ライラックを君に
2
お昼の食堂はとんでもなく混んでいる。ほとんどの人は昼食が目当てだが、ごく一部の人は看板娘である若宮千夏が目当てだ。風祭小鳩もその中の一人だった。今日も千夏に会いに来たも同然。なんなら昼食のほうがおまけみたいなものである。
今日のランチメニューを見れば、日替わり定食は生姜焼き定食とカツ丼だ。どちらもメインが肉なのでスタミナがつきそうだし、食べ応えもありそうだ。
どちらにするか少し悩んでいたが、その瞬間小鳩は閃いた。千夏におすすめを聞けばいいではないか。昼食も決まるし、千夏と話もできるし一石二鳥だ。
そうと決まればと、小鳩は早速千夏に会いに行こうとする。きょろきょろと食堂の中を見渡すと、千夏ではなくよく見知った人の姿が目についた。
「おーい! ゴン太、まーた悩んでんのか?」
「か、風祭! 真剣に悩んでるんだ邪魔しないでくれ」
「別に邪魔したつもりじゃないけどよ」
カウンターの前でうめき声を上げながら今日の日替わりメニューとにらめっこしている鐘太がいた。なんでメニューが決まってないのに並んだんだよ、と心の中で一人ツッコミを入れる。鐘太の優柔不断は今に始まったことではないので気にしないが、他の人たちはどうだろうか。鐘太の後ろにできた列の後ろのほうから文句が聞こえ始めた。
「ゴン太早く決めねーとお前が邪魔になってんぞ」
「ハッ! そ、そんな! 早く決めなくては! ……ウッ、しかし!」
これでは一生決まらないだろう。仕方ない、代わりに決めてあげようではないか。
「……ってことで、おばちゃん、カツ丼一つ!」
「風祭⁉」
食堂のおばちゃんもやれやれといった雰囲気で返事をした。これでスムーズに列も進むことだろう。一件落着。小鳩は本来の目的である千夏の姿をまた探し始めるのだった。
***
「ゴン太、隣座るぜ」
「あぁ、風祭。さっきはすまなかった」
「気にすんなよ。お前の優柔不断は今に始まったことじゃないからな」
無事、千夏から今日のおすすめを聞き出すことに成功し、昼飯にありつくことができた。千夏は今日もとてもかわいかった。
「そういえば、会うの久しぶりですね」
「そういやそうだな。最近帰宅部の集まりねーし」
ここ何日かなぜか帰宅部の集まりがなくなっている。最近は割と平和だし、そんなに集まる理由もないからだと思うが。小鳩としては願ったり叶ったりではあるのだが、帰宅部の女性陣と会えないのはなんとなく寂しくもある。などと、考えていたら一つ思い出したことがあった。
「あー、聞きたいことあるんだけどさ。最近ブッチョに避けられてる気がすんだけど、なんでか知らね?」
ここ最近部長に会って話しかけようとしてもすぐに用事があるのでとか、急いでいるのでとか、何かと理由をつけて避けられている気がする。なんなら目も合わせてくれないように思う。いや、それは考えすぎかもしれない。正直、何かした覚えはないので誰か理由を知らないかと思っていたのだ。
「……風祭、何かしたんですか?」
訝しげな顔をされながら言われた。
「何もしてねーよ⁉」
「絶対したでしょう! それしか考えられません!」
「決めつけはよくねぇぞ‼」
日頃の行いがそんなに良いとも自分でも思ってないが、勝手に決めつけないでもらいたい。二人でああだこうだ言い合っていると、視界の端に誰かがいるのが見えた。あんまり騒がしいから誰か注意しにでも来たのかと思うと、これまたよく見知った姿があった。
「あら、小鳩ちゃんに鐘太ちゃん! ご一緒してもいいかしら?」
ニコニコと微笑みながら聞いてきたのは、同じ帰宅部の編木ささらである。手には食事の載ったトレーを持っていた。ちょうど今からご飯を食べるのだろう。
「ねえさ〜ん! 聞いてくれよ〜!」
「なぁに? どうしたの小鳩ちゃん?」
小鳩に手招きされたささらは、目の前の席に座り首を傾げている。
「最近ブッチョに避けられてるっぽくてさ〜、ねえさん何か知らない?」
「小鳩ちゃん、部長ちゃんに何かしたの?」
「ねえさんまで⁉」
「帰宅部の誰に聞いてもそう言うと思いますよ。部長くんは優しいですし、怒っている姿も見たことありませんしね。風祭が何かしたと思うほうが自然ですよ」
鐘太の言葉にうんうんとささらが頷く。それは、確かにそうだ。部長が誰かに対して怒っている姿は見たことないし、誰に対しても優しい。何かやらかしてもだいたい笑って許してくれる。そんな部長が小鳩のことを避けているのだ。やっぱり自分が悪いのかもしれない。
「小鳩ちゃん、私一緒に謝ってあげようか? ちゃんと話せば部長ちゃんも分かってくれると思うから、ね?」
「そうだよな。避けられる心当たりないし、正直に謝って理由聞くのが一番いいかもな。でもな、ねえさん。ちゃんと一人で謝ってくるぜ! なんたってオレは男の中の男だからな!」
「小鳩ちゃんすごーい! えらーい!」
「編木、あまり風祭を甘やかすな……」
ニコニコと嬉しそうに拍手をするささら。視界の端では鐘太が一人頭を抱えていた。
そうと決まれば早く部長に会いに行かなければ。今の時間は、と確認のためスマホを取り出す。すると、タイミングよくWIREでメッセージが来たことを知らせる通知音が鳴った。
「おっと、WIREだ。……ってこの前の女の子からじゃん⁉」
素早くロックを解除してアプリを開けばこの前駅で会った女の子からのメッセージだった。
「風祭、また女性に手を出しているんですか? 不純異性交遊もほどほどにしてくださいよ」
深いため息をつきながら鐘太が言った。最早呆れたような口調だ。この言葉はもう耳にタコができるくらい聞いている。
「手はまだ出してねぇよ!」
「変わらないでしょう⁉」
また二人で言い合いが始まったが、目の前にいるささらはそんなことも気にせず話し出した。
「小鳩ちゃんいい女の子がいるのね〜良かったわ。プラネタリアに行ったときなんてモテなさすぎて泣いていたものね」
「そういえばそんなこともありましたね……」
言い合いから一転して、しみじみとした雰囲気になってしまった。
「そんなこともあったな。でも、今は過去の話より未来の話だぜ!」
言い合いになってしまったせいですっかり忘れていたが女の子から来たメッセージの文面を読む。そこにはまた会いませんかと書いてあった。これはどう見てもデートへのお誘いではないか。小鳩は思わずガッツポーズをした。
「きっといいことが書かれていたのね。良かったわね、小鳩ちゃん!」
「風祭、そのこともいいですがちゃんと部長くんにも謝るんですよ」
「言われなくても分かってるよ」
二人の言葉を聞きながら返事を打ち込んでいく。二つ返事で了承すれば、すぐに既読が付き返事が返ってきた。そこには、来週また駅前で会いたいと書かれていた。次第に小鳩の顔はにやけていく。
「さて、風祭は放っておいて早くご飯を食べてしまいましょう。昼休みも残り少ないですし」
「そうね、早く食べないと!」
もう二人の声はあまり耳には入っていない。来週が楽しみで仕方がなくなっている。そのためにも部長との件を何とかしなくては。
***
午後の授業も終わり放課後。昼休みは結局時間がなくて部長に会いに行くことはできなかった。ホームルームが終わってすぐ二年生の階に行ってみたが、そこに姿はなかった。吟や茉莉絵がいればどこにいるか分かったかもしれないと思ったが、二人の姿も見当たらない。一応と思ってWIREも送ってみるが、すぐに既読が付くということはなかった。こうなるとしらみつぶしに探すしかない。
屋上や食堂、保健室に図書室。特別棟にも足を運んでみた。だが、どこにもいなかった。もう校舎の中にはいないのかもしれない。靴箱を覗いてみたりもしたが、そもそもクラスしか分からないので意味がなかった。
はぁ、と深く息を吐き出す。流石に探し疲れた。そういえば前にも似たようなことがあったっけ、と思い出す。帰宅部に入ってほしいとせがまれたとき。あの時は、小鳩が追い駆けられる側で部長は追い駆ける側だった。追い駆けられるのだって大変だったが、追い駆けるのも大変だなとしみじみと思う。
もう一度、WIREを見てみたが既読にはなっていなかった。今日会えなかったら次はいつ会えるのだろうか。いつ謝ることができるのだろうか。いつになったら笑顔の部長と話せるのだろうか。などと考えていたら、なんだか無性に会って顔が見たくなってきた。
「先輩何してんの?」
「ポッポ先輩こんにちはー‼」
不意に後ろから声が掛かった。振り向けばそこには同じ帰宅部である一年生二人、宮迫切子と駒村二胡がいた。つい部長だったら良かったのに、なんて考えてしまう。もちろん二人に会えるのもうれしいのだが。
「キリちゃんとニコちゃんじゃん。二人とも帰り?」
「そうだけど。先輩さっきからこそこそ何やってんの?」
「えっ⁉ もしかして見てたってこと?」
「はい‼ 切子ちゃんと一緒に帰ろうって靴箱に来たら、なんだか挙動不審なポッポ先輩がいたので近寄らないでおこうと思いまして‼」
「ひどい‼」
「最終的に切子ちゃんがしびれを切らした感じですね‼」
もっと早くに声をかけてほしいものである。
「で、なんかあったの?」
「いや~、それがさ……」
これまでの経緯をかいつまんで話す。話の途中で二人にも何したの、と問われたのは言うまでもない。
「それでさ、ブッチョ見てない?」
「あ~そういえば、ここに来る途中で見かけたけど」
「えっ⁉ どこいた⁉」
「歩いているのを見かけただけだから今はどこにいるか知らないけど。確か男の人と一緒だったと――」
「男⁉」
「うるさ」
思わず叫んでしまったら、切子にとても嫌そうな顔をされた。
それにしても、男。この言い方からすると、帰宅部の男の誰かではなさそうだ。部長の交友関係についてはあまり知らないので分からないが、普通に男友達とかだろうか。
「制服は着てたけど知らない人だったよね。一年生では見たことないから上級生の人かも! もしかしたら彼氏さんとか⁉」
「彼氏⁉」
「もうポッポ先輩うるさいです‼」
二胡にもしっかり怒られた。
――彼氏。その可能性は考えていなかった。
「まぁ、いてもおかしくはないと思うけど。部長って頼りになるし、なんかモテそうだし」
「うんうん!」
「それもそうだよな……」
「なんで先輩がっかりしてんの」
切子の言葉で自分が思っていた以上にショックを受けていることを思い知る。なぜだろうか。同じ帰宅部の仲間だから? それともかわいい後輩だから?
「とりあえず、早く謝りなよ〜。帰宅部内でギスギスされても困るし」
「このままだとリューくんに怒られちゃいそうだしね。部長さんまだいるかもしれませんし、ポッポ先輩頑張ってください!!」
「お、おう……」
二人に言われた通りこのままだと帰宅部での活動にも影響が出てしまいそうだ。やはり早めに解決したほうが良いだろう。
***
切子と二胡とは別れ、教えてもらった部長がいたという場所へと向かう。話に聞くと、どうやら上の階へと向かって行ったらしい。まだいるかは定かではないが、賭けてみるしかない。
ちょうど三階に着いたときだった。視界の端にふわりと揺れる灰色の髪が見えた。心臓がドキリと跳ねる。その後ろ姿はどこかへと消えていった。慌てて追いかけるとそこは図書室だった。
流石に入るのは気が引けるので扉の隙間からこっそりと覗く。まるでストーカーみたいだ。覗いてみると、二人が言っていたように本当に部長の隣に男がいた。見覚えがあるような気はする。隣のクラスの奴だっただろうか。なぜか、思わずムッとしてしまった。
二人で何か話しているようだが、ここからでは何も聞こえることはなかった。そのまま二人は奥へと消えていく。やっぱり入るしかないのか。心を決め、あまり音を立てないように扉を開く。
中には読書をする人、勉強に勤しむ人といろんな人がいるが、聞こえるのは本のページを捲る音とノートにペンを走らせる音だけ。この静かさに妙に緊張してしまう。自分が図書室という場所にあまり縁がないのもあるだろう。
恐る恐る奥の方へと向かうとまたあの見慣れた後ろ姿が見えた。窓際の机が置いてあるスペース。そこには先程の男もいたが、今まではいなかった女の子もいた。隣のクラスの女の子だ。
部長は机のそばで立っていて、一緒だった男と女の子は椅子に座っている。しかもこの二人、小鳩の目から見て良い雰囲気に見える。もしかしたら部長は仲人的な感じであの二人の仲を取り持っているのかもしれない。そう考えると一気に肩の力が抜けた。彼氏というのは二胡の勘違い、想像に過ぎなかったということだ。
安堵の気持ちで胸に手を置く。これで安心して部長に声をかけることができそうだ。でも、なぜこんなにも安心した気持ちになっているのだろうと小鳩は思った。部長に彼氏がいたところで自分には関係のないことなのに。今日の自分はどこかおかしい。部長にずっと避けられていたからか、それとも何か変な物でも食べたかと考える。
「おいコバト、なーにしてんだ?」
「うぉっ⁉」
突然後ろから声をかけられ、思わず大きな声が出た。慌てて口を押えるが時すでに遅し。周囲にいた人たちが一斉にこちらを見る。視線がグサグサと突き刺さる。何してくれるんだと怒りを募らせながら小鳩は振り向く。すると、そこにいたのは訝しげな顔をしたキィだった。
「げ……」
「げってなんだよ! せっかくいたから声掛けたのに!」
「悪い悪い、つい……」
キィの姿は一部の人間にしか見えない。ということは小鳩は今、周りにいる人たちに誰もいないのに一人で大声出したやばい奴に見えているかもしれない。やっぱり何てことしてくれるんだ。
「キィ、どうかしたの――」
多分小鳩とキィの声が聞こえたのであろう。あのよく聞き慣れた声が聞こえた。心臓がバクバクと鳴り始める。本棚の陰からずっと会いたかったあの姿が目に入る。息を呑んだ。
「……よ、よぉ」
「えっ⁉」
久しぶりに会うものだからなんて声を掛ければいいか分からず、とりあえず挨拶をしたらぶっきらぼうな感じになってしまった。当の本人は先程の自分と同様に慌てて口を塞いだ。また周囲の人たちの視線が刺さっているのが分かる。正直さっきより痛いかもしれない。
「部長聞いてくれ! コバトが~!」
「だ、だから悪かったって……」
「……えっと、とりあえず出ませんか?」
部長の提案に即座に頷く。今この場所はあまりにも居心地が悪くて居られたものではない。未だに怒っているキィを部長が引っ張り図書室を後にする。
***
声を出しても問題なさそうでかつ話ができそうな所ということで三人で屋上にやって来た。放課後だからか人はまばらだ。近くにあったベンチに腰掛ける。もう立っている気力がない。部長も控えめに隣に腰掛けた。無言のまま時が過ぎてゆく。静かなせいで切り出すタイミングが分からない。
「ダ~~~‼ 二人ともなんでしゃべらないんだ‼」
しびれを切らしたキィが大声を上げた。途端に耳の奥がキーンとなる。
「おい、バカ‼ いきなりでっかい声出すなよ‼」
「ちょっと、二人とも……」
部長の声でハッとする。小鳩は別にキィとケンカがしたくてここに来たわけではない。部長に謝りに来たのだ。頭を振って、一旦心を落ち着かせる。息を吸い込んだ。
「ブッチョ、話があんだけど」
「……な、なんですか?」
姿勢を正し、本題に入る。隣にいる部長に目線を向けるがやはり視線は交らわない。
「最近オレのこと避けてるだろ?」
そう問いかければ、ぴくりと体が動いた。図星なのだろう。
「だから、その、……ごめん‼」
「……え?」
「オレ、正直バカなとこあるしなんでブッチョが怒ってるか分からねぇんだ。何か怒らせるようなことしたか? 教えてくれ、この通り‼」
勢いよく頭を下げる。今部長はどんな顔をしているのだろうか。怒っているのか、悲しい顔をしているのか。圧倒的に前者だろう。顔を見るのが怖い。
「……あの、先輩。顔上げてください。私怒ってませんから」
「え⁉ マジ⁉」
思わず言葉の通り顔を上げてしまう。そこには困ったように少し笑う顔があった。これは予想外だ。じゃあ、なぜ自分は避けられていたのだろうか。
「あ、あれか、誰かにアイツとつるまない方がいいって言われたとか」
「違います」
「それとも、気になる男でもできたとか? オレと関わってると勘違いされるかもしれねーし」
「なんでそこ自信ありげなんだ」
横からキィが茶々を入れてくるが無視する。
「ち、違うんです。私が悪いんです。ごめんなさい」
今度は部長が頭を下げた。一体どういうことなのだろう。事態がうまく呑み込めない。
「えっと、詳しくは説明できないんですけど、ちょっといろいろありまして……。だから、その、本当に私が悪いんです。小鳩先輩は悪くないです」
「はぁ~~~、良かった……」
全身を張り詰めていた空気から解かれ安堵のため息が漏れる。ベンチの背にもたれかかり天を仰ぐと、いつの間にか空は紅く染まっていた。
「マジで良かった~。誰に相談してもオレが悪いって言われたからほんとになんかやっちまったのかって……。ブッチョに嫌われたのかと思って焦ったわ」
「そ、それは絶対にないです!なので、安心、してください」
「お、おう……そうか。それならいいけどよ」
なぜか強めの語気で言われて少し驚いたが、これで一件落着だ。これで元通り部長とも話せるだろう。
「じゃあ、もしかして最近帰宅部の集まりなかったのも関係あったりする?」
「……まぁ、そうですね。すみません」
「謝るなよ。今の感じだといろいろ事情があるんだろ?」
「ありがとうございます、先輩」
部長はもう一度頭を下げた。二人の話を静かに聞いていたキィが声を上げる。
「そんじゃ、話も終わったことだし帰ろ~! そろそろ帰らないと学校閉められちゃうだろ~し」
「お前はのんきだな。ま、名残惜しいけど帰るとするか。送ってくぜブッチョ」
「ありがとうございます。でも送っていくほど歩く距離なくないですか?」
リドゥではなぜか全ての施設と駅が直結している。なので、送るといっても学園の一階までである。便利な部分ではあるのだが、女の子を送っていくときにせっかくの話せる時間が短くなってしまうのが大変惜しいものだ。
「ブッチョ、それは言わない約束だぜ」
「ふふっ、そうですね。じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って、部長はふわりと微笑んだ。やわらかい笑み。その顔は夕日に照らされてキラキラとしている。きれいだ、なんて。笑っている部長の姿なんていくらでも見たことがあるのに。どうしてか目が離せなかった。
「先輩どうしたんですか?」
「おい、コバト! 早く帰るぞ!」
二人の声で我に返る。いつの間にか二人はもう屋上の扉の前まで行っていた。
「あぁ、すぐ行く!」
手をひらりと振って軽く返事をする。だが、頭の中ではあの笑顔が焼き付いて離れない。また心臓がバクバクと鳴りだす。この感覚、思い当たるものがあった。これじゃあまるで、
「……好きみたいじゃねぇか」
一人呟いた言葉は夕暮れの風に溶けていった。