本当に不可解なおとぎ話


「九頭竜伝説」という神話をご存知だろうか?
今回のタイトルにも使ったヤマトタケルノミコトが主人になっている古事記や日本書紀に登場する九つの頭を持った大蛇の事である。

それって「やまたのおろち」じゃないの?と思う方も多いだろう。
実は私もやまたのおろちのつもりで書き始めたのだが、解らない事が有って調べてみたら、どうやら違うらしい。
日本の神話や昔話にはその手の話は多数有るようだ。

生物学的には、やまたのおろちは八つの頭の大蛇なので、九頭竜との違いはタコとイカの違いくらいに思っていいだろう。

物語的には「やまたのおろち」という話はスサノオノミコトが主人公の一つの物語だが、九頭竜伝説は日本各地に数々の神話が伝わっており、ヤマトタケルノミコトが主人公の話はその中の一つなのである。


マイナーな話ゆえ、簡単にあらすじを書いておこう。

その昔、近くに住む山のように大きく九つの頭を持った恐ろしい大蛇に苦しめられている村があった。
毎年、戸口に白羽の矢が立った家の娘を、大蛇に生け贄として捧げなければならない。
いろんな事をすっ飛ばして、ここからヤマトタケルノミコトが登場して、大蛇を退治するという展開になるのだが、そっちの話はどうでもいいので省略しよう。

取り上げたいのは、冒頭の生け贄の差し出しを命じる白羽の矢である。

大蛇はどうやって矢を放ったのだろうか?

矢とは、言うまでもなく弓から放たれる飛び道具であり、矢を飛ばす為の弓がなければ、武具として成立しない。
つまり、矢が刺さっていたという事は、弓によって射られたという事が想像できる訳だ。


弓矢の起源は定かではないが、まだ文明が未発達だった原始の頃より人類と深く関わって来たとされている。

まだ物理学の「ぶ」の字も無い時代に、テコの原理を利用して、人間が投げる槍よりも正確に、遠く離れた標的を射抜く武器として登場し、現在に至るまでその形体も原理もほとんど変わってはいない。

原始の人々があみだした極めて合理的な文明の利器と言えよう。

ただし、それはあくまで人間が使う場合…
問題は、弓矢とは人が使う目的で開発された武具であり、ヘビが使う事まで想定して設計されてはいないという事である。


まず本題に入る前に、弓矢について説明しておこう。

湾曲した弓身の両端に弦を張り、片腕で標的に向けて弓身の中央部のやや下部に有る弓幹を持つ。
矢を弦に引っ掛けた状態で、弦と共に標的と反対方向に矢羽を指で摘まんで引くと弓身がしなる。
目一杯弓身をしならせてから弦を放す事で、弓身が元に戻る弾性によって、弦に弾かれた矢が標的に向かって飛んでいくのである。
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人間には2本の腕と双方に5本ずつの指が有るので、上手い下手の個人差は有るものの誰でも容易に弓を扱う事ができるが、手足の無い蛇にはほぼ不可能な事である。

日本の昔話には白羽の矢が登場する話は意外に多く、「猿神退治」でも猿神がやはり生け贄を差し出すように使っている。
まぁ指が人間並に器用に動く霊長類のサルならまだ話はわかるが、ヘビにはいくらなんでも無理だろう?


しかし、それは並のヘビの話!
九頭竜には九つの頭が有る訳だから、二つの頭が腕の代わりをすれば済む話である。
それならむしろ九つも腕が有るようなモノだから器用に使えるのでは?
一つの頭が弓身を持つ係になり、一つの頭が弦と矢を引く係になればいいのだ。
…と、話はそう単純ではない!

九頭竜が山のような巨体である事を忘れてはならない。
人間が弓身を持つ場合も、弓身のどこを持ってもいい訳ではない。
弓のしなりの邪魔にならないように、また弓から放たれた矢がまっすぐ標的に向かって飛んでいくように弓身の中央よりやや下部の弓幹という箇所を持たなければならない。

弓幹は弓身の重心にあたる部分である。
弓幹を安定させる事により、弓身はバランスを保ち、矢の軌道を安定させるのである。

弓は弓身全体がしなる事でより強い弾性を生み出すが、それには弓身の弓幹以外の箇所全体がバランスよくしなる必要が有る。
弓身のしなりのバランスが崩れると矢の軌道が安定しないのだ。
従って弓矢を射る際には、弓幹以外の箇所は持ってはならないのである。
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これは九頭竜が山のように大きくなくても、現存するヘビ亜目の最大種のアミメニシキヘビくらいのサイズだったとしても困難な作業だ。
人間が米粒に文字を書くが如く細かい作業である。

弓を大きくすればいいという問題でもない。
矢が飛んでいく勢いには、弓身のしなりが重要である。
弓が大きくなりすぎると矢を飛ばす為に充分なしなりが作り出せず、矢の長さに対して弓が大きくなればなるほど、威力はそれに反比例して小さくなってしまう。
従って、矢の長さによって弓の長さの上限は定められてしまう。


しかも、弓身を持つ係の頭は、弓の後方から持つ訳にはいかない。
その状態では、弾かれた弦の邪魔になってしまうからである。

弓身を持つ係の頭は、前方から首を回し、弓幹からはハミ出さないように弓幹を持ち、さらに発射された矢の軌道の邪魔をしないようにやや斜め下から持たなければならない。

弦と矢羽を引く係の頭も大胆にパクっとくわえて引っ張っていい訳ではない。
弓矢の弦を引くという行為は、弦を直接持って引いているのではなく、矢羽だけを摘まんで引いており、矢羽を放すだけで矢を飛ばしているのだ。

つまり、引く係の頭は口先で弦には触れないように、5cmにも満たない矢羽だけをくわえて引かねばならない。
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…なんだか書いているコッチまで顔の筋肉がこむら返りを起こしそうな話だが、九頭竜が矢を射るには他に方法が無い!!


そうまでして白羽の矢にこだわらなければならないのだろうか?
別に矢でなくても、刺さる刃物なら何でもいいのではないか?

例えは槍のような物でもいいし、錐や鐫でもいい!
それをくわえて戸口まで行ってトンと突いて来りゃ済む話である。


しかし、日本の昔話で白羽の矢が出てくる話は多数有るものの、時系列に添えば、この話が一番最初である。
つまり、この話が有ったから「白羽の矢」が有る訳で、コイツらにはどうにかしてでも白羽の矢を射ってもらわなければ、「白羽の矢が立つ」ということわざ自体存在しなかったかもしれないのだ。


まぁこれも生け贄を得る為だし、毎日やれと言われている訳ではなく、年に一回の事なのだ。

しかも九頭竜には九つも頭が有るのだ。
それぞれの頭が、持ち回りで担当すれば、弦を引く係と弓幹を持つ係が回って来るのは9年で2回。
4年に1.5回のペースで回って来るだけじゃないか!

それなら、そんなに苦にする事も無いだろう!
まぁ私からは大蛇達には頑張ってくれとしか言い様が無い。


【注釈】
↓[九頭竜伝説]
九頭竜は「くずりゅう」と読む。
最も有名なのは箱根九頭竜伝説で芦ノ湖に住む九頭竜の話らしい。
あの、ゴジラの最強のライバル、キングギドラのモデルとも言われている。

↓[スサノオノミコト]
須佐之男命と書く
「天の岩戸」のアマテラスオオミカミ(天照大御神)の弟にあたり、「因幡の白兎」で白兎を助けたオオクニヌシノミコト(大國主命)の父にあたる。

↓[ヤマトタケルノミコト]
日本武尊、または倭建命と書く
景行天皇の第二子にあたり、仲哀天皇の父にあたるが彼自身は天皇ではない。
なお、前述の天照大御神等を含め、この時代の天皇とはあくまで神話上の登場人物で、実在の人物ではない。

↓[ヘビ]
爬虫綱有鱗目ヘビ亜目の相称。
オオトカゲが土中生活に適応して進化したとされている。

↓[タコとイカ]
軟体動物門頭足綱蛸形亜綱の相称
一括りに頭足類と呼ばれている。
オウムガイなどから進化したとされている。
一般的にタコが足8本、イカが足10本と言われているが、イカの足も8本足であり、2本は触手である。

↓[猿神退治]
長野県駒ヶ根市では「早太郎」、静岡県磐田市では「しっぺい太郎」として伝わる、いずれも犬が悪い猿神を退治する昔話。

↓[アミメニシキヘビ]
爬虫綱有隣目ヘビ亜目ニシキヘビ科。
東南アジアに生息し、最大で10m以上の個体も確認されている。

↓[こむら返り]
筋肉が神経と無関係に硬直して起こる。
運動不足などが原因で、普段使わない筋肉を急に使うと起こりやすい。
ふくらはぎで起こりやすく、「足がつる」と俗に言われる。

↓[9年に2回]
ヘビは獲物を丸飲みにしかできない。
当然、生け贄もそうだろ。
という事は、生け贄を喰らう頭も一つだけなので、順番に喰ったとしても、生け贄を喰える順番が回って来るのは9年に1回だけ…
まぁどうせ同じ腹に収まる訳だから、どの頭が喰っても同じなんだが、味気無い話である。
ちなみに同じような事をやっているやまたのおろちの場合は、それぞれの一つの頭が喰えるのは8年に1回。
あまり変わり無いように思えるが、この生け贄が仮に300年の伝統ある行事だった場合、その300年中にそれぞれ一つの頭が喰える回数は、九頭竜が33.3回、やまたのおろちは37.5回と微妙な差が出てくる。
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