蜘蛛の糸


子供の頃、近所のお寺で地獄絵図を見せてもらったが、その恐ろしさは子供には刺激的だった。
落とされた罪人達は炎に焼かれたり、針の山を登らされたり、身体を切り刻まれたり、血の池に沈められたり…
しかもソコは死後の世界。
死によって逃れる事の出来ない罰は永遠に続くのだ。

もし自分が地獄に落とされ、罰を受けていたところに、一筋の蜘蛛の糸が降りてきたなら、「もしかしたら脱出できるかもしれない」と藁にもすがる思いでそれを掴んでしまうであろう。

明治の文豪、芥川龍之介の小説として知られる「蜘蛛の糸」は、そんな地獄に落とされた主人公カンダタの目の前に降りてきた一筋の蜘蛛の糸を巡る物語である。

生前、悪の限りを尽くしてきたならず者のカンダタは死後、案の定地獄へ堕ちた。
地獄の血の池で溺れていたカンダタは縦に伸びる一筋の細い糸を見つけた。
この糸は極楽の御釈迦様が、手に持った一匹の蜘蛛が垂らしていた糸だった。
それは生前の事。ならず者のカンダタは一匹の蜘蛛を助けた。
まぁ助けたといっても踏み潰そうとしていたのを思いとどまった程度の事だが、一連の流れを知っていた御釈迦様は、カンダタに一度だけチャンスを与えようと、助けられた蜘蛛に地獄へと糸を垂らさせたのだった。

カンダタは糸を見つけると、藁にもすがる思いで糸を掴み、「この糸は極楽へと繋がっているに違いない」と登っていくのだった。
地獄を抜け出し極楽まであと少しと迫った時、カンダタがふと下を見ると目に映ったのは、自分の後に続き蜘蛛の糸を這い上がる何千、何万人もの罪人達だった。

蜘蛛の糸に大勢の人間がぶら下がって大丈夫なのだろうか?

実はクモの糸は非常に耐久性が高い素材として工業界から注目されている。
もしクモの糸が鉛筆くらいの太さがあったら、マッハで飛行するジャンボジェット機を、その網で捕獲することも可能だと言われているのだ。

物語に出てきた蜘蛛の糸にはそんな太さは無かったと思われる。

昔読んだ本の挿し絵には、御釈迦様が極楽の蓮の池から片手に蜘蛛を乗せて、糸を垂らす様子が描かれていた。

蜘蛛は目測でも御釈迦様の手のひら程の大きさだった。
御釈迦様を一般的な日本人の体格と仮定した場合、この蜘蛛はタランチュラ並みの巨体だったと推測できる。
もちろん、蜘蛛が大きいからといって糸まで太くなるわけではない。

だいいち、カンダタは血の池で糸を発見した時から、蜘蛛本体を確認したわけでもないのに、それが蜘蛛の糸であると認識していたのだ。
もしも鉛筆ほどの太さがあったら、おそらく蜘蛛の糸とは思うまい。
無学なカンダタでも蜘蛛の糸だと解ったということは、パッと見て常識的にすぐ蜘蛛の糸と解る構造、すなわち普通の蜘蛛の糸の太さだったとということだ。

まぁ極楽で御釈迦様に信頼されている程の蜘蛛だから、我々がよく知る一般的な蜘蛛とはわけが違うのだろう。

私が疑問に感じたのはそこではない。


問題なのは次のシーン。
カンダタは次々に這い上がってくる罪人達を見て、このままでは蜘蛛の糸が切れてしまうと思い「こら!罪人ども降りろ!これは俺の糸だ!」と叫んだ。
するとそれまで何事も無かった蜘蛛の糸はプツリと切れてカンダタは罪人達もろとも地獄の血の池へまっ逆さまに堕ちていったのだった…

糸を切ったのがお釈迦様なのか蜘蛛自身なのかは解らないが、カンダタの一言がキーワードとなって切れた事は明白である。
お釈迦様はカンダタに最後のチャンスを与えたのに、カンダタは自分が助かりたい一心で蜘蛛の糸を独占しようとした。
カンダタは自らの浅ましさによって改めて地獄に落とされたのである。

カンダタの身勝手な一言がお釈迦様の好意をふいにしてしまったのである。

が、もしカンダタがこのセリフを言わなかったら、御釈迦様はどうするつもりだったのだろうか?
カンダタはいい。そもそもカンダタを地獄から助け出してやろうとしていたのだから。
カンダタの後に続いて這い上がってきた罪人も全員極楽で受け入れたのだろうか?

本文中に「何千、何万人もの罪人達」と表記されているから、カンダタの後に続く罪人達は尋常な数ではない。

カンダタは生前、僅かながらも善い事をして、御釈迦様もそれを知っていたからチャンスを与えたのである。

しかもカンダタの後に続く罪人達は、その時たまたまカンダタのそばに居た罪人達である。
つまり全くの無差別なのだ。

正当な裁きによって地獄に落とされた他の罪人まで無差別に助け出していたら、閻魔大王の仕事にケチを付けていることになるのではないだろうか?

このままでは、何千、何万の罪人がカンダタと共に極楽へ来てしまう。

おそらく御釈迦様はカンダタの後に続く大勢の罪人は想定外だったのではないだろうか?

飲み屋で後輩にバッタリ会って、勢いで「奢ってやる」と言ったら、後輩はそいつだけじゃなかったってパターンだ!
言った手前後には退けず、誰かが「奢ってもらうなんて申し訳ないっスよ」と言い出すのをただ待つように、御釈迦様もカンダタがボロを出すのを冷や汗モノで待っていたのでは?

あるいは、御釈迦様は最初から不特定多数の罪人を助け出してあげるつもりだったのかもしれない。
カンダタがそうであったように、蜘蛛を助けた程度の善行なら、どんな悪党でも人生で一つくらいはあるだろう。
そう考えるとカンダタの後に続くその他大勢も助け出されるに価するかも。

しかし、だとしたらその他大勢の罪人達は気の毒すぎる。
先頭を行くカンダタの一言でまた地獄に逆戻りなんて…


とにもかくにもカンダタは自分勝手な言葉で、御釈迦様からせっかく頂いたチャンスをふいにしてしまった。

御釈迦様自身はそんなカンダタの浅ましさに悲しい顔をしていたというが、内心ホッとしていたのかもしれない。
登って来た罪人全員を地獄に送り返す大義名分をカンダタ自身が作ってくれた訳だ。


それにしても、何千、何万人もの罪人が蜘蛛の糸を登っている時、地獄の番人たる鬼達は何をしていたのだろう?
物語の都合上、鬼の存在は無視する形で進行していたが、地獄には罪人を監視し脱獄を阻止するために鬼がいるのだ。

彼らはいわば刑務所の看守である。
罪人達を地獄から出さない事が彼らの存在意義なハズだ。
芥川の小説にもこのくだりに鬼が全く登場しないが、なぜだろう?

誰も気付いていなかったのか?
あるいはあまりにも脱走者の人数が多すぎて手に負えないと黙って見ていたんだろうか?

誰も気付いていなかったならマヌケ過ぎるし、黙って見ていたなら地獄の警備は脆弱すぎる。

そんなマヌケな鬼しかいない地獄なら、何千、何万人の罪人が決起すれば、簡単に制圧できそうな気がする。
罪人達はもう何をされても死なないんだし…

地獄の罪人達は死んでそこに居るわけだから、それ以上は死ねない。
つまり、地獄の罰は死によって逃れる事ができないから永久に続くのだ。
それが地獄の恐ろしさなのだが、逆にいえば死なないのなら何も恐れることはないハズだ。

そもそも死なない人間をどうやって服従させているのだろう?
少なくとも「殺すぞ」という脅しは、すでに死んでいる罪人達には通用しない。
「痛い目にあわせるぞ」と脅しても、従ったところで結局痛い目にあわせるわけだから意味がない。

もはや堕ちるところまで堕ち、失う物など何も無い究極の無敵な人となった根っからの無法者達が、なぜ素直に刑罰に服しているのか不思議である。

かつてルーマニアの独裁者チャウシェスク政権を倒した勇気ある一言のように、誰もが抗えないと思っていた相手も、行動を起こせば多くの同士が後に続くかも知れない。

何千、何万の罪人が蜘蛛の糸を登っているのを鬼達が手をこまねいて見ていたという事は、数でも罪人達が圧倒しており、徒党を組んだ罪人達にはなすすべが無いということを物語っている。

何万人もいるなら一人や二人は、「血の池に入れ」と鬼に言われて「うるせー!」と反抗する奴がいてもよさそうな気がする。
多分、鬼達はそう言われても罪人には決められた罰以上の事は何もできない。
ダメ元で反抗してみてもそれほどリスクは無いのだ。


カンダタが極楽へ行く希望は完全に絶たれてしまった。

しかし、カンダタには何千、何万の同志がいることが解って良かったではないか!

何千、何万の同志達とクーデターでも起こせば、案外地獄も住み良い所になるかもしれない。

まぁあんな事を言ったカンダタを皆が信頼してくれるかどうかは解らんが…

【注釈】
↓[芥川龍之介]
「羅生門」「地獄変」など知られる明治の文豪。
意外にも作品のほとんどが短編小説である。
35歳の若さで服毒自殺をした。

↓[タランチュラ]
蛛形綱クモ目オオツチグモ科に属するオオツチグモ類の通称。
その名のとおり土中に巣を作る習性があり、獰猛でネズミなど小型哺乳類も捕食する。
最大種は南米に生息するルブロンオオツチグモで脚を広げると25cmになる。
猛毒のイメージだが、実は毒はたいしたことはなく、タランチュラに咬まれて死んだ例は世界に一例も無い。

↓[蜘蛛本体を確認したわけでも…]
蜘蛛は御釈迦様の手のひらにいて、糸を垂らしていた。
通常、クモはそのような糸の出し方はしない。
クモが糸を出す時は、出発点に糸を固定して、そこから糸を張りたい方向に自分の体ごと移動しながら糸を出していく。

↓[無学なカンダタ]
これは偏見である。
カンダタがどのようなタイプの悪人だったかは物語の中で具体的に描写されていないので、挿し絵に描かれたカンダタの風貌から判断してしまった。
まぁどう言い訳しようと偏見は偏見です。

↓[閻魔大王]
東洋の宗教で伝えられる地獄の支配者。
仏教よりも古くから言い伝えられ、ヒンドゥー教が起源とされる。
地蔵菩薩(いわゆるお地蔵様)は閻魔大王の仮の姿と言われている。

↓[何をされても死なない]
もっとも鬼も死なないのかも知れない。
死なない者同士の戦いはどうやっても決着がつかない。
地獄の罪人と鬼の戦いは、カオスな戦いになる事は間違いない。
どちらかが「面倒くせぇもうええわ!」と言わない限り続く戦いだ。

↓[勇気ある一言]
1989年12月に起きたルーマニア革命。
国民を飢餓に苦しめ自らは贅の限りを尽くし、逆らう者達を次々と処刑してきた独裁者チャウシェスク大統領。
彼の演説中、強制的に集められた10万人もの群衆から発せられた、たった一人の「お前は人殺しだ!」の声に一人二人と次々に賛同する声が上がり、ついに10万人のシュプレヒコールに変わり、暴動へと発展していった。
チャウシェスクは将軍に群衆を銃撃するよう命じたが、将軍が命令を拒否して拳銃自殺。
軍が民衆側に付くと表明したことにより大統領は亡命をはかる。
亡命直前に逮捕され大統領と夫人は即日処刑。
24年間に渡りルーマニアに君臨し続けたチャウシェスク政権は呆気なく倒された。
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