3つの里の大切な友だち

「今日も上手くいかなかったな…」

芝居小屋からの帰り道。
この頃やけに芝居に集中出来ず、途方に暮れる毎日が続いた。

でもだからって、いつまでも落ち込んでいる訳にはいかねぇよな…。

と、下げていた視線を上にやり、己を奮い立たせる。
すると、ふと桜の木が視界に入った。
ついこの間まであんなに可愛らしく咲いていた桜の花は、ほとんど散ってしまっていた。

もうそんな時期になるのか。
日頃から仕事や芝居に打ち込んでいると、どうも時が経つのが早く感じる。

「もうすぐ夏になるのか…」

ぼそり、とそう呟くと、麦わら帽子が特徴的な一人の人物が頭をよぎった。

そうか、"あいつ"と出会ってもうすぐ一年が経とうとしているのか━━━━。




出会いは夏の5日。

「初めまして、ナナミです」

真っ白な素肌に、鈴のように可愛らしい声。
目映い金色の髪。

そして……。

「これからよろしくお願いしますね、ヒナタさん!」

にこっと俺に向かって花のように微笑む彼女を見て、あまりの愛らしさに思わず息を呑んだ。

『可愛らしい都会育ちの女の子』

それがオレの第一印象。

話によると、牧場を営む為にこの里へやって来たとか。

電車やテレビ、携帯電話。
便利な物をあげればキリがないが、都会には利便のきく物が山程溢れている。
この里は、そんな環境とは真逆な世界。

こんなか弱い女の子が一人で牧場経営なんて力仕事、ちゃんと生計を立ててやっていけるのだろうか。
正直、最初は不安でしかなかった。

だけど彼女と接するようになって、だんだんわかってきたことがある。

作物や動物に対する想い、仕事への情熱。
そして何としてでも父親に認められたいという強い気持ち。

俺も立派な役者を目指している立場だ。
目標に向かって懸命に突き進むその姿には、かなり刺激を受けた。


……でも、それだけじゃない。


百物語のあった夜、怯えている姿を見て、守ってやりたいと思った。
仕事をしているところが格好良かったと言われた時は、ガキみたいに舞い上がっている自分がいて。
芝居練習に付き合ってもらった時、完全に自覚した。

ナナミのことが好きだと。

…いや、きっと最初からもう惚れていたのだろう。
視界に彼女が映ると自然に目が追ってしまうし、俺に微笑んでくれた時は本当に嬉しくて、今日も一日頑張ろうって気持ちになった。

そうして時が経てば経つ程、俺の中で彼女の存在はどんどん大きくなっていって。
それは終いには足音だけで「あいつだ」と認識出来るようになってしまった自分に、若干引くくらいまで達してしまった。

だけど一度惚れちまったもんは仕方がなくて。

声を聞くだけで、姿を見つけただけで、どうしようもなく触れたくて、抱き締めたくて。
そんな衝動に何度も駆られた。

けれどそんな俺の気持ちとは裏腹に、彼女は俺のことなど『一人のただの友だち』だとしか思っていない。
ずっと見てきたんだ。
それくらい、嫌でもわかった。

でも別にそれでも構わなかった。
オレは立派な役者に、ナナミは一人前の牧場主に。
オレもあいつも、互いに今は夢を叶える為に必死だ。

だから今オレの気持ちを告げて、ナナミにを困らせてしまうならば、ただの友達でも良いと思っていた。

けれどナナミはオレの想像を遥かに越える里の人気者だ。
きっと彼女を慕っている男は、オレ一人ではないだろう。

ウェインにフォード、ルデゥス…そして俺の一番の親友であるユヅキだって例外ではない。
皆ナナミを幸せに出来る、信頼のおける、いい奴らばかりだ。

その点オレときたら。
ウェインのようにハンサムでもなければ、フォードのように知的でもない。
ルデゥスみたいに頼りがいのある奴でもなければ、ユヅキのように穏やかで包容力のある男でもない。

ナナミがずっと笑顔でいられるなら、オレの大好きな笑顔がそこにあるのなら、相手は俺じゃなくてもいいんだ。
あいつが幸せでいられるなら、それで、いいんだ。
頭ではそう言い聞かせているのに。

「結局、オレに勝ち目なんて全くねぇんだよな…」

心の方が、言うことを聞いてくれない。

『ただの友だちでもいい』なんて嘘だ。
あいつを元気付けるのも、笑顔にする役目も、本当は、全部オレがいい。
他の奴らに、奪われたくない。

ナナミと出会う前までは、自分がこんなにも独占欲の強い男だとは思ってもみなかった。

最近は仕事や芝居稽古の時までも、そのことで頭がいっぱいで、集中なんて出来る訳もなく。
そのくせ芝居仲間の舞台の出演がどんとん決まっていって、どんどん俺の前を歩いていく姿を見てはいつも焦ってる。
こんなんじゃ、一人前の役者になるなんて夢のまた夢。

上手くいかない原因。
本当はわかってる。

━━━全て、自分に自信が持てないからだ。
そんな帰宅の最中に、はあ、と溜め息をつくと…。

「ヒーナタ!」

ひょこっとオレの後ろから現れたのは紛れもない、オレの想い人。

「なっ、ナナミ!?お前いつからそこにいたんだよ!?」
「今帰る途中なんだ。そしたらヒナタを見かけたから。芝居のお稽古お疲れ様。どうしたの?何か悩み事?仕事で何か辛いことでもあったの…?」

そう言って心配そうに見上げるナナミ。
自分も仕事で大変だっつうのに、オレの心配までしてくれて。
お人好しっつーか……本当優しいよな、お前って奴はさ。

「ははは…。別に大したことじゃないからさ。ありがとな、心配してくれて。……って帰る途中?今からか!?」
「うん!」
「うん、じゃねぇだろ!今何時だと思ってんだ!!」

現在21時25分。
女子供はとっくに家に帰っていて当然の時刻だ。
幸いこの里は不審者や物騒な輩を見ることなんて滅多にねぇけど、一人の女がこんな時間に出歩くなんて…物騒にもほどがあんだろ…!

「大丈夫だよ。この里に不審者とか見たことないし。ほら、それに私って牧場主だし!普通の男の人より力がある自信あるよ!」

「だから平気!」と言ってガッツポーズをするナナミ。
いやいやいや、そういう問題じゃねぇんだよ!!

「あほか!確かに他の奴より力は優れてるかもしんねーけど…お前だって一人の女なんだ!頼むからもっと危機感を持ってくれ!」

そう言ってナナミの手をとり、牧場の方向へ歩き出す。

「えっ、ヒナタ!?いいよ、私一人でも帰れるから━━」
「こんな夜中に、女一人で帰らせる訳にいかねぇだろ。いいから、ほら行くぞ」
「でも…」
「…早くしねぇと、"食み鬼"が出るかもしんねぇぞ?」
「!!」

『食み鬼』
かつて交流会みたいなものとして、大黒屋のお得意様方と行われた百物語の内容に出てきた化け物の一種。

「うう…。そこでその話題を出すなんて酷いよヒナタ……」
「ははは、頑固なお前も悪いんだぜ?ほら、もう遅いんだ。さっさと行くぞ」
「うううう~~っっ」

ナナミには悪いけど、やっぱりこの話題は効果抜群だったな。
よほど怖かったのか、ナナミの中ではちょっとしたトラウマになっているらしい。

いくら力が強くたって、作り話の化け物を怖がるなんて可愛らしい一面もあるのだなと思うと、つい笑ってしまった。

「よかった」
「ん?」
「ヒナタってば、ここ最近ずーっと難しい顔してたんだもん。笑顔も少なかったし…ちょっと安心した」
「えっ…」
「私、ヒナタの笑ってる顔が大好きなんだ。どんなに辛いことがあっても、ヒナタの笑顔を見ると元気になれるの」

『大好き』

その言葉をナナミが口にした途端に、体が一気に熱くなった。
オレのことが好き、と告白された訳でもない。
けれど、オレという存在がナナミを元気付けてやれていたのだと思うと、どうしようもないくらい嬉しくて。

にやけちまいそうな顔がバレないよう、必死に取り繕って会話を続けた。

「ははは、ありがとな。でも心配ご無用、この通りオレはいつだって元気だぜ!元気だけが取り柄みたいなもんだしなっ!」

ありがとな、と、笑顔でナナミの頭を撫でると、ほっとしたのか先程よりも表情が明るくなった気がする。
こういう時に芝居の稽古の成果が出るとは思わなかったな…。

「それならいいんだけど…。でも辛くなったら言ってね!頼りないかもしれないけど、話くらいなら聞くし!」

そう言って握り拳を作って気合いを入れるナナミを見て、自然と笑みがこぼれた。

「んなことねぇよ。お前にそう言ってもらえるだけで、すげぇ嬉しいよ」

俺がそう答えると、それに応えるかのようにナナミが笑った。

……やっぱりオレ、ナナミが好きだ。

ナナミの笑顔が好きだ。
夢にひたすら全力で挑む姿が好きだ。
一緒にいるだけで、こんなにも満たされる相手なんて他に居ない。

声も、仕草も、全部全部愛しくて。
お前と一緒なら、何だって出来る気だってする。

━━━オレにとって、お前はそれくらい大事な存在なんだよ。

この気持ちを伝えられたらどんなに楽だろう。
今だって、こんなにも抱き締めたくて堪らない。

「……お前も大変だな」
「え?」

こんな厄介な男に好かれてさ。

「何か言った?」

ん?と首を傾げて尋ねてくる些細な仕草にさえ、胸にぐっときちまうんだから、もうどうしようもなくて。

「っ、別に、何でもねぇよ。ほら、さっさとしねぇと置いてくぞ」

赤くなった顔を見られたくなくて、そう言ってずんずん足を進ませた。
これ以上傍にいたら触れちまいそうで、少しぶっきらぼうに言葉を放った矢先━━━。

突然、ぎゅっとナナミが腕にしがみついてきた。

「ちょっ…!!なんだよ急に!?」
「だってだって、ヒナタが置いていこうとするから…!」
「はあ?置いていく訳…ってなんでそんな泣きそうな顔してんだよ!?」
「ヒナタのせいでしょーー!!」

ヒナタが食み鬼の話しなんかするから!!
ナナミのその一言に、先程話題を振った自分を呪った。
好意を抱いている女性に、こうも密着されると平常心でいられる自信がない。

頼むから離れてくれ…!

そんなオレの願いは叶わず、むしろ腕にしがみついてくる力は増す一方。


つゆくさの門を潜れば、ナナミの牧場は目と鼻の先だというのに。
今のオレには、とてつもなく遠い距離に思えた。

Fin
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