アオハルプリズム

茜色に染まる


 今日の部長はどこかそわそわと落ち着きなく過していた。なぜなら、今日は小鳩と一緒に帰る約束をしているからだ。そのせいか、ずっとどこか上の空で授業中も集中することができず、時間だけがゆっくりと流れているような感覚だった。正直浮かれているかもしれない。
 小鳩と付き合い始めて早数日。寝る前に連絡を取り合うことだけが付き合い始めての唯一の恋人らしいことだった。連日帰宅部の活動も続いていて、付き合っているという感覚がまだあまりない。なんだかふわふわとしたままだ。
 それが昨夜、突然明日一緒に帰らないかとWIREが送られて来たのだ。今日は帰宅部の活動がないので誘ったのだろう。リドゥはなぜか学園と駅が繋がっているためそれほど一緒に歩いて帰るような距離はない。それでも一緒にいられることが部長にとってはうれしかった。

 HRが終わり、小鳩が待っているかもしれないと急いで鞄に荷物を詰め込む。すると、目の前に誰かがやって来たのが分かった。顔を上げるとそこには吟の姿があった。
「部長一緒帰ろうぜ。駅前のゲーセンに新しいゲームが入ったらしくてさ〜」
「吟ごめん。今日は……」
「あぁ、もしかして小鳩さん?」
 唐突に吟の口から小鳩の名前が出てきたのでドキリとした。
「えっ、なんで分かったの?」
「やっぱり? だって今日の部長なんかそわそわしてたし」
 まさか気づかれているとは思わなかった。恥ずかしさにより、一気に顔に熱が集まっていく。
 部長と小鳩が付き合い始めたことは不覚にも告白したその日に全員に知れ渡ってしまった。あの日、誰かがキィトレインにやって来る度に小鳩がうれしそうに自慢するものだから止められなかったのだ。反応は三者三様といった感じで、喜んでくれる人、心配する人、不純異性交遊が云々と話し出す人といった感じだった。
「小鳩さんじゃ仕方ないな。ゲーセンはまた今度付き合ってよ。じゃあ、また明日!」
「うん。また明日」
 吟にひらひらと手を振っていると、スマホからメッセージを告げる音が鳴った。画面を見ると小鳩からのメッセージだ。向こうももう終わったのかもしれない。残りの荷物を詰め込みあたふたと教室から出た。
 WIREには『二階のエントランスで待ってる』と書かれていた。教室を出てすぐのところ、二階の吹き抜け。今日もリグレットを模したステンドグラスが陽の光でキラキラと輝いている。そこに小鳩はいた。
「小鳩先輩!」
 声を掛けるとこちらに気づいたのか、小鳩はスマホを見ていた顔を上げこちらに手を振る。部長も手を振りながら駆け寄った。ちょっと恋人っぽいかも、なんてひっそりと思ったり。
「お待たせしました」
「いやいや、そんな待ってないから! ……あれ、キィは?」
 いつも部長の横にいるから不審に思ったのだろう。
「多分、キィなりに気を遣ってるんじゃないかと」
 キィは何も言わないけれど、多分そうなのだろうと部長はなんとなく感じていた。これも一心同体ゆえだろう。
「……そっか。最初の頃とはずいぶん大違いだな。……どうせ今も聞いてるんだろ? その、ありがとよ」
 部長は小鳩の口から感謝の言葉が出てきて驚きで目を丸くした。部長の中にいるキィも驚いているのが伝わってくる。
「……なんだよ、ブッチョ」
 どこか照れくさそうにしている小鳩を見て、部長はうれしく感じていた。顔を合わせるたびにいがみ合っていたあの二人が。
「なんか、うれしくて」
「はい! この話は終わり! ほら、もう行こうぜ」
 そう言って先を歩き出す。部長も笑みを零しながらその後ろをついていった。
 駅に着くまでの道中、今日あった出来事などを話しながら並んで歩く。二階から一階、エントランスまでという短い距離ゆえ、あっという間に駅に着いてしまった。ホームへ行くと学生たちで溢れかえっている。不意に隣にいる小鳩がため息をついた。
「な〜んで、学園と駅繋がってんだろな。彼女と放課後歩いて帰るのなんて学生の醍醐味だろ」
「あはは……便利ではあるんですけどね。確かに、こういうときは不便かも」
 学生の醍醐味は言い過ぎかもしれないが、ドラマや漫画でもよくあるシチュエーションだ。小鳩が求め、憧れている青春の一つなのだろう。かくいう自分も小鳩ともう少し一緒にいたいと思っている。
「……そう思うってことは、ブッチョももっとオレといたいってこと?」
 その言葉にギクリと体が固まった。もう今更隠したって意味はない。
「そ、それは、そう思いますよ……」
「かわい〜」
「なんですかその手」
 小鳩がなぜかニヤニヤとしながら胸の前に両手を掲げている。
「抱き締めそうなのを必死に抑えてる」
「別に私……」
 嫌じゃないですよ、という言葉はホームにやって来た電車によってかき消されてしまった。到着のアナウンスが流れ、電車が止まる。その間も部長の心臓はバクバクと鳴り続けていた。
「ブッチョなんか言った?」
 部長の言葉は小鳩の耳には届かなかったようだ。それが悲しいような、安堵するような複雑な気持ちだった。
「いえ、何も。電車これですよね。乗りましょう」
 首を捻っている小鳩を促し、電車に乗り込もうとする。この時間なのでここで降りていく人たちは少ない。二人が乗るときには座席は全て埋まり、立っている人の方が多くなっていた。それでも、いつも帰るときよりも多い気がする。
「なんだか多いですね」
「そうだな。なんか今日あったけ?」
 仕方なく二人で空いている場所に立つことにした。最寄りの駅まではそれほどないのでそれまでの辛抱だ。でも、駅に着いたら小鳩と今日はお別れかと思うとやはり寂しくもあった。
 電車は次の駅に停まるとまた多くの人たちが乗り込んできた。もうぎゅうぎゅう詰めである。
「……ブッチョ場所代わろーぜ」
「いいですけど……?」
 言葉の真意がよくわからないまま部長は小鳩と代わり壁際へと移った。
 それからも駅に停まる度に人々が乗り込んできて、電車内はまるで朝の通勤ラッシュのようだった。でも、こんなに人が増えたのにも関わらず、不思議と窮屈さは感じない。自分の周りには意外とスペースがある。そのことに気づいてからハッとした。小鳩が場所を代わって壁になり、押し潰されないように配慮してくれたおかげなのだと。少し上にある顔を見上げてもいつもと変わらない表情をしている。小鳩は案外こういうことがさらっとできてしまう。――ずるいな、なんて。また、好きの気持ちが増してしまう。悟られないように俯いてリュックの紐を強く握り直した。
 そのままゆらゆらと揺られていると、とある会話が耳に入ってきた。
「リグレットのゲリラライブ楽しみだな!」
「あぁ! リグレットのライブを生で見られるなんて生きてて良かったぜ」
 部長は自分の耳を疑った。それは近くにいた二人組の男性の会話のようだった。部長と小鳩は目を合わせる。
『な、何ーーーッ⁉』
 二人と同じく驚いたのであろうキィが大きな声で叫んだ。その声は部長の脳内にだけ響き渡る。
「ブッチョ、見てみ」
 小鳩が差し出してきたスマホの画面を見るとGossiperのアプリが開かれてあり、そこには『興玉駅前広場にてリグレットゲリラライブ開催!』と書かれていた。Gossiperではすでに拡散されているようだ。だから、電車内にこんなに人が溢れているのかと一人納得する。
「よし、二人とも行くぞ‼」
 ひょこっと部長のお腹の辺りからキィが顔を覗かせた。その表情からは強い意志を感じる。それに対して目の前にいる小鳩は驚きの様相だ。
「ハァ⁉ なんで⁉」
「緊急事態だ‼ 仕方ないだろう‼」
「二人ともここ電車だから……」
 周りがざわざわとし始め、視線がこちらに集中しているのを感じる。そんなことよりも、エスカレートしそうな二人を諌めるので部長はいっぱいいっぱいだった。
 そうこうしているうちに電車は興玉駅に到着。アナウンスが流れ、大量にいた人たちがみな降りていく。
「とりあえず私たちも降りましょう!」
 嫌がる小鳩をなんとか引っ張り、ホームに降り立つ。そのまま大移動する人たちによって流されるように興玉駅前の広場へとやって来た。子供から老人まで、老若男女様々な人々がリグレットのことを今か今かと待ちわびている。
「いっぱいですね」
「せっかくブッチョと帰ってたのに……」
 振り向くと、小鳩は明らかにしょんぼりとした顔をしていた。
「また今度一緒に帰りましょう。あ、そういえば、小鳩先輩さっきはありがとうございました」
 先程の電車内でのことについてお礼を伝えると、まるで思い当たる節がないとでも言うように首を傾げている。小鳩にとってはあのぐらい普通のことなのだろうか。
「オレ何かしたっけ?」
「電車の中で場所代わってくれたじゃないですか」
 部長がそう言うと、ようやく思い出したのか小鳩は声を上げた。
「あー、あのままだとどこの馬の骨か分からねぇようなやつがブッチョの体に触っちまうかもしれなかったからな。オレだってまだ触ってないのに‼」
「……もうちょっと違う言い方できなかったんですか?」
 気持ちはうれしいけれど、聞かなかった方が良かったかもしれない。

 小鳩も機嫌を直したので、改めて周りをよく観察してみる。ライブということだし、どこかにステージでもあるのだろうかと見渡してみるが、あまりの人の多さに前方には何も見えない。
「先輩何か見えます?」
「いや、さすがに見えねぇな」
 このままだと、リグレットの姿は一切見れなさそうだ。かと言って、この人の中をかき分けていくのも大変だろう。
「あっ! リグレットだわ!」
「リグレット様ー!」
 突然、周囲から歓声が上がる。聞き覚えのある音楽が流れ出し、ざわめきが広がっていく。どうやらリグレットが登場したようだ。一体どこにいるんだと探していると
「ブッチョ、見ろ! 上!」
 小鳩の指した先を辿るように視線を移すと、そこには紛れもなくリグレットの姿があった。しかし、それは自分たちが想像していたものとは大いに違っていた。
「アレ、ホログラムだな」
「なっ、何だとーーー⁉」
 小鳩の言うように、リグレットのホログラムのようなものが空に浮かび上がっていた。これでは、自分たちにはどうしようもできない。
「マガイモノめ〜〜〜‼」
「キィ落ち着いて……っ⁉」
 怒るキィを宥めていると、何か視線を感じた。ゆっくりとそちらへと視線を移す。
「リグレット様、サイコー!」
 すると、そこには虚ろな目をした人がいた。その人は見る見るうちに歪な怪物のような姿に成り果てた。リグレットの歌を聴いたことによってデジヘッドへと変貌してしまったようだ。それが一人だけならまだしも、二人、三人と増えていく。部長と小鳩の二人では到底相手にできるような数ではない。帰宅部のみんなと連絡でも取れていれば良かったのだが、生憎そんな時間はなかった。もしかしたら誰かいる可能性もあるが、この大勢の人の中で合流するのは難しいだろう。背中にたらり、と冷や汗が流れた。
「逃げるぞ、ブッチョ!」
「っ! はい!」
 小鳩の声でハッとなり、慌てて駆け出す。足がもつれそうになりながらも、なんとか人ごみの中からは抜け出せた。それでも、振り返るとデジヘッドたちはこちら目掛けて追いかけてくる。
「ブッチョ! 離すんじゃねぇぞ!」
 駆けてきた小鳩が部長の手を強く握り締め、そのまま走り出した。小鳩に手を引かれるまま、部長も全力で走る。階段を駆け上がり、普段は通らないような路地裏を抜け、興玉駅前の端までやって来たところでデジヘッドの大群は見えなくなっていた。キィがデジヘッドたちを撒くためのルートの指示を出してくれたおかげかもしれない。
「はぁ、はぁ……」
「ハァ〜〜〜、マジ疲れた……もう一生分走ったわ……」
「九死に一生ってやつだな……」
 壁にもたれかかり息を整える。こんなに全速力で走ったのは初めてデジヘッドに追いかけられたとき以来かもしれない。もう当分は走りたくない。
「ブッチョ大丈夫か? 足とか痛くねぇ?」
「はい、大丈夫です。先輩が引っ張ってくれたおかげで……」
 話しながら改めてよく考えてみると、今部長は小鳩と手を繋いでいた。それも強くしっかりと。逃げるためではあったが、初めて小鳩と手を繋いでいるのだ。安心したらじわじわと実感が湧いてきて、急激に体中を熱が巡っていく。
 小鳩もこのことに気づいたのか、パッと手が離された。空いてしまった手のひらがなんだか寂しい。
「あ、ごめん。手繋いじまった」
「別に謝らなくても……嫌じゃないので……」
「エッ⁉ マジ⁉」
 小鳩が期待に満ちた瞳で見つめてくる。一層恥ずかしくなってきた。
「じゃ、これからも手繋いでいい?」
「ど、どうぞ……」
 おずおずと先程まで繋いでいた左手を差し出す。
「やば、なんか緊張してきた」
 小鳩の言葉にこちらもなぜか緊張してきた。さっきは死にものぐるいだったから、改めて好きな人と手を繋ぐというのはこんなにもドキドキするのだなと感じる。
「えーーーい! 早く繋がんかい!」
 しびれを切らしたのか、キィが部長と小鳩の手を取りむりやりくっつけた。途端に小鳩の体温が手のひらから伝わってくる。
 キィは一瞬だけ満足気な顔をしたあと、部長と小鳩に向けて頭を下げた。
「キィのせいで二人を危険な目に遭わせてしまった……ごめん‼」
「キィは悪くないよ。私ももっと考えれば良かった。それに、キィのおかげでデジヘッドたちを撒くことができたんだよ。ありがとう」
「そうだな。お前がいなかったら今頃デジヘッドたちの餌食になってたかもしれねーし」
 しゅんとしていたキィも部長と小鳩の言葉に安心したのか、表情が少し和らいだようだ。
「二人ともありがとう。お詫びにはならないかもしれないが、キィはまた大人しくしとくから! あとは二人で好きなように過ごしてくれ!」
 キィはそれだけ言い残し、また部長の中に戻っていった。部長と小鳩、残された二人は顔を見合わせる。
「……ブッチョさ、腹減らない?」
「そうですね、走ったからお腹空いたかも」
「時間とか大丈夫?」
 いつの間にか空はきれいな茜色に染まっている。こんなにも時間が経っていたのかと驚くほどだ。
「私は大丈夫です」
「じゃあ、どっか食べ行くか」
 肯定するようにコクリと頷き返す。すると、繋がれた手がぎゅっと握り直された。部長も返すように強く握る。
 小鳩の手は自分の手よりも一周りぐらい大きくて、骨ばった男性らしい手つき。でも、優しい温かみを感じる。
「ブッチョ、顔真っ赤。かわいい」
「小鳩先輩も顔赤いですよ」
「それは、ほら、夕焼けのせいだろ」
 今にも溶け出しそうな赤い夕陽がこちらを照らしている。繋がれた手のひらから伝わる小鳩のぬくもりが、自分の熱と混ざって夕陽と同じように溶けてしまいそうな、そんな気分だった。
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