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第1セットが終盤に向かっていく。逆転されないまま、烏野の得点はマッチポイントに届きそうになっていた。

(大丈夫そうだな)

熱心にコートを見つめて声を張り上げる後輩達に挟まれて、菅原は1人頷く。

視線の先では、落ち着いた様子でトスを上げる影山がいた。青葉城西とは練習試合で一度戦っているが、散々トラブルを起こしてくれた厄介な元先輩と真正面から対決するのは初めてだ。

だから、もしも何かあったら、自分が出られるようにと心の準備もしていたのだが。──今のところ、セッターが交代する理由はなさそうだった。

(よかった)

自分がコートに出たい気持ちは、菅原にだってもちろんある。

だが、全員が万全の状態なのが一番いいに決まっている。勝ち抜けばこれからもチャンスは巡ってくるが、ここでトラブルが起きて敗退してしまったらもうチャンスはない。

何より、例え、自分が試合に出られるとしても。

それが試合の流れとは関係のないところで後輩が動揺させられたり心が傷付いたりした結果なのは、とても嫌だった。

ちょうどその時、菅原の考えていたことが通じたかのように、コートの奥を見ていた影山が何かを探すようにくるりと振り返る。青みがかった瞳と目が合った。

笑いかけると、可愛い後輩は少しきょとんとしたものの、すぐに小さく笑顔を返してきた。その笑顔がなぜか安心したようにも見えて、そんな表情に見えた理由は分からないのになんとなく背中を押してやりたくなる。

(大丈夫だぞ)

「ここに、ちゃんといるから」

(だから、安心して前を向いていい)

「何か言いました?」

唐突なつぶやきに、縁下がこちらを見た。

「ん? しっかり戦えてるなってだけ」

返事をしながらコートを見つめる。

田中と声をかけ合っている影山の横顔は、心なしかさきほどよりも柔らかくなっている気がした。





「っよし!」

鋭い音と共にボールが床で跳ねて、日向が拳を振り上げた。影山も流れる汗を拭い、拳を握る。

それぞれの点数は、青葉城西が21点、烏野が24点。これで、第1セットは烏野のものになった。

「よっしゃー!」

視界の隅で田中が雄たけびを上げた。わあ、と観客席からも声が上がる。

逆転はされないまま、だが、引き離すこともできないまま、じりじりと追われ続ける状況はかなり消耗した。それでもなんとか1セット目が終わって、チーム内に笑顔が溢れる。隣で月島がため息をついた。

「はあー…、疲れた」

「まだ1セットしか終わってねえぞ」

「うるさい知ってる」

途端にいつもの調子でじとりと睨まれて、思わず笑ってしまう。この様子ならまだ大丈夫そうだ。

「何笑ってんの」

「ん、なんでもない。お疲れ」

両手のひらを差し出すと、月島は眉をしかめた。日向がしょっちゅうハイタッチを要求しているせいで、何がしたいのかすぐに分かったらしい。

「………。はあ」

だが、もう一度ため息をついた月島は眉の間のシワを消して、素直に手を伸ばしてくる。ぽん、と手のひらが叩かれた。

「…!」

思わず目が丸くなる。影山の反応を見た月島はまた眉間にシワを寄せ、ふん、と鼻を鳴らして離れていったが、その顔はどこか照れているように見えた。

「あ、いいなー俺も」

いつから見ていたのかひょっこりと隣に来た相棒とも手のひらを合わせ、影山は小さく笑いをこぼす。それを見て、日向もにひひ、と笑った。

「楽しそうだな」

「おう」

次のセットは更に激しい戦いになることは予想できている。それでも、影山は明るい気持ちだった。

第1セットを取れてチーム全体に少し余裕ができたというのもある。だが、影山にとっては頭のどこかに引っかかっていたものが消えたことも影響していた。

「大丈夫だったろ」

「…ん」

誰にも何も言ってはいなかったのだが、日向は影山が引っかかっていたものに気付いていたらしい。さらりとそんなことを言われて、小さく頷く。

──“前回”のこの試合の第一セットで、影山は一度ベンチに下がっている。影山と交代で菅原が出て、それでチームの空気が落ち着いたし、影山自身その間に立て直すことができた。

“今回”の自分は、気は高ぶっていたが、だいたいいつも通りだったと思う。“前回”の分の人生経験と選手経験があるのだから当たり前だ。

それはもちろんいいことだ。交代したいわけではないし、戦いたいのにベンチに下がるのは、とても悔しい。どんなに疲れても、ずっとずっとコートにいたい。

だが、よほどのハプニングがないと、この試合ではもう菅原がコートに出ることはないはずで。それが、なんとなく気にかかっていた。

ぽん、と背中を叩かれる。

「もっと先輩を信じろよ」

「分かってる」

目が合った時に、大丈夫だと言われた気がした。だから、もう変に気を回すのはやめようと思う。

(そんなの、スガさんに失礼だ)

烏養のところに向かいながら影山は内心でそうつぶやいた。





「あいっかわらずやりにくいな」

はは、とわらう花巻に、松川が肩をすくめた。

「練習試合の時より強くなったな」

岩泉が額の汗をぬぐいながらつぶやいた一言に、金田一は歯噛みしながら頷いた。ときおり追い付きそうにはなったものの、結局試合開始からずっとリードされたままで第1セットを取られたことがかなり悔しい。

表情でそれを読み取られたのか、肩をぽんと叩かれる。

「次のセットは取るぞ」

「ウッス!」

返事に頷いた岩泉と共に監督のところに集まろうとしたが、じっとコートの向こうを見ている国見に気付いて、金田一はそちらに近寄る。

「どした?」

「相手チームのメンバーにハイタッチを要求する手段を考えてた」

視線の先では、影山と長身の11番が手のひらを打ち合わせていた。

「………。あとで頼めばいいだろ」

「分かった試合が終わったら即捕まえにいく」

「不穏な言い方やめろ!」

真顔になってると思ったら何考えてんだこいつは、と半眼になった金田一の視線の先で、影山は今度は日向とハイタッチをする。そのままほのかに笑って何か話している様子に、金田一も思わず真顔になった。

「…俺もあとで行く」

「チッ」

「おいこら」

いつも通りにチームメイトと言い合いながら揃って監督のほうに行こうとする金田一の表情は、いつの間にか少しほぐれていた。
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