その時。

「"ご夫婦"の時間を邪魔してすみませんが。失礼します」

襖が静かに開き、天霧が中に入ってくる。

「っ!?」

途端に顔を真っ赤にした昴が風間から離れ、その本人が不機嫌も露に睨み付ける。

「……なんだ、天霧。今が何の時間か知ったうえで邪魔するとは……いい度胸だな?」

「用件が済めばすぐにでも退室しますので」

しかし天霧は涼しい顔のまま風間の前に座り、持っていたものを畳の上に置いた。

「こちらが出来上がった洋装の着物です。昴様の分もございますよ」

「え……?私の分……?」

そもそも洋服などいつ作っていたかも知らず、風間を見れば不敵に笑う。

「今や西洋の着物を着るのが主流となりつつあるのだろう?だから用意させた」

「でも……畏れ多くて受け取れない」

だが昴にとってはここに住まわせてくれているだけで申し訳ない事なのに、そのうえ服も用意したとは到底喜ぶどころではない。
だから気持ちだけで十分だと伝えるも、昴の服を取った風間が近付くと広げて見せる。

「ほう……これが西洋の着物か……。やはりお前には漆黒が似合うな。その碧い目を更に引き立ててくれる」

しかも昴がこの時代に来た時と近い形であり、上は細みのシルエットで少し短めに作られているコート。その下は白のシャツと、コートと同じ色のズボン。他にはベルトなどの装飾品も用意され、懐かしくも元いた時代を思い出した。

「あの……風間さん。気持ちは嬉しいが……」

それでも気が引けるばかりで、目を伏せると風間がクスリと笑い。

「俺の妻に着物を贈ることの何が悪い。妻を綺麗に飾り立てたいという男の気持ち、お前にはまだ早かった・・・・か………?」

端整な顔をそっと近付けると、昴の目許が朱に染まる。そして碧い瞳が風間を見つめ、問い掛けるようにすると頷き。

「着て見せてくれ。待っているぞ……」

一式を昴に持たせると、着替えてこいと促した。


それから自室に戻り、昴が慣れた手つきで服に着替えると驚くべきことにサイズまでもがぴったりで。ズボンもいつサイズを計ったのかと言うほどに合っている。けれどそこは深く考えるのを止め、シャツの鈕を留めるとその上にコートを羽織った。
そこにも男装が前提としての様々な技巧が見られ、昴の身体に優しく添うようにして圧迫感をなくしいる。しかも背中側の両肩に掛けて流水文を型どった紺桔梗の刺繍が施され、モダンの中に高級感を漂わせていた。
更に襟も余裕をもたせてあり、折り返しの袖口にも銀でできた鈕があしらわれている。
黒が基調とされ暗めに見えるところを、そこに施されている細やかな装飾が高貴さを引き立て、コートの腰の部分にもベルトを通せるような造り。
この洋装を仕立て上げた職人の腕もさることながら、それを見立てた風間を思えば胸が震えるばかり。すぐにお礼を言いたくて、風間の部屋へと行けば声を掛ける。

「昴か。入れ」

「風間さん!あの────」

すると風間の声が聞こえ、中に入ると早速礼を言うべく彼を見るが、そこで途切れた言葉。

「………どうした?」

その本人は呆然とし、風間が首を傾げるも昴は瞬きすることも忘れていた。
それもそのはず。風間が着ていた洋装はまた昴と違い、色は蒲葡えびぞめを基調としたもの。コートやズボンの型は全て昴と同じに仕立てられており、コートの両肩にあしらわれた刺繍も然り、風間の場合は両脇に添っても菊文の刺繍が施されている。そしてブラウスシャツと首元にはクラヴァットが巻かれ、和装から洋装になっても全く違和感さえない。
それに何より………。

「………やはり似合わぬか?」

言葉を失っていた昴を見やり、風間が眉を寄せると逆の意ととったようで。今まで着物を着ていたためか動きにくいものだと腕を上げると、昴がゆっくりと近付いて襟元へ手を伸ばした。

「昴?」

突然どうしたのかと風間が首を傾げ、しなやかな彼女の指先が純白の布を少し緩めると形を整えるようにして結ぶ。次に上まできっちりと留めていたコートの鈕を二つほど外し、首元に余裕をもたせると小さく吐息。

「これでもっと格好良くなった……」

金色の髪が外国人のようで、それでいて端整な顔立ちの男が似合わないはずもない。そうして顔を上げ、視線が合えば柔らかな笑みを浮かべていた風間。これでもかと言うほどに甘く、男の色香を漂わせている。
それだけで昴の身体が熱を持ち、少し距離を開けようとするが腕を捕まえられた。

「なるほど……このような着方もあるのだな」

「っ………」

低い囁きが昴の耳許に落ち、白い項に男の指先が這わされ震える。その反応を楽しむように、風間がじっくりと見つめると満足そうに頷き。

「お前もよく似合っている。いや……想像以上か」

中性的なその姿に見惚れる。だがすぐにシャツの襟元へ指先を伝わせ、涼やかな香りに誘われるように唇を寄せると昴が小さく声を洩らし。

「本当であれば……お前によく似合う白無垢を作らせたかったのだが……」

「ぁ………っ!」

女性らしい細い首筋へと唇を押し当て、吸い跡を刻めば大きく震える身体。本人はまるで自覚がないのだが、その反応が男を煽るものだと知らぬ無垢な姿は風間をもっと夢中にさせるだけ。

「風、間さ………っ」

「天霧から止められなければ、それもお前に贈るはずだった」

そう言って二つ目の刻印を刻むと、立ってられなくなったのか、昴の身体から力が抜けた。
その身体を難なく風間は受け止め、抱き寄せると息を乱した昴が潤んだ瞳で睨み付けてくる。

「反則、だ……っ」

更に視線さえ受け止め、風間が喉を鳴らしながら笑えば嬉しくないのかと問う。それには昴が肌を薔薇色に染めた事で何を思ったのか分かり。

「今は……これで充分だ……」

恥じらいながらも感謝の言葉を添えると、風間らしくも不敵な笑みを見せ。

「期待していろ……。その時はこの世で一番美しい花嫁にしてやる」

透き通るように綺麗な碧い瞳へ、宣言したのだった。



月は三月となり。いよいよ新選組改め甲陽鎮撫隊が甲州へ向け動きだし、昴と風間も別ルートで移動を開始する。
その前日のこと、暫く連絡が途絶えていた不知火より書状が届き、どうやら仙台の方にいる鋼道に新選組の山南が接触したらしいという情報をもたらした。それにより羅刹である山南と、羅刹を今も生み出している鋼道の二人が何らかの協定を結んだ可能性が高く。更にはずっと身を潜めるようにしていた千姫も動いているようだった。
それでも昴は風間と共にまずは甲府を目指し、甲府城の様子を探るも新選組の姿は見えず。逆に新政府軍が城に出入りしているのを確認すれば、昴は表情を厳しくした。

「まずいな……。既に甲府が落ちているとなれば、新選組は圧倒的に不利だ」

しかも新選組は隊士の数が激減していたため、入隊を希望するものを集めていたのだ。だがどれも寄せ集めに等しく、ろくに訓練も受けてない者たちばかりのようで。

「この事を知った途端に新参者らは尻尾を巻いて逃げるのがおちだ」

風間がフンと鼻で笑うと、二人は新選組の陣営を探す。すると甲州街道と青梅街道の分岐あたりで彼らが布陣しているのを見つけ、三百ほどいると聞いていた隊士たちの数は圧倒的に少ないように見え。

「どうやら既に逃亡者が出ていたようだな」

風間の冷ややかな声が聞こえ、昴はひとり拳を握り締めたまま立ち尽くすしかなかった。


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