三
翌朝。
宿を発った昴と風間は、ひとまず会津に向かうべく移動を始める。この時代となれば車も電車もない、飛行機すらない、移動手段と言えば徒歩しかないのだ。
そんな長旅でも風間は薩摩藩のつてを使い、昴に負担が掛からないよう手配をしてくれる。それに天霧も風間に代わり薩摩藩の命を受けて動いていることが多く、風間の行動を阻害しないよう努めているようだった。
そうして北上を続け、日没が近いこともあり今夜の宿泊先を探す。回りの景色の中にも桜が舞い始め、気候も暖かくなり始めていた。
「昴」
宿に入り、部屋に案内されてすぐ、風間が近付いてくる。
「どうしたんだ?風間さん」
ほんの少し前のこと、宿に入る前に天霧から何やら連絡を受けていたのは知っていたから、その事かと思案すれば新選組の名前が出る。
「どうやら新政府軍が北上を続ける傍ら、流山に潜伏していた新選組を見つけたようだ」
「…………っ」
新選組、流山、その言葉を聞いて昴がピクリと反応し、素早く思考している様子。そしてひとり合点が入ったのか、風間を真っ直ぐと見つめると唇を開く。
「近藤さんだな……?」
それだけでもこの時代の者ならば驚愕に値するのだが、風間は静かに頷くと言葉を続けた。
「奴らが潜伏していた屋敷を囲み、一網打尽にしようとしたところ……ひとりの男が投降したようだ。その間に他の隊士たちは逃げ延びている」
「……………」
そこから先に何が待ち受けているか、それは昴でなくとも風間にも易々想像できることであり、変えることのできない出来事。
「投降した男は近藤勇とは名乗っていないようだが……政府側には御陵衛士の残党がいるようでな。見破られるのも時間の問題だそうだ」
風間が説明する間も昴は視線を反らすことなく、そうか、と呟いたきり口を閉ざした。
「───で、お前は知っているのだろう?」
そこで風間は彼女の手を引いて座らせ、自らも座るとじっと見つめる。胸の内に秘める女性は、今回もまたひとりでその痛みに耐えるのか。碧い瞳からは何も読み取れず、目を伏せると艶やかな黒髪が揺れる。それでも秘めることは許さぬと、風間が指先を伸ばすと柔らかな唇に触れ。
「俺には言えぬような事か?」
わざと自嘲気味に笑って見せると、昴が彼の手をそっと握り、頬を寄せる。その姿を見つめ、風間が静かに待っていると"未来"を教えてくれた。
「土方さんを始め、近藤さんを知る者たちから助命嘆願書が出されるが……聞き入れられることはない」
「……だろうな。仮にも新選組は旧幕府につく朝敵だ。敵方の大将となれば、生かしておくはずもないだろう」
しかも近藤の顔を知る者がいれば、まず解放などない。
「彼が近藤勇だと分かった後……武士として切腹させて欲しいと願い出るが、元々武士ではない彼に切腹など許されはしなかった」
そして彼にとって一番の屈辱である斬首に処せられる、と。
「それが……近藤勇の最期だ」
二百年後の後世にまで語られる、新選組局長の最期。幕末の時代を駆け抜けた彼の生き様を、昴は追体験しているのだ。
「何だろうな……とても、不思議な気持ちなんだ」
だからこれが現実ではないようで。
初めて会った時、これがあの近藤勇なのかと感動したのがついこの前のことにしか感じられず。思い出されるのはどっしりとした大きな男だったと言うこと。
「……ここまで、来てしまったんだな」
唇に弱々しい笑みが浮かび、声が震えたけれど……。涙はでなかった。
「お前は"先"を知っている分、背負わずともいいものを背負い過ぎている」
そうして風間が囁き、昴の頬を撫でると引き寄せて腕に抱く。
だからこそ、人の生死がまるで自分のことのようにのし掛かり、彼女を責めているのだ。
『歴史』の流れを大河に例えるならば、二度激流に流されているのと同じ。見たくない過去を、また見ているのだ。
ならば、今ここで昴を西国の里へ連れ帰り、歴史から切り離してやろうか。
愛しい女を抱き締め、風間が宙を見れば微苦笑する。
それはきっと、できないのだ。
桜塚昴と言う"鬼"は、北の鬼門を守護する鬼神である玄武。玄武とは、生と死を司る者でもある。遥か太古より全ての生けるものを見守ってきたからこそ、四神のなかでも最も強きものとして存在していたのだ。
その宿命から逃れることは不可能であり、それでも凛として立つからこそ、風間は惹かれた。
この世で最も愛しく、何者にも代えることのできない存在。
「でもあなたがいてくれるから……受け止めることができる」
その存在である昴がポツリと呟き、風間の視線を絡めとると息を飲むような綺麗な笑みを見せ。
「誰とも関わることなく、今も独りだったなら……いつか耐えられなくなっていたかも知れない」
「ならば、どこまでも俺が支えよう」
そして風間も笑みを返せば、目を見開いた昴の瞳から、遂に流れた涙。言葉にならず、頷くその身体を風間は強く抱き締める。
どこまでも真っ直ぐで、不器用なほどにひたむきなその心を護りたい。
そう思った時。
「有り難う……"千景"さん」
昴の口から初めて呼ばれた名前に、風間が微かに息を飲むが、次の瞬間には目を閉じて唇に笑みを乗せ。
「遅い」
腕の中の温もりを感じながら、夜が更けて眠るまで、離れることなく二人寄り添っていた。
昴と風間の二人は再び北上を続け、その最中に宇都宮で新政府軍と旧幕府軍が戦を展開したと聞く。その戦いは二回に渡り繰り広げられ、一回目は旧幕府軍が勝利するも二回目は新政府軍が勝利したことにより、旧幕府軍は会津へと向かったようだった。
それにより二人は会津に寄らず、別の道から仙台に入ることを決める。
そして仙台にようやく辿り着き、まず気付いたことと言えば昼間にも関わらず町が閑散としていること。
やはり羅刹隊を率いている山南が何かしらの動きをしているようで、夜になればまるで廃墟のように成り果てた。
「辻斬りが横行していると言っていたのは、やはり羅刹隊の仕業だろうな……」
その宿場町も今や人の出入りもないようで、誰もいなくなった空き家を潜伏先にすると、昴が小さく吐息する。
「まがい物をこれ以上うろつかせる訳にはいかぬ。いくら"鬼"を作ろうとしても、所詮はまがい物だ……。本物にも遠く及ばん」
すると風間が月光の中で真紅の瞳を細め、横に並んで座る昴を見れば不敵な笑み。
「早々に鋼道と山南とやらを片付け、お前を西国へと連れ帰らねばな?」
ここまで来れば、後は憂いを取り除くだけなのだ。仙台が羅刹の手に落ちている以上、新政府軍に抵抗すべく結ばれた奥羽越列藩同盟など崩壊しているに等しい。となれば会津で戦っている旧幕府軍が負けることは必至であり、彼らは更に北上するしかなくなる。
そしてこの戦いの最後の舞台である蝦夷で、新選組も終わりを迎えるのだ。
だからもう待つことはしないと、風間が宣言すると昴が恥じらいながらも見つめてくる。
何故なら、人間に脅かされそうになっていた風間家を助けた薩摩藩に対する恩義は、徳川が倒れた時点でもう返しているのだ。よって彼らにしてみれば、これ以上人間と関わる必要すらなく。里に戻り次第、表舞台から消えることとなっていた。
そしてそれは、桜塚の当主である昴も同じ。鬼とは古より争いを好まず、人間と関わることもせず、独自の暮らしをしてきた一族なのだから。
「私に見せてくれ……あなたが治める里を」
目の前の男を見つめ、約束を更に強いものにすると風間が当たり前だと告げ。
「帰ったらすぐにでもお前を妻に迎える。覚悟しておけ」
愛しい女へと顔を寄せ、そっと目を閉じるのを見れば口づけた。
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宿を発った昴と風間は、ひとまず会津に向かうべく移動を始める。この時代となれば車も電車もない、飛行機すらない、移動手段と言えば徒歩しかないのだ。
そんな長旅でも風間は薩摩藩のつてを使い、昴に負担が掛からないよう手配をしてくれる。それに天霧も風間に代わり薩摩藩の命を受けて動いていることが多く、風間の行動を阻害しないよう努めているようだった。
そうして北上を続け、日没が近いこともあり今夜の宿泊先を探す。回りの景色の中にも桜が舞い始め、気候も暖かくなり始めていた。
「昴」
宿に入り、部屋に案内されてすぐ、風間が近付いてくる。
「どうしたんだ?風間さん」
ほんの少し前のこと、宿に入る前に天霧から何やら連絡を受けていたのは知っていたから、その事かと思案すれば新選組の名前が出る。
「どうやら新政府軍が北上を続ける傍ら、流山に潜伏していた新選組を見つけたようだ」
「…………っ」
新選組、流山、その言葉を聞いて昴がピクリと反応し、素早く思考している様子。そしてひとり合点が入ったのか、風間を真っ直ぐと見つめると唇を開く。
「近藤さんだな……?」
それだけでもこの時代の者ならば驚愕に値するのだが、風間は静かに頷くと言葉を続けた。
「奴らが潜伏していた屋敷を囲み、一網打尽にしようとしたところ……ひとりの男が投降したようだ。その間に他の隊士たちは逃げ延びている」
「……………」
そこから先に何が待ち受けているか、それは昴でなくとも風間にも易々想像できることであり、変えることのできない出来事。
「投降した男は近藤勇とは名乗っていないようだが……政府側には御陵衛士の残党がいるようでな。見破られるのも時間の問題だそうだ」
風間が説明する間も昴は視線を反らすことなく、そうか、と呟いたきり口を閉ざした。
「───で、お前は知っているのだろう?」
そこで風間は彼女の手を引いて座らせ、自らも座るとじっと見つめる。胸の内に秘める女性は、今回もまたひとりでその痛みに耐えるのか。碧い瞳からは何も読み取れず、目を伏せると艶やかな黒髪が揺れる。それでも秘めることは許さぬと、風間が指先を伸ばすと柔らかな唇に触れ。
「俺には言えぬような事か?」
わざと自嘲気味に笑って見せると、昴が彼の手をそっと握り、頬を寄せる。その姿を見つめ、風間が静かに待っていると"未来"を教えてくれた。
「土方さんを始め、近藤さんを知る者たちから助命嘆願書が出されるが……聞き入れられることはない」
「……だろうな。仮にも新選組は旧幕府につく朝敵だ。敵方の大将となれば、生かしておくはずもないだろう」
しかも近藤の顔を知る者がいれば、まず解放などない。
「彼が近藤勇だと分かった後……武士として切腹させて欲しいと願い出るが、元々武士ではない彼に切腹など許されはしなかった」
そして彼にとって一番の屈辱である斬首に処せられる、と。
「それが……近藤勇の最期だ」
二百年後の後世にまで語られる、新選組局長の最期。幕末の時代を駆け抜けた彼の生き様を、昴は追体験しているのだ。
「何だろうな……とても、不思議な気持ちなんだ」
だからこれが現実ではないようで。
初めて会った時、これがあの近藤勇なのかと感動したのがついこの前のことにしか感じられず。思い出されるのはどっしりとした大きな男だったと言うこと。
「……ここまで、来てしまったんだな」
唇に弱々しい笑みが浮かび、声が震えたけれど……。涙はでなかった。
「お前は"先"を知っている分、背負わずともいいものを背負い過ぎている」
そうして風間が囁き、昴の頬を撫でると引き寄せて腕に抱く。
だからこそ、人の生死がまるで自分のことのようにのし掛かり、彼女を責めているのだ。
『歴史』の流れを大河に例えるならば、二度激流に流されているのと同じ。見たくない過去を、また見ているのだ。
ならば、今ここで昴を西国の里へ連れ帰り、歴史から切り離してやろうか。
愛しい女を抱き締め、風間が宙を見れば微苦笑する。
それはきっと、できないのだ。
桜塚昴と言う"鬼"は、北の鬼門を守護する鬼神である玄武。玄武とは、生と死を司る者でもある。遥か太古より全ての生けるものを見守ってきたからこそ、四神のなかでも最も強きものとして存在していたのだ。
その宿命から逃れることは不可能であり、それでも凛として立つからこそ、風間は惹かれた。
この世で最も愛しく、何者にも代えることのできない存在。
「でもあなたがいてくれるから……受け止めることができる」
その存在である昴がポツリと呟き、風間の視線を絡めとると息を飲むような綺麗な笑みを見せ。
「誰とも関わることなく、今も独りだったなら……いつか耐えられなくなっていたかも知れない」
「ならば、どこまでも俺が支えよう」
そして風間も笑みを返せば、目を見開いた昴の瞳から、遂に流れた涙。言葉にならず、頷くその身体を風間は強く抱き締める。
どこまでも真っ直ぐで、不器用なほどにひたむきなその心を護りたい。
そう思った時。
「有り難う……"千景"さん」
昴の口から初めて呼ばれた名前に、風間が微かに息を飲むが、次の瞬間には目を閉じて唇に笑みを乗せ。
「遅い」
腕の中の温もりを感じながら、夜が更けて眠るまで、離れることなく二人寄り添っていた。
昴と風間の二人は再び北上を続け、その最中に宇都宮で新政府軍と旧幕府軍が戦を展開したと聞く。その戦いは二回に渡り繰り広げられ、一回目は旧幕府軍が勝利するも二回目は新政府軍が勝利したことにより、旧幕府軍は会津へと向かったようだった。
それにより二人は会津に寄らず、別の道から仙台に入ることを決める。
そして仙台にようやく辿り着き、まず気付いたことと言えば昼間にも関わらず町が閑散としていること。
やはり羅刹隊を率いている山南が何かしらの動きをしているようで、夜になればまるで廃墟のように成り果てた。
「辻斬りが横行していると言っていたのは、やはり羅刹隊の仕業だろうな……」
その宿場町も今や人の出入りもないようで、誰もいなくなった空き家を潜伏先にすると、昴が小さく吐息する。
「まがい物をこれ以上うろつかせる訳にはいかぬ。いくら"鬼"を作ろうとしても、所詮はまがい物だ……。本物にも遠く及ばん」
すると風間が月光の中で真紅の瞳を細め、横に並んで座る昴を見れば不敵な笑み。
「早々に鋼道と山南とやらを片付け、お前を西国へと連れ帰らねばな?」
ここまで来れば、後は憂いを取り除くだけなのだ。仙台が羅刹の手に落ちている以上、新政府軍に抵抗すべく結ばれた奥羽越列藩同盟など崩壊しているに等しい。となれば会津で戦っている旧幕府軍が負けることは必至であり、彼らは更に北上するしかなくなる。
そしてこの戦いの最後の舞台である蝦夷で、新選組も終わりを迎えるのだ。
だからもう待つことはしないと、風間が宣言すると昴が恥じらいながらも見つめてくる。
何故なら、人間に脅かされそうになっていた風間家を助けた薩摩藩に対する恩義は、徳川が倒れた時点でもう返しているのだ。よって彼らにしてみれば、これ以上人間と関わる必要すらなく。里に戻り次第、表舞台から消えることとなっていた。
そしてそれは、桜塚の当主である昴も同じ。鬼とは古より争いを好まず、人間と関わることもせず、独自の暮らしをしてきた一族なのだから。
「私に見せてくれ……あなたが治める里を」
目の前の男を見つめ、約束を更に強いものにすると風間が当たり前だと告げ。
「帰ったらすぐにでもお前を妻に迎える。覚悟しておけ」
愛しい女へと顔を寄せ、そっと目を閉じるのを見れば口づけた。
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