ライラックを君に
1
「部長が一緒に来てくれて良かったです。一人では行きづらいなと思っていたので」
部長の右隣を歩く少女、天吹茉莉絵は手元のクレープを眺めながらそう言った。その手に持っているクレープには苺とホイップクリームがたっぷりと盛られ、色とりどりのチョコレートのカラースプレーが散りばめられていた。カラフルでとてもおいしそうだ。
「そんなの茉莉絵のお願いだったらお安い御用だよ。それにキィも行きたがってたしね」
「そうだぞ、マリエ!」
元気に声を上げたのは、部長の左隣にいるキィだ。ふわふわと宙にたゆたいながらクレープを口いっぱいに頬張っている。手元のクレープはチョコアイスにチョコソースのチョコレートづくしだ。
部長の手元には、ホイップクリームにキャラメルソースがかかったクレープが持たれていた。何を食べるか迷ったが一番オーソドックスなものにしてみた。
この世界は現実ではなく、後悔をやり直した後の仮想の世界。なので、ここが現実ではないと気づいた人にしかキィの姿は見えない。だから部長がキィの分も買ったのだが、絶対に一人で二つも食べる人だと店員に思われていそうでちょっとだけ恥ずかしく思う。
「キィさんもありがとうございます。ここのクレープ屋さんずっと行きたかったんです」
放課後、部長とキィは茉莉絵にお願いされて駅前にあるクレープ屋さんに来ていた。聞くところによると最近できたお店らしい。誰かが新しくクレープ屋さんが欲しいとリグレットにでも願ったのだろうか。部長の知るところではない。
「でもクレープ屋さんぐらい一人で行けるくないか?」
もぐもぐと口を動かしながらキィがこぼす。口の端にチョコがついていたのでティッシュで拭ってあげた。
「あはは……なんだかあの雰囲気に溶け込める自信がなくて……」
確かに、あのクレープ屋さんはいかにもキラキラした感じの若い女の子向けという感じだった。例えば、同じクラスであり敵の楽士でもある#QPのようなああいう女の子がいかにも好みそうなやつである。自分も一人だったら入ろうとはあまり思わないだろう。茉莉絵と一緒だったから入れたという感じだ。確かに、茉莉絵はどちらかと言うと清楚な優等生という感じなのであの中に溶け込むのは難しいだろう。想像してみたが、あの雰囲気からはちょっと浮いてしまいそうだ。
「言われるとそうだな~お店の中きゃぴきゃぴしてたもんな~」
「でも、なんで行きたかったの? 新しいお店だから?」
この世界、リドゥには今行ったお店以外にもクレープ屋さんがあったりする。アンキモカスタードなんていうちょっと変わったものがあるお店だ。もちろん、普通の甘いクレープや食事系クレープもある。だから、クレープを食べたいのだったら別にそこでも良かったのではと思ったのだ。
「実はクラスの子においしいからぜひ行ってみてと勧められたんです。だから、行ってみたくて……! 二人が来てくれて本当に良かったです。こんなにおいしいクレープが食べれるんですから」
「マリエ~‼ お前ほんとにいい子だな~‼」
感極まったキィが茉莉絵にぎゅっと抱き着く。抱き着かれた本人は慌てているがお構いなしだ。
「キィさんクレープ落としちゃいますよ!」
「ふふっ……私も二人と来れてうれしい。ありがとうね」
二人のやり取りに自然と頬が緩む。こんなにも穏やかな日々を過ごすのもけっこう久しぶりかもしれない。日々、帰宅部では楽士やデジヘッドたちとの戦いに身を費やしている。そんな帰宅部に訪れた束の間の日常。きっとそう長くは続かないのだろう。だからこそ、少しでも今この時をみんなが楽しく過ごしてくれたら良いなと思う。
「うりゃうりゃ~‼」
「キィさんやめてください~!」
「キィ、そろそろやめてあげなよ。茉莉絵倒れちゃうから」
いろいろと思いにふけている間に事態がエスカレートしていた。部長が声を掛けたことでやっとキィの手が止まった。ひらひらと手を振りながら申し訳無さそうな顔をしている。
「ごめんごめんつい~!」
「……ふぅ。助かりました」
「ほら、二人とも早くクレープ食べよう。キィのアイスなんか早く食べないと溶けちゃうよ」
「あぁっ⁉ ほんとだ‼」
キィが手元のクレープを見て驚きの声を上げた。見ればアイスクリームがどろりと垂れ始めていた。どうやら遅かったようだ。キィは大慌てでクレープを口に詰めていく。ぱくぱくと口を大きく開け、ものの三口程度で全て食べきっていた。その姿は気持ち良いほど豪快だった。それを見て茉莉絵も顔をほころばせながら、一口一口大切そうに食べている。
さて、二人とも落ち着いたようだし自分も食べるとしよう。実はまだ一口も食べれていなかったのだ。きっと一口食べればクリームとキャラメルの甘みが口の中を満たすのだろう。そう考えるだけでも幸せな気分になる。そんなことを思いながら部長はクレープに口をつけた。
「は~! おいしかった~! って……んん?」
「どうかしたんですかキィさん?」
部長がぱくりとクレープを口に入れたのと同時にキィが声を上げた。どこかを見つめながら指を差している。
「あそこにいるのさ、コバトじゃね?」
指差した方向を見てみると、そこにはよく見慣れた姿があった。いつも着ている大きめのパーカーに黒いスラックス。大きな丸いメガネに耳には派手なシルバーアクセサリー。どこからどう見ても我が帰宅部の部員の一人、風祭小鳩だ。何をしているのだろうか、と一瞬思ったがどうせまたナンパでもしているのだろう。
「ほんとですね、風祭さんです。……誰か隣にいますね。誰でしょう?」
茉莉絵の言葉にもう一度よく見てみる。小鳩の姿で少し隠れてはいるが、確かに隣に誰かいるようだ。小鳩よりも背が低く、茶色のふわふわした長い髪が風でなびいている。時折、ひらひらとスカートの端も見え隠れしていた。これはどこからどう見ても
「女の子だね」
「女の子ですね」
「オンナだな」
満場一致である。やはりナンパをしているようだ。もうちょっとその情熱をどこか別の部分に使えないのだろうかとちょっとだけ思う。全く懲りない人だ。口からため息が零れそうなところにキィが大きな声を上げた。
「あーーーっ‼ オイ、二人とも見ろ‼」
またキィが指差す方向に目をやると、二人はスマホを取り出して何かしているようだ。大方連絡先でも交換しているのだろう。数秒経つと連絡先を交換し終えたのだろうか、スマホをポケットにしまった。すると、その空いた手で女の子が小鳩の手を握った。ここから見ても分かるくらい、ぎゅっと握りしめていた。部長は目を見張った。手を握られている小鳩の顔を見れば、満更でもなさそうな表情をしているではないか。それを見て隣にいた茉莉絵がひそひそと話しかけてくる。
「ナンパが成功したってことでしょうか?」
「えーーーっ⁉ あのコバトが⁉」
声が大きいですよキィさん、と茉莉絵がたしなめる。部長から見ても二人の姿は仲睦まじげで良い雰囲気に見える。茉莉絵が言ったようにナンパが成功したのだろう。なぜだか体の奥底が冷えていく感じがした。
「いや、そういうこともあるか。……あるか?」
「まぁ、そういうこともあるんでしょう。邪魔しないようにしておきましょう」
「そうだな。絡むとめんどくさそうだし」
「……うん」
今の光景を忘れようと頭を振り、クレープに齧りついてみる。柔らかい生地を食み、口の中に含んだ。ゆっくりと咀嚼する。しかしそれは、――味がしなかった。
***
ちゃぽん、と水の音を立ててゆっくり湯船に体を沈めていく。乳白色のお湯が波打ち、熱が体の芯へじわりじわりと伝わっていく。それでも、まだ体の奥底は冷え切っているように感じる。
「部長〜どうかしたん? さっきから様子おかしくないか?」
天井の方から白い湯気に紛れて心配そうな声が聞こえた。
「……そうかな? そんなことないと思うけど」
部長はバレないように平静を装って返した。少しだけ声が震えていたかもしれない。
あれから、三人で駅前をぶらぶら歩いたり、気になったお店にふらっと入ったりと気ままに放課後を過ごした。でも正直な所あまり覚えていない。どうしても小鳩とあの女の子の姿が頭をちらついてしまうのだ。茉莉絵と別れてからも、家に帰ってからもずっと。あの二人が頭から離れないのだ。
そのせいか、夕食もあまり喉を通らず両親に心配された。本当の両親ではないNPCとはいえ、あんな顔をさせてしまい少し胸が痛い。一体どうしてしまったのだろう。
不意に、天井のほうを漂っていたキィが突然部長の顔の前でぴたりと動きを止める。その顔は怒っているように見えた。
「嘘ついてもダメだからな! 部長とキィは一心同体。だから、なんとなく分かるのだ。なんか部長がもやもやしてるの」
キィには全てお見通しのようだ。それも仕方ない。部長とキィは一心同体なのだ。多少なり、部長の言葉にできないもやもやしたものがキィにも伝わっているのだろう。
「どうしちゃったんだろうね、私……」
「……と言われてもキィ、ニンゲンの心分からんからな〜。でも、一緒に悩んで考えることはできるぞ! それくらいならキィにだってできる! だから、話したくなったら話してくれればいい」
「キィ……ありがとう」
元気いっぱいのニコニコとした笑顔を見たら少し心が和らいだ気がした。
今自分の胸の中にあるこの気持ちは、現実世界にいたときは感じたことのないものだった。これは一体なんなのだろうか。温かい湯に身を預け、部長は一人考えるのだった。
***
機械的な扉の開く音。到着を告げるアナウンス。慌ただしく駆けていく人々。部長もそれに続いて電車から降りて駆け出す。
「キィ、何回も起こしたからな!」
「ご、ごめん……」
なぜキィが怒っているのかというと、今朝部長が寝坊したからである。昨夜、駅前での小鳩たちのことを考えながら入浴していたら、すっかりのぼせてしまったのだ。慌てて風呂から出れば、いつの間にかいつもの就寝時間もとっくに過ぎていた。多分そのせいだろう。今朝は目覚ましの音に気付かず寝坊してしまったのだ。目覚ましの音で先に起きたキィが何回も声を掛け、おかげで起きることができた。そして、今に至る。
正直なところ、ここは現実の世界ではないので遅刻しようがしまいが、なんだったら休んだって何の影響もない。だから、別に気にしなくても良いのだろうが、部長の場合一つ問題があった。それは
「部長くん、二分遅刻ですよ」
入口の前で仁王立ちしているこの人、風紀委員であり帰宅部員でもある釣巻鐘太。もしかしたら、今日のチェックは茉莉絵がしているかもしれないと一縷の望みを賭けたがやはり違ったようだ。見逃してもらえそうにない。
「す、すみません……」
「珍しいですね。何かあったんですか?」
部長が覚えている限り、遅刻をしたのはあの夢を見た次の日だけであの日は茉莉絵が立っていた。だから鐘太が驚くのもおかしくはない。
「いや、普通に寝坊ですね……」
「夜ふかしでもしたんですか? 全く、学生たるもの早寝早起きは大切ですよ。気をつけてください。さて、部長くんだからと言って手は抜きませんよ。名前を書かせてもらいますからね」
鐘太は手に持ったバインダーにペンを走らせていく。ちらりと覗くとしっかりと名前が書かれていた。
「明日からは気をつけるように。そろそろ予鈴も鳴りますから、授業に遅れないように」
「はい」
「では、また放課後会いま……」
「ゴン太〜、来てやったぞ〜……ってブッチョ遅刻⁉ 珍しいじゃん⁉」
鐘太の言葉を遮るように声を掛けてきたのは渦中の人物である小鳩だった。部長は反射的に顔を逸らした。
「風祭、遅刻ですよ‼ あとその名前の呼び方もやめてください‼」
「んだよ、お前が来いって言うから来てやったのに。つか、ブッチョどしたん?」
「えっ⁉」
まさかここで会うことになるとは思わなかった。小鳩はよく授業をサボっていることが多い。なので会うとしてもせめて放課後、帰宅部の集まりぐらいだろうと高を括っていたのだ。それが、まさか小鳩が朝からちゃんと学園に来ているなんて。
「なんかあった? オレ話聞くよ? もしかして体調悪いとか? 保健室とか行く?」
「コバト、下心が丸見えだぞ」
小鳩の言葉にキィが呆れたように言い放った。隣にいる鐘太もキィに同調するように深くため息をつく。ただ一人、部長だけが焦っていた。ぐるぐると頭の中で昨日のことがフラッシュバックしている。どう接していいのか分からなかった。
「ブッチョ、ほんとに大丈夫か?」
部長より少し背の高い小鳩がしゃがんで顔を覗き込もうとする。今、自分がどういう顔をしているのか分からない。見られたくない、そう思った。
「だ、大丈夫です! もう予鈴鳴るので行きますね!」
顔を逸らしたまま返事をし、二階へと続く階段の方へと体を向ける。そのままそちらに向かって走り出した。
「うぉ、部長⁉ おいてかないで~‼」
キィの慌てる声が聞こえたがお構いなしだ。早くこの場所からただ離れたかった。
「部長くん、廊下を走ってはいけませんよ‼」
鐘太の大きな声が聞こえたが、心の中で謝りながら聞こえないフリをして走り去った。
***
階段を一つ飛ばしで駆け上がり、なんとか予鈴がなる前に教室にたどり着くことができた。途中で先生たちに会わなくて良かったと安堵する。
教室のドアを開けると当たり前だがほぼクラスの全員が揃っていた。そのせいで、一斉に注目を浴びてしまう。思っていた以上に恥ずかしいものである。息を整えながら自分の席へと向かった。途中で黄色い帽子を被った少年、能登吟に声を掛けられた。
「部長遅かったな。また、体調でも悪いのかと思ったよ」
「ご、ごめん……。ちょっと寝坊しちゃってさ……」
「珍しいな。何かあったの?」
「う〜ん、まぁ、ね……」
どう答えるのが正しいか分からなかったが、吟に嘘をついてもすぐバレそうなのでとりあえず肯定だけしておく。
「……そっか。でも良かったよ、間に合って。あ、茉莉絵ちゃんもすごく心配してたからあとでちゃんと話しなよ」
「うん、分かった」
不用意に踏み込んでは来ない吟に安心感を覚える。
ちらり、と茉莉絵の方を見れば吟の言っていた通り、心配そうな顔をしてこちらを見ていた。茉莉絵のことだ、もしかしたら昨日自分の様子がおかしかったことくらい気づいていてもおかしくない。あとでちゃんと謝っておこうと心に決めた。そんなことを考えているうちに、ドアが開き先生が入ってきた。
「ほら、みんな席に着けー。出席取るぞー」
自分の席に座り一息つく。朝からとても疲れてしまった。小鳩にさえ会わなければこんなに疲れることはなかったのだと思うが仕方ない。同じ学校に通っている限りどこかしらで会うことはあるだろう。
だから、なるべくこのことについては早く解決せねばならない。そうは思うのだが一体どうすれば良いのか分からなかった。せめて授業を受けている間は昨日のことを忘れられると良いのだが。
***
そんな簡単に忘れられるわけがなかった。部長は甘い考えだったと反省する。ふとした時に思い出しては授業に集中することができなかった。そのせいで先生に当てられたときはひやひやした。
「部長、大丈夫ですか?」
休憩時間に入ると、真っ先に茉莉絵が話しかけてきた。先程の表情と変わらず心配そうな顔をしている。
「ごめん。心配かけちゃって。でも、大丈夫! ただの寝坊だから」
「……本当ですか? 昨日の別れ際から様子がおかしかったように感じていたんですが……」
やはり鋭い。茉莉絵にも誤魔化せないようだ。
「茉莉絵は鋭いね」
「部長、たまには頼ってくださいよ。ね、能登くん」
「そうだよ。僕たちだって力になりたいよ」
いつの間にか近くに来ていた吟も頷く。部長の中に隠れていたキィがひょっこりと顔を出した。
「だ、そうだぞ部長! キィもおんなじ気持ちだ!」
改めて、周りの人たちに恵まれているのだなと部長は感じた。たとえ仮想の世界であろうと人の優しさを感じ胸がいっぱいになる。
「……ありがとう、三人とも。でも、長くなりそうだし、お昼休みとかでもいいかな?」
「もちろん。でも本当に嫌だったら言わなくてもいいから」
「ありがとう。でも、今のままじゃみんなに迷惑かけちゃうだろうし話すよ。もしかしたらその方がすっきりするかもしれないしね」
一人で分からないのだったら、周りの人に頼る。それが今の自分にとって一番良い気がした。人に頼られることは多くあるが、人を頼るという行為は中々したことがなかったかもしれない。でも、今部長の周りには頼れる仲間がたくさんいる。そのことをとても嬉しく感じた。
***
昼休み。屋上には心地よい風が吹いていた。お弁当を食べたり、おしゃべりに勤しんだり、思い思いに生徒たちが過ごしている。
空いているベンチに腰掛け、各々膝の上にお弁当の包みを広げた。
「私、サンドイッチを作ってきたんですけど三人ともいかがですか?」
「わーい! 食べる食べる!」
茉莉絵の言葉に真っ先にキィが飛びついた。じゃあ、と部長と吟も一つずつサンドイッチをもらう。まるで、遠足みたいだ。談笑を交えながら四人で昼食を食べる。
「……で、話なんだけど」
改まって話す、となると妙に緊張してきた。でも、話すと決めたのだ。腹を括る。
「昨日のことなんだけど……」
部長は昨日あった出来事をぽつぽつと話し始めた。茉莉絵とキィとクレープを食べに行ったこと。途中で小鳩を見かけたこと。小鳩と女の子が手を握っていたこと。なぜかそれを見てもやもやしてしまったこと。部長は感じたこと全てを話した。三人は真剣そうな面差しで部長の話を聞いていた。話し終えた後、一番最初に口を開いたのは吟だった。
「……小鳩さんのナンパ、成功することあるんだ」
「それな! キィもびっくりしたぞ!」
皆思うことは同じである。そんな中、茉莉絵がおもむろに手を挙げる。
「……あの、私思い当たることがあるんですが」
「本当? 聞かせてもらってもいい?」
「いや、でもこれは言っていいのか……」
「私は心の準備できてるから。なんでもどんとこいだよ」
もうとっくに覚悟は決まっているのだ。このもやもやした気持ちが晴れるのならば何を言われても問題ではない。では、と茉莉絵がこほんと咳払いをする。一瞬、辺りが静まったように感じた。茉莉絵が真剣な表情で口を開く。
「……それって恋ではないですか?」
「こい?」
「コイ?」
部長とキィが同時に声を上げた。思ってもみない言葉だったせいか、よく呑み込めていない。キィはそもそもよく分かっていないのか首を捻って考えている。吟はあぁと納得したように声を上げた。
「恋愛のやつね。確かに言われるとそれっぽいな」
――こい、コイ、恋。私が?
「……あれか! #QPみたいなやつか!」
「まぁ、簡単に言うとそうかな」
楽士である#QPは恋愛をテーマにした曲を作っていて若い女の子たちにすごく人気がある。#QPの曲を頭の中で何曲か思い浮かべたが、あのような状態に陥っているということなのだろうか。いまいちピンとこない。
「でも、マリエはなんでそう思ったんだ?」
「私、よく恋愛小説を読んだりするんですが、その小説のヒロインが恋をするとそのような感情を抱いていることがあるんですよ。だから、もしかしたら部長もそうなのかなって」
「なるほど。で、部長はどうなんだ?」
「どうって言われても……」
「嫌だったら言わなくていいんだけど、ちなみに現実世界では恋とかしたことある?」
吟にそう問われ、現実世界でのことを思い出す。思い当たる節は
「……ない」
「じゃあ、これが初恋ですね」
と言われてもなんだか実感が湧かないでいた。この感情が恋、恋愛感情だとして、自分は小鳩の一体どこが好きなのだろう。小鳩のことはチャラいけど根はすごく良い人だと思っているし、帰宅部内での活動でもとてもお世話になっている。今朝のことだって心配して声をかけてくれたのだろう。それ以外に何か特別なことがあったかと言われると正直分からない。一人唸っていると、見かねた茉莉絵が声をかけてくれた。
「きっかけなんて人それぞれですよ。些細なことがきっかけで恋に落ちたりするんですから。……って全部小説の知識なんですけどね」
「そうそう。そんなに気負わないで、きっとどこかでそう想う何かがあったんだな~って思うくらいにしときなよ。そうでもしないと部長またなんかやらかしそうだし」
「それはごもっともです……」
絶対にまた何かやらかすだろう。そこに関しては自信がある。
「小鳩さんがいい人なのは僕たちも知ってることだし、部長のこと応援するよ」
「そうですよ、部長。何かあればいつでも相談してくださいね」
「キィも力になるぞ!」
「……うん、ありがとう」
三人には本当に感謝してもしきれない。
「さて、そろそろチャイムが鳴りますし戻りましょうか」
「そうだね。午後の授業も頑張ろうぜ」
「オー!」
***
あれから、今日は帰宅部の集まりは無しにしようと決まり、WIREで伝えればみんなも了承してくれた。今のままでは小鳩と会うのは気まずいだろうからと吟が提案してくれたのだ。今の感じだと会っても朝の二の舞になるのが目に浮かぶ。劉都には何か言われるかもしれないと思ったが、たまには休息も必要だろと返事が返ってきたのでホッと胸を撫で下ろした。
昨日よりは少しもやもやしたものが晴れたおかげか、ご飯もしっかり食べれてお風呂も長時間入ることなくのぼせることはなかった。今日は早めにベッドに入り就寝。これで明日は寝坊しないだろうと思ったのだが。
「部長、寝れないのか?」
「……う、うん。なんか寝れなくて」
お腹の辺りからキィがひょこっと顔を出した。その顔には大丈夫かと書いてあるようだ。
「よっ、と……」
部長の体から飛び出せば、布団の中に潜り込んできた。一人用のベッドのせいでぎゅうぎゅうになってしまう。
「キィ狭いよ」
「あははっ! たまにはいいだろ!」
キィなりに部長を元気づけようとしているのだろう。なんだか申し訳なくなってきてしまった。
「……キィ、ごめんね。私のせいでいろいろ迷惑かけてるよね」
そう伝えれば、目の前の顔はきょとんと目を丸くした。
「何言ってるんだ部長! 全然迷惑なんかじゃないぞ! むしろニンゲンのこといっぱい知れて嬉しい!」
そう言ってキィはニコニコと笑った。その顔を見て胸を撫で下ろす。
「でも、まさか部長がコバトのことが好きとは……」
「ね、びっくりだよね」
「それ本人が言うやつか?」
目を見合わせて二人で笑い合う。
「……小鳩先輩のこと最初の頃はなんだかチャラい人だな〜とか思ってたけど、一緒に過ごしているうちにこの人本当は良い人なんだなって。いつも言いたいこと正直に言ってくれるし、帰宅部の活動でもいっぱい助けられてるなぁって思うの。……なんだろ、アニメとかで出てくるヒーローみたいな? そういう風に先輩のこと思ってるのかも。小鳩先輩に出会えて良かったって思うよ」
黙って聞いていたキィが口を開いた。
「それが、好きって感情じゃないのか?」
その言葉に息を飲み込む。なぜか今は好きという感情がすごく体に馴染んだ気がした。
「……そう、なのかな。これが好き、なのかも」
目を閉じて、頭の中で好きという言葉を反芻する。現実世界では感じたことのない感情。胸の奥が熱くなって溶けてしまいそうな感覚。トク、トクと心臓の音がいつもより大きく感じられる。
「部長、顔真っ赤だぞ」
「えっ⁉」
慌てて頬に手を当てれば、手のひら越しに熱が伝わってくる。恥ずかしい。キィがうれしそうに笑いながら頬に当てた私の手に手を重ねた。
「これが、恋なんだな。キィ覚えたぞ」
「……うん。これが恋なんだね」
「部長が幸せになってくれたらうれしい」
「ありがとう、キィ」
安心したからかなんだか眠くなってきた。キィの瞳もとろんとしている。今日はよく眠れそうだ。柔らかな熱に微睡みながらゆっくりと目を閉じた。
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