こば主♀短編

キスはおあずけ


 放課後。今日も帰宅部の活動をするべく部長とキィ、吟はキィトレインへと来ていた。まだ他の部員は来ておらず車内は閑散としている。茉莉絵は生徒会の仕事が終わってから来ると言っていたので、みんな揃うまでは少し時間がかかりそうだ。
 そういえば、と先日買ったお菓子を電車内の冷蔵庫に入れていたことを思い出した。せっかくなのでみんなが来るまで三人で食べようと思い、部長は冷蔵庫のある隣の車両に移った。
 冷蔵庫を開け、しゃがみ込んで中を物色する。その中には目的のお菓子が入っていた。それを取り出し、お菓子を食べれば喉も渇くだろうと思い、一緒に入っていたジュースにも手を伸ばそうとする。
「ハニー!」
 その瞬間、伸ばしかけた手を遮るように背後から誰かが抱き着くように覆いかぶさってきた。
「わっ!? び、びっくりした……」
 拘束された腕の中からなんとか振り返ってみれば、そこにはなぜか笑みを浮かべた小鳩の姿があった。いつの間に来たのだろうか。
「先輩来てたんですね。驚かせないでくださいよ、もう……」
「ごめんって! そんなに驚くとは思わなくてさ」
 びっくりしたせいでバクバクしている心臓をなんとか落ち着かせ、一息つく。
 今度こそと先程伸ばしかけたジュースを掴み、立ち上がろうとする。が、立ち上がれなかった。背後から回されている腕のせいで。
「……あの、先輩離してもらっても?」
「やだ」
「何子供みたいなこと言ってるんですか」
 なんとか抜け出そうともがくが、さっきよりも抱きしめる力が強くなっている。
「先輩、みんな向こうにいるんですよ!?」
「だって、こうやって二人きりになれること中々ないだろ。チャンスじゃん」
 確かに、今だったらいつもは一緒にいるはずのキィも隣の車両にいる。でも、たかが隣の車両だ。車両と車両の間を繋ぐドアの窓から見れば丸見えだろう。例え、帰宅部の全員が部長と小鳩が付き合っているのを知っているからといって、見られても良い訳ではない。
「鐘太先輩が見たら泡吹いて倒れちゃいますよ」
「……オレのことより、ゴン太のこと心配するの?」
 面倒くさいな、と言いかけて慌てて口を噤んだ。言ったらもっと面倒なことになるのが目に見える。部長は深くため息をついた。
「……せめて見えなさそうな所でしてください」
「ハニー大好き! 愛してるよ!」
「あー、はいはい」
 こっちが折れるしか術がなかった。やっと立ち上がることができたが、手に持っていたお菓子とジュースは小鳩に奪われテーブルに。部長はそのまま車両の奥へと連行される。奥であれば誰も入ってこない限りは分からないだろう。部長は最早、誰か入ってきて助けてくれないかとまで思っていた。
「……ほんとにちょっとだけですからね」
「分かってるって!」
 頭の中で本当だろうかと不安に思いながら車両の奥の隅に連れてこられた。くるりと体の向きを変えられ、背後からだったのが今度は前から抱きつかれる。恐る恐る部長も小鳩の背に手を回した。
 別にこういうことに対して嫌な気持ちはなくうれしいと思っている。でも、やはり場所が場所なので後ろめたさがすごい。そう思うとやはり羞恥心が増してきた。もう充分だろうと思い、小鳩に声を掛ける。
「せ、先輩そろそろ、ひゃ!?」
 いつの間にか小鳩は部長の首元に顔を埋めていた。髪の毛が首筋に当たってくすぐったい。
「ちょ、ちょっと……んっ!?」
 不意に首元に痛みが走る。
「……小鳩先輩何かしました?」
「いや、なんにも」
 そう言って小鳩は顔を上げ、部長の額に唇を落とした。予想外の行動に体が一瞬固まる。
「先輩!!」
「大丈夫だって、みんな見てないから。怒ってるハニーもかわいいね」
 そう言って、小鳩は部長の顎に手を添えた。途端に頭の中で警告音が鳴り響く。この人は一体どこまでする気なんだ。
「こら」
「ングッ!?」
 すんでのところで顔の前に手をやり、なんとか防ぐことができた。小鳩の鼻先が手のひらを掠める。
「それはダメです」
「ハニーのいけず!」
「もうなんとでもどうぞ」
 手のひらの前で小鳩が悲しげな顔をしている。まるで、おあずけをくらっている犬のようだ。あるはずのない耳と尻尾がシュンと垂れている気さえする。その顔を見ると少し心が痛んだ。
「ほ、ほら、そういうのは近くに誰もいない所で……」
 言いかけてハッとする。もしかしたら墓穴を掘ってしまったかもしれない。案の定、目の前の小鳩が悲しい顔から一転、ニヤリと笑っている。
「へぇ、近くに誰もいない所だったらイイんだ」
 言わなければ良かったと後悔した。小鳩の目が活き活きとしている。
「覚悟しといてね、ハニー♡」
 小鳩は自分の顔の前にある部長の手を取り、手の甲にキスを落とした。ちゅ、と静かな車内にリップ音がやけに響いた気がした。
「あっ!?」
 もう怒ることさえ疲れてきた。もうどうにでもなってしまえと心の中で思う。

「……あの〜お二人さん、お取り込み中のとこ悪いんですけど」
 部長と小鳩しかいないはずの車両に聞き馴染みのある声がした。
「吟!」
「なんだよノトギン。イイとこなのに」
 そこにはばつが悪そうな顔をして立っている吟がいた。部長は思わず助かった、と一人安堵する。吟は小鳩の言葉には目もくれず、外の方を指差した。
「もうみんな集まってますよ。切子ちゃんが鬼の形相です」
 どうやらいつの間にかみんな集まっていたようだ。
「こ〜ば〜とせ〜んぱ〜い」
 隣の車両からとんでもなく恐ろしい切子の声がした。目の前の小鳩が震え上がる。
「キリちゃんこっわ!? つかなんでオレだけ!?」
「早く行ったほうがいいッスよ」
 吟にそう言われると小鳩は早足で隣の車両に戻るのだった。
「ハァ……部長あんまり流されんなよ〜」
「ご、ごめん……」
 流されたことまでお見通しだった。
「じゃあ、僕たちも行こうぜ……って、んん?」
「どうかした?」
 吟が部長の方を見て目を見開く。どこかおかしな所でもあるのだろうか。小鳩が好き勝手していったので多少髪とかが乱れているかもしれない。手で頭の方を触っていると吟から言われた言葉は予想外のものだった。
「……部長さ、首のその赤いの気付いてる?」
「え……?」
 この後、小鳩が部長にもこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
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