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02.食事

 待ちに待った月曜日。
 翔吾はこの日の勤務を終え、同僚への挨拶もそこそこに会社を出た。楽しみにしている待ち合わせではないけれど、急ぎ足で駅へと向かって行く。同じように自分の横を過ぎて行く人々は仕事を終え、そそくさと家に帰る者、一杯引っ掛けて行こうかとする者。様々だったが、もう酒は沢山だ。
ㅤ自分と同じように、望まない待ち合わせに向かう人はどのくらいいるのだろう? 周りを見渡してみたが、少なくとも自分の周りには一人もいない。

ㅤ約束の駅へと向かう間、少し人混みを避けて流れから逸れる。その場でスーツの内ポケットから財布を取り出し、中身を確認した。諭吉が五枚。その内三枚は、何の代価もなく消えてしまう。
ㅤあ。セックスをしたと言う代価があった。
ㅤそもそも本当に"した"のだろうか。気が付いたら精液まみれのベッドの上に眠っていた。あれが、アイツの一人芝居なら……? いや、それも確認してみよう。何か不審な点があれば払う必要は無いはずだ。
ㅤ翔吾は僅かな期待を胸に、また財布をスーツの内ポケットに仕舞って駅へと向かった。



ㅤ待ち合わせ時間の十分前。
ㅤ望まない待ち合わせと言っても、余裕を持って行動してしまうのはサラリーマンの性だ。
ㅤ駅には、これから電車に乗ろうと構内へ吸い込まれて行く人や、逆に出てくる人もいる。
ㅤ翔吾は人混みに紛れないよう、少し離れた電話ボックスの前に立っていた。電話ボックスの前を携帯電話で話をしながら過ぎ去って行く人が多い。もう存在すら忘れられたようなボックスが、少し寂しくしているように見えた。

ㅤそろそろ時間か、と手首に嵌めた腕時計で時間を確認しようとした所で、俯いた視線の先に履き古したスニーカーのつま先が見えた。
ㅤ顔を上げると、新が立っていた。パーマの掛かった髪はこの前よりきちんと整えられていて、なるほどオシャレだ。カーキ色のブルゾンの中に紺色のファスナー付きのパーカーを着てそのフードを外に出している。
ㅤ一方、こちらと言えば濃いグレーのスーツに、きっちりと濃藍色のネクタイを締めていて、これから二人で食事に行くには不釣り合いな感じだった。

「良かった。ちゃんと来てくれたんだね」
「約束したしな。だけど、色々確認したい事がある」
「いいよ、何でも聞いて」
「とりあえず、メシ行くんだろ? 何がいい?」
「ファミレスでいいよ。そこなら和食、洋食、イタリアン、何でも揃ってるしさ」
「そんな所でいいのか?」

ㅤいいレストランだとか、飲み屋に連れて行けと言われると思っていたから翔吾は少し拍子抜けした。
ㅤここから近いファミレスと言えば、五百メートルほど行った所に一軒あるのを思い出し、そこへ向かう事にした。



ㅤ目の前の新は自分の前にデミグラスのハンバーグプレート、クリームパスタ、マルゲリータのピザの皿を並べ、それを順に食べている。細身の割に意外と大食いなんだな、と思いながら翔吾は鉄板の上に乗ったサーロインステーキをナイフで切り取った。
ㅤ食事をしている間、新は名前以外の自己紹介をした。歳は二十一。つい最近、彼氏にフラれたばかりだと。その彼氏に生活費を貰っていたから急に収入源が無くなってしまったらしい。まともな仕事をした事もないから体を使って金を貰い、それで生活をしている事を明かした。

「……危険な事があったりするんじゃ……?」
「んう~。約束の金をくれなかったりするくらいかな。あんまりしつこくすると殴られるからそういう人からは諦めるけど。でも二度と誘わない」
「殴られるって……。傷害だろ? 警察に言ったりすれば……」
「売春みたいな事やってんのに言えるわけないじゃん」

ㅤそんな大変な事実をあっけらかんと言う新には事の重大さが分かっていないようだった。
ㅤ七割方、皿が綺麗になってきた所で、新は飲み物を取りにドリンクバーへと席を立った。翔吾はその背を見ながらハァと一つ溜息をついた。

「それで? 確認したい事ってなに?」

ㅤタン、とテーブルにコップを置いた新はそれからまた椅子に座った。コップの中身は透明な緑色の液体が入っている。少し気泡が出ているからメロンソーダだろう。

「どういう経緯で俺と君がホテルに行ったんだ?」

ㅤ一つの嘘も見逃さないように新の目を見据えると、新は大きな目を更に真ん丸にさせた。

「まじで? そっから覚えてないの?」
「あぁ……。覚えてないんだ」

ㅤいい歳して恥ずかしい事だと肩を竦めながらそう言うと、新はふふっと含み笑いをした。

 新がした話はこうだ。
ㅤ金曜日の夜、その日のお小遣いをくれる人を探していた新は、翔吾達が飲んでいた飲み屋の付近を彷徨っていた。だけど、ホイホイと男を抱いてくれるような人が見つからない。イケるか、と思った人に声を掛けても大抵は断られるか、揶揄われるかのどちらかだった。
ㅤそういう男色家の集まる、所謂「ハッテン場」と言う公園に向おうとしたが、あそこはダメだ。ヤるだけで、金をくれる人はいない。そう思った新はやはり、今いる場所でのあしながおじさんを探す事に決めた。
ㅤ一軒の飲み屋から出てきた数人の男達。新はこの中に翔吾を見つけた。優しげな目元が、頼んだらお小遣いをくれそうだと思ったらしい。
ㅤ数人の塊がそれぞれ散り散りになり、翔吾が一人になるまで新は後を付いて歩いた。

「それって……ストーカーじゃないか」
「ははっ! そうかもね。でももうあの夜は翔吾さんしかいないと思ったんだよ」

ㅤふぅん、と息を吐く翔吾を余所に新は話を続けた。
ㅤ一人になった翔吾に「気持ちいい事してあげるからお小遣いくれない?」とストレートに声を掛けた。それぐらい、新もなかなか相手が見つからなかった事に焦りを感じていたらしい。
ㅤ翔吾は一度断りを入れた。新を男だと認識してかは知らないが、「妻がいる」と言ったそうだ。それには、きちんと怜の事を考えたんだなと翔吾は安堵の息を吐いた。
ㅤだけど、新は引き下がらなかった。翔吾を逃したら、もう今日は見つからないだろうと思い、「フェラしてあげる。それだけ。ならいい?」と提案した。貰える額が減ったとしても、仕方ないと思っての最後の策だった。
ㅤ翔吾は「それぐらいなら」としつこい新に観念したようだった。新はその場で咥えてお小遣いを貰えればいいと思っていたが、ベルトに手を掛けた時にホテルに行こうと提案したのは翔吾の方だと言っていた。
ㅤホテルに着いてから、「早速……」とフェラを開始する新のテクに翻弄され、口内射精をする前に、息の荒くなった翔吾に押し倒されたと言う。その時、フェラ代で挿入までされるのは嫌だと思った新は、セックスするなら三万貰うよと金額の提示をした。翔吾は「分かった」という返事と共に新の中を貫いたようだった。

ㅤここまで、一度も言葉を詰まらせる事もなく、スラスラと述べた新に翔吾は肩を落とした。それが本当なのかはまだ信じられないけれど、自分が記憶を無くしているのが悪い。これは飲み過ぎるなという今後の勉強代として新に三万を払う事を決めた。

「そういえば、俺のアリバイ工作もしてくれたようだな」
「うん。変な事になって家庭がダメになっても俺は責任取れないしさ。大丈夫? バレてなかった?」
「お陰様で……」

ㅤ良かった、と笑う新の笑顔を見ながら息を吐いた。男が相手だけどこういう会話をするのはやっぱり後ろめたい。新は目を伏せる翔吾の顔を覗き込んだ。

「また、会ってくれる?」
「……は?」
「毎回毎回、新しい人なんて見つからないし、一度ヤッた人ならまた俺にお小遣いくれるかなぁと思って」
「……いや。俺はもう会わないよ。妻もいるって知ってるだろ? それに俺は両刀使いでもないし」
「そっかぁ。残念だな。翔吾さんのセックス、すごい気持ちよかったから」

ㅤ言われて嫌な言葉ではないけど、複雑だ。
ㅤメロンソーダに挿したストローを咥えてジュルルッと音を立てながら中身を飲み干す新を見て、時計を確認した。

「よーし、お腹もいっぱいになったし帰ろーっ!」

ㅤガタンと音を立てて席を立つ新を見て、翔吾も席を立った。予想していたよりは安く済んだけれど、ファミレスで二人で……と考えると少し高めの飲食代を払い外に出る。そこで持ったままの財布から諭吉を三枚取り出し、手の中で折り曲げて新に差し出した。金を渡してる所を誰かに見られれば、変に思われると思ったからだ。
ㅤ新は差し出された翔吾の手の下に手の平を出した。ぽとり。と新の手の中に紙幣の塊を落とすと、新は三枚ある事も確認せずにポケットの中にそれを突っ込んだ。

「じゃあ、気を付けて帰れよ」
「うん! 翔吾さん、またね!」

ㅤ……また? 「また」はないと言った筈だ。それでも、流れで出た言葉だろうと思っていた翔吾は、唇に感じた違和感に目を瞠った。
ㅤすぐ間近に見える長めの睫毛、閉じる瞼。鼻から僅かに排出された息が自分の口元を擽る。

「じゃあね、翔吾さん!」

ㅤいつの間にか離れていた新は、無邪気な笑顔を向けながら、翔吾に手を振り走り去って行く。

ㅤキスされた……と思った時には、もう新の姿は遠く、小さくなっていた。
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