19
いい天気だな、と空を仰ぐ。
「なあ」
「んー?」
牛乳を飲み干していた影山からの呼びかけに、のんびりと返事をした日向は、デザートの苺を口に入れた。くれ、と伸びてきた手にも1つ乗せてやる。
今日の昼休みはほかの1年の予定が空いていなかったので、かなり珍しい2人だけの昼食だ。
「監督っていつからコーチになった?」
「今ぐらいだった気がする」
相変わらずいろいろと言葉が抜けている質問ではあったものの、日向はさらりと返事をした。伊達に10年以上の時を一緒に過ごしてはいない。
影山が言っているのは、ずっと烏野でコーチを、そして監督を務めてくれていた烏養の話だ。
「先生が頭下げまくって連れてきてくれたんだろ」
「それ、何か手伝えねえか?」
「…あー、うーん」
正直なところ、日向は当時の武田がどのようにして彼を説得したのかを知らない。どこかで当時の話を聞いたかもしれないが、少なくとも記憶にはない。
「難しくね? どうやって手伝うんだ?」
「…うぬん」
特に何か考えがあったわけではないらしく、返ってきたのはそんな声だった。
「なんかできればいいけどなー」
現状、本来なら烏養のことを店番としか思っていないはずの自分達が首を突っ込めることはない、と思う。ないとは思うが烏養も、チームメイト達と同じぐらい大事な存在であることは確かで。
「あ、でも」
考え込んでいた日向は、ふっと顔を上げた。
「たぶん、俺らが何もしなくても、もうすぐ来る」
「…? もうすぐ、なんかあったか?」
「音駒との試合、あるだろ」
「おう」
“前回”と同じく武田が取り付けてきた練習試合のことを話題に出すと、影山はあ、と口を開く。
「そういや、監督って」
「最初、コーチやんのは音駒との試合までって言ってただろ。だからそろそろ来る、たぶん」
“前回”と変わりがなければ、という条件付きではあるものの、練習試合の前には来るはずだ。
つまり、と日向は続ける。
「俺達がやらないといけないのってさ」
「おう?」
「監督って呼ばないようにすることだろ」
「………。努力する」
ぎく、と瞳をさまよわせた影山は、ぼそりとそう呟いた。
残念ながら、絶対に言わないという保証は、日向にも影山にもなかった。
日向が言った“もうすぐ”は、思っていたよりもそうとうに早くやってきた。
「今日からコーチをお願いする烏養くんです」
(今日だったのか)
そわり、と口元を緩ませながら、影山はそんなことを考える。視線の先では昼休みに話題にしたばかりの烏養が立っていた。
部員達から質問攻めにされている彼を少し離れたところで見ながら、弾み出した鼓動を抑えるようにそっと胸に手を当てる。
(揃った、ようやく)
影山が、ずっと心の宝箱にしまっていた大切な光景。その光景を形作る、最後の1人が来てくれたことが嬉しくてたまらない。
「影山」
ぽんと背中を叩かれて振り向くと、笑顔の、だがどこか泣きそうな表情を浮かべた日向がいた。
「これからだな」
「………」
影山は黙って頷く。少し落ち着くまでは、口を開いた瞬間に泣いてしまいそうだった。
(全員、いる)
烏養に話しかけている部員の中には西谷がいる。興奮して今にも飛び付きかねない西谷を東峰が抑えていた。その奥では、わあわあとやかましい男子達を、おろおろとしながら谷地が見守っている。
“前回”のこの時には集まっていなかった面々も含め、全員が、いた。
「…何してるの」
と、ぼそりと声をかけられ、2人は振り向く。いつの間にかそばにいた月島は、影山と日向の表情を見比べ、眉間にシワを寄せた。
「何。なんかあるわけ」
「…なんでもねー」
へらり、と日向が笑う。
「昔のこと思い出しただけ」
「あっそ。いつもうるさいのが静かだから食べ過ぎで腹痛でも起こしてるのかと思った」
「心配してくれんの? やっさしー」
「んなわけないデショ」
「イッデ」
ごす、と拳を頭に落とされ、日向が肩をすくめた。そのやりとりに、影山がぷ、と吹き出すと、月島がじとりとこちらを見る。
「はー、…まったく、心配のしがいがない」
「ん? 心配?」
「う、る、さ、い」
「月島」
再び日向と言い合い──というよりも日向にからかわれ始めた月島の名前を呼んだ。溜め息をつきながらもこちらを見た月島に、小さく笑顔を向ける。
「サンキュ」
「別に」
ふん、と顔を背けた同輩の口元が、ほっとしたように緩んだのが見えた。
月島には妙なチームメイトがいる。
妙というのは、例えばやたらと構ってきたり、冷たくしてもまったく折れなかったり。かと思えばどこか年上のような顔を見せ、こちらを──認めたくはないが──安心させてくれることもある。そして、
「ツッキー? どうかした?」
「あの2人、いつもにも増しておかしいんだけど」
「…そ、それだといつもおかしいみたいだよ」
──時折、ひどく何かを懐かしむ顔を見せるのが、月島は密かに気になっていた。
「でも、そういえば今日はなんだか静かだね」
せっかくコーチを引き受けてくれるっていう人が来たのに、と山口も首をかしげる。日向も影山も、普段であれば大喜びで寄って行きそうなはずが、今は少し離れたところから静かに烏養やチームメイト達を見つめていた。
その様子がどうしても気になり、気づけば月島は2人に近寄っていた。
話しかけると2人は驚いたように振り返った。その顔は、どこか泣きそうで、──それでいて、幸福そうで。
「何。なんかあるわけ」
そう訊ねながらも、2人にとってこの光景はとても意味があるものなのだろうと、なんとはなしに感じ取る。
「はー、…まったく、心配のしがいがない」
そんな愚痴をもらしながらも、笑顔を見せる2人を見て少しだけ、心があたたまった。
「なあ」
「んー?」
牛乳を飲み干していた影山からの呼びかけに、のんびりと返事をした日向は、デザートの苺を口に入れた。くれ、と伸びてきた手にも1つ乗せてやる。
今日の昼休みはほかの1年の予定が空いていなかったので、かなり珍しい2人だけの昼食だ。
「監督っていつからコーチになった?」
「今ぐらいだった気がする」
相変わらずいろいろと言葉が抜けている質問ではあったものの、日向はさらりと返事をした。伊達に10年以上の時を一緒に過ごしてはいない。
影山が言っているのは、ずっと烏野でコーチを、そして監督を務めてくれていた烏養の話だ。
「先生が頭下げまくって連れてきてくれたんだろ」
「それ、何か手伝えねえか?」
「…あー、うーん」
正直なところ、日向は当時の武田がどのようにして彼を説得したのかを知らない。どこかで当時の話を聞いたかもしれないが、少なくとも記憶にはない。
「難しくね? どうやって手伝うんだ?」
「…うぬん」
特に何か考えがあったわけではないらしく、返ってきたのはそんな声だった。
「なんかできればいいけどなー」
現状、本来なら烏養のことを店番としか思っていないはずの自分達が首を突っ込めることはない、と思う。ないとは思うが烏養も、チームメイト達と同じぐらい大事な存在であることは確かで。
「あ、でも」
考え込んでいた日向は、ふっと顔を上げた。
「たぶん、俺らが何もしなくても、もうすぐ来る」
「…? もうすぐ、なんかあったか?」
「音駒との試合、あるだろ」
「おう」
“前回”と同じく武田が取り付けてきた練習試合のことを話題に出すと、影山はあ、と口を開く。
「そういや、監督って」
「最初、コーチやんのは音駒との試合までって言ってただろ。だからそろそろ来る、たぶん」
“前回”と変わりがなければ、という条件付きではあるものの、練習試合の前には来るはずだ。
つまり、と日向は続ける。
「俺達がやらないといけないのってさ」
「おう?」
「監督って呼ばないようにすることだろ」
「………。努力する」
ぎく、と瞳をさまよわせた影山は、ぼそりとそう呟いた。
残念ながら、絶対に言わないという保証は、日向にも影山にもなかった。
日向が言った“もうすぐ”は、思っていたよりもそうとうに早くやってきた。
「今日からコーチをお願いする烏養くんです」
(今日だったのか)
そわり、と口元を緩ませながら、影山はそんなことを考える。視線の先では昼休みに話題にしたばかりの烏養が立っていた。
部員達から質問攻めにされている彼を少し離れたところで見ながら、弾み出した鼓動を抑えるようにそっと胸に手を当てる。
(揃った、ようやく)
影山が、ずっと心の宝箱にしまっていた大切な光景。その光景を形作る、最後の1人が来てくれたことが嬉しくてたまらない。
「影山」
ぽんと背中を叩かれて振り向くと、笑顔の、だがどこか泣きそうな表情を浮かべた日向がいた。
「これからだな」
「………」
影山は黙って頷く。少し落ち着くまでは、口を開いた瞬間に泣いてしまいそうだった。
(全員、いる)
烏養に話しかけている部員の中には西谷がいる。興奮して今にも飛び付きかねない西谷を東峰が抑えていた。その奥では、わあわあとやかましい男子達を、おろおろとしながら谷地が見守っている。
“前回”のこの時には集まっていなかった面々も含め、全員が、いた。
「…何してるの」
と、ぼそりと声をかけられ、2人は振り向く。いつの間にかそばにいた月島は、影山と日向の表情を見比べ、眉間にシワを寄せた。
「何。なんかあるわけ」
「…なんでもねー」
へらり、と日向が笑う。
「昔のこと思い出しただけ」
「あっそ。いつもうるさいのが静かだから食べ過ぎで腹痛でも起こしてるのかと思った」
「心配してくれんの? やっさしー」
「んなわけないデショ」
「イッデ」
ごす、と拳を頭に落とされ、日向が肩をすくめた。そのやりとりに、影山がぷ、と吹き出すと、月島がじとりとこちらを見る。
「はー、…まったく、心配のしがいがない」
「ん? 心配?」
「う、る、さ、い」
「月島」
再び日向と言い合い──というよりも日向にからかわれ始めた月島の名前を呼んだ。溜め息をつきながらもこちらを見た月島に、小さく笑顔を向ける。
「サンキュ」
「別に」
ふん、と顔を背けた同輩の口元が、ほっとしたように緩んだのが見えた。
月島には妙なチームメイトがいる。
妙というのは、例えばやたらと構ってきたり、冷たくしてもまったく折れなかったり。かと思えばどこか年上のような顔を見せ、こちらを──認めたくはないが──安心させてくれることもある。そして、
「ツッキー? どうかした?」
「あの2人、いつもにも増しておかしいんだけど」
「…そ、それだといつもおかしいみたいだよ」
──時折、ひどく何かを懐かしむ顔を見せるのが、月島は密かに気になっていた。
「でも、そういえば今日はなんだか静かだね」
せっかくコーチを引き受けてくれるっていう人が来たのに、と山口も首をかしげる。日向も影山も、普段であれば大喜びで寄って行きそうなはずが、今は少し離れたところから静かに烏養やチームメイト達を見つめていた。
その様子がどうしても気になり、気づけば月島は2人に近寄っていた。
話しかけると2人は驚いたように振り返った。その顔は、どこか泣きそうで、──それでいて、幸福そうで。
「何。なんかあるわけ」
そう訊ねながらも、2人にとってこの光景はとても意味があるものなのだろうと、なんとはなしに感じ取る。
「はー、…まったく、心配のしがいがない」
そんな愚痴をもらしながらも、笑顔を見せる2人を見て少しだけ、心があたたまった。