光り、砕けろ




《クーレ・メミニ》

「え?」

 バルコニーの机で作業をしていたら、突然、目の前の乱雑に散らばっていた書類がひとまとまりになって机の隅に追いやられた。
 驚いて声の主の方を振り返ると、オーエンが心なしか軽い足取りでこちらへ向かってきていた。その手には、ケーキスタンドらしきものを持ち合わせている。

「オーエン、こんにちは……それって、」
「ふふ、ネロからスコーンを貰ったんだ」
「あ、例のひまわり油の......?」
「そう」
「私も食べていいですか?」
「ダメ」
「え〜......」
「ふふ、賢者様にさせてあげられる事は、僕がひとつ残らず嚥下するのを、羨ましく見ている事だけだよ」
「なんですかそれ......」

 そう言うと、私の目の前に音を立てずケーキスタンドを置いた。皿にはたくさんのスコーンと、様々な味のジャムやクリームが置かれてあった。
私の正面に腰を下ろしたオーエンはフォークの類は持ち合わせていないようで、彼は素手でそれらをつまみ、口へ運んでいった。

 オーエンの言った通り、私は彼の食事を黙って見ているだけの人になってしまった。食事中に話しかけるのもどうかと思い、彼の咀嚼を観察していた。

 しばらくはそうして無言の時間が過ぎた。

 しかし、次第に菓子類がぐちゃぐちゃになっていく姿を見ていると、私は徐々に現実逃避を始めた。

(そういえば、この世界にもスコーンってあるんだな…)

 スコーンの名前や形の由来は、スコットランドのスクーン宮殿にある、The Stone of Sconeという石からきているらしい。なんというか、私の住む世界のお菓子が、この世界にも全く同じように存在していることに、改めて不思議な心地がした。どうしてなのだろう? スコーンというお菓子は、私の住む世界特有のお菓子では無いのだろうか。

(前に来た賢者が教えたのか、あるいは、同じような文化の発展があったのか…… )

 正確なことは不明であるが、馴染み深い菓子が存在することを少し嬉しくも思うし不思議にも思う。
 この世界へもたらされる知識は、賢者の世界からこちらの世界へと、おしなべて一方通行であると思っていたが、逆にこちらの世界の知識があちらの世界に影響していることもあるのだろうか。
 無言に耐えかねた私は、オーエンを気遣うふりをしてこの場から逃げ出そうとある提案をした。

「スコーンだけだと口がパサパサしますよね。私、お茶を入れてきます」
「いらない」
「なるほど……じゃあ、私が飲みたいので、持ってきますね」
「はあ?」

 心底意味がわからないっといった顔で、オーエンが睨みを効かせてくる。口元が色々なものによって汚れているので、怖さは半減している。

 そうすると、とてもタイミングのいいことに、トレーを片手に持ったネロがやってきた。

「ああ、賢者さん。オーエンも。ここにいたのか」
「あれ、ネロ……もしかしてそれって、」
「ん? ああ。紅茶だよ。オーエンにティーセット一式渡そうと思ったら、どっかに行っちゃって探してたんだ……ほら、これ」
「わ〜! ありがとうございます」
「賢者さんの分も持ってこようか?」
「いえ! 大丈夫です。お構いなく」

 私が嬉々としてそれを受け取ったので、ネロは訝しげな顔をしつつ、「熱いから気をつけてくれ」と言って私に手渡してくる。

「じゃ……ごゆっくり?」

 そう言い残して、不思議そうな顔をしながらネロは退出して行った。心配そうなに何度かこちらを振り返るが、とうとう彼の姿は見えなくなった。

 私は私で、ネロから受け取った紅茶をウキウキしながら飲み始める。一人分の用意しかなかったが、オーエンは飲まないと言っていたので私が飲んでも構わないはずだ。
 そのままでは苦味が強いので、備え付けられていたシュガーをいくつか掬って紅茶に溶かす。このシュガーは、きっとネロが作ってくれたものだろう。シュガーポット内には大量のシュガーが詰まっているので、きっとオーエンが飲むことを想定していたに違いない。
 一口飲むと、オレンジピールやハーブが入っているのだろうか。程よい清涼感が心地いい。
 しばらくそうやって紅茶を堪能していると、急に目の前に座る男が音もなくスッと立ち上がった。

 しまった。紅茶に夢中で気がつかなかったが、オーエンはもう菓子を食べ尽くしていて、テーブルの上にカトラリー類を置いたまま帰ろうとしているようだ。片付けは私に任せて。
 このままじゃ彼は立ち去ってしまう。そう思ったら何だか物足りなくて、思わず私は声をかけてしまった。

「オーエンは、」
「何?」
「……オーエンは、名前の由来とかってありますか?」
「知らない。知ってても、教えない。」

 先ほど、スコーンの名前の由来を思い出した関連で、そんなことを聞いてしまう。
 しかし、即座に否定され、私にとっては気まずい沈黙が訪れる。
 このまま言葉を続けるか、彼の次の出方を待つか迷っていると「君は?」と一言疑問を投げかけられた。どうやら、彼は能動的に私に質問してきたらしい。
 まさか、会話が続くとは思っていなかったので、タジタジになりながら己の名前について説明した。

「えっ、と。意味...... なんでしょうかね。私の世界の人が私の名前を聞いてパッと思いつくのは、水晶だと思うんですけど……」
「おまえも知らないのかよ」
「そういえば、知らなかったみたいです……」
「ふうん。水晶か」

 てっきり気分を害するかと思ったが、予想とは裏腹にオーエンは落ち着いた声色で私の言葉を復唱する。

「あきら……水晶、あきら……ふうん。結びつかないね」
「私の名前、覚えていたんですね」
「おまえが教えたんでしょ」
呆れたように呟きつつも、オーエンはバルコニーの手すりにもたれている。少し意外だが、もう少しここに居座って、私の話し相手になってくれるようだ。このままオーエンを帰してしまいたくなくて、何とか彼の興味を引く話をしようと言葉を選ぶ。

「私、水晶好きなんです。付き通っていて、綺麗で、私たちの世界では占いをする時とかに使われたりもしたんです。水晶には真実が映る……らしいんですけど、本当はどうかわからないです。あと……水晶は、2つ用意して、2つを思い切り叩きつけると、光ったりもするんです」
「光?」
「……! はい、そうなんですよ。水晶同士が作用して、小さな閃光が走るんです」
「それ、見せてよ」
「えっ!! 無理ですよ! 私、水晶なんて持っていないです」

《クーレ・メミニ》

 間髪入れずに魔法を詠唱すると、ころんとした水晶が二つ、彼の手のひらにどこからともなく現れた。

「……オーエン、それ、どうやって?」
「魔法使いなら水晶の一つや二つ、所有しているものだよ。媒介として汎用性が高いからね」
「なるほど……???」

 よくわからないが、そういうことらしい。オーエンはその二つの水晶を空中に浮遊させ、クルクルと回している。
 その間、彼はスルスルと外套を脱いで、洗濯物のように二、三度パンパンと振った。そうするとオーエンが私の後ろに回り込み、首元に鼻を寄せてきた。

「えっ、」

 急接近されて、思わず体が凍りつく。この人は一体何をするつもりなのだろう。
 座っている椅子ごと私が抱きしめられるような格好にドギマギしながらも、勤めて冷静であるかのように振る舞う。
 そうすると、エプロンをつけられる時みたいに彼の外套が私の胸の前に回され、そのまま彼と私の頭をすっぽり覆ってしまった。彼の上着の中で、ふたり縮こまって暗闇に覆われる。外套の裏地の紫色さえ見えない、完全な闇であった。

 体温で擦れて、甘く漂う彼の香りがした。例の、何とも言い表せない彼の香りである。そこに私のシャンプーの香りが混ざった。閉鎖的な空間も相俟って、何だかいけないことをしている感覚になる。その密室の空間は、互いの息遣いの音と温度で急激に蒸されていく。

「何してるの? 早くしてよ」
「あ、え、はい?」

 何を言っているのか最初は理解できなかったが、いつの間にか私の両手の中には水晶が握りしめられていた。
 これは、つまり、私が水晶をぶつけ合えということなのだろう。
 彼の意を汲み取り、強ばった手つきで、水晶をふたつ、カチカチと衝突させる。

 力が弱すぎたためか最初は全然反応を示さなかったが、思い切って強い力でぶつけ合うと、一瞬だけピカっと発光を確認することができた。

「わ! 光りましたね!」
「へえ、ほんとに光るんだ」

 その後も、カチカチと夢中になって光を出し続ける。そのうち、飽きたオーエンが彼の外套を取り払うまで、私はその光を観測していた。

「綺麗でしたね! 実際にやってみると、結構はっきりと光って、びっくりしました」
「瞬く閃光。お前とは程遠いね」
「うっ、名前負けしてますかね」
「してるよ」
「ですよね〜……」
「ぼんやり光る六等星。一等星を見上げた時に、ああ、そういえばって目を凝らさなきゃ見えない」
「……?」
「見ようとしなきゃ、見えない。星を見ようとして空を仰がなきゃ見えないよ。でも、一等星は違う。見ようとしなくても、目に入る」
「……」
「だからこそ、六等星の方は見ようとする気にさせる、」


ーーまるで、おまえみたい。


 この魔法使いは美しい言葉を沢山知っている
 精神年齢は実年齢に比例はしない。が、目の前にいる男は、あまりに多く歳を重ねてきているため、その分精神年齢さえ底上げされている。言葉選びが、若者のそれではないのだ。きっと、傷のオーエンだって、私なんかよりもはるかに年上なんだろう。

 魔法使いは皆そうだ。美しくて、賢い。
 いくら私が本を読んで心を豊かにしたって、かないっこない。彼らが気の遠くなるような時間で得た、数多の経験には勝てない。

 心で魔法を使う、というのは本当なんだとしみじみ感じる。
 こんなに強い魔法使いなんだから、心が、なんというか、うまく言葉にできないけれど、卓越している。

 彼に人の心はないかもしれないが、魔法使いの心があるんだ。 
 その心が卓越している、という表現しかできない。だって、別に心優しいわけでもないし、かといって悪虐非道で無骨なわけでもない。でも、広く深い海のような心を持っている。海の95%は解明されていないらしいが、まさにそんな感じの壮大さを思い起こさせる。

 そんなささやかな見地に、改めて驚いた。

「……オーエンは、私のことを見ようとしてくれているんですか?」
「してるよ」
「えっ、」
「おまえみたいな弱いヤツ、すぐ死ぬでしょ。おまえは弱すぎるまま賢者になってしまったんだから、目をかけてやらなきゃ、すぐ死にかける」
「そ、そうですね」

 死なないように監視されているということだろうか。

「そう……ですか。六等星……あはは、何だか格好つかないですね」
「別に。綺麗だよ。六等星も、何等星だって」
「そう……ですね」
「あの月の光の前には何等星だって無力だけれど」

 意地悪く上品に笑ったオーエンは、今度こそ会話を終わらせるためにスタスタとバルコニーから去っていった。カトラリー類は置き去りにして。

 褒められた、のだろうか。貶されたような気もする。
 六等星を称する言葉を、私に当てはめてもいいのだろうか。
 そんなの、自惚れてしまう。

(どうしよう)

 意図せず頬が熱くなる。ああもう、どうしたらいいのだろうか。
 この気持ちを自覚したからとて、持て余す一方なのに。
 今日、どうして彼は私の話を聞いてくれたのだろうか。もしかして、少しは彼の心を手繰り寄せられているのだとうか。

 その場にうずくまり、顔を手で覆った。うーとかあーとか、言葉にもならない言葉を漏らす。

 もしも、私のことを褒めてくれていたのならば、このカトラリーを私が片付けることになってもやぶさかでないと思った。彼の心理など彼にしかわからないのだけれど、今は都合のいいように解釈して、己を奮い立たせようとした。だって、どうせ私が片付けることになるのだから、それくらいはしてもいいんじゃないだろうか。





「村の偵察...ですか?」
「ああ」「うむ」

 ある日の昼下がり、私は吹き抜けの階段の踊り場でスノウとホワイトに呼び止められ、新たな依頼が入ったとの報告を受けていた。
話はこうだ。とある村に、賢者と魔法使い一名を連れて偵察に行って欲しい、と。

「あの、魔法使い一名だけというのは何故でしょうか?」
「そうじゃな……まず第一に、危険性が低いからじゃ。魔法使いの一人もいれば、危険なことは大体対処できるじゃろう」
「尤も、危険なことなんてそうそう起こるわけはないが」
「そして、これは我らの判断になるのじゃが……大人数でゾロゾロ向かって、あの村をうるさくしたくなくてのう」
「そう、ですか……」

 ひとまず、危険性が低い任務であるということで私は安堵した。

「ところで、一緒にいく魔法使いって誰なんでしょうか?」
「うーん、それなんじゃが」「オーエンが適任かのう」

 急に二人の顔が難しそうに歪む。私も意外な人物がピックアップされたことに対して警戒してしまう。

「オーエン、ですか」
「我らが行こうとも思ったんじゃが、我らは夜に活動できん。万が一、賢者が危険に晒されるようなことがあったらと考えると、我らは適任ではない」
「性格的に北の奴らが適任なんじゃが……ミスラはこの村に世話になったことがあるじゃろう。行かない方よい」
「世話......?」
「ブラッドリーのやつも厄災の傷のおかげで、いつ賢者を1人にするか分からぬ」
「いや、でもオーエンだって傷が......」
「だとしてもじゃ。あやつはたとえ傷の影響が出ても、本質的な強さは変わらぬ」
「北でなくても差し支えないが、北の方がよいじゃろう」
「若い魔法使いには、何かあった時ちと酷すぎる。しかし、オズは夜魔法が使えんじゃろうし、フィガロも今年賢者の魔法使いに選ばれたばっかりじゃから、行かない方がいいじゃろうな」
「去年は、とある東のやつに行ってもらったが、今年は違うやつを派遣するのが良いじゃろう」
「東ですか……ファウストですか?」
「いや、もう石になってしまったやつじゃ」
「あ、」

 よく考えたらそこに触れてはならないと気づけたのだが、突拍子もない話のせいで、うっかり石になった魔法使いのことに触れてしまった。

「西のあやつらも、些か心配じゃからのう」
「弱いわけではないんじゃが……あの村との相性は悪いのう」
「性格的に、東か北が適任じゃろう」

 当の二人はさして気にした様子ではないが、きっと気を使ってくれている。
 晶はなんだか情けなくなって、でもそんな気持ちを言葉に滲ませるほど子供でもないので、取り繕って質問を重ねた。

「......消去法でオーエンなんですか?」
「そうといえばそうじゃ。ただ、」
「ただ?」
「そうとも言えぬということじゃ」

 スノウはそこまで言うと、口をつぐんだ。その目線を辿ると、ちょうど話の中心となっていたオーエンがいた。

「何?」

 いきなり三人からの目線を受け止めたオーエンは、ものすごく嫌そうな顔をする。
 どうやら外出からの帰りのようで、真っ白な外套の裾が少し砂塵で汚れていた。
 そのまま帽子を外すと、こもった熱を振り払うかのように二、三度頭を振った。パラパラと髪の毛が広がる。

「ちょうどよかった。オーエンちゃん」
「こちらへ来るのじゃ」

 二人は緩慢な動作でこちらへ手招きをする。命令されて不快そうな顔をしつつも、オーエンはあっさりとこちらへ歩いてくる。
 スノウとホワイトが先ほどの話をかいつまんで話すと、オーエンはさらに嫌そうな顔をした。

「嫌だよ。ファウストにでも頼めばいい」
「実は……もう断られたんじゃ」
「だったら尚更。何で僕が引き受けると思ったの?」
「まあまあまあまあ」
「この偵察にはできるだけいろんな魔法使いが行った方が良いのじゃ。そのほうが先方にとっても利益があってのう」

 しばらく三者は問答を繰り返していた。そのうちオーエンは話にならないとその場を立ち去ろうとしていたが、強引に引き止められている。それでも、スノウとホワイトが懸命に説得を続けると、その派遣先の村の名前を聞いたオーエンは急に抵抗をやめて、素直に話を聞く体勢になった。

「常冬村、ねえ。へえ……噂には聞いていたけど。今年は僕に回ってきたんだ」
「そうじゃな。おぬしは賢者の魔法使いの中でも特に捕まえにくいやつじゃから今まで頼んで来なかったが、今年こそは行ってもらうぞ」
「先方はいつでも訪問して大丈夫だと言っておった。それこそ今日でも明日でも」
「じゃあ、とっとと済ませるよ。今日、この後行く」
「えっ、今日ですか。ちょっとまってください準備が……」

 私が言い終わるよりも先に、彼はもう廊下を歩いて行ってしまった。
 やがて曲がり角を曲がって完全に姿が見えなくなる。
 私はスノウとホワイトに仕事を引き継ぎ、これから行ってもらう場所はとても寒く、寒さが体に障るといけないのでできる限りの厚着をするようにとアドバイスをされる。私はいう通りにして自室で可及的速やかに着替えをすましエレベーターへと移動する。
 すると、既に待機していたオーエンがいつも通りの格好をしながら階段に腰掛け、足と腕を組んで目を閉じていた。

「遅い」
「あ、すみません。たくさん着込んでいたら時間がかかっちゃって」
「もういい。いくよ」

 一人でエレベーターへ向かう彼を追いかけ、私もその横へ並ぶ。機械を操作し目的の場所で降りると、そこは冬の景色をしていた。

 視界のほとんどは雪の白さが広がっており、冬の寒さにじっと耐え忍ぶ木々がまばらに見えるばかりである。全てが凍てつく冬の地だ。
 時折大きな風が吹き抜けると、雪肌から粉雪が舞い上がる。そのせいで、雪は降っていないけれどずっと雪が舞い降りているような景色が広がっている。
 吐息は白いが、その割に私たちをまとう空気はそれほど冷たくはないので、いつの間にかオーエンが魔法をかけてくれているのであろう。

 先導する彼が足跡を作ってくれているため、私はありがたくその足跡をたどる。意外と足跡が大きくて、私の足がすっぽりと収まる。

 来た道を振り返ってみると、すでに私たちが歩んできた道は、元のまっさらな足跡一つない道に戻ってしまっている。オーエンとはぐれたら遭難してしまいそうだ。しかし、途中で凍湖の上で滑って転んだ以外は特に問題もなく二人は黙々と歩き続けた。晶はオーエンについていくのに必死で息が上がっているたため、会話はまばらである。

 しばらく歩いていくと舗装された道に辿り着き、いささか歩きやすくなる。どうやら、この道をたどっていけば目的地に到着するらしく、道なりに沿って進む。

 雪に紛れていて分からなかったっが、思ったよりも近いところにこれまた白い建物が立っていた。しかも、かなり大きな施設である。まるで、雪に隠されるように建っていたそれは、病院か、学校か、何故かそのような公的な建物を彷彿とさせた。

 入り口らしきところへ到着すると警備員のような人が私たちの前に現れて、私たちに立ち入り申請書を求めてきた。
 事前に記入してきたそれを渡すと、立ち入り許可証と交換される。やけにあっさりと通されたことに安堵した。警備員と入れ替わるように、女性が一人私たちの前に現れると行儀良く一礼をされる。

「あ、どうも、こんにちは」
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました。賢者様と、賢者の魔法使い様」
「ご丁寧にありがとうございます」
「さあ、立ち話も何ですし、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」

 私たちは誘導されて、施設の中へ入る。私が衣服の雪をはたいて落とそうとしていると、オーエンは突風を吹かせて私の体に付着していた雪を全て飛ばしていった。
 そんな私たちの様子を見て、その女性は少し微笑んでいた。
 オーエンは微笑まれることに難色を示していたが、特に何も言葉を発することなく黙っている。

 案内されてたどり着いた部屋は、暖炉が備え付けられている温かみのある場所であった。真ん中にはローテーブルが設置されており、いかにも応接室といった風である。促されるままソファに座り、オーエンと隣同士になって待機する。先程案内してくれた女性は、担当のものを呼んでくるからといって、退出してしまった。

 パチパチと暖炉の薪が燃える音を聞きながら、私は手をもんだり、足の指を閉じたり開いたりしながら居心地悪く過ごしていた。それに対して、オーエンは足と腕を組んでじっとしており、瞬きくらいしか動きが確認できなかった。やけにおとなしい彼の様子に、少し疑問を覚えた。

 数分後に部屋に訪れた人は、初老の背筋がよく伸びた感じのいい男性であった。私が立ち上がって挨拶をしようとするのを止めて、彼も向かいのソファへ座る。

 事務的な挨拶を終えると、男性はいくつかの資料を取り出して、私たちの前に提示してくる。私にはその資料は読めないがオーエンには読めるらしく、ソファの背もたれにもたれかかりながら目玉だけ動かして文字を追っている。見覚えのない言語であるため、少なくとも日常生活で使われている言語ではないのだろう。

(オーエンは、どうして読めるんだろう)

 それから先、その男はずっとオーエンと話をしていた。
 今まで賢者の魔法使いと共に仕事を行う時には、主に私が依頼の内容を聞き対応をする形をとっていたので、今回のように依頼人と魔法使いが一対一で話を進めいていく構図はとても新鮮であった。私が文字を読めないと悟った男性は、話の通じやすそうなオーエンの方が話を理解しやすいと考えたのだろうか、読めなくても大丈夫ですよとフォローを入れた後はあからさまにオーエンの方を向いて話をしている。

 とは言ってもオーエンは時折「へえ」とか「ふうん」とか相槌を打つだけで、積極的に会話をする気はないらしく、男性が一人で喋っている時間がほとんどであった。

 話の概要をまとめると、こうだ。

 その1、私たちには村の偵察を行ってもらう。
 その2、村に居る間は極力音を立ててはいけない。
 その3、村の中にあるものは、雪以外触ってはいけない。
 その4、偵察が終わったら、今日はここへ一泊してもらう。

 魔法使いは約束をしないということを知っているからであろう。男性はあくまでもお願いとしてこちらに注意を求めてきた。
 何とも怪しい雰囲気のある依頼であるが、賢者の魔法使い一同は毎年この依頼を受けているらしく、正式な依頼であることには変わりないらしい。

 話があらかたまとまると、男性はオーエンに「これがチェック項目です」と言って一枚の紙切れを渡す。彼がそれを片手でつまんで呼んでいる最中、先程の女性があたたかいお茶を運んできてくれたので、ありがたくそれをいただく。オーエンはそれを飲む気はないらしく放置している。私の体がぽかぽか暖まってきたところで、オーエンが立ち上がった。

「行くよ。早くして」
「え、もう行くんですか」
「早く」
「は、はい」

 オーエンはジャケットの内ポケットに折り畳んだ紙を入れ、私を急かす。慌てて立ち上がると、男性が扉を開けて私たちに退出を促す。
そのまま男性は私たちを村へと案内するため、先導していく。

 途中、長い廊下を歩んでいく。開放的な雰囲気が漂っている。きっと、大きな窓がたくさん備え付けてあるからだろう。窓に映る景色は真っ白である。この廊下の白さとも相まって、ひどく無機質な心地がする。

 そうして特別天井の高い場所にたどり着いた。方角的には入り口とは反対側にある扉へ案内されたのだろう。男性はある扉の前で立ち止まると、こちらへ向き直って「到着しました」と告げる。

「この先に村があるんですか?」
「そうですね、すぐそこに」
「そう、ですか」
「お帰りの際は、この扉の前に立っていてください。こちらから迎えにあがります……それじゃあ、すみませんが魔法使い様、お願いいたします」

 何をお願いするというのだろうか。そんな話何も聞いていなかったので、不思議に思ってオーエンに視線を送る。

《クーレ・メミニ》

 そうすると、私とオーエンの体に鱗粉のようなものが降り注ぎ、そして、消えた。何か魔法をかけられたのだろうが、それにしては特に何も変わりがなかったので、何が起こったのかわからなかった。

「オーエン、今の魔法って……」
 
 なんの魔法をかけたのかと尋ねようとした時、「しぃ」と人差し指を立てられた。黙れということなのだろう。もう彼は扉に手をかけていた。

 小さくキィと音を立てて扉は開き、その先にはやはりと言っては何だが雪景色が広がっていた。オーエンは扉を開けたまま、そこに突っ立っている。先にオーエンが入らないのかと疑問を投げかけたくなったが、声を出してはならないというルールに則って我慢する。彼は「早く入れ」というように首を横に一度振ったので、仕方なく私が先に外へ出た。
 振り向くと、扉が見えなくなっていた。真っ白な扉であったから、雪景色と白い外壁に紛れて見分けがつかなくなる。オーエンは自分も外に出ると、静かにゆっくりと扉を閉めた。いよいよ、この世界に私と彼しかいないような感じかしてくる。

 オーエンは施設の壁を右手で触り、それに沿って歩みを進める。
 私もそれに倣い、右手で壁に触れる。オーエン以外は全方位真っ白な景色が広がっているため、努めて彼とはぐれないようにしようと足を動かす。
 しばらくそうやて歩いていくと、どんどん雪景色にも飽きてきて、私の意識は右手の感触に集中される。ざらざらした手触りの時と、すべすべした手触りの時が交互に繰り返されていく。
 その後もそんな調子で歩き続け、特に問題もなく村の状況を見て回る。私には雪以外何も見えなくて不気味だったのだが、オーエンは何かが見えているらしく、時折何かを数えるように左の指を折る。それがひどく恐ろしくもあったし、見えなくてよかったとも思った。

 ずっと観察していてわかったことがあるのだが、雪原にはシュプールのような、何かが移動したような跡が見える。だが、それ以外は足跡ひとつない。逆に私たちが村人になってしまったような気分になる。
その他は所々に雪玉らしきものが転がっているだけで、家も木も街灯も存在していなかった。
 本当にただの一面銀世界である。

 その後も特に問題もなく村の状況を見て回った。今私たちがどこにいるのかわからないくらい奥の方まで来てしまった。私の方が歩くのが遅いので基本的にオーエンに置いて行かれるが、時折こちらを振り返り、待つ必要があると判断した場合にはその場に留まり、私が追いつくのをまっていてくれる。そうやってなんとか追いつきながら進んでいるため、オーエンには休憩時間が生じるが、私はずっと歩きっぱなしであった。そんなことが何十回も何百回も続く。魔法をかけてもらっていたとしても、この寒さは少々堪える。あとどれくらい歩けばいいのだろうとまた遠くの方でオーエンが歩いているのを見て、そろそろ立ち止まってくれないかなとか考えていた。

 その時、ふとキィィィィーーと扉を開けるような音がした。
 ふと音のした方を向いても、同じ音が再度聞こえてくるわけではない。
 立ち止まって耳を澄ましていると、ギュッギュッと雪を踏みしめるオーエンの足音が止まる。
 彼が振り返って私を一瞥すると、私の目線を同じように辿る。
 彼の方が視力も物事を究める力も強いらしく、その表情から何かを見つけたことがわかった。

 そうすると、再びキィィィィーーという音が聞こえてくる。

 私も目を凝らすが、やはり何も見えない。何かを見出そうと背伸びをしたところで、目の前が暗転する。
 何か冷たいものがまぶたに乗せられている。おそらく、オーエンの手だ。彼の手袋のざらりとした感触がする。

 何があったかはわからないが、声を出して尋ねるわけにはいかないので、されるがままになっている。しばらくそうしていると、手袋越しに彼の体温を感じるようになった。

 どれだけそうしていたのかは分からないが、肩に雪がつもり始めた頃、ようやく彼は私のまぶたから手を離す。私は目の前にある光景が、少しだけ変わっていることに気がついた。橙色の液体が四方に散らばり、雪を溶かしている。彼は躊躇なくその染みに近づき、橙色を隠すように白い雪をその上に撒き散らし、上書きする。どうやらこの世界の白一色の調和を保たなければならないらしい。

 私は、何があったのかその場で問いただしたい衝動に駆られたが、グッと我慢をした。

 橙色の範囲は広く、オーエン一人の力では大変そうであったので、私も辺りを白色に戻す手伝をする。もうすでに冷えて固まっているそれを掴んで周辺の雪を少し掘り起こして埋め立てる。

 しばらくその作業を続けていると、私はあるものを見つけた。

(これ、なんだろう? 透き通ってて綺麗……)

 誰かの落とし物だろうか? やけに綺麗で透明な石が落ちていた。
 近づいてよく見てみようとすると、雪に足を取られて、バランスを崩しゆっくりと転んでしまう。幸い、大きな音は立てていない。ゆっくりと体を起こし、先ほどの石を見つけようと目を凝らしてみると、それはもうどこにも見当たらなかった。私が転んだはずみに、雪中に隠れてしまったのだろうか。
 その時、前方にいたオーエンがふわりと飛翔し、あたりを俯瞰しながら飛び回っている。どれほど綺麗になったのか確かめているんだろう。時々空気さえ震わせないように小さく口だけを動かし、声を出さないように魔法を詠唱しているようだ。彼が駆使する二つの呪文のどちらかは分からないが、微かに吐息が白く広がる。
 しばらくは飛んだり地上へ戻ったりしながら丁寧に雪を整えていたが、もう直すところがなくなったためか、私を一瞥した後、また壁に沿って歩いていく。私も慌ててその後を追い、彼の背中を見失わないようにする。

 その後、私がもうすぐ終わりだろうと何百回か思ったところで、村の偵察は終了した。もうヘトヘトになってしまった。慣れない雪道を歩くのにこんなに体力がいるとは思わなかった。直線距離で言えばおそらく5キロくらいしか歩いていないだろうが、体感ではその倍くらい歩いたような気がする。微熱と頭痛を感じながら、私たちは言われた通り最初の扉の前で待機していると、ゆっくりした動作で扉が開き、先ほどの男性が扉を開けて私たちが入るのを待っている。私たち二人が中へ入ると、男性はこれまたゆっくりと音を立てないように扉を閉める。

「もう声を出してもいいですよ。お疲れ様でした」
「あ、はい。ありがとうございます」

 久しぶりに出した声は少し掠れていた。喉を潤すため唾液を飲み込むと、ズキンと微かに痛んだ。
 そこで不自然に思ったのだが、男性と視線が絡み合わない。見当違いな方向を向いて、私たちに語りかけてくる。この感覚には覚えがあって、カインと会うときに同じ状態になる。

 オーエンが指をパチンと鳴らすと、私の体から鱗のようなものがパラパラと剥がれ落ち、そこで初めて男性と目が合った。

「ああ、申し訳ございません。そこにいらっしゃいましたか」
「ええと、もしかして私たちの姿、見えていませんでしたか」
「ええ、そうですね。そちらの賢者の魔法使い様が魔法をかけていらしたので」
「そうだったんですね」

 そんなことには全く気づかなかったが、大方私たちが村へ偵察に行く前の扉の前でかけられた魔法がそれであろう。てっきり寒さを感じにくくする魔法だけををかけられたとばかり思っていたので、オーエンは私に一言くらいかけてくれればと思ってしまう。
 その後は、廊下を歩きながらあの村について少し報告をする。主にオーエンが喋っていて私の出る幕などないのだが、一応聞いているふりだけはしていた。

 話すことは意外と多いらしく、そんなに報告する必要があるほど見どころのある村であったのかと驚いた。村というよりも雪原を歩いている感覚だったため、村と呼称するのも変な気はするが、あそこは紛れもなく村らしい。
会話の内容から察することしかできないが、どうやらあの村には住民がいるらしく、それも魔法使いにしか感知できないものらしかった。報告内容に住民の観測人数を答えよというものがあったのだが、その時にオーエンは293体と報告していた。まさか、あの場所にそんなに住民がいたとは思ってもみなかったのでこちらが驚いてしまった。
 その他にも住民の様子、大きさ、派閥などを報告していたが、そんな出来事があったのかと耳を疑いたくなるレベルである。

 先ほどの応接室に辿り着きそうになった時、先導していた男性はこちらに向き合った。

「そうしましたら、賢者の魔法使い様にはこれから応接室で報告をお願いしたいと思いますので、こちらにお願いします。賢者様の方は、申し訳ありませんがここからの話は外部に漏らすことはできないものですので、先に宿所にて待機という形になってしまいますのがよろしくお願いいたします」
「あ、そうですか……承知いたしました」

 どうやら私はここでオーエンとはお別れらしい。
 いつものオーエンであればその強烈な性格故に一人にしておくのにいささか不安があるが、今日の彼は大人しくしているため、大丈夫だろうと判断した。
 了承の意を伝えると、オーエンと男性は応接室へ入って行き、入れ違いに先ほど私たちを案内してくれた女性が出てきた。

「ここからは私が案内いたしますね、賢者様」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
「あら……? 顔色が優れないようですね。大丈夫ですか? もしかして体調を崩されているのではないでしょうか」
「いえ、大丈夫です。少し冷えただけですから」
「そうですか……それはいけませんね。早くお着替えになった方がいいですね。部屋にシャワーが備え付けてありますので、お使いください。……毎年ここへ来ていただく賢者様は結構な確率でお風邪を召されますので、今日はここでごゆっくりお休みください」
「す、すみません……ありがとうございます」

(よかった、休めるのか)

 その事実に安堵した後、やけに気が抜けてしまった。頭の痛みもだるさも一気に押し寄せてくる。部屋に案内されて早急に着替えをし、そこまではなんとか体が言うことを聞いたのだが、その後は今まで倒れなかったのが幸運なくらいふらふらになって床にへたり込んでしまった。一言でも喋ったら吐いてしまいそうなほど吐き気が酷く、途端に胃が重くなる。

(だめだ、こんなところで寝ちゃ……)

 そう思ったのだけれど、一度座り込んでしまうともう一度立ち上がることが不可能に思ってしまうくらい立ち上がるのが困難になった。そこからの記憶はない。深い眠りに落ち込んでしまったようである。


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