30
妙ににこやかな及川を眺めながら、影山はこの場をどうするか考えていた。この面倒な元先輩は、一度絡むとやたらとしつこい。だからこそ、これまで関わりを持たないように気を付けていた。
「あの、もう帰るんすけど」
「そんなに急いで帰る必要ないじゃん」
「いや用事が」
「なんの?」
「え、っと、」
そんなに簡単に言い訳が出てくるほど器用ではない影山は、思わず言葉に詰まった。それを見て、及川の瞳の色がふっと冷える。
「何、そんなに俺と話したくないわけ」
「…っ」
実際、お互いいい年になった“前回”ならともかく、苦手意識ができているこの頃の及川とは話したくはない。だが、基本的に目上には礼儀正しい影山としては、話したくない、とは言いづらい。とは言え、ここでさらっと嘘がつけるわけもなく、
「………」
影山は、黙って口を引き結んだ。
元後輩の無言の肯定に、及川は顔を歪める。
「ほんっと可愛くない」
「…そうっすね?」
今さら何をと思いながら返事をすると、ますますイライラした顔をされた。
「そんなんだから可愛がられないんだよ、お前」
「いや、でも、」
可愛がられているかどうかはともかく、優しくしてはもらっている。そう訂正しようと影山は口を開いたが、
「へえええええ。自分が好かれないだけとは考えないんだ?」
──その前に、影山の前に出た菅原が口を挟んだ。明らかに馬鹿にしている口調に、及川が眉を吊り上げる。
「どういう意味」
「そのままだけど。欲しい反応がもらえないのは自分に原因があるとは考えないんだ?」
「はあ? 別に欲しい反応とか、」
「俺には構ってもらいたい子供に見えるべ」
「な!」
「可愛い反応が見たいならそれ相応の態度を取ればいい。少なくとも、俺達にとってこの子は可愛い後輩だからな?」
影山や日向に対しては穏やかな笑顔と口調の菅原が、今は随分とげとげしい口調になっている。どうやら及川に対して怒っているらしい、と遅れて理解した影山は、慌てて菅原の袖を引っ張った。
「す、スガさん…っ」
「んー、影山はちょっと待っててなー」
振り向いた菅原は、いつも通りの笑顔と口調で、影山は少しほっとする。
「あ、あの、怒ってます?」
「影山には怒ってないべ? ただ、」
菅原の声が急に低くなる。
「お前が全部悪いみたいな言い方して、被害者面してるやつには、怒ってる」
「被害者面なんか、」
「してるだろ」
畳み掛けられ呆然とした顔になっているものの反論しようとした及川だったが、その声に被せるようにして、菅原は言い切った。
「そっちにも事情があったかも知れないし、影山にも悪いところがあったっていうのは聞いてる。でも、」
「おい! こんなところにいやがったのか!」
その時、どうやら及川を探していたらしい岩泉が走ってきた。棒立ち状態の幼馴染みに気付いた岩泉は、訝しげに菅原を見る。菅原のほうは、岩泉にちらりと視線を送ってから、再び口を開いた。
「…でも、年下の、まだ心が育ってない子供を寄ってたかって爪弾きにして傷付けた時点で、被害者面する権利なんて、かけらもない」
「──…っ」
「…、ちが、爪弾きなんか、」
及川が目を見開いて息を呑む。菅原の言葉と、後ろにいる影山を見て、状況を察した岩泉が慌てたように首を振った。
「天才だからってこの子の居場所を作ってやらなかったのを、爪弾きじゃないならなんて呼ぶんだ?」
「それは、」
「スガさん」
自分を守ろうとしてくれる優しい先輩の袖を、影山はもう一度引っ張る。
「ちょっと、いいすか」
「うん?」
自分に対しては相変わらず穏やかに返事をしてくれる菅原に、影山は少し笑った。
守ろうとしてくれるのはとても嬉しい。けれど、菅原の後ろでただ守られているのはおかしいと思った。
「及川さん、岩泉さんも」
「…何」
「…おう」
悪い人達ではない、と思う。けれど、──今の自分は、わざわざ関わるほどこの人達に興味を持てないと、気付いてしまった。
「俺は、無神経で可愛くない後輩だったんだと思います。それは、ごめんなさい」
突然謝られて目を見開く2人に向かって、影山は言葉を続ける。
「でも、もう“後輩”としてやり直す気が、俺にはないです」
「…それって、どういう」
「………」
及川はまだ理解ができていないようだが、岩泉は何を言いたいのか分かったらしく、ぐっと唇を噛み締めた。
「俺は、及川さんのことも岩泉さんのこともすごい人だと思います。けど、」
言ってしまっていいのか、と迷いながらも、影山は息を吸って続ける。
「こうやって無理に関わるの、疲れました」
「「…!」」
「だから、無理に関わるの、もうやめたいです」
ウシワカと同じ、他校のすごい上級生。それだけでもう十分だと思った。
言いたいことを言い切って、影山はほっと息をつく。いつの間にか隣に来ていた厚木が心配そうに見上げてくるのに笑いかけた。
「帰るか」
「…はい」
安心したように頷いた厚木だったが、
「…んで、」
不意に聞こえた声にびくりと震えて影山の袖を掴む。影山が視線を戻すと、及川がふらりと歩み寄ってきた。
「なんで、どうして、離れようと、する」
「だ、って、」
今答えを言ったはずなのに、納得できなかったのか。どこか異様な様子に、背中がぞわりとした。
「影山、おいで」
同じくおかしいものを感じ取ったらしい菅原に、後ろに押し込まれる。入れ替わりに、澤村と東峰が前に出た。
「おい、怖がらせるな!」
慌てたように岩泉が声をかけると及川は立ち止まったが、その瞳は後ろに下がった影山に向けられたままだ。
仄暗い光を宿した瞳にじっと見つめられて、さすがの影山も怖くなった。その時、
「及川! 岩泉!」
「何してんだよ!」
ばたばたと駆けてくる音と鋭い声に、全員の視線が正面口のほうに向く。そして、
「ええ!?」
「え、あれって、」
「花巻さんと、」
「松川さん、だっけ」
1年達がぽかんと口を開いた。
「…あの2人、なんで」
一緒になってぽかんとしていた影山がそう呟くと、けらけらと笑う声がした。振り向くと、にっと笑った日向が携帯を見せる。
その画面には、花巻と松川のラインが表示されていた。
「あの、もう帰るんすけど」
「そんなに急いで帰る必要ないじゃん」
「いや用事が」
「なんの?」
「え、っと、」
そんなに簡単に言い訳が出てくるほど器用ではない影山は、思わず言葉に詰まった。それを見て、及川の瞳の色がふっと冷える。
「何、そんなに俺と話したくないわけ」
「…っ」
実際、お互いいい年になった“前回”ならともかく、苦手意識ができているこの頃の及川とは話したくはない。だが、基本的に目上には礼儀正しい影山としては、話したくない、とは言いづらい。とは言え、ここでさらっと嘘がつけるわけもなく、
「………」
影山は、黙って口を引き結んだ。
元後輩の無言の肯定に、及川は顔を歪める。
「ほんっと可愛くない」
「…そうっすね?」
今さら何をと思いながら返事をすると、ますますイライラした顔をされた。
「そんなんだから可愛がられないんだよ、お前」
「いや、でも、」
可愛がられているかどうかはともかく、優しくしてはもらっている。そう訂正しようと影山は口を開いたが、
「へえええええ。自分が好かれないだけとは考えないんだ?」
──その前に、影山の前に出た菅原が口を挟んだ。明らかに馬鹿にしている口調に、及川が眉を吊り上げる。
「どういう意味」
「そのままだけど。欲しい反応がもらえないのは自分に原因があるとは考えないんだ?」
「はあ? 別に欲しい反応とか、」
「俺には構ってもらいたい子供に見えるべ」
「な!」
「可愛い反応が見たいならそれ相応の態度を取ればいい。少なくとも、俺達にとってこの子は可愛い後輩だからな?」
影山や日向に対しては穏やかな笑顔と口調の菅原が、今は随分とげとげしい口調になっている。どうやら及川に対して怒っているらしい、と遅れて理解した影山は、慌てて菅原の袖を引っ張った。
「す、スガさん…っ」
「んー、影山はちょっと待っててなー」
振り向いた菅原は、いつも通りの笑顔と口調で、影山は少しほっとする。
「あ、あの、怒ってます?」
「影山には怒ってないべ? ただ、」
菅原の声が急に低くなる。
「お前が全部悪いみたいな言い方して、被害者面してるやつには、怒ってる」
「被害者面なんか、」
「してるだろ」
畳み掛けられ呆然とした顔になっているものの反論しようとした及川だったが、その声に被せるようにして、菅原は言い切った。
「そっちにも事情があったかも知れないし、影山にも悪いところがあったっていうのは聞いてる。でも、」
「おい! こんなところにいやがったのか!」
その時、どうやら及川を探していたらしい岩泉が走ってきた。棒立ち状態の幼馴染みに気付いた岩泉は、訝しげに菅原を見る。菅原のほうは、岩泉にちらりと視線を送ってから、再び口を開いた。
「…でも、年下の、まだ心が育ってない子供を寄ってたかって爪弾きにして傷付けた時点で、被害者面する権利なんて、かけらもない」
「──…っ」
「…、ちが、爪弾きなんか、」
及川が目を見開いて息を呑む。菅原の言葉と、後ろにいる影山を見て、状況を察した岩泉が慌てたように首を振った。
「天才だからってこの子の居場所を作ってやらなかったのを、爪弾きじゃないならなんて呼ぶんだ?」
「それは、」
「スガさん」
自分を守ろうとしてくれる優しい先輩の袖を、影山はもう一度引っ張る。
「ちょっと、いいすか」
「うん?」
自分に対しては相変わらず穏やかに返事をしてくれる菅原に、影山は少し笑った。
守ろうとしてくれるのはとても嬉しい。けれど、菅原の後ろでただ守られているのはおかしいと思った。
「及川さん、岩泉さんも」
「…何」
「…おう」
悪い人達ではない、と思う。けれど、──今の自分は、わざわざ関わるほどこの人達に興味を持てないと、気付いてしまった。
「俺は、無神経で可愛くない後輩だったんだと思います。それは、ごめんなさい」
突然謝られて目を見開く2人に向かって、影山は言葉を続ける。
「でも、もう“後輩”としてやり直す気が、俺にはないです」
「…それって、どういう」
「………」
及川はまだ理解ができていないようだが、岩泉は何を言いたいのか分かったらしく、ぐっと唇を噛み締めた。
「俺は、及川さんのことも岩泉さんのこともすごい人だと思います。けど、」
言ってしまっていいのか、と迷いながらも、影山は息を吸って続ける。
「こうやって無理に関わるの、疲れました」
「「…!」」
「だから、無理に関わるの、もうやめたいです」
ウシワカと同じ、他校のすごい上級生。それだけでもう十分だと思った。
言いたいことを言い切って、影山はほっと息をつく。いつの間にか隣に来ていた厚木が心配そうに見上げてくるのに笑いかけた。
「帰るか」
「…はい」
安心したように頷いた厚木だったが、
「…んで、」
不意に聞こえた声にびくりと震えて影山の袖を掴む。影山が視線を戻すと、及川がふらりと歩み寄ってきた。
「なんで、どうして、離れようと、する」
「だ、って、」
今答えを言ったはずなのに、納得できなかったのか。どこか異様な様子に、背中がぞわりとした。
「影山、おいで」
同じくおかしいものを感じ取ったらしい菅原に、後ろに押し込まれる。入れ替わりに、澤村と東峰が前に出た。
「おい、怖がらせるな!」
慌てたように岩泉が声をかけると及川は立ち止まったが、その瞳は後ろに下がった影山に向けられたままだ。
仄暗い光を宿した瞳にじっと見つめられて、さすがの影山も怖くなった。その時、
「及川! 岩泉!」
「何してんだよ!」
ばたばたと駆けてくる音と鋭い声に、全員の視線が正面口のほうに向く。そして、
「ええ!?」
「え、あれって、」
「花巻さんと、」
「松川さん、だっけ」
1年達がぽかんと口を開いた。
「…あの2人、なんで」
一緒になってぽかんとしていた影山がそう呟くと、けらけらと笑う声がした。振り向くと、にっと笑った日向が携帯を見せる。
その画面には、花巻と松川のラインが表示されていた。