47
その日、部活を終えて着替えた及川は、帰り支度を終えたとたんに捕まった。
「さあて、行くか」
「はい?」
にゅっと伸びてきた松川の腕が肩に回り、そのまま引っ張られる。混乱したまま歩き出すと、岩泉がそれに続き、花巻も歩き出す。
「なになになにどこ行くの!?」
「何ってそりゃあ、お話し合いだよ」
「お前が逃げ回ってたからな」
そう言われただけで行き先を察した。
「い、や、だ!」
「わがまま言ってんじゃねえ」
「いだっ」
捕獲された状態のまま岩泉に後頭部をはたかれて思わずよろける。
「おっと」
勢いで松川の腕が少しゆるんだ。そのすきにさっと腕をくぐり抜け、及川は逃げようとしたが。
「ここまでされてもまだ逃げるんですか?」
「!?」
走り出そうとした先には、もはや及川の天敵とも言える、オレンジ頭の小柄な少年が立ちはだかっていた。本来は可愛らしいタイプの顔立ちのはずなのに、冷え切った瞳で睨まれるとじわじわと体温が下がっていくような気がする。
蛇に睨まれた蛙のごとく固まってしまった及川を見て、日向の後ろにいた月島と山口が顔を見合わせた。
「僕達が付いてくる必要、なかったんじゃない?」
「どっちかって言うと日向のストッパーのほうが必要そうかな…」
背後の会話に反応することなく、日向はゆっくりと足を踏み出す。及川は反射的に後ろに下がった。
「話し合い、しましょうか」
「ハイ」
頷く以外に道はなさそうだった。
「…大丈夫?」
「ん」
谷地にそっと声をかけられて、影山はあっさりと頷いた。実際、少し緊張はしているがそれだけだ。
2人が今いるのは青葉城西の体育館だった。男子バレー部が使っているはずのここは、今は2人と、2人を案内してくれた金田一以外誰もいない。
その金田一は心配そうに外の様子を見ていたが、あ、と声を上げる。
「来たっぽい」
その言葉通り、数人分の足音が聞こえてきた。少しして、体育館の光に照らされて首に腕を回された状態の及川が姿を現す。
「連れてきたぞ」
及川を捕まえている松川が手を上げた。2人の隣に岩泉と花巻が並んでいて、その後ろに校門で別れた日向達3人がいる。さらにその後ろには日向達の案内を引き受けてくれた国見がいた。
目が合った途端、及川は捕まったまま顔を背ける。
が、視線を向けた先には日向がいた。無言ですごまれた及川はふてくされた顔になって正面を向く。影山と再び目が合った。
「話、始めていいっすか」
「このタイミングで!?」
思わずと言った様子のツッコミが飛んできたが無視して進める。
「及川さん」
「…何」
「もう、こんなのやめませんか」
「………」
「今の関係、絶対おかしいです」
「………。分かってるよ」
その場にいた全員が驚いた顔になったし、影山も思わず目を丸くした。口に出して認めるとは思わなかった。
「じゃあ「分かってるけど、」
影山の言葉を遮って、低い声が続く。
「いやだ」
「…は?」
「続きは聞きたくない」
「ああ?」
「お前なあ」
同輩達の呆れた声を振り払うように、彼は手を握りしめてうつむいた。
「もう追いかけるなとか、関わるなとか、そんなの分かってるよ。非常識だし、拒否られるのも当たり前だって、分かってる。でもわざわざ改めて言うなら、聞きたくない」
「はあ」
思わずぽかんとしている影山から視線を反らした及川は、やけくそのように続ける。
「もう追いかけないし、話しかけない。だからそれでいいじゃん」
「あの」
「このまま避ければいいだけだろ、お互い」
「………」
「ずっと逃げ回ってたくせに、なんで話し合いなんか」
──ブチ、と音が聞こえた気がした。
「…ふ、ざっけんなよ!」
突然の怒声と共に顔を背けていた及川の襟首が勢いよく引っ張られ、強制的に正面を向かされる。
及川が目を丸くした。壁際で様子を見ていた国見も、隣の金田一も思わず目を見開く。
それどころか、この場にいる全員が──怒声の主である影山以外の全員が、おどろいた顔になっていた。
「このまま避ければいいだけって、ずっと逃げ回ってたくせにってなんすかそれ、あんたちょっと勝手すぎだ!」
普段の影山は、よほどのことがなければ先輩に対して最低限の礼儀は守る。だから上級生に掴みかかる光景があまりにも珍しくて、国見はまじまじと眺めてしまった。
「怒ってたんだな、あいつ」
金田一がぽそっと呟く。
そういえば、影山は迷惑そうだったし困っていたし怖がっているようにも見えたが、及川の一連の行動に対して怒って見せたことがなかったと気付く。
けれどそれは、怒り以上に関わりたくない気持ちが強かっただけなのかもしれない。
「それでこのまま離れたら、確かにもう関わらなくてよくなるけど、でも! そんなの、結局変な関係のままじゃねえか! 絶対、またあとで何かおかしくなる!」
国見はまた、目を丸くした。
影山が望んだのは両者が納得した上で、関係をリセットすること。正直、そんなことをわざわざする必要はあるのかと思っていた。
けれど、無理やりで中途半端な縁の切り方は、きっと後に歪みを残す。
影山はどこかでそのことに気付いていたらしい。
「及川さん。俺、考えてたんすけど」
「…はい」
よほど衝撃的だったのか、呆けた声が返事をする。
「これからずっとバレーやるなら、お互い関わらないとか、絶対無理だと思います」
「確かに」
当たり前すぎるほどの当たり前の指摘に、月島が声を漏らした。
お互いにお互いを避けて、顔を合わせるのは試合でぶつかった時だけ。
それは、今は確かに可能だ。だが、高校を卒業してからもその状態を続けるのは無理がある。
「俺もとにかく逃げておけばいいって思ってましたけど。めんどくさいから関わりたくないし」
「…はい」
「でも、やっぱりそれだけじゃダメだなって、思いました」
「………」
「だから、ちゃんと離れましょう」
「…分かった」
まだ呆けている声で、及川が返事をした。
「さあて、行くか」
「はい?」
にゅっと伸びてきた松川の腕が肩に回り、そのまま引っ張られる。混乱したまま歩き出すと、岩泉がそれに続き、花巻も歩き出す。
「なになになにどこ行くの!?」
「何ってそりゃあ、お話し合いだよ」
「お前が逃げ回ってたからな」
そう言われただけで行き先を察した。
「い、や、だ!」
「わがまま言ってんじゃねえ」
「いだっ」
捕獲された状態のまま岩泉に後頭部をはたかれて思わずよろける。
「おっと」
勢いで松川の腕が少しゆるんだ。そのすきにさっと腕をくぐり抜け、及川は逃げようとしたが。
「ここまでされてもまだ逃げるんですか?」
「!?」
走り出そうとした先には、もはや及川の天敵とも言える、オレンジ頭の小柄な少年が立ちはだかっていた。本来は可愛らしいタイプの顔立ちのはずなのに、冷え切った瞳で睨まれるとじわじわと体温が下がっていくような気がする。
蛇に睨まれた蛙のごとく固まってしまった及川を見て、日向の後ろにいた月島と山口が顔を見合わせた。
「僕達が付いてくる必要、なかったんじゃない?」
「どっちかって言うと日向のストッパーのほうが必要そうかな…」
背後の会話に反応することなく、日向はゆっくりと足を踏み出す。及川は反射的に後ろに下がった。
「話し合い、しましょうか」
「ハイ」
頷く以外に道はなさそうだった。
「…大丈夫?」
「ん」
谷地にそっと声をかけられて、影山はあっさりと頷いた。実際、少し緊張はしているがそれだけだ。
2人が今いるのは青葉城西の体育館だった。男子バレー部が使っているはずのここは、今は2人と、2人を案内してくれた金田一以外誰もいない。
その金田一は心配そうに外の様子を見ていたが、あ、と声を上げる。
「来たっぽい」
その言葉通り、数人分の足音が聞こえてきた。少しして、体育館の光に照らされて首に腕を回された状態の及川が姿を現す。
「連れてきたぞ」
及川を捕まえている松川が手を上げた。2人の隣に岩泉と花巻が並んでいて、その後ろに校門で別れた日向達3人がいる。さらにその後ろには日向達の案内を引き受けてくれた国見がいた。
目が合った途端、及川は捕まったまま顔を背ける。
が、視線を向けた先には日向がいた。無言ですごまれた及川はふてくされた顔になって正面を向く。影山と再び目が合った。
「話、始めていいっすか」
「このタイミングで!?」
思わずと言った様子のツッコミが飛んできたが無視して進める。
「及川さん」
「…何」
「もう、こんなのやめませんか」
「………」
「今の関係、絶対おかしいです」
「………。分かってるよ」
その場にいた全員が驚いた顔になったし、影山も思わず目を丸くした。口に出して認めるとは思わなかった。
「じゃあ「分かってるけど、」
影山の言葉を遮って、低い声が続く。
「いやだ」
「…は?」
「続きは聞きたくない」
「ああ?」
「お前なあ」
同輩達の呆れた声を振り払うように、彼は手を握りしめてうつむいた。
「もう追いかけるなとか、関わるなとか、そんなの分かってるよ。非常識だし、拒否られるのも当たり前だって、分かってる。でもわざわざ改めて言うなら、聞きたくない」
「はあ」
思わずぽかんとしている影山から視線を反らした及川は、やけくそのように続ける。
「もう追いかけないし、話しかけない。だからそれでいいじゃん」
「あの」
「このまま避ければいいだけだろ、お互い」
「………」
「ずっと逃げ回ってたくせに、なんで話し合いなんか」
──ブチ、と音が聞こえた気がした。
「…ふ、ざっけんなよ!」
突然の怒声と共に顔を背けていた及川の襟首が勢いよく引っ張られ、強制的に正面を向かされる。
及川が目を丸くした。壁際で様子を見ていた国見も、隣の金田一も思わず目を見開く。
それどころか、この場にいる全員が──怒声の主である影山以外の全員が、おどろいた顔になっていた。
「このまま避ければいいだけって、ずっと逃げ回ってたくせにってなんすかそれ、あんたちょっと勝手すぎだ!」
普段の影山は、よほどのことがなければ先輩に対して最低限の礼儀は守る。だから上級生に掴みかかる光景があまりにも珍しくて、国見はまじまじと眺めてしまった。
「怒ってたんだな、あいつ」
金田一がぽそっと呟く。
そういえば、影山は迷惑そうだったし困っていたし怖がっているようにも見えたが、及川の一連の行動に対して怒って見せたことがなかったと気付く。
けれどそれは、怒り以上に関わりたくない気持ちが強かっただけなのかもしれない。
「それでこのまま離れたら、確かにもう関わらなくてよくなるけど、でも! そんなの、結局変な関係のままじゃねえか! 絶対、またあとで何かおかしくなる!」
国見はまた、目を丸くした。
影山が望んだのは両者が納得した上で、関係をリセットすること。正直、そんなことをわざわざする必要はあるのかと思っていた。
けれど、無理やりで中途半端な縁の切り方は、きっと後に歪みを残す。
影山はどこかでそのことに気付いていたらしい。
「及川さん。俺、考えてたんすけど」
「…はい」
よほど衝撃的だったのか、呆けた声が返事をする。
「これからずっとバレーやるなら、お互い関わらないとか、絶対無理だと思います」
「確かに」
当たり前すぎるほどの当たり前の指摘に、月島が声を漏らした。
お互いにお互いを避けて、顔を合わせるのは試合でぶつかった時だけ。
それは、今は確かに可能だ。だが、高校を卒業してからもその状態を続けるのは無理がある。
「俺もとにかく逃げておけばいいって思ってましたけど。めんどくさいから関わりたくないし」
「…はい」
「でも、やっぱりそれだけじゃダメだなって、思いました」
「………」
「だから、ちゃんと離れましょう」
「…分かった」
まだ呆けている声で、及川が返事をした。