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ネットの向こう側でボールが跳ねる。

「よっし!」

拳を振り上げた日向を田中がわしゃわしゃと撫で回した。かなりの勢いで撫でているせいで、日向の頭がぐらぐらと揺れている。

それを横目で見ながら、影山は息を整えた。

(このセットで、終わらせないと)

経験値の差がある相手との試合は、長引けば不利になるばかりだ。

(監督、じゃなかったコーチにもたたみかけろって言われたし)

『ここで手を緩めるな、向こうもセットが終わって切り替えてるだろうが完全に立て直す前に一気に攻撃しろ』

それが第2セットが始まる前に烏養から飛んだ指示だ。守りに入れるほどうちは完成してないだろ、と言われ、菅原と縁下が苦笑していた。

問題は第1セットの間に目を付けられてしまった日向だが、それで消極的になるような性格なわけもなく。目を付けられたのをいいことに、コート内を駆け回って音駒を振り回そうとしている。

「よくもまあ、あんなに走れるよね」

月島が呆れたような声を出した。

「なんか言ったか?」

「なんでもない。暑苦しいから来るな」

「なんだよー」

ぐいぐいと寄ってくる日向を押し返しているところを見るに、おそらくチーム内で一番スタミナが足りていない月島のほうもまだ体力は尽きていなさそうだ。

「そこ2人、じゃれ合ってないで構えろ」

「怒られた」

「なんで僕まで」

背後から澤村の声が飛んできて、日向が元の位置まで戻る。月島は不満げに唇を尖らせたものの、すぐに瞳の色が真剣になった。

「………」

ふふ、と口元が緩んでしまいそうになる。すぐに顔を引き締めたが、影山はとても楽しい気分だった。

今ではもうとても遠い昔に思えてしまう“前回”で、大学に入り、プロになる中で経験したチームは全部大切だった。それでも、この烏野のチームの中でのやり取りはすべて、きらきらと光って見える。自分の周囲にそんな光景がいつもあることが、嬉しくて楽しい。

機嫌よく構える影山を、ネットの向こうから静かに眺める視線があったが、本人はまったく気づいていなかった。





悪い子ではないらしい。

それが、現在の孤爪からの相手方の1年セッターに対する印象だった。

最初はあまりに熱心に見つめられるのが居心地悪くて、ついつい引いてしまったのは、自分は悪くないと思っている。あんな熱烈な視線を2人分受けて引かない人間のほうが意味が分からない。幼馴染みは面白がっていたが、彼がそういう気質なのであって、自分のほうが特殊なわけではないと思う。

だから、試合が終わったら、黒髪のセッターとオレンジ髪のミドルブロッカーにはできるだけ近寄らないようにしようと思っていた。思っていたはず、だ。

けれど、チームメイトのやり取りを見て笑った顔を見ると、少しだけ、興味が湧く。大事な宝物を眺めるような、どことなく大人びた表情で青みがかった大きな瞳を細めていた少年の顔は、驚くぐらい綺麗だった。

(試合運びは可愛くないけど)

静かに息を付いてゆらりと腕を上げる。綺麗にレシーブされ、真上から落ちてきたボールを、すっと押し上げた。

できるだけエネルギーを使わないよう、少ない動きでトスを上げる。ボールが上がった先にいた福永が手を振り下ろした。

烏野は、あまりブロックが完成されていない。今も、上手に揃わなかった壁をすり抜け、ボールが向こうに飛んでいく。

だが、すっと滑り込んだ向こうのリベロが綺麗にボールを拾ってしまったのを見て、孤爪は半眼になった。

ラリーは体力がいる。長引けば長引くほど疲れる。疲れることは苦手だ。

目の前でオレンジ髪の1年が地面を蹴った。

瞬時に反応したブロックを避け、風圧のかたまりがネットを越えて飛び込んできたが、こちらは身構えていた夜久にすくい上げられる。

「はあ、…分かった、いいよ」

どちらが先にボールを叩きつけるかではなく。

どちらが最後までボールを拾えるか、根比べだ。





その時は急にやってきた。

というよりも、少しずつ伸びてきていた手に、追いつかれたと言ったほうが正しいのかもしれない。

勢いよく打ち出したボールに、突然横合いから手が伸びてきた。

ベチンと音を立て、ボールがその勢いのまま戻ってくる。澤村は反射的に腕を伸ばしたが、ボールは伸ばした手の上で跳ねてから、コートの外に飛んでいった。

「悪い!」

反応が遅かった! と空気を切り替えるように声を出す。すぐにチームの中から返事が飛んできた。

得点は、烏野が18点、音駒が17点。まだ、抜かされてはいない。

「っやった!」

元気いっぱい大きな手を振り回す大柄な音駒の選手から視線を外し、澤村は思いっきり速攻を弾かれた日向に目を向けた。

「日向」

わいわいと賑やかなネットの向かい側を見つめて動きを止めていた日向は、一拍してからこちらを見る。

大丈夫だ、と言おうとして、言葉を飲み込んだ。

「大地さん?」

呼びかけたきり、何も言わない澤村に、日向はきょとんと首をかたむける。

「いや、悪い。…大丈夫だな?」

最初に言おうとした言葉は少し変えた。はげましから確認に変えたのは、日向の目を見たからだ。

「はい」

普段通りの、気負った様子もない日向の瞳は、鮮やかな炎の色を宿して輝いている。

「よし」

だから、それ以上の言葉はいらないと思った。わしわしと頭を撫で、さっさと元の位置に戻る。

すぐに試合が再開し、ボールがこちらに飛んできた。

後ろに下がっていた東峰が最初にボールに触る。浮き上がったボールの元に影山が走っていく。

「影山!」

──その瞬間響いた声は、けして耳障りではなかったのに、背筋をぞわりとさせる何かがあった。

澤村からは横顔しか見えない影山の口が、満足げにほころぶ。吸い寄せられるように上がったトスが、呼び声の主の手に届いた。

がっちりと組み合わさったブロックが道を遮ろうとするが、日向は止まらない。

バシリと音がして、ブロックの、ほんの少しの隙をすり抜けて、ボールが落ちた。一瞬の間のあと、澤村は思わず拳を握りしめる。

くるりと振り向いた日向が、元気よく飛び跳ねて影山に腕を伸ばした。影山がそれに応えて手のひらを向けると、パン、と小気味のいい音が鳴る。

少しずつ手は伸びてきていて、一度捕まったのは間違いない。

それでも、その手はすぐに振り払われた。
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