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「名字、テニスしよ」
磯野野球しようぜ、のノリで今日も現れたのは、生まれた時からの幼馴染である。
テニスに出会ったあの日から暇さえあればラケットとボールを手にしていた彼は、某国民的アニメに出てくるあのキャラクターのごとく頻繁に私をテニスに誘う。
初めて誘われた時、テニスが何なのかもよく知らないままテニスコートに連れ込まれたのをよく覚えている。
キャラクター物のスニーカーで何とか走り回り、多少の経験差はあれどたかが数日間、同じく初心者であったはずの幼馴染にしかしコテンパンにされて大泣きした。
テニスなんか嫌い、精市くんは大嫌い。
繰り返し泣き続ける私に幼馴染はきょとんとし、後日早めの誕生日プレゼントと称して新品のテニスシューズを寄越した。
ウェアとラケットは僕の予備のでいいよね、と笑顔の幼馴染に、私は予備の意味が分からず首を傾げるばかりであった。本当はくまのぬいぐるみが欲しかったのに。
そう、幼馴染の幸村精市が中島くんと違うところは、彼が全国一のプレイヤーだということだ。近所の空き地で友達と野球をしているだけの中島くんとは訳が違う。
が、しかし幸村は、初めから圧倒的に実力差のあると分かっているのに私とテニスをしたがる。
というのも、幸村が暇な日、つまりテニススクールや部活が休みの日は、そもそも体を休めるために設けられたものであるので、幸村が普段競い合っている仲間兼ライバル達は休息中なのである。当然だ、休息日だと言っているのだから。
つまり、手が空いていて、気心の知れていて、打ち合いが出来る相手が私というだけなのだ。
しかしテニス部のオフ日は必ず週末にやって来るので、帰宅部である私も同じく休みなのだが、その辺を考慮してくれたことはあまり無い。というか、私以外には声を掛けてすらいないのを私は知っているぞ。
「ねぇ聞こえてる?テニスしようよ」
「……いいよ」
パァっとかんばせが花開く。
彼はもう中学三年生になるというのに、天使のような顔は今でも健在なのだ。しかも声変わりの時期を病院で静かに過ごしたからか、耳触りの良いアルトボイスに育ってしまった。
そのせいで余計に人外らしくなっている、と私は思うのだが、口に出せば待っているのは粘着質な嫌がらせの数々だ。蛇が出ると分かっていて薮をつつくような趣味はない。
「じゃあ早く行こう。荷物くらい持ってやるからひとつに纏めて、あっねぇこの前キミにあげたウェアどこにあるの」
「勝手に人のバッグ出すな」
「君が動かないからだろ」
早く早くと人がくつろぐベッドを叩き始めたので、仕方なく起き上がる。
「別に付き合うけどさ、前のとき私ボロッボロだったじゃん。今回も多分同じ感じになるよ。いいの」
幸村は頻繁に私をテニスに誘う。そうは言ったが、それも随分前の話だった。
というのも、床に伏せていた期間はもちろん、奇跡のような驚異的な早さで復帰したあとも、幸村が私とテニスをしたがることは無かったのである。
全国大会が、終わるまでは。
お前を見るとテニスを思い出すんだよと理不尽に怒鳴られても健気に、言い換えれば無神経に見舞いに行っていた私だったが、自分からテニスの話題を出すことはしなかった。
私たちにはテニス以外にも繋がりがあったから、それでも平気だと思っていたのだ。
しかしどうやら幸村は違ったらしい。
私といるとどんどん口数が少なくなっていき、終いにはお願いだから来ないでくれと懇願されてしまった。まぁそれでも見舞いには行ったが。
なにせ人生のほとんどを共に生きたのだ、心配せずにいられるわけがない。
私たちは、無言の病室を過ごした。
退院すると多少マシになったが、それでも時折その無言は訪れた。大会に集中するためか、幸村はわざわざ部外者にテニスの話をしなかったのだ。
けれど、テニスという話題を奪われた私たちには他にする話など無かった。私たちは、私が思っていたよりもずっとずっと、テニスという手段に頼り切って繋がりを保っていたらしかった。
ところが先週、全国大会決勝戦が行われた次の日の朝。幸村は現れた。
「いいよそんなの。気にしないし」
きゅう、目を細めて笑う。
幸村はあの日も同じ顔をした。約一年ぶりのテニスコートに四苦八苦している私を見て、だ。
何を笑ってやがる余裕ぶりやがってふざけんな、と思ったのも一瞬のことで、幸村のその微笑みに含まれている感情に私は気がついてしまった。懐かしい、嬉しい、いとしい。目を見れば分かる。私も同じ感情を抱えたから。
「そう。じゃ、いいけど」
幸村のこと、テニス馬鹿だと思ってたけど。
「うん」
テニスがないと会話も出来ないなんて、私も人のことが言えない。
「はぁ」
「何の溜め息」
「いや……幸村のせいだなぁと思って」
「え、何が? 俺何か悪いことした? ごめん」
しかし今まで会話が無かったということは、幸村だってテニスなしでは私と話せなかったというわけで。
私をこんな風にしたのは幸村だが、幸村をそんな風にしたのは私だ。
「ううん、私の方こそごめん」
「な、何が? 何に謝ったの、なんなの」
床に剥き出しで放置されていたラケットを手に取って、くるくるっと回してみる。
小学校高学年くらいだっただろうか。幸村のお下がりが嫌になって、自分のラケットを自分のお小遣いで買ったのは。
「私に勝てたら教えたげる」
幸村は少しだけ面を食らったような顔をして、誰に向かって言ってるのと笑う。
どうしようもないくらいのテニス馬鹿にだよ、私は胸の中で呟いた。
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