26

激しい音がした。こちら側ではなく、コートの向こう側で響いた音だ。

ボールを打ち込んだ田中が、拳を振り上げて叫んでいる。

それを見ながら、日向はゆっくりと息を吸って、吐き出した。

(あと、1点…)

一度ブロックに捕まったが、すぐに点を取り返した。

そこからは交互に点を取り合う状況になり、烏野は追いつかれることなく1点リードしたまま試合が続いている。そして今、24点に先に手が届いた。

(あと1点取れば、)

──2セット先取でこの試合に勝てる。

「大丈夫?」

「はい!」

東峰に顔を覗き込まれ、日向は勢いよく頷いてみせる。強がりのつもりはない。

粘り強く、ボールを落とさないことに重きを置く音駒との試合は、どうしてもラリーが続く。まだ2セット目なのに、すでにそれなりの時間が経っているはずだ。

それでも、“前回”でも”今回”でも散々体力馬鹿呼びされてきた自分が、この程度でへばるわけがない。へばるわけには、いかない。

ちらりと相棒のほうを見たが、本人は音駒の動向を探るようにコートの向こうを見ていた。こちらには視線は飛んでこない。気にする必要はないと、思っているのだろう。

ある意味傲慢とも言える、絶対的な信頼を示すその姿に小さく口元をにやけさせた日向は、腰を落として構える。

そして。

「ナイッサー!」

1つの壁を越えるための、最後の1歩を、烏野は踏み出した。





落ちてきたボールをぐっと宙に戻す。いつも通り、綺麗に上がったそれは、静かにたたずむ孤爪に向かって落ちていった。そのボールはぐっと膝を曲げて飛ぼうとした黒尾──を通り過ぎて海に渡る。

このやり方でブロックは振り切ったが、奥にいた相手方のリベロが滑り込んで、と言うよりも転がり込んでボールを拾った。

「っ、またか!」

つう、と流れてきた汗を拭い、夜久はいつボールが返ってきてもいいように構える。このラリーが始まってから、もう何度目か分からない。

少しずつ、烏野の防衛が崩れてきているのは分かっていた。ラリーが続きすぎて集中力が落ち始めている。

(向こうが崩れるまで、粘る)

ネットの向こうでボールが上がる、その短い時間の中で、やるべきことを再確認する。何度だって、向こうが崩れるまで、落とさない。

そう決意し直した瞬間、ボールが飛んでくる。ブロックに引っかかり、勢いが落ちたボールを拾い上げた。

(もう、1回!)

ボールは今度は黒尾の手で打ち込まれる。さっきまでなら追いついていただろうブロックはぎりぎりのところで届いていない。向こうの主将が拾っているが、本当に危うくなってきているのだと、見ていて分かった。

あと、1回。それで押し切れる。

そう思った、次の瞬間。目の前で、烏かが羽ばたいた。

その光景は、もう一生忘れることができないのではと思うぐらい、印象的だった。

ネット越しに何度も行き来したボールが、すっと舞い上がる。明るい色の髪を揺らし、小柄な体が飛び上がり、スポットライトが当たった舞台のように、勝手に目が吸い寄せられた。ぐんと反った体が、勢いよくボールを打ち出す。すかさずブロックが食らいつこうとしたのに、ボールはその指の上を一瞬で通り越した。

反射的に飛び出し、掬い上げようとしたが、届かない。一条の光のように真っ直ぐ飛んできたボールは、床で跳ねて鋭い音を響かせた。

心臓を直接叩かれたような衝撃に、思わず顔をひくつかせる。

試合が始まってすぐ、とんでもない選手がいることは理解していた。これまでに夜久が培った経験が、ずっと囁いていた。

──あれを、本格的に飛び立たせたらまずい、と。

あちらが弾丸を乱射する銃なら、こちらはそれすら絡め取る網のようなもので。まだ1年に見えるのに、すでにチームの要になっている、小柄なミドルブロッカーとすらりとしたセッターももちろん絡め取る気でいたし、それは成功しつつあった。

それなのに、その網に穴を開けられた。

笛が鳴る。試合が終わったのだと、遅れて気付く。

「あー…」

これはただの練習試合だ。それでも悔しいものは悔しい。

もう少し、あと少しだけ早く踏み出していれば、まだボールは落ちていなかったのかもしれないと、思ってしまう。その悔しさは、整列して、挨拶をしても続いた。

続いた、のだが。

(…なんだ?)

つやつやと光る飴玉のような大きな瞳が2対、こちらを、というか音駒の面々を見ていた。散々自分達を振り回してくれた2人組は、そっくりな表情で瞳を輝かせている。

思わず注目すると、2人はそわそわとしながら顔を見合わせ、それから勢い込んで口を開いた。

「「もう1回!」」

烏野の主将がやれやれと肩をすくめたのが見えた。





「つ、かれ、た…」

「はは、さすがにな」

ぐでんとうなだれながら、幼馴染みがぼそりと呟く。黒尾も襟元をばたばたと扇ぎながら頷いた。

結局、3回もすることになった試合のうち、音駒が負けたのは最初の1回のみだった。2戦目も3戦目もぎりぎりではあったものの、しっかりと勝ちをもぎ取っている。

「なあ、研磨」

「………。何」

普通に話しかけたはずなのに、とても警戒した顔をされた。解せない。

「あの2人のことは相変わらず避けてるのか」

そんなことだろうと思った、と溜め息をつかれる。

「…眩しすぎる。目が」

さっきからずっと、そわそわとした視線がこちらに飛んできていた。試合前と同じものだ。

どう見ても孤爪に話しかける機会を狙っている烏野の1年2人は見ていて面白いが、孤爪のほうはひたすら黒尾の影に隠れるようにして視線を遮ろうとしている。

「ま、お前がどうしても話しかけたくないなら俺1人で行くからいいけどな」

そう言い置いて、黒尾は立ち上がった。黒尾のほうは、あの2人には大いに興味がある。幼馴染みが話そうとしないなら、自分が話しかけてみるつもりだ。

「あっそ」

「研磨のこと気になってるっぽいし、俺が我らが“脳”のことを話してやろうかと」

ガッと手が伸びてきた。疲れ切っているとは思えない勢いで裾を掴まれる。

「やめて」

何言われるか分かったもんじゃない、とジト目で睨んできた孤爪は、嫌そうな顔で立ち上がった。

「分かった。行くよ。行けばいいんでしょ」

「お、じゃあ行くか」

周りを見ると、ほかのチームメイト達もそれぞれ烏野の面々と交流している。

友人が増えるのはいいことだ。そう思った黒尾はうんうんと頷いた。
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