アオハルプリズム
抱き締めて、キスをして
「今日はこれにて活動終了! みんなお疲れ様ー!」
キィの掛け声によって本日の帰宅部の活動は終わりを告げた。各々お疲れと声を掛け合い、テーブルの上を片付け始める。電車内でテーブルを囲んで反省会をするという異様な光景にもずいぶん慣れてきたものだ。
みんなが帰り支度のため車両を移ろうとする中、小鳩はというと部長の元へ向かおうとしていた。今日は部長と喋る暇もないくらい忙しかった。帰る前に少しでも話がしたいと思い、部長に声を掛けようとする。
「部長、大丈夫?」
自分が声を掛けるよりもほんの僅か先に吟の心配するような声が聞こえた。反対に部長は気の抜けたような声を上げる。
「え?」
「疲れてない? 顔色あんま良くなさそうだけど」
吟の言うように部長の顔をまじまじと見つめれば、青ざめているとまではいかないがいつもより白く感じる。誰が見てもあまり体調が良さそうには見えない。
「ほんとだ。部長顔白いよ」
「部長ちゃん大丈夫? どこか痛いとかない?」
「いえ、痛いとかはないですけど……」
二人の会話が聞こえていたのか、他の部員たちも心配そうに集まっていく。
「ウム……キィは今のところなんともないし、心身的な疲れだろうか?」
「今日は戦いがずっと続いていましたからね。部長くんは前線で戦うことが多かったですし」
今日はデジヘッドの数も多く、連戦を強いられる場面が多かった。部長は戦うだけではなく、指示を出したり、部員たちに気を遣ったりと精神的にもきっと疲れているだろう。小鳩はなぜ気づかなかったのだろうかと歯軋りした。
「少し休んでから帰ったほうがいいんじゃないですか?」
「そうですよ! 部長さん!」
「でも、もう帰るだけだし……」
茉莉絵とニ胡の言葉に、部長は気にしないでと言わんばかりに手を横に振っている。すると、部長の前に劉都がやって来た。
「途中で倒れたりしたら大変だろ。ちゃんと休みなよ」
劉都の言葉がとどめになったのか、少し力なさげに部長は頷いた。
「……ごめん。じゃあ、少し休んでるね」
「とりあえず、みんなを先に送ってくぞ。部長はちゃんと休むんだぞ!」
部長を除くその他の部員とキィは隣の車両へと移る。小鳩も行こうとしたが、やはり途中で気になり振り返ると部長と目が合った。小鳩を心配させないようにか部長はにこりと微笑む。
一人のほうがゆっくり休めるだろうと思い、後ろ髪引かれつつもその場を後にした。
「おい小鳩、うるさい」
「ハァ⁉ 何もしゃべってないだろ!」
「動きがうるさい。少しはじっとしてろよ」
「そうだぞ、コバト! 動き回られると出発できん!」
隣の車両に移ったものの、心配なものは心配だ。座ってても落ち着かないし、かといって車内を歩き回ったところで何も変わりはしない。
「ケンカはダメよ」
「小鳩さんも心配なのは分かるけどさ」
ささらと吟に宥められ、いつもの定位置に座り直す。部長が体調悪そうにしているのも気づけなかったし、自分にできることも何もない。そんな自分が腹立たしくてしょうがなかった。
「てか、気になるんだったら行けばいいじゃん」
「そうですね。風祭さんが隣にいてくれたほうが部長も安心できるかもしれませんよ」
「でも、寝てたら邪魔かもしんないしさ」
うだうだと一人悩んでいると、ささらが突然何か思いついたかのようにポンと手を打った。
「じゃあ、こうしましょう! 小鳩ちゃんに部長ちゃんへ渡したいものを持っていってもらうの!」
ささらはそう言うと、自分の席へと戻り何かを持ってきた。よく見ると、それはささらが愛用しているブランケットだった。
「私からはこれ! 小鳩ちゃんお願いね」
すると、ささらに続くように他のみんなも鞄の中などをゴソゴソと漁りだした。何か見つけるとそれぞれ小鳩に手渡してくる。チョコレートや飴などのお菓子に薬、ぬいぐるみ、などなど様々な物が小鳩の腕の中に収められた。
「お願いしますね、小鳩さん」
「じゃあ出発するから、部長のことは任せたぞ! コバト!」
「お、おう」
少し困惑しつつも、これで部長に会う口実はできたわけである。きっと、自分だけではなくみんなも部長のことが心配なのだろう。腕の中にあるみんなの思いを感じながら、小鳩は隣の車両へと一歩足を踏み出した。
「……あれ、先輩?」
扉が開いて中を覗いてみると、部長が気づいたのかこちらに顔を向けた。どうやら寝ないで起きていたようだ。顔色はさっきと比べてそれほど変わりはない。
「忘れ物とか? ……じゃなさそうですね」
小鳩の腕にある大量の荷物を見て部長はふっと笑みを零した。とりあえず、部長の元へと歩きながらいつも通りを装う。
「みんなが持ってけって言うからさ。これがねぇさんからで、これがニコちゃん。それから……」
「いっぱいですね。……私、みんなに心配かけちゃってますね」
そう呟くと、部長は膝に掛けたブランケットを握り締め目を伏せた。その顔を見ると胸がぎゅっと締めつけられるような気持ちだった。小鳩は部長の横に腰を下ろし、目線を合わせて口を開けた。
「ブッチョは一人で頑張りすぎ。もっとみんなを頼ったりとか甘えたりとかしていいんだぜ。帰宅部はブッチョ一人だけじゃないんだからさ。そりゃ、ブッチョの役割って大変だろうけど、みんなで分担すれば少しは負担減るだろ? オレもできることならなんでもやるからさ」
見つめた先の瞳がぱちくりと瞬いている。
「アッ⁉ 待って‼ 甘えたりするのはオレだけにして‼ 女の子たちはまだ許せるけど、他の男共には絶対やめて⁉」
「先輩も顔青くなってますけど」
いつの間にか部長は口元を手で覆って笑いを堪えていた。その姿を見て小鳩はホッとした。少しでも明るい気持ちになってくれたようでうれしい。自分だけに甘えてほしいのは本心だが。
「心配かけてごめんなさい。すぐには無理かもしれないですけど、せめて小鳩先輩にはいっぱい甘えますね」
「そうそう、オレにはいくらでも甘えていいからな! そういえば、ストレスってハグすると軽減するらしいぜ!」
今すぐにこの胸に飛び込んでもいいぞと言わんばかりに小鳩は部長へ向けてめいっぱい腕を広げた。
「そうなんですね」
そんな小鳩に対して部長はいつも通りだ。今まで甘えたことのない人に突然甘えろと言われたってすぐにできるものでもないだろう。小鳩の胸にあった淡い期待もすぐに消えていった。
「じゃあ、オレ戻るわ。邪魔だろうし。ブッチョ、ゆっくり休んで……」
「……行かないで」
立ち上がろうとした瞬間、胸の中にぽすりと何かが飛び込んできた。一瞬、思考が停止する。視線をゆっくりと下げると、つむじと高い位置で括られたポニーテールが目に入る。自分の胸の中にいるのが部長だと分かるのに数秒ほどかかった。
「エッ⁉ まっ、エェッ⁉」
「なんでそんな驚いているんですか。先輩が言ったのに」
「いや! まさかほんとにされるとは思わなくって!」
都合の良い夢ではないかと疑ってしまうほどだ。夢じゃなかったらただのご褒美でしかない。部長のためを思って言ったが、一番喜んでいるのはどう考えても自分のほうだろう。
「甘えていいんでしょう?」
部長が少し顔を上げると、その近さとほのかに香る甘い匂いに小鳩はくらりとした。そんなことには気づいてないであろう部長は柔らかい笑みをたたえている。時折、小鳩の胸に頬を擦り寄せ、その姿はなんだか小動物のようで愛らしい。
「……抱き締めてくれないんですか?」
潤んだ瞳が小鳩を見つめていた。意を決し、行き場をなくしていた腕をそっと部長の背中に回した。柔らかい感触が手のひらから伝わってくる。優しく背中をさするように撫でると、部長も小鳩の背に腕を回した。ぎゅっと力強く抱き締められ、小鳩の心臓はバクバクと鳴り始めていた。気づくと、左胸の辺りに部長が耳を押しつけているではないか。
「小鳩先輩、心臓の音すごい」
「聞かないでくれ……」
「でも、私もきっと、このぐらいドキドキしてます」
そう言って部長はまた擦り寄ってきた。小鳩のギリギリの理性は爆発寸前だ。思わず抱き締めている腕に力が入りそうになり必死に抑える。ここがキィトレインじゃなかったらどうなっていたか分からない。一体これが後どのぐらい続くのだろうかと、小鳩は一向に離れる気配のない部長の姿を見てそう思うのだった。
どれくらいの間そうしていただろうか。ずいぶん時間が経ったように感じる。いつの間にか胸元からは小さな寝息が聞こえていた。やはり疲れていたのだろう。今の体勢ではきついだろうと思い、起こさないようにそっと体を移動させる。こてん、と小鳩の肩に部長が寄りかかった。
部長の寝顔を見ると、まるで年相応の子供のようでいつも以上にかわいらしく感じる。実際の年齢なんて知らないし、普段も達観していて大人だなと思わされることがあるが、こうしていると自分と同じで今は子供なのだと改めて感じた。
手を伸ばし、顔にかかっていた髪を耳に掛ける。部長は少し身じろぎしたが起きる気配はない。そのまま、頬をするりと撫でる。先程よりは幾分か顔色もマシになっただろう。
「……コバト〜、部長〜」
自動ドアが開くと、珍しく小さな声でキィがやって来た。ふわふわ浮かびながら小鳩と部長が座っているところまで来ると、部長の顔を覗き込む。
「さっより顔色良くなってるな。良かった〜」
キィは安心したように息をついた。すると、今度は小鳩の方を向きニッコリと笑顔を浮かべた。
「んだよ、その顔」
「コバトのおかげなんだな〜と思って! ありがとな、コバト!」
「お、おう」
キィにお礼を言われるのはなんだかむず痒いものだ。
「もう他のみんなは送ったから後はコバトだけだ。着くまでゆっくりしててくれ。部長のことそれまで頼むな!」
それだけ伝えると、キィは戻っていった。また、二人きりの空間。相変わらず部長はよく寝ている。その寝顔は本当に気持ち良さそうだ。いつもはこんなに見れないし、と思い部長の顔をじっと見つめてみる。
「ん……こば、と……せんぱ……」
「ッ⁉」
すると突然寝言で名前を呼ばれ、小鳩の中に動揺が走る。さっきから心臓がドキドキと鳴り止まない。そろそろ落ち着かせてほしい。
自分の名前を呼んだ無防備な唇。まだ触れたことのないその場所に触れたい。小鳩は部長の頬をまた撫でた。ちょっとくらい良いんじゃないかと頭の中で悪魔が囁いている。寝ているから気づかないだろうし、と。でも、体調が悪くて寝ている人にそんなことをするのは良くないと頭の中の天使が止める。
天秤にかけた結果、欲が勝った。欲には抗えなかった。それに、散々部長も人のことを好きなだけ抱き締めていたし、このぐらい許されるだろう。許してほしい、本当に。
頬に当てていた手をゆっくりと顎に添える。妙な緊張感の中、小鳩はグッと顔を寄せた。自然と近くなった距離にさっきよりも心拍が早くなっている。徐々に距離を縮め、唇が触れるまであと数センチ。
ぱちり、とまぶたが開かれた。
「……え」
「ワーーーーーッ⁉」
とっさに何もしてませんと言わんばかりに距離を取った。部長は寝起きだからか、まだこの状況をうまく飲み込めていないようだ。
「ブッチョ、体調どう⁉ 大丈夫⁉」
「えっ、そうですね。さっきよりはだいぶいいかと……」
「な、なら良かったな! ハハハ〜」
笑って誤魔化そうと試みたが、部長は固まって動かなくなった。その顔はだんだんと赤く染まっていく。耳まで真っ赤だ。さっきの状況に気づいてしまったのだろう。
「先輩、さっき、何しようと……」
しばしの沈黙のあと、ようやく部長は口を開いた。
「べ、別にブッチョにキスしようとかしてないし⁉」
「……開き直りましたね?」
「もう誤魔化せそうにねーし」
今回ばかりは仕方がない。そもそも寝ている人にしようとした自分が悪いし、きれいさっぱり諦めよう。部長の嫌がることはしたくない。小鳩が一人納得していると
「……しないんですか?」
「え」
部長のほうから思いもよらない言葉が出てきた。何を思って言ったのか、表情からは窺えない。
「だって、小鳩先輩はしたいんですよね?」
「そりゃ、したいけど……イイの? ムリしなくても……」
「私もしたい、から……」
部長はこちらに寄って来ると、小鳩の服をきゅっと掴んだ。その頬は真っ赤になっている。全身の血液が沸騰するかと思った。
「マジ? やっぱ嘘ですとか言われたらオレ泣いちゃうよ?」
「嘘じゃないですってば」
部長の顔は照れてはいるが至って真剣そのものだ。小鳩はゴクリと唾を飲み込んだ。掲げた手がさっきより震えているのが分かる。頬に手を添えると、部長の体がビクリと揺れた。
「……目、瞑って」
なるべく優しい声音で言うと、部長はぎゅっとまぶたを閉じた。その行為にも愛おしさが込み上げてくる。少しずつ近寄っていくと、部長の体に力が入るのが分かる。安心させるように、空いた手で部長の手を握った。徐々に体に入っていた力も抜けていく。今度こそ、あと数センチ。息づかいを間近に感じるほどの距離。
小鳩はそっと薄桃色のそれにくちづけた。きっとほんの数秒の出来事だったけれど、小鳩にとってはとても長い時間のように感じた。部長は緊張していたのか唇をきゅっと固く結んでいたため、触れたときの感触は想像していた柔らかい感じではなかった。でも、そういうところもかわいくて好きだ。部長との初めてのキスはどこかぎこちなかったけれど、甘くて、幸せな時間だった。
目を開くと、放心しきったようにぼうっとなっている部長の姿があった。
「ブッチョ、大丈夫か?」
「あ、はい。ドキドキし過ぎていっぱいになってました。早く慣れるようにします」
「じゃあ、これからはいっぱいしてもイイってこと?」
「せめて、二人きりのときでお願いします……」
恥ずかしそうにしているその姿は初々しくてかわいいものだ。なんだか一回だけでは物足りない気持ちになってきた。
「もっかい、ちゅ〜してもイイ?」
「えっ⁉ もう一回⁉」
「ブッチョだって好き放題オレのことハグしてたじゃん。だからさ、おあいこってことで」
小鳩がそう言うと、痛いところを突かれたような顔をしていた。そもそも部長に好き放題していた自覚があったのかと少し驚きだった。
「あと一回だけですからね……!」
そう口で言いながら、もう目を瞑ってしっかり準備をしている。その姿につい口元が緩んでしまう。小鳩はもう一度部長の頬に手を伸ばした。
「ブッチョ、好きだよ」
優しく囁くように呟いて、二度目のキスをしたのだった。