あとがき


本当に不可解なおとぎ話を閲覧して頂きありがとうございました。

本作品を書き始めた事で、おとぎ話の原作に触れる機会もあり、我々がよく知るおとぎ話は原作からかなり姿を変えているという事実に驚きました。

実はおとぎ話のほとんどが原作を辿ると、現在のストーリーよりもかなり現実的なストーリーだったのです。

本おとのコメントにも、原作に関する指摘をいくつか頂いたので、おとぎ話の原作は現実的というのはある程度周知の事実と言ってもいいのかなと思います。

ただ、その事実を知った皆様はその現実的な原作を素直に受け入れることができたでしょうか?
現在語り継がれているストーリーをよく知る我々には、原作のストーリーはで少々物足りないという感想がほとんどではないでしょうか?

現在語り継がれているストーリーと原作とを比べて、原作の方が良いという人はほとんどいないと思います。
中には原作至上主義の方もおられると思いますが、その方々も「それが原作なら仕方がない」と無理やり納得しているパターンがほとんどだと思います。

ある日突然原作を突き付けられ、子供の頃から慣れしたしんだ現在のストーリーが間違いだったと聞かされても、今さら心に染み込んだストーリーを書き換える気は無いというのが多くの人々の本音ではないでしょうか?
そもそも現実的なおとぎ話になんの意味があるんだろうか?
非現実的なおとぎ話で何が悪いの?って感想を持った方がほとんどだと思います。

誰もがこのおとぎ話の原作について「そういう解釈もあるんだ」とパラレルワールドの一部のようなモノと解釈しているように思います。
現に近年ハリウッドなどで映画化されたおとぎ話は、原作など存在しないかのごとく、我々がよく知る非現実的なおとぎ話の方を当たり前のように採用する形で作られています。

僕はこれこそがおとぎ話の本質であると考えます。

長い歴史を語り継がれている中で、時代的な背景や解釈により、ディテールを様々な形に変化して来たおとぎ話は、もはや原作者一人だけによって完成された作品ではありません。

というか完成などなされていないと思います。

おとぎ話は、我々語り継ぐ読者達の想像力によって、今この瞬間も生きて進化し続けている訳です。

おそらく遥か未来には、我々のよく知るおとぎ話もさらに違ったストーリーで読み継がれている事でしょう。

おとぎ話の原作が描かれた時代から見れば、我々が生きる現在は間違いなく未来であり、その時代の人達はまさかこの物語がこんな形で語り継がれているとは想像すらしていなかったと思います。

それはつまり我々が完成品と思って語り継いでいるおとぎ話は、まだ進化の途中にある未完成品であるということでもあるわけです。

これからも未来を生きるそれぞれの時代の人々の豊かな感性によって無限の進化を辿り、姿を変えながらも語り継がれ続けるおとぎ話こそが名作と呼ばれるのでしょう。


本来、靴になろうハズがないガラスを靴にするという奇抜すぎる発想…
現実世界では実現不可能な事こそがおとぎ話の真髄であり、まさしく語り継いだ人々の想像力が進化させたおとぎ話の代表例です。

だって現実世界で実現可能な事をファンタジーで描いたってしょうがないじゃないですか。
現実世界では決して味わえない事を描くからこそファンタジーなんですよ!

原作通りリスの革の靴のままで、シンデレラのストーリーが何百年も語り継がれるおとぎ話の名作になったとはとうてい思えない。
ガラスの靴というありえない設定にいつの間にか書き換えられ、多くの読者がソレを素敵だと判断した。
それが現実的であろうとなかろうと、単純に素敵な事の方を選べるのがファンタジーの世界なのです。

ならば今現在物語を語り継ぐ我々にとって、原作のリスの革よりガラスの靴は本流という事になると思うのです。

誰かが何かのキッカケでシンデレラのストーリーにガラスの靴という発想を付け足した時、そのファンタスティックな発想に無意識にとりつかれた人々が、それを物語の本流として進化させていったのでしょう。

もちろん僕もその方が好きです。
ハリウッドの最新の「シンデレラ」でガッチガチのガラスの靴を見た時、思わず「よっしゃ-!」とガッツポーズをしてしまいました!

「本当に不可解なおとぎ話」を執筆中、現実的につじつまが合わないおとぎ話のストーリーに出会った時に思うのは、その発想がどんなに荒唐無稽でも、現実ごときに屈する事なく、徹底的にファンタジーを追求した自由な発想であり、我々人間の想像力が現実を凌駕してきた奇跡の記録でもあるんだなと。

その想像力が荒唐無稽であればあるほど、より多くの人達がそのおとぎ話の進化に携わって複雑にして奇妙キテレツに進化してきたのだとよくわかります。

実現不可能だから却下なんて、まるで会社の会議みたいな物語なんてつまらんでしょう。

我々読者にとっておとぎ話の世界とは堅苦しい物理や倫理を忘れて自由気ままに遊べる場所でもあるのです。

そして忘れてはいけない、おとぎ話の登場人物達。

我々読者は勝手気ままにファンタジーを思い描きますが、おとぎ話の中で躍動する彼女、彼らが我々のムチャ振りに精一杯答えてくれているからこそ、我々は自由な発想でおとぎ話を楽しめるんです。

僕ならきっと「出来る訳ねえだろ!」とブチギレるような発想にも、おとぎ話の登場人物達は文句一つ言わず、物語を成立させるため、皆さんの夢を叶えるため全力で立ち向かってくれているのです。

「本当に不可解なおとぎ話」を通して解って頂きたかったのは、我々が自由な発想でおとぎ話を楽しめるその背景には、我々の夢を叶える為の、おとぎ話の登場人物達の涙ぐましい努力が有ること忘れてはならないということです。

何はともあれ、おとぎ話は今後も我々読者の夢がある限り、決して衰退することはないと断言いたします。


おとぎ話の未来の姿がどんな物語になっているのか、残念ながらそれは誰にも解りません。

しかし、私達が先人達の奇抜な発想を受け入れたように、未来を生きる人々もきっと私達の発想を受け入れて語り継ぎ、新たな発想を取り入れながら進化させていくのだと思います。

今を生きる私達には想像すらできない未来の人々の発想と登場人物達の飽くなき努力によって、これからもおとぎ話は未来へと向かって完成する事は無い無限の進化を辿る事でしょう。
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