43
青葉城西が先にセットポイントに届いたものの、直後、烏野が1点を取った。
「デュース…」
岩泉は思わず険しい顔になる。このセットを乗り切ってもまだ1セット残っていることを考えると、ここでデュースに持ち込みたくはなかった。一方、烏野はこのセットで勝てる見込みがあると踏んだのか、コートの内外で盛り上がっている。
「すんません! 俺、」
ブロックが間に合わなかった金田一が申し訳なさげに声をかけてくるのを押し留める。
「いや、いい、俺も間に合わなかった。次のことを考えよう」
「っす」
頷いて前を向いた金田一は、ネット越しに目が合った日向に挑発的ににやりとされて悔しげに歯がみしていた。あの様子なら、気力のほうはまだまだ大丈夫そうだ。
(あと、2点)
とても小さな数なのに、今はとてつもなく大きな数のように感じる。
初めて練習試合で対戦した時にはまだ個人の技量頼りに見えた烏野は、わずかな時間で1つのチームとして成長していた。1年達が入ってからの期間を考えると、あまりに成長が早すぎると思うぐらいに。
「これも、あいつらの影響なのか…?」
「なんか言った?」
いつの間にか口に出していたらしい。及川がこちらを振り向いて、首をかしげる。
「なんでもねえ」
まさか試合中に何かやらかしたり動揺したりということはないだろうが、影山達のことを考えていたと素直に答えると面倒な反応をされそうで、岩泉は思わずそう答えた。
「ふーん」
そう答えたのだが、何か怪しまれている気がする。ごまかしや嘘が得意なほうではない岩泉は、前に向き直るふりをして顔の引きつりを隠した。
それは、双方が26点に到達した直後に起こった。
「来るぞ!」
ネットの向こうで声が上がって相手が構える中、日向は床を蹴る。そのまま高く飛び上がったが、ボールのほうは月島に上げられて、ブロックを嘲笑うかのようにするりと打ち込まれた。
そのままコートの床に落ちて転がったボールを見た田中が雄叫びを上げた。月島も、表情は変わらないものの瞳の色がきらめいた気がする。
日向も拳を握りしめた。
「やった!」
このセットはずっと追いかけるばかりだったが、ここでようやく逆転した。このままあと1点取れば、勝てる。
コートの中も外も、全員の士気が上がったように見えた。田中に捕まった影山がわしゃわしゃと頭を撫でまわされている。
大人しく頭をぐらぐらと揺らされていた影山だったが、月島と目が合うと手のひらを出す。それを見た月島は、──珍しく少し笑って手を合わせた。
「なんか素直だな、今日のお前!」
「うるさいチビ」
思わずそう言った日向は、しっしっと手で追い払われてけらけらと笑う。
「ごめんて」
フン、と鼻を鳴らして月島は顔をそむけてしまったが、その口元が小さく弧を描いているのが見えた。
じりじりと追い詰められて、気付けばそこは崖っぷちだった。
あと1点。あと1点取られてしまえば、そこでこの試合は終わり、自分達のインターハイも終わってしまう。
どうしてこうなった、とか、そんなことを考える余裕はなかった。そもそもまだ負けていないのだから、ここを耐えれば逆転の目はある。
ここを耐えてこのセットを取り、第3セットも勝ち取って。
(次に進むのは、俺達だ)
チームのメンバー、特に1年達には焦りが見えているが、勝とうとする熱意はまだ全く失われていないし、それは及川もだった。
それなのに、どうしても思ってしまうことがある。
──なぜ、影山の周囲は、うまくいくのだろう。
いつの間にかすっかり成長して大人びた眼差しを見せるようになったかつての後輩は、これまでは視野にも入らなかったような高校のチームに入り、当たり前のような顔で受け入れられ、大事にされていた。異質すぎる1年を入れたのに、烏野はチームの和が崩れるどころか、恐ろしいスピードで成長している。
いや、そもそも、中学生の時からあのチームの上級生に可愛がられていたことも謎だし、何よりも、いつからか、影山の隣にはずっと小さなスパイカーがいた。
外見は幼いくせに、守るように、支えるように寄り添っているあのおかしな相棒を得て、元後輩はああも変わったのだろうか。
転校して1年も経たないうちに、他人の影響でそんなに変化できたのか。
他人の介入で変われる余地を、持っていたのか。
──実際は、影山の精神年齢はだいたい20代後半。確かに変化が起きた大元のきっかけは“前回”での日向との出会いだったものの、本当の中学生の頃から10年以上の時間を積み重ねているのだが。
そうとは知らない及川にとっては、影山があっさりと自分が知っている“後輩”としての姿を捨ててしまったように見えた。
そして、その印象は、関わり方次第では影響を与えて変化を促すのは自分だったのかもしれないという可能性を示しているようにも感じた。
無理だと思っていた。もしも高校生になってから出会っていたら、あるいは最初から別のチームだったら違っただろうと今なら思える。だが、当時にはあんな存在に穏やかに関わることなどできないと思っていた。
無理やり関係を繋ぐことしかできないような存在だと、思っていたのに、違った。
影山が周囲に向かって笑顔を見せるたび、最初からやり方を間違えていたのだと言われている気がして、ムシャクシャしてしまう。
それが嫌で考えないようにしていたはずなのに。
ここまで向こう側の関係性を目の当たりにしてしまうと、もうそれはできそうになかった。
「また来るぞ!」
「っ、…こ、のっ」
頭の一部でそんなことを延々と考えながらも、選手としての及川はそれに足を取られることなく動き続け、次の手を考え続ける。
それでも、終わりは、訪れた。
拾われて舞い上がったボールの下で影山が構え、日向が飛び出した。今度はおとりではなくて、ブロックに飛んだ及川達の眼前で、日向の手の前にボールが現れる。
だが、次の瞬間、ボールはバチンと音を立てて飛んでいき、壁際に落ちて跳ねた。
笛の音が聞こえ、歓声が響く。
ぐらりと視界が揺れた気がした。
「デュース…」
岩泉は思わず険しい顔になる。このセットを乗り切ってもまだ1セット残っていることを考えると、ここでデュースに持ち込みたくはなかった。一方、烏野はこのセットで勝てる見込みがあると踏んだのか、コートの内外で盛り上がっている。
「すんません! 俺、」
ブロックが間に合わなかった金田一が申し訳なさげに声をかけてくるのを押し留める。
「いや、いい、俺も間に合わなかった。次のことを考えよう」
「っす」
頷いて前を向いた金田一は、ネット越しに目が合った日向に挑発的ににやりとされて悔しげに歯がみしていた。あの様子なら、気力のほうはまだまだ大丈夫そうだ。
(あと、2点)
とても小さな数なのに、今はとてつもなく大きな数のように感じる。
初めて練習試合で対戦した時にはまだ個人の技量頼りに見えた烏野は、わずかな時間で1つのチームとして成長していた。1年達が入ってからの期間を考えると、あまりに成長が早すぎると思うぐらいに。
「これも、あいつらの影響なのか…?」
「なんか言った?」
いつの間にか口に出していたらしい。及川がこちらを振り向いて、首をかしげる。
「なんでもねえ」
まさか試合中に何かやらかしたり動揺したりということはないだろうが、影山達のことを考えていたと素直に答えると面倒な反応をされそうで、岩泉は思わずそう答えた。
「ふーん」
そう答えたのだが、何か怪しまれている気がする。ごまかしや嘘が得意なほうではない岩泉は、前に向き直るふりをして顔の引きつりを隠した。
それは、双方が26点に到達した直後に起こった。
「来るぞ!」
ネットの向こうで声が上がって相手が構える中、日向は床を蹴る。そのまま高く飛び上がったが、ボールのほうは月島に上げられて、ブロックを嘲笑うかのようにするりと打ち込まれた。
そのままコートの床に落ちて転がったボールを見た田中が雄叫びを上げた。月島も、表情は変わらないものの瞳の色がきらめいた気がする。
日向も拳を握りしめた。
「やった!」
このセットはずっと追いかけるばかりだったが、ここでようやく逆転した。このままあと1点取れば、勝てる。
コートの中も外も、全員の士気が上がったように見えた。田中に捕まった影山がわしゃわしゃと頭を撫でまわされている。
大人しく頭をぐらぐらと揺らされていた影山だったが、月島と目が合うと手のひらを出す。それを見た月島は、──珍しく少し笑って手を合わせた。
「なんか素直だな、今日のお前!」
「うるさいチビ」
思わずそう言った日向は、しっしっと手で追い払われてけらけらと笑う。
「ごめんて」
フン、と鼻を鳴らして月島は顔をそむけてしまったが、その口元が小さく弧を描いているのが見えた。
じりじりと追い詰められて、気付けばそこは崖っぷちだった。
あと1点。あと1点取られてしまえば、そこでこの試合は終わり、自分達のインターハイも終わってしまう。
どうしてこうなった、とか、そんなことを考える余裕はなかった。そもそもまだ負けていないのだから、ここを耐えれば逆転の目はある。
ここを耐えてこのセットを取り、第3セットも勝ち取って。
(次に進むのは、俺達だ)
チームのメンバー、特に1年達には焦りが見えているが、勝とうとする熱意はまだ全く失われていないし、それは及川もだった。
それなのに、どうしても思ってしまうことがある。
──なぜ、影山の周囲は、うまくいくのだろう。
いつの間にかすっかり成長して大人びた眼差しを見せるようになったかつての後輩は、これまでは視野にも入らなかったような高校のチームに入り、当たり前のような顔で受け入れられ、大事にされていた。異質すぎる1年を入れたのに、烏野はチームの和が崩れるどころか、恐ろしいスピードで成長している。
いや、そもそも、中学生の時からあのチームの上級生に可愛がられていたことも謎だし、何よりも、いつからか、影山の隣にはずっと小さなスパイカーがいた。
外見は幼いくせに、守るように、支えるように寄り添っているあのおかしな相棒を得て、元後輩はああも変わったのだろうか。
転校して1年も経たないうちに、他人の影響でそんなに変化できたのか。
他人の介入で変われる余地を、持っていたのか。
──実際は、影山の精神年齢はだいたい20代後半。確かに変化が起きた大元のきっかけは“前回”での日向との出会いだったものの、本当の中学生の頃から10年以上の時間を積み重ねているのだが。
そうとは知らない及川にとっては、影山があっさりと自分が知っている“後輩”としての姿を捨ててしまったように見えた。
そして、その印象は、関わり方次第では影響を与えて変化を促すのは自分だったのかもしれないという可能性を示しているようにも感じた。
無理だと思っていた。もしも高校生になってから出会っていたら、あるいは最初から別のチームだったら違っただろうと今なら思える。だが、当時にはあんな存在に穏やかに関わることなどできないと思っていた。
無理やり関係を繋ぐことしかできないような存在だと、思っていたのに、違った。
影山が周囲に向かって笑顔を見せるたび、最初からやり方を間違えていたのだと言われている気がして、ムシャクシャしてしまう。
それが嫌で考えないようにしていたはずなのに。
ここまで向こう側の関係性を目の当たりにしてしまうと、もうそれはできそうになかった。
「また来るぞ!」
「っ、…こ、のっ」
頭の一部でそんなことを延々と考えながらも、選手としての及川はそれに足を取られることなく動き続け、次の手を考え続ける。
それでも、終わりは、訪れた。
拾われて舞い上がったボールの下で影山が構え、日向が飛び出した。今度はおとりではなくて、ブロックに飛んだ及川達の眼前で、日向の手の前にボールが現れる。
だが、次の瞬間、ボールはバチンと音を立てて飛んでいき、壁際に落ちて跳ねた。
笛の音が聞こえ、歓声が響く。
ぐらりと視界が揺れた気がした。