8
「なあ、あの小さいやつ、選手だったんだな」
「あー俺もマネかと思ってた」
試合前の挨拶を終え、烏野も青葉城西もコートに散らばっていた。そんな中、コートの外に戻ってきた木下は、ちらりと聞こえてきた声に思わず肩を竦める。
「あんなとんでもないマネいないって」
「まあ、小さいっていうのは普通ハンデになるからなあ」
隣に並んだ成田が笑った。普通はハンデになるその小柄で軽い体を活かして動き回る日向だが、実際にバレーをしているところを見たことがない人間には舐められがちだ。
「試合見ればすぐに分かるけど」
「ちょっと反応楽しみだよな」
コートの中まではさすがに聞こえなかったのか、自分の話をされているとは気付いていなさそうな日向は、影山と何か言葉を交わしている。その表情からして、早々に仕掛けるつもりだと勘付いた木下達は、思わず口の端を釣り上げた。
床を蹴り、思い切り飛び上がった少年の手に、まるで吸い寄せられるかのようにボールが渡った。
一瞬の間にボールがコートに叩きつけられて、力強い音が響く。
それを最初に目の当たりにした時、観客の声や選手の掛け声で賑やかだった体育館は、一瞬静まり返った。
「…なんっだアレ!」
矢巾の驚愕したような声を聞きながら、花巻は頬を掻く。
「実際試合するとなるとなかなか怖いな」
ハイタッチを交わしている日向と影山に視線を向けて口の端を持ち上げた花巻は、後ろをくるりと振り返った。
「さて、これに対処しながら戦うことになるわけだけど」
「慣れるしかねえだろ」
同じく相手のコートに視線を投げかけた岩泉が返事をする。
「ま、幸いというかなんというか、俺達も1年2人も、見たことあるやつだし」
松川が面白そうに頷く。そして、ぽかんとしたままの矢巾の肩をポンと叩いた。
「なんとか慣れろよ」
「は、う、はい!」
がくがくと頷いた矢巾は金田一に顔を向ける。
「烏野に入った強いやつって」
「あの2人っす」
「デスヨネー」
ははは、と乾いた笑いを漏らしたものの、矢巾はすぐに拳を握り締める。
「慣れます!」
「その意気その意気」
松川が満足げに頷いた。
2人のやり取りを聞きながら、岩泉はネットの向こうに──正確には、かつての後輩に、もう一度視線を向ける。その視線に気付いたのか、くるりと影山が振り向いた。
「………」
「………」
ちらりと目が合い、影山が驚いたようにまばたきをする。その瞳に魅せられたかのように、ついつい歩み寄りそうになり、慌てて視線を逸らした。
(…情けねえな)
これではいまだ懲りない幼馴染みと同じになってしまう。
一つ息をついて、岩泉は揺らいだ感情を立て直す。今は試合中だ。
ほかのことは、後から考えればいい。
試合が始まってからかなりの時間が経った。
「わ、あの子また飛んだ」
床を蹴って舞い上がった小柄な選手に、試合を観戦していた女子生徒の1人がそう呟く。彼女達の目当ての人物はまだこの体育館にいないが、もう少しすれば来るらしい。そんな情報がファンの間で共有されたおかげで、2階は今、人でいっぱいになっている。
そうして視線が集中する中で、先ほどから動きっぱなしのはずの日向がまた駆け出した。あの速いやつ来る! と誰かが叫ぶ。だが。
「え、違うほうにボール行った?」
「また点取られちゃった!」
今度は、日向を囮にして田中がボールを打ち込んだ。激しい音を立てて叩きつけられたボールに上がった声は、歓声が半分、悲鳴が半分と言ったところだ。
「及川さんが来る前に負けたりしないよね?」
「まだ大丈夫だと思うけど…」
「お願い早く来て…!」
青葉城西は、試合の中で変人速攻にもなんとか対処しようとしている。だが、慣れるにはまだ時間が足りていない。
結局、そこまで点差は開かなかったものの第1セットを先取した烏野は、第2セットに入ってからもじりじりと点を増やしていた。このまま第2セットも取られてしまいそうな状況に、不安そうな声があちらこちらから聞こえてくる。
「…人気者なのかあいつ」
「みたいですね」
上から聞こえてくる声に、菅原が半眼になってそう呟く。山口が頬を引きつらせて頷いた。
「顔はいいからな、顔は」
ブツブツ呟いた菅原は、不意に思いっきり顔をしかめる。
「うわ、来た」
それと同時に、会場中から黄色い悲鳴と歓声が上がり、山口は恐る恐る体育館の入り口に視線を向けた。そして、ぱちりと瞳を瞬かせる。
「あの人が、そうなんですか?」
にこやかに向こうの監督と話している長身の選手は、一見優しげに見えたし、女性にモテるのも納得の顔立ちだった。日向達に聞いたような、ねじれた感情を持て余している人間には見えない。
「外面はいいから」
「なるほど」
ツッキーもそういうとこあるよな、と山口はちらりと思う。もちろん、内面はそんなに拗らせてはいないのだが、少しでも一緒にしたと知れたら確実に怒られるので月島本人には言えない感想だ。
「まあ、練習試合で相手の手札を少しでも探れるのは助かるけど」
何事もなく帰れるといいな、と言う呟きに、山口は深く頷いた。
だが。
(うわあ)
アップをするためか、監督の前から離れて行こうとした及川は、ふっと影山に視線を向け、その瞬間をしっかり見てしまった山口は思わず息を飲む。影山に向けられたのは本当に一瞬だけのことで、ほかに気付いた人間はいなさそうだったその瞳には、
「…本当に、何もないといいですね」
薄暗い焔が、揺れていた。
「あー俺もマネかと思ってた」
試合前の挨拶を終え、烏野も青葉城西もコートに散らばっていた。そんな中、コートの外に戻ってきた木下は、ちらりと聞こえてきた声に思わず肩を竦める。
「あんなとんでもないマネいないって」
「まあ、小さいっていうのは普通ハンデになるからなあ」
隣に並んだ成田が笑った。普通はハンデになるその小柄で軽い体を活かして動き回る日向だが、実際にバレーをしているところを見たことがない人間には舐められがちだ。
「試合見ればすぐに分かるけど」
「ちょっと反応楽しみだよな」
コートの中まではさすがに聞こえなかったのか、自分の話をされているとは気付いていなさそうな日向は、影山と何か言葉を交わしている。その表情からして、早々に仕掛けるつもりだと勘付いた木下達は、思わず口の端を釣り上げた。
床を蹴り、思い切り飛び上がった少年の手に、まるで吸い寄せられるかのようにボールが渡った。
一瞬の間にボールがコートに叩きつけられて、力強い音が響く。
それを最初に目の当たりにした時、観客の声や選手の掛け声で賑やかだった体育館は、一瞬静まり返った。
「…なんっだアレ!」
矢巾の驚愕したような声を聞きながら、花巻は頬を掻く。
「実際試合するとなるとなかなか怖いな」
ハイタッチを交わしている日向と影山に視線を向けて口の端を持ち上げた花巻は、後ろをくるりと振り返った。
「さて、これに対処しながら戦うことになるわけだけど」
「慣れるしかねえだろ」
同じく相手のコートに視線を投げかけた岩泉が返事をする。
「ま、幸いというかなんというか、俺達も1年2人も、見たことあるやつだし」
松川が面白そうに頷く。そして、ぽかんとしたままの矢巾の肩をポンと叩いた。
「なんとか慣れろよ」
「は、う、はい!」
がくがくと頷いた矢巾は金田一に顔を向ける。
「烏野に入った強いやつって」
「あの2人っす」
「デスヨネー」
ははは、と乾いた笑いを漏らしたものの、矢巾はすぐに拳を握り締める。
「慣れます!」
「その意気その意気」
松川が満足げに頷いた。
2人のやり取りを聞きながら、岩泉はネットの向こうに──正確には、かつての後輩に、もう一度視線を向ける。その視線に気付いたのか、くるりと影山が振り向いた。
「………」
「………」
ちらりと目が合い、影山が驚いたようにまばたきをする。その瞳に魅せられたかのように、ついつい歩み寄りそうになり、慌てて視線を逸らした。
(…情けねえな)
これではいまだ懲りない幼馴染みと同じになってしまう。
一つ息をついて、岩泉は揺らいだ感情を立て直す。今は試合中だ。
ほかのことは、後から考えればいい。
試合が始まってからかなりの時間が経った。
「わ、あの子また飛んだ」
床を蹴って舞い上がった小柄な選手に、試合を観戦していた女子生徒の1人がそう呟く。彼女達の目当ての人物はまだこの体育館にいないが、もう少しすれば来るらしい。そんな情報がファンの間で共有されたおかげで、2階は今、人でいっぱいになっている。
そうして視線が集中する中で、先ほどから動きっぱなしのはずの日向がまた駆け出した。あの速いやつ来る! と誰かが叫ぶ。だが。
「え、違うほうにボール行った?」
「また点取られちゃった!」
今度は、日向を囮にして田中がボールを打ち込んだ。激しい音を立てて叩きつけられたボールに上がった声は、歓声が半分、悲鳴が半分と言ったところだ。
「及川さんが来る前に負けたりしないよね?」
「まだ大丈夫だと思うけど…」
「お願い早く来て…!」
青葉城西は、試合の中で変人速攻にもなんとか対処しようとしている。だが、慣れるにはまだ時間が足りていない。
結局、そこまで点差は開かなかったものの第1セットを先取した烏野は、第2セットに入ってからもじりじりと点を増やしていた。このまま第2セットも取られてしまいそうな状況に、不安そうな声があちらこちらから聞こえてくる。
「…人気者なのかあいつ」
「みたいですね」
上から聞こえてくる声に、菅原が半眼になってそう呟く。山口が頬を引きつらせて頷いた。
「顔はいいからな、顔は」
ブツブツ呟いた菅原は、不意に思いっきり顔をしかめる。
「うわ、来た」
それと同時に、会場中から黄色い悲鳴と歓声が上がり、山口は恐る恐る体育館の入り口に視線を向けた。そして、ぱちりと瞳を瞬かせる。
「あの人が、そうなんですか?」
にこやかに向こうの監督と話している長身の選手は、一見優しげに見えたし、女性にモテるのも納得の顔立ちだった。日向達に聞いたような、ねじれた感情を持て余している人間には見えない。
「外面はいいから」
「なるほど」
ツッキーもそういうとこあるよな、と山口はちらりと思う。もちろん、内面はそんなに拗らせてはいないのだが、少しでも一緒にしたと知れたら確実に怒られるので月島本人には言えない感想だ。
「まあ、練習試合で相手の手札を少しでも探れるのは助かるけど」
何事もなく帰れるといいな、と言う呟きに、山口は深く頷いた。
だが。
(うわあ)
アップをするためか、監督の前から離れて行こうとした及川は、ふっと影山に視線を向け、その瞬間をしっかり見てしまった山口は思わず息を飲む。影山に向けられたのは本当に一瞬だけのことで、ほかに気付いた人間はいなさそうだったその瞳には、
「…本当に、何もないといいですね」
薄暗い焔が、揺れていた。