三
「今戻った」
その時、襖が開いて風間が姿を現し、外を見ていた昴を見つけて歩み寄る。
「っ……お帰りなさい」
しかも昴が慌てて顔を上げ、頬が淡く染まっているのを見れば眉を寄せた。
「どうして橫になってない?具合が悪いのを隠してもいいことはないぞ」
すると自分のことならお見通しだと、言っていた男が珍しくも見当違いな事を言い、有無を言わさず額に手を当てる。どうやら熱を計っているようで、昴が熱はないと告げるも表情は難しいまま。
「疲れてはいるが、別段悪いところはないから大丈夫だ。有り難う、風間さん」
こんな所も惹かれてしまうと、心の中で苦笑するも昴は天霧からの連絡はどうだったかと切り出した。
それでもまだこちらを伺っていたが、すぐ橫に座ると教えてくれる。
「どうやら先の闘いの後、大阪城にいた徳川慶喜は己の軍を差し置いて江戸に逃げ帰っていたようだ」
「っ!!」
その事を知った旧幕府軍の間に激震が走ったのは言うまでもない。新政府軍と継続して戦う意欲すら喪失し、結果、散り散りになりながらも各自江戸や自領等へ帰還したとのことだった。
「新選組も?」
「そのようだ。江戸に戻り、旗本の屋敷を借り受けそこを拠点としている」
しかし土方らが無事であったことに安堵し、今はまだ小康状態だと風間が言うと、暫くゆっくりできると笑う。
「ここまで強行軍だったからな。お前も女の身でよく動いたものだ……」
そして昴の黒髪に触れ、遊ぶように指先に絡ませると恥じらってか目を伏せるひと。今日は少し雰囲気が違うことに気付いていたが、いつもなら少女のように反応する彼女は碧い瞳を微かに揺らすだけ。けれど風間は何も言わず、ゆるりと笑みを浮かべると視線を合わせる。
「私も一応玄武だからな……。人間の女性よりは体力もあるし、女鬼でもまた違う。それより風間さんは……身体は大丈夫か?」
すると心配そうに眉を寄せ、問い掛けると微かに目を見開いた男。次の瞬間にはおかしそうに笑い、顔を寄せた。
「この俺にそんな質問をするのはお前くらいだ。それに、伊達に西国の頭領をしているわけではないからな。まぁ……お前が膝枕なり何なりしてくれるのであれば話は別だが?」
次いで真紅の瞳に熱を孕ませ、昴の顎に指先を添えると囁く。途端に顔を真っ赤にし、瞳を潤ませると風間がそっと離れた。
それだけで胸が締め付けられ、消えゆく温もりに切なさが込み上げる。だが何を言えばいいのか、手を伸ばしていいのかさえ分からず、立ち上がった彼を見れば微笑んだまま。
「さて……先に湯編みにでも行くか。お前はどうする?」
「風間さんが戻ってきたら……行きます」
静かに問いかける男に自分は後でいいと告げ、出ていく背中を見送れば詰めていた息を大きく吐き。
「こんな私の、どこがいいのだろうか………」
まるで子供のようだと、自嘲気味に笑うと目を閉じた。
──────。
風間が戻った後、昴もすぐに湯殿へと向かえば身体を洗って湯船に浸かる。数日振りの風呂に思わず笑みを浮かべ、暫し頭を空にして浸かっていればふと風間の顔が浮かび。
「……………」
今日は別の部屋で寝たほうがいいのかと、思い悩む。そもそもこんな状態では彼に迷惑を掛けるだけで、きっと挙動不審に見えるに違いなく。風間はそんな自分でさえ受け止めてくれるのだろうが、いつまでも子供のような反応をしていては呆れられるのがおち。
それでも傍にいたいと、風間千景と共にいたいと、切に願う自分がいて………。
「っ!!」
しっかりしろと、勢いよく湯船から立ち上がり頬を軽く叩く。今は己の事にかまけている暇はなく、鋼道を止めることが先なのだ。
仮にそれが原因で風間が離れて行ったとしても、ならば好いた男の幸せを願う。
「……よし」
脱衣場で夜着に着替え、凛とした姿で廊下を行けば、擦れ違う女性たちが頬を染めながら昴をチラチラと見ていた。
そして部屋に戻り、襖を開けると静かに中に入る。すると風間は昴が座っていた場所にいて、机に片肘をつき、眠っているのか目を閉じたまま反応がない。
その姿を見てやはり彼も疲れていたのだと、苦笑すると二人分の褥を準備し、風間の前に屈み込むとそっと囁いた。
「風間さん、そこで寝ては駄目だ」
しかし反応がなく、端整な顔を見つめると息を飲む。閉じた瞼の睫の長さや、すっと通った鼻筋。男らしくも形の良い唇に、蝋燭の灯りに照らされた金色の髪も、何もかもが綺麗だと。そう思わずにはいられず。無意識にも伸ばした手が男の頬に触れると、嬉しくて微笑んでしまう。
今までは風間から触れることはあっても、自分から手を伸ばしたことなどなかったから。息をすることも忘れ、微かに震える指でそっとなぞれば離れる。
これ以上は彼を起こしてしまうと思い、その場からも離れようとすれば、ふと聞こえてきた声。
「もういいのか……?」
「────っ!?」
どうやら風間は起きていたようで、ゆっくりと瞼を開けると覗いた真紅の瞳。頬に触れたことにも気付いているのか、唇が弧を描くと昴の手首を掴まえる。
「お前になら触れられても構わぬと……言っているのだが?」
そして自分の頬へとまた触れさせると、空いたもう片方の腕が昴の腰を捕らえた。
「か、風間……さ……!」
途端に抱き寄せられ、胡座をかいたその上に座ると間近で見つめ合う。静かな部屋に二人、互いの鼓動だけが響いているかのようで。言葉すら紡げずに目を伏せると、男の吐息が指先に触れる。
「いつ俺に触れてくるかと、ずっと待っていたが……」
そして細い指へ唇を這わせ、目を閉じると口付け。これは夢かと、疑ってしまうのは風間の唇から紡がれる言葉のせいか。
「どうした……?まるで夢の中にいるような顔だな」
覗いた真紅の瞳が火傷するかのように熱く、また唇が弧を描くと掴まえていた昴の腕を自分の首筋へと回させる。そして空いた手が震える唇をなぞればじっと見つめ。
「夢じゃなければ……触れられない……」
そこから零れた囁きに、風間はいつもの不敵な笑みではなく、真剣な表情そのもの。
「ならば……これが夢ではないと、教えてやろう」
「っ………風間、さ────」
今や吐息が触れるほど近く、昴の唇が愛しい男を切なく呼んだ。
瞬間。
熱い唇が重なり、身体中に甘い痺れがはしる。けれど触れるだけでは済むはずもなく、誘うように唇を食まれて零れた吐息。その微かな隙間に風間の舌が触れ、昴が小さく震えるとすっと引いた。
それだけでも恥じらいを隠せず、少し顔を離した男が今度は微笑み。
「好きなだけ触れて良いのだぞ……?お前のものだ」
「っ………」
『自分は昴のものだ』と、愛しげに囁く風間の声が聞こえた、その時。
『あなたが好きだ』
と、遂に溢れた想いが声にならない声となり、彼が目を見開くも次の瞬間には会心の笑み。
「やっと言ったな?」
そして有無を言わさず昴の細い顎を捉え、何か言うよりも早くその唇を奪った。
「ん、ふ…………っ、ん───」
息ごと奪われるような、今までの接吻が嘘だったかのような激しさに頭が真っ白になり。
何度も唇を食まれ、そして上唇を舐められて反射的に開くと風間の舌が再び侵入してくる。そこで小さく肩が震えたけれど、風間はそのまま昴の惑う舌先に触れれば優しく促し。浅く、深く、絡ませるようにすると、昴もぎこちなく応えた。
そこから濡れた音が部屋に響き、しかし二人の耳には互いの熱い吐息以外は聞こえず。ようやく触れ合えた、ただそれだけで夢中になる。最早風間を満たすのは、愛しい女のぎこちなくも応える吐息と熱だけで。
ふいに口付けを止め、潤みきった碧い瞳で見つめてきた昴を抱き上げると褥へ組み敷く。
「……ぁ……っ!」
そうして視線を己へと引き付けたまま、今度は滑らかな首筋へと風間が唇を寄せると赤い花を咲かせ。衣擦れの音を響かせながらも貪る。その度に昴が身体をひくんと跳ねさせ、自分の名を呼ぶ甘い声に陶然となれば夜着の衿元を少し緩め。
「昴………」
「んっ………!」
そこに口付け、さっきよりも強く吸い痕を刻むと、ビクリと震えた昴が風間の夜着を強く掴む。すると一際鮮やかに、艶やかに浮かび上がった花を見つめ、ようやく動きが止まると、ゆるりと開いた瞼から覗く碧い瞳に己を映し。
「鬼の一族は、古き伝統と格式を重んじる」
息を乱したその唇へ囁けば、その意味が解ったのか昴の頬が薔薇色に染まる。
「お前が本当の意味で俺の妻となった時。お前の総てを俺のものにする」
それは風間の紛れもない本心であり、目を反らすことなく告げると額に唇を寄せて誓いとする。その誓いでさえ夢のようで、震える瞼を閉じれば涙が零れ落ち、頷いた昴の心はもう決まっているから。
『どうか、お心のままに……主様……』
風間の力強い腕に抱かれ、全身を覆う幸福を感じながら、眠りに落ちていった────。
.
その時、襖が開いて風間が姿を現し、外を見ていた昴を見つけて歩み寄る。
「っ……お帰りなさい」
しかも昴が慌てて顔を上げ、頬が淡く染まっているのを見れば眉を寄せた。
「どうして橫になってない?具合が悪いのを隠してもいいことはないぞ」
すると自分のことならお見通しだと、言っていた男が珍しくも見当違いな事を言い、有無を言わさず額に手を当てる。どうやら熱を計っているようで、昴が熱はないと告げるも表情は難しいまま。
「疲れてはいるが、別段悪いところはないから大丈夫だ。有り難う、風間さん」
こんな所も惹かれてしまうと、心の中で苦笑するも昴は天霧からの連絡はどうだったかと切り出した。
それでもまだこちらを伺っていたが、すぐ橫に座ると教えてくれる。
「どうやら先の闘いの後、大阪城にいた徳川慶喜は己の軍を差し置いて江戸に逃げ帰っていたようだ」
「っ!!」
その事を知った旧幕府軍の間に激震が走ったのは言うまでもない。新政府軍と継続して戦う意欲すら喪失し、結果、散り散りになりながらも各自江戸や自領等へ帰還したとのことだった。
「新選組も?」
「そのようだ。江戸に戻り、旗本の屋敷を借り受けそこを拠点としている」
しかし土方らが無事であったことに安堵し、今はまだ小康状態だと風間が言うと、暫くゆっくりできると笑う。
「ここまで強行軍だったからな。お前も女の身でよく動いたものだ……」
そして昴の黒髪に触れ、遊ぶように指先に絡ませると恥じらってか目を伏せるひと。今日は少し雰囲気が違うことに気付いていたが、いつもなら少女のように反応する彼女は碧い瞳を微かに揺らすだけ。けれど風間は何も言わず、ゆるりと笑みを浮かべると視線を合わせる。
「私も一応玄武だからな……。人間の女性よりは体力もあるし、女鬼でもまた違う。それより風間さんは……身体は大丈夫か?」
すると心配そうに眉を寄せ、問い掛けると微かに目を見開いた男。次の瞬間にはおかしそうに笑い、顔を寄せた。
「この俺にそんな質問をするのはお前くらいだ。それに、伊達に西国の頭領をしているわけではないからな。まぁ……お前が膝枕なり何なりしてくれるのであれば話は別だが?」
次いで真紅の瞳に熱を孕ませ、昴の顎に指先を添えると囁く。途端に顔を真っ赤にし、瞳を潤ませると風間がそっと離れた。
それだけで胸が締め付けられ、消えゆく温もりに切なさが込み上げる。だが何を言えばいいのか、手を伸ばしていいのかさえ分からず、立ち上がった彼を見れば微笑んだまま。
「さて……先に湯編みにでも行くか。お前はどうする?」
「風間さんが戻ってきたら……行きます」
静かに問いかける男に自分は後でいいと告げ、出ていく背中を見送れば詰めていた息を大きく吐き。
「こんな私の、どこがいいのだろうか………」
まるで子供のようだと、自嘲気味に笑うと目を閉じた。
──────。
風間が戻った後、昴もすぐに湯殿へと向かえば身体を洗って湯船に浸かる。数日振りの風呂に思わず笑みを浮かべ、暫し頭を空にして浸かっていればふと風間の顔が浮かび。
「……………」
今日は別の部屋で寝たほうがいいのかと、思い悩む。そもそもこんな状態では彼に迷惑を掛けるだけで、きっと挙動不審に見えるに違いなく。風間はそんな自分でさえ受け止めてくれるのだろうが、いつまでも子供のような反応をしていては呆れられるのがおち。
それでも傍にいたいと、風間千景と共にいたいと、切に願う自分がいて………。
「っ!!」
しっかりしろと、勢いよく湯船から立ち上がり頬を軽く叩く。今は己の事にかまけている暇はなく、鋼道を止めることが先なのだ。
仮にそれが原因で風間が離れて行ったとしても、ならば好いた男の幸せを願う。
「……よし」
脱衣場で夜着に着替え、凛とした姿で廊下を行けば、擦れ違う女性たちが頬を染めながら昴をチラチラと見ていた。
そして部屋に戻り、襖を開けると静かに中に入る。すると風間は昴が座っていた場所にいて、机に片肘をつき、眠っているのか目を閉じたまま反応がない。
その姿を見てやはり彼も疲れていたのだと、苦笑すると二人分の褥を準備し、風間の前に屈み込むとそっと囁いた。
「風間さん、そこで寝ては駄目だ」
しかし反応がなく、端整な顔を見つめると息を飲む。閉じた瞼の睫の長さや、すっと通った鼻筋。男らしくも形の良い唇に、蝋燭の灯りに照らされた金色の髪も、何もかもが綺麗だと。そう思わずにはいられず。無意識にも伸ばした手が男の頬に触れると、嬉しくて微笑んでしまう。
今までは風間から触れることはあっても、自分から手を伸ばしたことなどなかったから。息をすることも忘れ、微かに震える指でそっとなぞれば離れる。
これ以上は彼を起こしてしまうと思い、その場からも離れようとすれば、ふと聞こえてきた声。
「もういいのか……?」
「────っ!?」
どうやら風間は起きていたようで、ゆっくりと瞼を開けると覗いた真紅の瞳。頬に触れたことにも気付いているのか、唇が弧を描くと昴の手首を掴まえる。
「お前になら触れられても構わぬと……言っているのだが?」
そして自分の頬へとまた触れさせると、空いたもう片方の腕が昴の腰を捕らえた。
「か、風間……さ……!」
途端に抱き寄せられ、胡座をかいたその上に座ると間近で見つめ合う。静かな部屋に二人、互いの鼓動だけが響いているかのようで。言葉すら紡げずに目を伏せると、男の吐息が指先に触れる。
「いつ俺に触れてくるかと、ずっと待っていたが……」
そして細い指へ唇を這わせ、目を閉じると口付け。これは夢かと、疑ってしまうのは風間の唇から紡がれる言葉のせいか。
「どうした……?まるで夢の中にいるような顔だな」
覗いた真紅の瞳が火傷するかのように熱く、また唇が弧を描くと掴まえていた昴の腕を自分の首筋へと回させる。そして空いた手が震える唇をなぞればじっと見つめ。
「夢じゃなければ……触れられない……」
そこから零れた囁きに、風間はいつもの不敵な笑みではなく、真剣な表情そのもの。
「ならば……これが夢ではないと、教えてやろう」
「っ………風間、さ────」
今や吐息が触れるほど近く、昴の唇が愛しい男を切なく呼んだ。
瞬間。
熱い唇が重なり、身体中に甘い痺れがはしる。けれど触れるだけでは済むはずもなく、誘うように唇を食まれて零れた吐息。その微かな隙間に風間の舌が触れ、昴が小さく震えるとすっと引いた。
それだけでも恥じらいを隠せず、少し顔を離した男が今度は微笑み。
「好きなだけ触れて良いのだぞ……?お前のものだ」
「っ………」
『自分は昴のものだ』と、愛しげに囁く風間の声が聞こえた、その時。
『あなたが好きだ』
と、遂に溢れた想いが声にならない声となり、彼が目を見開くも次の瞬間には会心の笑み。
「やっと言ったな?」
そして有無を言わさず昴の細い顎を捉え、何か言うよりも早くその唇を奪った。
「ん、ふ…………っ、ん───」
息ごと奪われるような、今までの接吻が嘘だったかのような激しさに頭が真っ白になり。
何度も唇を食まれ、そして上唇を舐められて反射的に開くと風間の舌が再び侵入してくる。そこで小さく肩が震えたけれど、風間はそのまま昴の惑う舌先に触れれば優しく促し。浅く、深く、絡ませるようにすると、昴もぎこちなく応えた。
そこから濡れた音が部屋に響き、しかし二人の耳には互いの熱い吐息以外は聞こえず。ようやく触れ合えた、ただそれだけで夢中になる。最早風間を満たすのは、愛しい女のぎこちなくも応える吐息と熱だけで。
ふいに口付けを止め、潤みきった碧い瞳で見つめてきた昴を抱き上げると褥へ組み敷く。
「……ぁ……っ!」
そうして視線を己へと引き付けたまま、今度は滑らかな首筋へと風間が唇を寄せると赤い花を咲かせ。衣擦れの音を響かせながらも貪る。その度に昴が身体をひくんと跳ねさせ、自分の名を呼ぶ甘い声に陶然となれば夜着の衿元を少し緩め。
「昴………」
「んっ………!」
そこに口付け、さっきよりも強く吸い痕を刻むと、ビクリと震えた昴が風間の夜着を強く掴む。すると一際鮮やかに、艶やかに浮かび上がった花を見つめ、ようやく動きが止まると、ゆるりと開いた瞼から覗く碧い瞳に己を映し。
「鬼の一族は、古き伝統と格式を重んじる」
息を乱したその唇へ囁けば、その意味が解ったのか昴の頬が薔薇色に染まる。
「お前が本当の意味で俺の妻となった時。お前の総てを俺のものにする」
それは風間の紛れもない本心であり、目を反らすことなく告げると額に唇を寄せて誓いとする。その誓いでさえ夢のようで、震える瞼を閉じれば涙が零れ落ち、頷いた昴の心はもう決まっているから。
『どうか、お心のままに……主様……』
風間の力強い腕に抱かれ、全身を覆う幸福を感じながら、眠りに落ちていった────。
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