光り、砕けろ



 美しい歌声が聴こえた。

 それは、私がよく知っている曲だった。

 たまに、私が口ずさむ元いた世界では有名な曲。オクターブから始まり、徐々に和音が響いていくピアノの曲だが、私は主旋律しか知らないからその部分だけ諳んじる。
 私の世界で作られたから、この魔法の世界では私しか知らない曲。そのはずだ。
 それが、さっきから風と一緒に聴こえてくる。私ではない誰かが、響かせている。魔法舎のどこかから聴こえてくる。

 声の主を探しているが、どうも見当たらない。

 魔法舎をぐるっと一周してみたが、出会った人々は誰かと喋っているか、1人で静かにしているかの二択だった。でもまあ、みっちり練り歩いているおかげでほとんどの人に遭遇した。と、なると、ここからは消去法で誰であるかは絞れてくる。

(もう少し歩いて見つからなかったら諦めよう)

 実は、こうやって歌が聞こえてくるのはこれが初めてではないのだ。
しばしば正体不明の歌唱者が現れる。声は毎回同じなので、多分複数人ではなく一人だけ。
 よく地声と歌声が結びつかない人がいるだろう。そんな感じで誰の声かは分からない。けれどおそらく魔法使いの誰かであろう。不明瞭な線が引かれたあみだくじみたいに、誰が誰だか分からない。だからこうやって、一つ一つほどいていく作業をしている。
 それが、人と魔法使いとを結ぶ、賢者の仕事でもあると思ったからだ。まあ、端的に言うなら、魔法使いと交流を深めたいということ。

 もうしばらく練り歩いて、洗濯物を干してある場所にたどり着いた。
 真っ白なシーツが風に靡くのを見て、心が擽られた。
 そこでふと、あけすけな快晴を見上げた。

(綺麗だ)

 爽やかな空気と、非人工的な香り。
 元の世界では忘れ去られてしまった香りがした。

 この世界には綺麗なものが多い。
 そういうものを見つけるたび、私の心にさめざめと染み入る。
 生まれたての頃は、誰でも持っていたもの。大人になると、零し尽くしてしまうもの。そういうものを、また拾い集めている感覚がする。元いた世界では、社会の荒波に揉まれ世の中は薄汚れたものだという考えを刷り込まれていたが、環境を変えればこんなにたくさん綺麗なものを見つけられることに気がついた。
 だから、この国の人達は生き生きとしている。
 私もそういう風になれるだろうか。
 もし、それが可能だったら、元の世界に戻り難くなくなってしまうなと思う。
 まあ、自分は期間限定の賢者であるから、最初から選択肢などないのだけれど。

 そんな思考を打ち消すように、足元からさらっと風が吹いてきた。それは上昇気流のように私の体を包み、髪の毛を踊らせる。
 風向きが変わったため、洗濯物が靡く方向も変わる。
 ちょっと乱暴にそれら吹きさらしていったあと、スローモーションみたいに風が止んだ。
 重力に逆らっていた布たちは、ゆっくりと元に戻った。

「あ、」

 さっきの強風で、洗濯バサミが壊れてしまったのだろうか。シーツが一枚、空へ飛んでいった。

「どうしよう...」

 白鳥のように羽ばたくそれを目で追う。
 汚れるといけないから、地面に落ちてくる寸前で回収しようと思ったが、不安定に宙を舞い、着地点を推測できない。傍から見れば滑稽なくらい足踏みをして、いまかいまかと待ち構える。

 そのとき、少し遠くから魔法を詠唱する声が聞こえた。

《クーレ・メミニ》

「......うぎゃっ!!」

 その瞬間、シーツは命を吹き込まれたようにピンと張り詰め、私の方へ一直線に飛んできた。
 それどころか、私の頭をぐるぐる巻きにして、ミイラみたいにしてしまった。

(う、息がくるしい......)

 しばらくは戯れる様にまとわりついていたが、本格的に死にそうになると、急にスっと視界が開けた。
 私は顔を真っ赤にして新鮮な空気を吸う。

 くすりと上品な笑い声が聞こえた。

 ふと気がついて魔法舎の屋根の上を見上げると、片足に重心を乗せ、手を後ろで組んでいるオーエンを見つけた。
 その顔には意地の悪い笑顔が滲み、どうやら私はからかわれたらしいと気がついた。

 魔法使いは気まぐれだ。特にオーエンは。
 私が彼を見透かすことは一生をかけてもできないだろうな、というくらい難しい。
 今だって、多分理由なくからかわれたのだろう。

 ちょっとムッとしてオーエンを見やると、満足そうな顔をしてどこかへ行ってしまった。

(せめて声くらいかけてくれたらいいのに)

 いつの間にか、両手でシーツを掴んでいた。
 もしかして、オーエンは気を利かせて私にシーツをキャッチさせてくれたのだろうか。
 それも分からない。
 彼が気まぐれで人を助ける人なのか、別にそんなつもりはなかったのか、 判断材料が乏しい。
 普段の行いを見ていれば、ない、と断言したいところだが、私の知らない彼の一面があるのかもしれない。

 私は踵を返してシーツを干し直そうとした。

(あれ、)

 なんだろう。何かが足りない気がする。
 まだ濡れてしっとりしている洗濯物のいい香りに少し顔を綻ばせ、少し逡巡してから、ああ、と思い出した。

 歌声が聞こえなくなった。
 心地よい自然の音しか聞こえない。
 どうして、このタイミングで...

「あ、」

 そこで私は意外な事実に思い至った。

(あの歌声はオーエンだったのか)

 点と点が線で結びついた感覚がした。が、しかし、あのオーエンが私の世界の曲を。意外すぎて、線がまた点と点になりそうになる。
 ただ、あの柔らかな声の持ち主がオーエンであるなら、それは納得だなと思う。
 彼の声は豊かで美しい。彼の口からこぼれる旋律が羨ましいほどに。

 オーエンが口ずさんでいた歌は、私の拙い鼻歌なんかよりも、もっとずっと精度が高かった。
 きっと、歴代賢者のうちの誰かがもたらしたものであろう。私の鼻声によって過去の記憶が触発され、こうやって歌っていたのかもしれない。彼のことなんて何もわからないから、推測するしかないのだけれど。

 彼の退場と入れ違いに吹いてきた風は、彼の香りを連れてきた。
 何の香りかは分からない。
 でもきっと、彼の体に染み付いている香りだ。よく彼の隣に並ぶと香ってくる。長く生きているうちに染み付いて、長い年月をかけて取れなくなったのだろう。
 彼を彼たらせる香り、または、彼の長い旅路の副産物。

 そんな彼に免じて、意地悪されたことも今となっては特になんとも思わなくなった。むしろ幸運とさえ思う。





「あの、オーエン」
「何」
「不躾なことをお伺いしますが……」
「不躾だと思うなら聞かないでくれる」
「いや、やっぱり不躾ではないので聞きたいのですが」
「何なの……」

 彼の太陽と月みたいな瞳が、上睫毛と下睫毛によって柔く閉じ込められる。つまり、とても嫌そうな顔をしている。木の影から溢れた月の光が、彼の鈍色の髪の毛に柔く反射している。
 機嫌を損ねただろうかと不安になったが、これで私が発言を撤回しても機嫌を損ねるだろうからもう思い切って聞いてみることにした。

「あの、ですね……香水とかって使っていますか?」
「使っていないよ」
「へえ……」
「それで? 僕がそう答えて、君はどうなるの?」
「え、いや……ただ気になっただけで、別にどうということでは……」
「は? なにそれ」

 元々下がり気味だった彼のテンションが、一気に急降下する。気に触る態度を取ってしまったようである。
 先日のシーツぐるぐる巻き事件から数日後、厄災の影響を受けた地域の視察へ行く帰り道に、皆と少しはぐれて歩いていたオーエンに声をかけた。少しくらい仲良くなれたらと声をかけてみたのだが、話題のチョイスがあまり良くなかったようだ。

(そうか……確かに、香水とかつけるタイプじゃないもんな……)

 オーエンの香りは、きっとこの世界にしか存在しない香りだ。嗅ぎ覚えがないけれど、それでもどこか懐かしさを感じる心地よい香り。彼がこんなにツンケンしていなければ、ずっと隣で嗅いでいたい香りである。
 この香りが植物なのか、果実なのか、はたまた違う何かであるのかは分からない。私の世界には存在しない何かから抽出されたものだろう。
 なんの香りかは不定だが、ただ、オーエンの香り、とだけ認知していようと思った。特にわからなくても構わない。私はいつか元の世界に帰った暁には、もう嗅ぐこともないだから。
 もっとも、嗅覚細胞は頻繁に入れ替わるのでもう元の世界の香りの方を覚えてないかもしれないが。

 そう思ったところで、少し鼻がツンとした。
 この世界に来てからは、何度も何度も泣きそうになったことがある。その度に歯を食いしばり、ひとり耐えてきた。まだ、この個人的な感情を誰かに打ち上け、もたれ掛かる勇気がないのだ。

 ここへ来たばかりの時は、自分の孤立無援な境遇や、望郷の念によって涙が滲んだものだ。でも今は、この世界から離れてしまうことに対しても、泣きそうになることが増えた。結果、二倍くらい泣きたくなる時間が増える。

 そんな思いを打ち消すように、私は天を仰いで大きく目を開けて、涙を乾かした。
 空気に触れた瞳は、少し突っ張るような心地がする。次第に乾燥していく涙の感覚で、少しだけ自分の感情も落ち着いてくる。

 そうして、自分の中で考えを整理する。もう大丈夫だ、と思い少し視線をずらすと、私の隣にはまだオーエンが並んでいた。
 てっきりもう先に歩いて行ってしまったとばかり考えていたので、彼が歩幅を同じくして自分の隣を歩いていたことに驚いてしまった。

 私はギョッとした顔をしてオーエンを見つめていたが、彼は特に私の視線に気がついていないようである。彼は、怖いくらいの真顔で、ぼんやりと空を見上げていた。

(何をみているのだろう)

 その横顔を思わずじっと観察していると、金色の瞳が突然こちらを捉える。

「何」
「いえ何も」
「ならジロジロみないでくれる?」
「すみませんでした……」

 そう言うと、今度こそオーエンはスタスタ歩いて私を追い越して行ってしまった。

「賢者様」

 オーエンと入れ違いに、今度は不安そうな顔をしているカインに声をかけられた。どうやら、一部始終をみていたらしい。

「大丈夫か? あいつに何かされなかったか?」
「あはは、大丈夫です。特に何もありませんでしたから」
「そうかそれならよかった。……何の話をしていたんだ?」
「大したことじゃないんですけど、オーエンっていい香りがするから、香水とか使っているのかなって聞いてみたんです」
「香水か……」
「使ってないって言っていました。……少し聞き方が悪かったですかね。セクハラをしてしまったかも」
「セク……?」
「あ、ごめんなさい。何でもないです」

 なるべく私の世界の言葉を使わないように気をつけているのだが、たまにぽろっと言葉が漏れてしまう。
 言葉の意味を尋ねられても気まずいため、私は新たな話題を提供する。

「魔法でいい香りを出したりできるんですかねえ」
「ああ、できるぞ」
「え、そうなんですね。すごい、香水要らずじゃないですか」
「うーん、まあそういうやつもいるだろうけど、俺たちは自分の嗅いだことのある香りしか再現できないから、香水を買うやつが多いと思うぞ?」

 そう言うと、カインはその辺に生えていた木の枝を一本ポキッと折って、魔法を詠唱した。
 それを自分の顔の高さまで上げて、小さく息を吸い込んだ。そして、少し微笑んでから、今度は私の目の前にその枝を差し出してくる。おそらく、嗅いでみろと言うことなのだろう。

「わあ……すごい! ミントみたいな香りがします!」
「だろ? ……この木の葉は薬に使われたりなんかもするんだが、すり潰すとどうも匂いが酷くてな。そういう時にはこうやって別の香りで上書きして、加工したり使いやすくしたりするんだ」
「へえ……やっぱり、魔法ってすごいですね」
「ありがとう。だけど、やっぱり自分の知らない香りは出せないから、そこは経験の差になってしまうんだけどなあ……」

 そこでカインは「ああ、」と思い出したように呟く。

「魔法の一つに、自浄魔法があってさ。それを使うと、一瞬で風呂に入った後くらい綺麗になるんだ」
「え、いいな……羨ましいです」
「あはは、そうか?」
「髪が長いと、髪の毛を乾かすのがめんどくさいんですよね……」
「俺に頼んでくれれば、一瞬で乾かしてやるぞ?」
「ふふ、もしどうしてもめんどくさくなったら、お願いします」
「はは、了解だ。……その魔法を使うと、すっごくいい香りがするらしい。魔法を使った本人は、その香りに気が付かないんだけどな」
「え、どうしてですか?」
「うーん、どうしてだろうな……わからない。でも、俺は一種の体臭みたいなものだからじゃないか? と思ってる」
「なるほど。確かに体臭って自分じゃ気が付かないですもんね」
「そうなんだよな。で、ここからが本当に不思議なんだが、その香りは自分の好きな香りとか、あとは……今まで嗅いだ中で、一番いい香りのものが無意識に反映されているらしいんだ」
「一番いい香り、ですか」
「そう。尤も、自分じゃ気づけないんだけどな。これを逆手にとって、魔法使いに香水を贈るときは、自浄魔法をかけてもらった時に嗅いだ香りと似た香水を買うと間違いがないとかって言われているんだ」
「へえ〜! 確実に相手の好みを押さえられる訳ですね!」
「ちょっと裏技みたいだろ? もし、意中の相手が魔法使いだった時には使ってみるといいかもしれないな」
「えっ」
「ははは! もしかしたらの話さ」

 その言葉に思わずぎくりとしてしまって、そんな自分に驚いてしまう。
 その後もずっとカインと話をしながら家路を辿る。

(そうか、その人がいい香りと思った香りなのか)

 オーエンのあの香りが自浄魔法でもたらされているものであるかはわからないが、もしそうであったらあれが彼の好みの香りなのだろうか。
 もし、今までで嗅いだ一番いい香りなのだとしたら、それは一体なんの香りなのだろう。私は、この話が本当であったらとても素敵だなと感じた。それぞれの匂いの好み、そして記憶の片鱗みたいなものが垣間見えるように思えるので、なんだかその人本人を知る上でとても有益な情報のように感じた。





「ネロ、こんにちは」
「ああ、賢者さん」

 お茶を淹れようとしてマグカップを持ってキッチンへ向かうと、夕食の下ごしらえをするネロがいた。ネロは私の呼び掛けに答えると、当たり前のように私のマグカップをひょいと奪った。

「何飲む? 淹れるよ」
「ありがとうございます。じゃあ、ハーブティーで。今日はなんのハーブですか?」
「今日は南のエルダーフラワーとカモミールのミックスだ」
「へえ! ふたつを混ぜちゃうんですね!」

 私は、今までに飲んだことの無い組み合わせに驚いた。

 こちらの世界に来てからは、ハーブティーを飲むことが多くなった。
 私がまだ賢者になりたての頃、こちらの世界の生水を飲んだことがある。
 後から考えれば馬鹿なことをしてしまったなと思うが、この世界の水と、私の世界の水は全くの別物である。現代の日本ほど水道の整備がされているはずがなかったし、整備された水に慣れている私には、結構効いてしまったのだ。

 その経験から、私は今後二度と生水を飲まないことを決心した。

 なので、私は必ずお湯を沸かし、飲み水を調達するようにしている。
 ただ、そのお湯を冷まして飲むのが億劫な時には、こうしてハーブティーを淹れるようになった。どうも味のないお湯、というものに抵抗があったからだ。

 今までハーブティーというオシャレな飲み物にあまり親しみがなかったが、飲んでみるとどうしても今まで飲まなかったのか不思議なくらい美味しかった。そのうち、毎日飲まないと気が済まないようになってしまった。

 ただ、自分で淹れるのは不慣れなため、こうしてネロに淹れて貰うことが多い。

「そこに座って待っててくれ。すぐに淹れるから」
「はい......あ。あの、良ければ私が洗い物しましょうか?」

 キッチンのシンクには調理で使ったであろう、フライパンや菜箸などが積み重ねられていた。魔法を使えば一瞬で終わるのだが、そうしないのは彼なりのこだわりがあるのだろう。

「あー......いいのか? それじゃあ、よろしく頼むよ」
「はい!任せてください!」

 ネロにOKを貰って、私は意気揚々とシンクへ向かう。誰かに何かをしてもらいっぱなしは性にあわないので、こうして等価交換みたいなことをすると、対等な感じがして安心する。
 まあ、実際は、長寿の魔法使いにとって私は子供みたいに見られているのだろうけど。
 皿を洗い、しっかりとタオルで水気を拭き取ったところで、一つ思い出したことがあった。

「あ、そうだ」
「ん?どうした?」

 ハーブティーのことで忘れていたが、わたしはここへ来た理由説明する。

「この後、中央の国の市場へ行くんです。何か買ってくるものはありますか? ……ってついでにネロに聞くためにここへ来たんでした......」
「ああ、なるほどな。うーん、そうだな...特に不足しているものは無いけど......」
「お砂糖とか、バターとかのストックはありますか?」
「ああ、最近補充したばかりだから大丈夫だよ......あ、」
「なにか?」
「あ〜......そうだな、まあ、ちょっと欲しいものがあるんだけど......」

 歯切れが悪そうに呟く。そんな彼が少し珍しくて、言葉を重ねる。

「なんですか?」
「いや、やっぱいいや。きっと手に入らないから」
「え、なんですか?料理に関することですか?」
「え、ああ、まあな」
「言うだけ言ってみてください」
「うーん」
「言うだけならタダです」

 私がそこまで言い募ると、ネロは観念したように打ち明けてくれた。

「......実は、ひまわり油が欲しいんだ」
「ひまわり油?」
「そう。スコーンに入れると美味しくなるんだ。だけど、そんなに市販されてるものじゃないからな......」
「へえ! スコーンを焼くんですか?」
「ああ、お茶会をするらしい。その時に作ってくれって頼まれてな」
「そうなんですね。わかりました! 探してみます!」
「いや、さっきも言ったけど、市場に売ってるかは分からないんだ。だから、店歩いてて、たまたま見つけたら買ってきてよ。どうしても必要ってわけじゃないから......」

 そこまで言うと、ネロはコトッと皿の上にカップを載せ、そのまま私に差し出してきた。

「はいよ」
「わあ! ありがとうございます」

 ちょうど洗い物が終わった私は、手を洗ってタオルで拭いてから両手でそれを受け取ると、早速カップに口付けた。鼻の奥がスっと通る、新鮮な味がする。

「おいしいですね......」
「だろ? 」

 そう言って、ネロは少し得意げに笑う。
 ちょっと間隔をあけて彼も私の隣に座り、自分でポットに入ったハーブティーをこぽこぽ注いでいる。私のそれと比べると、心なしか色が濃いように感じた。私と喋っていたため、少し蒸らしすぎたようだ。無意識的に私の方を優先してくれていたように思えて、少し嬉しくなる。

「……」
「……」

 2人ともホッと一息ついて、無言になった。
 胃が温まったおかげで、全身に巡る血液まで暖かくなった気持ちがする。

 そのままぼーっと虚空を見つめていると、隣に座っているネロはすっくと立ち上がり、調理台の方へ向かっていった。

 何をしているのか気になったが、あまりジロジロ見るのも良くないと思ったので、目を逸らしていた。しかし、やがてまたこちらへ向かってくるネロの手元には美味しそうなものが入っている容器があり、私の目線は一瞬でそれに釘付けになった。

「ネロ、それって……」
「はは、すげえ嬉しそうな顔してる……クッキーだよ。賢者さんも食うだろ? 探し物してもらうお礼を、前払いしとこうと思って」
「わ〜! ありがとうございます……!」

 ネロが片手でパカッと容器を開けると、スッキリとした甘い芳香が漂ってきた。中にはつぶつぶした模様をしている、美味しそうなクッキーが敷き詰められている。

「適当につまんで食べてよ」
「ありがとうございます! いただきます!」

 遠慮なくクッキーを1枚手に取り、口へ運ぶ。ネロの作る料理を目の前にして、人類はあまりにも無力であった。この世界にきたばかりのころは、もう少し他人の作った料理というものに対してかしこまった態度を取っていたが、彼の作る料理があまりにも美味しすぎるため、遠慮するだけ勿体ないという思考に落ち着いた。

「ん〜〜……おいしいです」
「そうか。よかったよ」
「このつぶつぶ、もしかしてさっきのハーブティーに使ってたハーブですか? 風味が似ている気がして……」
「お、よく分かったな。」

 そう言って、ネロは「コレだ」と容器の隅にひっそりと置かれていた、紙の包みのようなものをぴっとつまみ上げた。
ねじって纏めていた包装を解き、紙を開くと、中から茶葉が出現した。

「これがクッキーに入ってるハーブ、エルダーフラワーだ。細かくすり潰して生地と混ぜて焼いてみた」
「へえ……」
「こうやってさ、茶葉を包んで容器の中に入れておくと、乾燥剤になるんだ」

 そう言ってネロは、また紙を折りたたんで、開いた口をねじり、容器の中へ入れた。こうした行動のひとつひとつから、相変わらず、彼はとてもマメな性格をしているんだなあと感じた。

 そうして和やかな時間を過ごしていると、ネロが突然私の後ろを見たままギョッとした顔をして固まった。
 彼が何を見たのだろうと気になって、私も後ろを伺ってみると、私も彼と同じ反応をする羽目になった。

「ねえ、何してるの? 僕も混ぜてよ」

 意地の悪い顔をしながら、オーエンがこちらへやってくる。
 それまでの和やかだった空気が嘘のように張り詰める。

 ゆったりとした足取りで歩いてくるオーエンは、私たちが食べているものを目に入れた瞬間、もっと意地の悪そうな顔をする。きっと、私たちが何をしているのか大方検討をつけて話しかけてきたのだろう。

「僕に内緒で独り占めしようとしていたんだ……させないよ?」
「ダメです! これはネロにお使いを頼まれた人しか食べれないんですよ!」

 そう言ってオーエンに抗議する私を見て、事を荒立てたくないネロは「何を言っているんだ、穏便に済ませようぜ」とでも言いたそうな顔をしていた。

「おつかい? へえ……何の?」

 オーエンのめが、スッと鋭くなり、それだけでもう逃げ出したくなるような冷気を放っていた。

「何のって……その……す、スコーンの材料になる、ひまわり油をですね……」

 私の振り絞った声は震えていた。
 ネロが一歩ずつ後退り、今更に無関係を装おうとしているが、私が助けを求めるような目線を向けたため、こわばった顔をして「勘弁してくれ」と言いたげなアイコンタクトを送ってくる。
 そんな緊張状態が二人の間で発生していたが、次いで出てきたオーエンの言葉はとても意外なものであった。

「おつかい、僕もついて行ってあげる」
「えっ」
「えっ」

 意外すぎて二人とも間の抜けた声を出してしまう。
 そんな二人の様子を見て、オーエンは少し満足げな顔をした。

《クーレ・メミニ》

 オーエンは魔法を詠唱して窓を開けると、窓枠に足を掛けて、次の瞬間には彼の姿は見えなくなていた。どうやら窓から飛び降りたらしい。

「えっっっ!」

 状況がよく飲み込めず、オーエンが去っていった窓とネロの顔を交互に見る。ネロは私を気の毒そうな顔をして見つめていた。

「えっっっと! と、とりあえず、オーエンを追ってきます!」
「あ、ああ。分かった」

 何が何だかよくわからなかったが、私はオーエンの後を追うべく、キッチンから魔法舎の玄関まで走り抜ける。
 魔法舎を出たところで、探すまでもなく少し離れた石畳の上にオーエンは立っていた。箒を腰くらいの高さに浮かせ、そっと手を添えている。
 私が到着したことを確認すると、軽やかに箒に横乗りになった。

「オーエン! あの、」
「遅い。さっさと乗ってくれる?」
「え」

 まさか、私を箒に乗せてくれるのだろうか。
 少し警戒しながら、私はオーエンの座っている隣に座る。私の方が箒の穂先側に座っているので、進行方向的にこちらが後ろになるのだろう。
 後ろは怖いからできれば前の方に乗りたかったなあなどと思っていると、突然腕をグイと掴まれて、無理矢理箒の箒の持ち手を摑まされる。
 そうすると彼は横乗りになっていた体を前に向け、箒に跨る体制になると、さらに高く私たちを乗せた箒を浮かせた。

「わ、わ、高い……」
「振り落とされても知らないよ」
「え、ちょっと待ってください、振り落とさないようにゆっくり運転し……ぎゃあ!!」

 がくんとジェットコースターに似た感覚が身体中に降り注ぐ。本当に振り落とされそうになったため、私は咄嗟に彼の肩をわし掴んだ。

「待ってくださいオーエン! そっちは市場の方向ではありません!」

 後ろから彼の肩を両手でつかみ、体を捻って、オーエンの体ごと市場の方向へ向かせる。オーエンの体は曲がったままだであるが進行方向は変わらず、市場からは遠ざかる一方となってしまった。どうしても市場へいく気はないらしい。
 どう頑張っても動かないオーエンに私は打つ手がなくなり、とうとう大人しくなって箒の上に静座する。
 きっと市場以外にもひまわり油を売っている場所があるのだろう、そこへ向かっているのだろうと信じることにすると、少し心の余裕が生まれてきた。

 足元を見ると、遠くの方に街並みが見えた。どれくらい時間が立ったのだろうか。あたりは暗くなってきていて、まばらに街灯が灯り始めている。
 その光に照らされて、家路に急ぐ人々の姿が見える。

 当たり前だが、あの人たちには帰る場所があるのだ。迷いもなく、帰れる場所が。

 そんな人の営みをぼんやりと見ていると、オーエンは体を捩って箒に横向きに乗った。足を組み、腕も組み、私と同じように街並みを眺めている。特に何の感情もなく眺めているので、退屈しのぎ故の行動であろう。

 そのまま二人ともぼうっとしながら空を浮揚する。何とも味気ない空の旅である。
 時折、オーエンが小さく深呼吸する音が聞こえるだけだ。それで私は気が付いたのだが、風をきる音が全く聞こえない。これだけ高速で飛行しているのだから、耳の中まで風が吹き付けてそれ以外何も聞こえなくなるものだと思っていた。
 おそらく、オーエンが魔法を使ってくれているのだろう。あと、これは希望的観測でしかないのだがオーエンが前に座っていることで私の風よけになってくれている。
 後者を意図してやっているのかは彼にしかわからないが、それにしても何という細かい計らいなのだろうか。
 賢者が脆く、すぐ死ぬ存在であることを知ってのことであろう。嬉しさと共に、残念さも感じる。その行動は決して彼の優しさなんかではないから。殺さないために仕方なくやっているのだろう。

 暗闇が月を一層引き立たせ、月光はオーエンの鈍色の髪を輝かせる。
 この世界では、月を怖いものとして人々は認知している。もちろん、私もそうだ。しかし、そうはいってもこの美しさの前では、私たちは嘆息するしかない。
 むしろ、恐怖は畏怖になり代わり、私たちを魅了しつつも恐れさせるアンビバレントな存在になるのではないか。

(神様みたいだ)

 もっとも、今目の前に神様みたいな人がいるのだが。
 彼の一挙手一投足で、人間の定めなんて左右されてしまう。一捻りで人々の生活は一変する。
 つくづく彼の敵にはなりたくないと思う。今だって、彼が本気のスピードを出して飛行をするのなら、私は一瞬で振り落とされて死んでしまうんだから。今だけは、賢者という肩書きがあることをありがたく思った。





「ついたよ」
「ここは……? どこでしょう?」
「北の国と、中央の国の辺境」

 半ば強引に案内されて辿り着いた場所は、見渡す限り1面のひまわり畑だった。やっと箒から降りた私は、もうへろへろであった。さしずめ、飛行酔いである。

 もうあたりは真っ暗で、月に照らされてきらきら光る彼の髪の毛しか見えない状況だった。
 オーエンが歩みを進めた気配がしたので、私もそちらの方へついていく。迷いのない足取りだったので、多分夜目が効くのだろう。

 そうやって、つまずいたり転びかけたりしながら後をついて行くと、私も段々と暗闇に慣れてきた。
 どうやら、私たちが向かう先は、本当にひまわり畑のようだ。前方には規則的に植えられたひまわりの大群が見える。

 夜に見るひまわりは、昼間のそれと違って、何とも情けない格好をしていた。太陽を見失ったひまわりは、迷子の子供のように不安な気色を示している。葉はしなびれ、種を守るように花びらは閉じ、皆一斉に頭を垂れる。
項垂れて、泣き出しそうにみえた。
 つられて、私も感傷的な気分になる。
 人間だけが文明で光を獲得し、余裕綽々で胡座をかいていたことを再認識した。私たちは、こんなにも植物に淋しい思いをさせていたんだ。

 夜は、こんなにも寂寥としている。

 そう考えていると、いつの間にか隣にいたオーエンが魔法を詠唱し始めた。

「みていて」


《クアーレ・モリト》


 目の筋肉がきゅうっと音を立てるほど、眩しく、小さな光があらわれる。
彼がその魔法を使った途端、足がすくみ、動けなくなった。

「ちいさな太陽。夜にしか使えない魔法なんだ」

 魔法と化学は似たものだと感じていた。しかし、それはどうやら間違いだったようだ。
 私の皮膚に反射する光が、その照度が、どうしようもなく私を畏怖させた。
 目の前にいるのは本当に神様かもしれない。そんな気さえするほど、無から有を生み出す彼に、神的なものを見出すのは無理もないだろう。

 文明の根源、奇跡の力、神様のおくりもの。

 そんな、ただの連想ゲームのような脈絡のないことを考えてしまった。
 そんな彼の姿はゾッとするほど美しかったのである。

 魔法のおかげで、ひまわりの姿がはっきりと見えるようになった。
 それらはやけに大きく、私が知っているひまわりより一回りも二回りも大きな代物である。

「……なんか、このひまわり、大きくないですか……」
「北の国で咲き誇れるレベルのひまわりだから、図太くないと生きていけない」
「ああ、なるほど……」

 そこで気が付いた。ひまわり達は、一斉に、鎌首をもたげたようにこちらを見ている。
 一つ一つに顔がついているようだ。本当に、全て、私たちを覗き込むようにこちらを見ていた。見ていた、と形容したくなるほどに、その姿が人間じみている。
 ひまわりは、太陽の方を向いて咲く習性がある。今、彼らにとっての太陽は、オーエンである。
 だから、こんなに不気味な光景が成り立ち得るのだろう。

「僕はこの景色がお気に入りなんだ。まるで、僕に忠誠を誓っているみたい」
「......」

 おそらく、実際に誓っている。
 太陽がない今、神様みたいなこの人に縋る他ないから。

「まあ、この花のことは嫌いだけど」
「……」
「......ねえ、どうしたの。何か言いなよ。お前の声帯はなんのためにあるの?」
「あ......」
「何? その顔。すっごい間抜け。なんの顔なの?」
「いや、なんか、びっくりしちゃって......」
「ふうん……僕は分かりやすい表情が好き。そんな顔、二度としないで」

 私が百面相をしていたのが癪に触ったらしい。
 それにしても、なんでこんなに叱られなければならないのだろう。

「観賞用のひまわりじゃないから、たくさん油が取れるんだ」
「……油を絞りに、ここまできたんですね」
「そうに決まっているでしょ? 察しの悪いヤツ」

 そう言いながら、オーエンは辺りを見渡す。
 やがて、目当てのものが見つかったようで、ピタリと動きが止まる。

 重さに耐えられなかったのだろうか。茎からボトリと落ちてしまってカラカラになったひまわりの花の前で、片足を少し前に出し、背筋を伸ばしたまま、美しい姿勢でしゃがんだ。
 その姿が騎士みたいで、思わず見蕩れてしまった。

「頂戴するよ。僕のおやつのスコーンにしてあげる」


《クアーレ・モリト》


 パチリと指を鳴らすと、花火のように花が砕けた。そして、周辺にあったいくつかのひまわりは、首を切られたように花と茎が真っ二つに断ち切られる。それらはやがて花弁と種に分かれ、空中でくるくると回っる。彼がもう一度指を鳴らすと、花びらは蝶のようにヒラヒラと浮遊し地面に落ちていった。残った種はまだ空中に浮いており、さらに一度指を鳴らすと殻が弾け、実だけが丸裸になった。

 彼が拳を握り絞るような仕草をすると、種たちは圧搾され、黄金色の液体が滲んだ。これがきっと、ひまわり油なのだろう。液体は宇宙空間のようにふわふわと浮遊している。オーエンはどこからか出現させた小瓶にその油を注ぎ込み、コルクのようなもので蓋をした。そして、残ったしぼりかすは一瞬にして発火し、跡形もなく消え去ってしまった。きっとこれも彼の魔法だ。

 呆気に取られている私をよそに、彼は一輪のひまわりの前に移動し、その花におでこを寄せ、腰を少し折っている。私にはなにも聞こえなかったが、どうやら彼は何かを呟いているらしい。その姿はまるで、ひまわりに何かを語りかけているようだった。実際、そうなのだろう。
その姿はまるで、誓いのキスの前に、お互いに身を寄せる新郎新婦のように見えた。

 そんな意外な彼の姿に、私の頭は警鐘を鳴らした。
 自分の拍動で体が揺れるくらい、心臓は活発に、力強く高鳴っている。

(この感情はなんだ)

 上手く言い表せないが、真面目な学級委員長の不真面目な部分を見てしまった時のような感覚がした。見たからといって、まあ人間だしそういうこともあるよな、と思うだけなのだが。
 腑に落ちないこともないが、落ちるのに時間がかかる。
 委員長にとっては、そういうことをした理由があるのだろうが、私にはその部分が見えない。だから、とても意外だな、という陳腐な言葉でしか納得できない。

 目の前にいる彼も、そうだった。

 動機が分からずこういうことをしているのを見ると、とても意外だな、という感想しか出てこない。だって、オーエンはひまわりに対してこんな紳士的な対応をするような人だっただろうか? 少なくとも、私が見てきた彼の行動からは想像できなかった。そもそも、ひまわりに対してそういうことをする意図も読めない。

 彼は何を考えているのだろうか。
 私には到底分かりそうにない。

 私がそんなことを考えているのをよそに、オーエンは懐にひまわり油をしまい、帰る支度を始めていた。

 光り輝いていた魔法の気配もとうに消え、辺りにはひしひしと夜の冷気が再来していた。私は今日の余韻を噛み締め、忘れまいと意気込みながら、その場でじっとしていた。
 私をこの場所へ連れてきた意味は、何だったのだろうか。彼一人で行って、帰ってくることもできたのに。

 物音が聞こえてハッと意識が戻ると、オーエンは私を置いてほうきで飛び去ってしまう寸前だったので、私は慌てて彼の元へ駆け寄り、その後は彼のほうきへ同乗する許可を取るのにいささか手間取った。

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