9
「…そういうこと」
その時、体育館に入ろうとした彼は、コートの中にいる少年を見て、低く呟いた。視線の先では、チームメイトに何か話しかけられて振り向いた少年が、笑顔を見せている。
「だから練習試合なんて組んだのか」
そう呟きながら、彼は体育館に入っていった。途端、上から歓声が降ってくる。
彼は声を張り上げて声援を送ってくれる女子生徒達に手を振り、そして。
「…相変わらず可愛くないね、トビオちゃん」
こちらに気付いて嫌そうな顔をした影山に、笑ってみせた。
──怯えられるのではなく、遠慮なく嫌な顔をされたことに少しほっとしたのは、気づかないことにして。
「あれが例の?」
「おう」
ぽそりと問いかけてきた月島に返事をすると、田中がゆらりと前に歩み出る。
「へえええ、あの優男が。へええええええ」
先ほどから女子の歓声を浴びている及川が気に食わなかったらしい。凶悪な人相で監督と話している様子を眺めている。隣で縁下が溜め息をついた。
「お前すぐにそういう顔するからモテないんだろ」
「んな!?」
「影山」
やり取りに笑いそうになっていたところで、後ろから澤村に声をかけられて、影山はそちらに顔を向ける。
「はい」
「大丈夫か?」
「大丈夫っす」
絡まれたら面倒なことになるが、何も起こらなそうな試合中であれば、特に怖くはない。凄まじい実力を持つ選手の参戦、という意味での緊張はあるが。
無理した様子もなく頷いた影山を見て、澤村はよかった、と笑った。だが、
「…?」
その時、不意にチリチリとした視線を感じて影山は首をかしげる。振り向いてみたものの、視線の主だと思った及川はすでにこちらから遠ざかるところだった。
(気のせい…か?)
どちらにしろ、今は気にしてもしょうがない。影山は試合のほうに意識を戻した。
「ナイッサー!」
すぐにボールが飛んできて、試合が動き出す。
「縁下!」
「はい!」
澤村の声に反応した縁下が、ボールの行き先に滑り込んだ。少し不安定ではあるものの、ぽんとボールが浮き上がる。
視界の隅で日向が走り出すのを確認して、影山は手を構えた。誰が相手でも、どんな因縁があろうとも、やることはいつもと同じ。
「…っ日向!」
「おう!」
一拍して、ボールが床に叩きつけられる音が響いた。
それからしばらく経っても、烏野がリードしたまま試合は続いていた。だが。
「向こう、戻ってきたな」
どこかで流れが変わってしまえばすぐに追いつかれかねない状態の中、監督の元まで戻ってきている及川を見て、澤村が呟く。その声を聞きつけた日向は、ちらりと相棒の様子を伺った。
「ようやくお出ましかよ」
「いやアップしてたっぽいししょうがないだろ。…お前誰にでもその顔するのやめろ」
「…っ」
「1年に笑われてるぞセンパイ」
「わ、らって、ないっす」
「笑ってんじゃねーか!」
視線の先の影山は、田中と縁下のやり取りに吹き出すのを堪えている最中だったが。
(あ、大丈夫だな)
少し心配しすぎたかもしれない、と日向は心の中で肩をすくめる。“前回”の人生経験を通して精神が丈夫になっていることは分かっているものの、どうしてもどこか抜けている相棒に過保護になりがちな自覚はあった。ただし、改める気はまったくない。
(それよりも、今は月島だな)
「…何」
“前回”と同じであれば確実に狙われるだろうチームメイトを振り返ると、目があった月島は不審そうな顔をした。
「んー、いや、なんでもないけど」
「はあ?」
お前狙われるぞ、と言うわけにもいかず、日向は言葉を濁す。結果的にさらに不審そうな顔になったものの、月島はそれ以上追求してこなかった。
だが、そんなやり取りをしている間に笛が鳴り、及川が出てくる。そして、
「…?」
(やっぱり!)
“前回”と同じく、月島を指差して見せた。
「月島!」
日向は思わず声を上げる。訝しげな顔をしていた月島は瞳をまたたかせたが──何か対策を取るには、時間がなさすぎた。
その瞬間、月島は咄嗟に腕を構えた。だが、ゴウ、という風切り音とともに迫ってきたボールは激しく腕にぶつかり、勢いを殺せずにあらぬ方向へ飛んでいく。
「うっ!」
鋭い痛みが腕に走った。影山の殺人サーブには慣れ始めたと思っているが、このサーブはそれ以上に重い。
「君、レシーブ苦手でしょ」
「………」
その上、そんなことをさらりと指摘され、月島はうっかり瞳を彷徨わせた。確かに、今試合に出ている面々の中で、一番レシーブに慣れていないのは自分だろう。
だが、
「月島」
振り向いた影山が、不意に笑ってみせる。
「大丈夫だ」
「…そう」
何が大丈夫なのかはさっぱり分からないが、そう言われた途端、不思議と落ち着いた。顔を伝う汗を拭って前を向くと、目が合った及川が眉をぴくりと動かす。
「もう少し響くと思ったんだけど。…まあ、いいか。じゃあ、」
そう言いつつ、ボールを持った彼は、口元に笑みを刻んだ。
「もう一回」
だが、その時、澤村が不意に声を上げる。
「月島、もう少し下がって、サイドラインに寄れ」
「はい」
言われるままにコートの縁に寄ると、澤村は前に向き直り、構えた。
「恐らく、レシーブに不慣れなお前が狙われるだろうと、聞いていたからな。対策は考えてあった」
「…え」
そんなことをアドバイスできる人間は限られている。もしかして、と影山に視線を移すと、振り返った相手がちらりと笑顔を見せた。
「…え、えーお前いつの間に」
「昨日ちょっと話した」
どうやらそのことを知らなかったらしく、目を丸くしている日向に返事をして、影山はなんでもないことのように言う。
「だから、大丈夫だって、言っただろ」
「………」
返事をするのは少し癪だった月島は、黙って構えた。
そして、
(来た)
コートの端にいるにも関わらず、再び正確にこちら目掛けてボールが飛んでくる。だが、
「…っ」
先ほどとは違い、レシーブによって勢いを削がれたボールはふわりと浮き上がり、それを見上げた月島は、自分でも気づかないぐらいわずかに笑みをこぼした。
その時、体育館に入ろうとした彼は、コートの中にいる少年を見て、低く呟いた。視線の先では、チームメイトに何か話しかけられて振り向いた少年が、笑顔を見せている。
「だから練習試合なんて組んだのか」
そう呟きながら、彼は体育館に入っていった。途端、上から歓声が降ってくる。
彼は声を張り上げて声援を送ってくれる女子生徒達に手を振り、そして。
「…相変わらず可愛くないね、トビオちゃん」
こちらに気付いて嫌そうな顔をした影山に、笑ってみせた。
──怯えられるのではなく、遠慮なく嫌な顔をされたことに少しほっとしたのは、気づかないことにして。
「あれが例の?」
「おう」
ぽそりと問いかけてきた月島に返事をすると、田中がゆらりと前に歩み出る。
「へえええ、あの優男が。へええええええ」
先ほどから女子の歓声を浴びている及川が気に食わなかったらしい。凶悪な人相で監督と話している様子を眺めている。隣で縁下が溜め息をついた。
「お前すぐにそういう顔するからモテないんだろ」
「んな!?」
「影山」
やり取りに笑いそうになっていたところで、後ろから澤村に声をかけられて、影山はそちらに顔を向ける。
「はい」
「大丈夫か?」
「大丈夫っす」
絡まれたら面倒なことになるが、何も起こらなそうな試合中であれば、特に怖くはない。凄まじい実力を持つ選手の参戦、という意味での緊張はあるが。
無理した様子もなく頷いた影山を見て、澤村はよかった、と笑った。だが、
「…?」
その時、不意にチリチリとした視線を感じて影山は首をかしげる。振り向いてみたものの、視線の主だと思った及川はすでにこちらから遠ざかるところだった。
(気のせい…か?)
どちらにしろ、今は気にしてもしょうがない。影山は試合のほうに意識を戻した。
「ナイッサー!」
すぐにボールが飛んできて、試合が動き出す。
「縁下!」
「はい!」
澤村の声に反応した縁下が、ボールの行き先に滑り込んだ。少し不安定ではあるものの、ぽんとボールが浮き上がる。
視界の隅で日向が走り出すのを確認して、影山は手を構えた。誰が相手でも、どんな因縁があろうとも、やることはいつもと同じ。
「…っ日向!」
「おう!」
一拍して、ボールが床に叩きつけられる音が響いた。
それからしばらく経っても、烏野がリードしたまま試合は続いていた。だが。
「向こう、戻ってきたな」
どこかで流れが変わってしまえばすぐに追いつかれかねない状態の中、監督の元まで戻ってきている及川を見て、澤村が呟く。その声を聞きつけた日向は、ちらりと相棒の様子を伺った。
「ようやくお出ましかよ」
「いやアップしてたっぽいししょうがないだろ。…お前誰にでもその顔するのやめろ」
「…っ」
「1年に笑われてるぞセンパイ」
「わ、らって、ないっす」
「笑ってんじゃねーか!」
視線の先の影山は、田中と縁下のやり取りに吹き出すのを堪えている最中だったが。
(あ、大丈夫だな)
少し心配しすぎたかもしれない、と日向は心の中で肩をすくめる。“前回”の人生経験を通して精神が丈夫になっていることは分かっているものの、どうしてもどこか抜けている相棒に過保護になりがちな自覚はあった。ただし、改める気はまったくない。
(それよりも、今は月島だな)
「…何」
“前回”と同じであれば確実に狙われるだろうチームメイトを振り返ると、目があった月島は不審そうな顔をした。
「んー、いや、なんでもないけど」
「はあ?」
お前狙われるぞ、と言うわけにもいかず、日向は言葉を濁す。結果的にさらに不審そうな顔になったものの、月島はそれ以上追求してこなかった。
だが、そんなやり取りをしている間に笛が鳴り、及川が出てくる。そして、
「…?」
(やっぱり!)
“前回”と同じく、月島を指差して見せた。
「月島!」
日向は思わず声を上げる。訝しげな顔をしていた月島は瞳をまたたかせたが──何か対策を取るには、時間がなさすぎた。
その瞬間、月島は咄嗟に腕を構えた。だが、ゴウ、という風切り音とともに迫ってきたボールは激しく腕にぶつかり、勢いを殺せずにあらぬ方向へ飛んでいく。
「うっ!」
鋭い痛みが腕に走った。影山の殺人サーブには慣れ始めたと思っているが、このサーブはそれ以上に重い。
「君、レシーブ苦手でしょ」
「………」
その上、そんなことをさらりと指摘され、月島はうっかり瞳を彷徨わせた。確かに、今試合に出ている面々の中で、一番レシーブに慣れていないのは自分だろう。
だが、
「月島」
振り向いた影山が、不意に笑ってみせる。
「大丈夫だ」
「…そう」
何が大丈夫なのかはさっぱり分からないが、そう言われた途端、不思議と落ち着いた。顔を伝う汗を拭って前を向くと、目が合った及川が眉をぴくりと動かす。
「もう少し響くと思ったんだけど。…まあ、いいか。じゃあ、」
そう言いつつ、ボールを持った彼は、口元に笑みを刻んだ。
「もう一回」
だが、その時、澤村が不意に声を上げる。
「月島、もう少し下がって、サイドラインに寄れ」
「はい」
言われるままにコートの縁に寄ると、澤村は前に向き直り、構えた。
「恐らく、レシーブに不慣れなお前が狙われるだろうと、聞いていたからな。対策は考えてあった」
「…え」
そんなことをアドバイスできる人間は限られている。もしかして、と影山に視線を移すと、振り返った相手がちらりと笑顔を見せた。
「…え、えーお前いつの間に」
「昨日ちょっと話した」
どうやらそのことを知らなかったらしく、目を丸くしている日向に返事をして、影山はなんでもないことのように言う。
「だから、大丈夫だって、言っただろ」
「………」
返事をするのは少し癪だった月島は、黙って構えた。
そして、
(来た)
コートの端にいるにも関わらず、再び正確にこちら目掛けてボールが飛んでくる。だが、
「…っ」
先ほどとは違い、レシーブによって勢いを削がれたボールはふわりと浮き上がり、それを見上げた月島は、自分でも気づかないぐらいわずかに笑みをこぼした。