ライラックを君に
3
小鳩と和解してから一週間ほど経っただろうか。無事帰宅部での活動も再開することができた。吟と茉莉絵、キィ、そして小鳩以外の事情を知らないメンバーからは何かあったのか、と心配されたが少し濁しながら返せば、それ以上深く追及されることはなかった。
それよりも小鳩にちゃんと謝ってもらったかを聞かれることのほうが多かった。あの時話には聞いていたが、小鳩はほぼみんなに話しているようだった。鐘太には本当に謝ってもらったかしつこく念押され、ささらには小鳩ちゃんはいい子だから大丈夫よ、と言われた。反対に切子には、次何かあったら私がぶっ飛ばすからと言われた。一緒にいた二胡が切子ちゃんかっこいいー! と目を輝かせていた。
唯一何も言わなかったのは劉都ぐらいだった。
「ま、リュートには話さんわな。絶対ケンカになるだろーし」
「想像できるなぁ……」
頭の中で二人が言い合いをしている姿が容易に想像できる。それを聞いて隣を歩いている劉都がため息をこぼした。
「そんなことで帰宅部の活動なくなってたの?」
「す、すみません……」
「別に怒ってはないけど。まぁ、いい休息にはなったよ。だから、今日はとことん付き合ってもらうよ」
「は、はい……」
今日は劉都と駅前のパトロールをしていた。いつもみたいに街にいる人に楽士の情報などの聞き込みをしている。久しぶりの帰宅部での活動。自然と身が引き締まる。
「でもさ、仲直りした割には二人ともぎこちなくないか?」
「えっ⁉ そ、そう?」
劉都に核心をつかれてしまった。劉都の言うようになぜか小鳩とぎこちない感じになっている。屋上で謝られた日の次の日から帰宅部での集まりはあったのだが、挨拶をするぐらいで必要以上に向こうから話しかけてくることがなかった。いつもだったら、遊びの誘いや、他愛もない話をしたりするのにそれが一切ない。普段は茉莉絵や切子、二胡をデートに誘おうとしているがそれすらも見ることがなかった。
部長の接し方がぎこちないのは仕方がないとはいえ、小鳩はなぜよそよそしい態度を取っているのだろうか。ずっとこのままだったら寂しい、と思う。
「どこからどう見てもぎこちないだろ。さっさと、告白すればいいじゃん」
劉都の口からとんでもない言葉が飛び出た。驚きのあまり、部長は目を丸くしてしまう。
「りゅ、劉都⁉ なっ、なんで、知って⁉」
「なんだ、リュート知ってたのか」
「バレバレだろ」
一気に顔に熱が集まるのを感じる。そんなに分かりやすい行動を取っていたのだろうか。自分ではそんなつもりはなく、いつものように振る舞っていたつもりなのだが。劉都が部長の顔を覗き込んで笑みをこぼした。
「部長そんな顔もするんだ」
「み、見ないでいただきたい……」
必死に顔を手で覆うが、両手だけじゃ大して隠せてないだろう。道行く人たちに見られていないことを祈るばかりだ。
「部長~、大丈夫か~?」
「さ、雑談はここまでにして、パトロール始めようぜ」
「そ、そうだね! がんばろう〜!」
パトロールをしに来ていたことをすっかり忘れていた。深呼吸をして一旦心を落ち着かせる。一回このことは忘れて今はパトロールに集中しよう。
「オ〜〜〜! って、お?」
「どうしたのキィ?」
「あ、あそこにいるの……」
キィがゆっくりとある方向を指差す。その指の先にいたのはちょうど話題の人物であった小鳩だった。ただ、その横には小鳩が駅前でナンパしていたあの女の子もいるではないか。心臓がギュッと締め付けられるような感覚に襲われる。今なら分かる。この感情は嫉妬だ。
「こっちに来るんじゃないか?」
「ほ、ほんとだ……このままだと鉢合わせちゃうぞ⁉ 大丈夫か、部長!」
ちらりと見ると、本当にこちらに向かって来ている。どうしようと部長の頭の中では警報が鳴り続ける。今あの二人を前にして平常心でいられるか分からなかった。
どうすればいいのか分からないままあと数メートル。視線と視線が混じり合う。目が合ってしまった。向こうもこちらに気づいたようだ。二人は足を止めた。
「こんにちは、小鳩先輩」
最初に声をかけたのは劉都だった。知らない人がいるからだろう、いつもとは違ったよそ行きモードだ。一瞬、小鳩がうろたえる。
「お、おう」
小鳩の隣にいる女の子が口を開けた。
「もしかして、風祭くんの知り合い?」
「ええ、お世話になっています」
キィが逆だろと一人ツッコミをいれている。その声はしっかり小鳩まで届いていたようでジトリと横目で見られていた。女の子は劉都に向けていた目を今度は部長に向けた。ドキリ、とする。
「あなたも?」
「え、あ、そうです。お世話になってます」
意外とするりと言葉が出てきたことに自分でも驚いた。
「そうなのね!」
すると、女の子はうれしそうに笑った。小鳩のことを少しでも知れてうれしいということだろうか。でも、きっと自分の方が小鳩のことをもっと知っている。そんな浅ましいことを思ってしまった。嫌な奴である。
改めて間近で女の子の姿を見てみる。ふわふわと風になびくブラウンの髪に大きな瞳。桜色の唇。まるでお人形さんのようだ。自分とは正反対のかわいらしい女の子。
もしかしたら小鳩はこういう女の子のほうが好きなのかもしれない。いつも手当たり次第に女の子に声をかけて断られているイメージがあるが、今回は成功しているしこうしてまた会っているのだから小鳩の好みにも合っているのかもしれない。
そんなことを勝手に想像してじわじわと黒いものが胸の奥を侵食している。苦しい。苦しくて堪らない。人を好きになるってこんなにも苦しいことなのか。もうここにいても自分が辛いだけだ。苦しさにより詰まった喉から声を絞り出す。
「……劉都行こう。邪魔したら悪いし」
「え?」
「ほら、早く行こう。では、失礼します!」
驚く劉都の腕を取り走り出す。後ろでキィの慌てる声が聞こえる。二人が見えないとこまで、いないとこまで。無我夢中で部長は足を動かした。
「おい、ブッチョ!」
小鳩に呼ばれて一瞬だけ振り返りそうになったがグッと堪える。今だけは許してほしい。
***
「止まれーーーッ‼」
突然のキィの大声により部長の足は止まった。その場で膝に手をつきハァ、ハァと肩で息をする。汗で張り付いたシャツが気持ち悪くて堪らない。辺りを見渡せば、いつの間にか駅前のはずれの方まで来ていた。隣にいる劉都を見やれば同じく息を上げていた。
「ご、ごめ、ん……、走らせ、て……」
息も絶え絶えになりながら謝罪する。自分の感情のままに二人を巻き込んでしまった。罪悪感が胸の中を渦巻く。
「キィ、びっくりしたぞ!」
「いきなり走らせるなよ。全く」
「ほんとに、ごめん。どうしていいか分からなくて……」
「まぁ、まさか鉢合わせるとは思わなかったからな~。部長、大丈夫か?」
キィの澄んだ瞳が部長の顔を覗き込む。その瞳に映る自分の顔は、とても見られたものではなかった。まるで現実世界にいたときのような、後悔をし続けていたあの時のような顔とそっくりだった。そんな姿を目に入れたくなくてそっと伏せる。それでも目の裏に焼き付いて離れない。じわりと熱が押し寄せてくる。
その時、何か温かいものが頬に触れた。それはそっと優しく頬を撫でる。キィの手だ。
「無理しなくてもいいんだぞ。怒りたいときは怒ればいいし、泣きたいときは泣けばいい。そうした方が、すっきりするだろ? ぜーんぶ、キィが受け止めてあげるから! な?」
「キィ……」
重たい瞼を上げれば、そこには優しい微笑みを湛えたキィがいた。出会った頃とはまるで違う表情。いつの間にかキィも成長したのだな、なんて親のような気持ちになってしまった。
「……ありがとう。ちょっとだけ、抱きしめさせて」
「え? わわっ」
自分より少しだけ小さな体に抱き着く。突然抱き着かれキィは戸惑っていたようだが、すぐに察したのか背中に手が回された。ゆっくりとさすってくれる。その間、部長はキィの肩に顔を預けていた。キィは何も言わなかったけれど、ずっと優しく撫でていてくれた。温かなぬくもりに包まれて心が落ち着いていくのが分かる。どれくらいの時間が経ったのだろう。部長はそっと顔を上げた。
「もう、大丈夫か?」
「……うん。ありがとう、キィ」
うまく笑えていたかは分からないが、そう伝えればキィは満面の笑みを浮かべた。これまで隣で静かに寄り添っていた劉都が口を開く。
「もう、今日は解散にしよう」
「え、でも、今日何にも……」
「そんな状態じゃ集中してできないだろ。今日は帰ってゆっくり休みなよ。後は俺一人でやっとくからさ」
咎められているようにも聞こえたが、顔つきが柔らかかったのと優し気な声色から心配されているのだなと感じた。優しさが身に染みる。もっと普段からこのぐらい優しくしてくれてもいいのに。なんて言ったら怒られそうだし、もっと厳しくされそうなのでやめた。今は劉都の優しさに甘えるとしよう。
「……ありがとう、劉都」
「リュート、気をつけるんだぞ!」
「分かってるよ」
そう行って、劉都は手をひらりと振り、駅の方へと戻っていった。劉都を見送った後、キィがこちらを振り返った。
「部長、帰れそうか? それとももうちょっとだけ休んでく?」
「そうだね、もうちょっとだけ休んでいこうかな」
もしかしたらあの二人がまだ駅前にいるかもしれない。そう思うとなんだか歩き出せなかった。キィのおかげで少しは落ち着いてきたが、まだ少しだけ怖い。近くにはベンチもあるし、休憩するにはちょうどいいだろう。キィに提案し、二人でベンチに腰掛ける。
ぼんやりと道行く人々を見つめる。家族連れや学校帰りの学生たち。中には男女で腕を組んで歩いている人たちもいる。恋人同士なのだろう。ちょっとだけ羨ましいなんて。まさかこんなことを思うようになるとは、昔の自分からは到底想像できない。
「部長はこれでいいのか?」
「え? な、何が?」
「コバトとのこと」
突然投げかけられ何の事か分からなかった。いや、分かりたくなかっただけかもしれない。
「どうするんだ? このままだとあのオンナに取られちゃうぞ!」
「取られるって……。でも、あの二人いい感じだったし」
自分で言いながら傷を抉ってしまった。部長から見ても二人はいい雰囲気だったし、それに小鳩の念願の彼女だ。邪魔しないよう私が身を引いた方がいい。
「……それって、後悔しないか?」
喉の奥がひゅ、と鳴った。
「マガイモノとこの世界のことは嫌いだ。だけど、せっかく後悔をやり直してるのにまた後悔してしまうんじゃないか?」
キィの言う通りだ。本意ではなかったが、リグレットの歌声に導かれ後悔をやり直すことができるリドゥに来た。キィと出会って現実でのことを思い出し、最初は戸惑ったが現実へ帰ると決めた。もしこのまま全てのことが終わって現実世界に戻れたとき、どう思うだろうか。きっと、このことがずっと心の中に残って消えないだろう。――もう、後悔はしたくない。
「そうだね、キィの言う通りだ。私、小鳩先輩にちゃんと言うよ。後悔しないためにも」
「うん。キィは応援してるからな! もし、コバトが断ったらキィパンチをお見舞いしてやる!」
「それはちょっとかわいそうでは……」
シュ、シュとパンチをする素振りを見せるキィに思わず笑みがこぼれてしまう。
「まぁ、後悔をやり直せる世界で後悔するっていうのもおかしな話だよね」
「それもそうだな。本末転倒ってやつ?」
二人であはは、と声を出して笑い合う。キィのおかげでやっと自然に笑えるようになった気がする。心もなんだか晴々とした。キィにはいつも助けられてばかりだ。もう後悔しないためにも、この気持ちを全て打ち明けてしまおう。