こば主♀短編
おねだり上手な彼/無配
今日もいつものように部長の家には小鳩がやって来ていた。バイト終わりにそのまま来たようで、入ってきた瞬間は疲れたような顔をしていたが、こちらが心配の声を掛ける間もなく、すぐにいつも通りの彼になっていた。小鳩にだって話したくないことの一つや二つぐらいあるはずだ。きっとそういうことなのだろうと部長は思い、普段通りに接することにした。
部長も小鳩もお風呂も済ませると、二人でソファーに並んで座る。特に何か話すわけでもない。だが、そのせいで居心地が悪いということもなかった。この無言の時間が苦ではないのは、小鳩と長い時間一緒に過ごしているからという証拠なのだろう。そのことが部長はうれしくて頬を緩ませた。
ちらりと横目で隣を見ると、小鳩はスマホをいじっている。また最近の流行りものでもチェックしているのかもしれない。たまには、こういうゆったりと過ごす時間も良いだろう。そう思って、部長はテーブルに置いていた読みかけの文庫本に手を伸ばした。最近毎日読み進めていたものだ。あと少しなので、この際読んでしまおう。
静かになった空間にはページを捲る音と、座り直す度にする衣擦れの音ぐらいしかしない。小鳩がいるのにこんなにも静かなことが不思議な感じもするが、やはり嫌な感じはしなかった。物語も佳境に入り、残り数ページ。文字を目で追いながら、ドキドキとした気持ちでページを捲っていく。そして、最後のページを捲り、物語は終わった。部長はふぅ、と一つ息を吐く。時計に目を移すと、だいぶ時間が経っていた。そろそろ寝たほうが良いだろう。部長はもう寝ることを小鳩に伝えようとすると、突然右肩にずしりと何か重いものが乗った。
「っ⁉」
驚いて自分の肩の方を見ると、つやつやとした黒髪が目に入る。それは、紛れもなく小鳩の頭だった。最初は寝落ちしてしまったのだろうかと思ったが、たまにぐりぐりと頭を押し付けてくるので多分起きているのだろう。
(もしかして、私に甘えてる……?)
その姿はまるで甘えているかのようにしか見えなかった。いつもハグやキスはねだられるけど、今まで一回もこんなことされたことがない。だからか、部長も内心動揺している。普段は自分が甘やかされているように感じるので尚更だった。人に甘えられた経験がないので、どうしていいか分からず戸惑ってしまう。相変わらず小鳩は部長の肩に頭を押し付けている。どうするか考えた挙句、いつも彼がするように頭を撫でることにした。手を伸ばしてゆっくりと触れる。
「……いーの?」
「はい。もう読み終わったので」
顔は見えないが、特に嫌がるような素振りはない。むしろ、『もっと』とねだられているような気さえする。やはり、今日何かあったのだろうか。そのまま撫で続けていると、小鳩がこちらにすり寄ってくる。
「……かわいい」
思わず心の声が漏れ出てしまい、慌てて口を噤んだがもう遅い。肩に頭を乗せていたはずの小鳩が驚いた様子でこちらを見ていた。普段『かっこいい』と言うと小鳩は喜ぶが、果たして『かわいい』は喜ばれるのだろうか。何を言われるか不安に思っていると、小鳩は眉をひそめながら口を開いた。
「三十手前の男にかわいいはキツくない?」
「気にするのそこなんですね?」
考えていたようなことは言われなかったことに部長は安心する。
「先輩はかわいいって言われるの大丈夫なんですね」
「んー、別にブッチョから言われんのはなんだってうれしいし。でも、ブッチョのほうがかわいいよ」
まるで溶けてしまいそうなくらい甘ったるい表情に、体温が急上昇していく。いつも小鳩のほうが一枚上手のようでちょっと悔しい。女の子の扱いに慣れている、というよりは自分の扱いに慣れているといったところだろう。
「小鳩先輩だって今すごくかわいいですよ。なんか、子供みたいで」
「えー、それは全然うれしくないけど」
そう言った顔がムッとしていて、ますます子供みたいでかわいらしい。気づけば、手がまた小鳩の頭に伸びていた。サラサラとした髪を指で梳くと、気持ちよさそうに彼は目を細める。普段からもっと甘えてくれれば良いのに。
(……先輩が眠くなるまで存分に甘やかそう)
部長はそう思い、今度は両腕を広げた。
「……ん、ブッチョ?」
「小鳩先輩、どうぞ」
いつもこういうことをするのは小鳩のほうなのだが、今日は特別だ。彼もこの意味が分かったのか、顔をほころばせて部長の背中に腕を回す。そして――なぜか小鳩は部長の胸に顔を埋めた。
「えっ⁉ ちょっと!」
普通にハグをするだけと思っていたのに、まさかの事態に少しパニックに陥る。当の本人はそんなことお構いなしに、自分の胸を堪能していた。
「ブッチョの……やわらか……」
「いや、何してるんですか!」
「え、ダメ?」
「っ!」
見上げるようにこちらを見つめる瞳が、なんだか潤々としているように見えて言葉に詰まる。頭の中でグラグラと天秤が揺らぎ、最終的に小鳩の方へと傾いた。
「はぁ……たまにはいいか……」
部長がそう零すと小鳩はパッと表情を輝かせ、もう一度顔を胸に埋めた。その様子に内心複雑な気持ちになるが、幸せそうな顔を見ると何も言えない。それに、今日は小鳩のことを甘やかすと決めたのだ。少しぐらい我慢しよう。
小鳩の頭を撫でながらそんなことを考えていると、急に静かになったような気がして視線を下に向ける。
「あれ、小鳩先輩? ……もしかして寝てる?」
部長の胸の上では規則正しい寝息を立てて小鳩が眠っていた。やはり、疲れていたのだろう。安心したように眠っている姿に部長はホッとした。でも、このままでは翌朝体が痛くなってしまうだろう。
「先輩、起きてください。ベッドで寝ましょう。……小鳩先輩?」
声を掛け、体をいくら揺すっても小鳩は全く起きない。今度はどうにかして自分の体を起こそうと試みてみるが、彼が上に乗っているせいで重くて動けなかった。
「小鳩先輩、起きてー!」
何度声を掛けても小鳩の様子は変わることがなかった。
(もう、いいや……このまま寝よう……)
ついには疲れ果ててしまった。胸の上で気持ち良く寝られているのはなんともむず痒いが、これで明日小鳩が元気になるのだったら良いかという気持ちになる。相変わらず幸せそうな顔をして寝ている小鳩を愛おしく思いながら、部長はその頭を優しく撫でた。
「おやすみなさい、小鳩先輩。……たまには甘えてくださいね」
小鳩のぬくもりを感じながら、部長も眠りにつくのだった。
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