。
そんなことを思って私はもう一度思考を振り払うと前を行く上司の背中を追いかけた。
「もうすぐ着くよ。前見てないとぶつかるって」
「う、すいません」
サクサクと前に進んで行くディーノの背中を追いかけて、辿り着いた先は小さな民宿だった。
……はて。私たちが泊まる予定の宿はもっと先のはずだが、
「到着っと」
「……あの、センパイ。ここは?」
「え、なにって宿だけど。」
「……すいません私の記憶だと私たちの宿泊先はこの先にあるビジネスホテルだったように思うんですが。」
「あーソレね、あれ言わなかったっけ、長期滞在すると値段が跳ね上がるからって民宿になったってハナシ」
「聞いてません! ……いやていうか長期滞在?
取材期間は一週間の予定じゃ、
……えっちょっと待ってください、なんですかそれ、
…なんですかそれ!!」
「アッレ言ってなかった?
今回の取材具体的にどのくらい必要になるかわからないから、ひとまず1ヶ月の取材になるって……
あちゃーどうりでシャンディの荷物が少ないわけだ」
「………………」
……本当に今夜はいい酒が、飲めそうだ!
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