昴がよく通る声で何かを呼び、取り囲んでいた羅刹がひとり、またひとりと絶命すれば突然土方たちの目の前に現れた男女。
驚きで声も出ず、誰もが凝視すると男が羅刹数人を弾き飛ばす。

「今です。さあ!」

すると女が千鶴の手を引き、走り出せばそこは男が作った突破口。

「誰だか知らねぇが、恩にきる!」

土方がいち早く我に返り、声を上げると隊士たちが一斉に退却を始めた。

殿しんがりは勿論、俺だぜ?」

そして原田が残り、羅刹を斬り倒しながら仲間が包囲網を抜けるのを助ける。しかし圧倒的な数で襲い来る羅刹の猛攻に、苦戦を強いられるのは否めず。

「佐之!来い!!」

永倉が呼び、原田が頷いた瞬間、背後から斬り掛かった羅刹。

「っ……!!」

死角からの攻撃に反応が遅れ、振り下ろされる刃を見た原田がそれでも槍で防御しようとした、その時。

「面倒をかけさせるな……人間」

重厚な音と共に刀を受け止め、やれやれと呟いたのは風間千景。真紅の瞳はまるで興味もないのか、簡単に弾き返すと目にも止まらぬ速さで羅刹の心臓を貫いた。

「て、めぇ……少しは可愛げのある台詞でも言いやがれっての!」

が、風間の傲慢な態度に噛み付き、感謝の気持ちも失せたと叫ぶも相手は鼻で笑う。

「たわけた事を……。俺は人間などどうなろうが知ったことではないのでな。だが……貴様らが死ねば昴が悲しむ。我が妻の悲しむ顔など、見たくはない」

「な……妻だと……?」

更に男の口から飛び出してくる言葉に、原田が聞き返したのは言わずもがな。

「お前……まさか────」

「今はそんな事を言ってる場合じゃない!!早く!」

無理矢理娶ったのかと、喰ってかかろうとすれば昴が割って入る。けれど彼女の目許がほんの少し赤らんでいたのは見間違いか。こんな時にと昴が風間を軽く睨むと本人はクスリと笑い、原田も包囲網から抜け出したのを確認すると二人が羅刹の前に立ちはだかった。

「ここまで来れば大丈夫です。さあ、行ってください」

そうして千鶴たちを引き連れていた女がふと立ち止まり、もと来た方へ戻ろうと背を向ける。

「あ、あの!助けて頂いて有り難うございました!」

その背を呼び止め、千鶴が慌てて礼を言うとにこりと微笑んだ彼女。

「我が主の命ですから。では……」

黒髪に紅の瞳が印象的な彼女が軽く頭を下げ、走り去る後ろ姿を見つめていると、土方の号令が聞こえた。

「このまま本陣に戻るぞ!急げ!」

「千鶴ちゃん、あいつらが気になるだろうが今は戻るぞ!……大丈夫だって!風間はともかく、昴なら心配いらねぇよ」

「……はい」

それでも自分たちを助けてくれた二人にせめて礼を言いたかったが……。しかも鋼道のことも心にしこりを残したまま。
このままうやむやにするのは千鶴の性格が許さず、きゅっと唇を噛み締めると永倉と共に本陣へと舞い戻った。



昴たちが羅刹を全て倒し、ようやく息をつけば合戦の音が微かに響くだけ。やはり新政府軍相手に押されているようで、今回もまた敗戦の色が濃かった。

「主様、鋼道と言う男ですが、数人の羅刹を連れて長州の兵と落ち合ったようです」

そこで後を追っていた男女二人が戻り、昴の前に膝をつくと知らせる。

「小賢しいやつめ……。今度会った時は必ず息の根を止めてくれる」

すると風間が呟き、その二人を見れば恭しく頭を下げた。

「よもやここで鬼の始祖に合間見えることになろうとは………。俺は西国を治める風間の頭領、千景と申す者。ご助力、痛み入る」

それもそのはず、今目の前にいるこの男女こそ、鬼の始祖と言われる前鬼、後鬼。前鬼は男鬼、後鬼は女鬼であり、二人は夫婦でもあるのだ。その夫婦鬼が仕えていたのが北の玄武であり、代々の主の召喚に応じて現れる。

「貴方の事は主様より聞き及んでいる……。その節は主様のお命を救って頂き、感謝申し上げる」

そして二人も儀礼に従い頭を垂れると、昴が珍しくも悪戯っぽく微笑んだ。

「風間さん、そんなに畏まらずとも大丈夫だ。二人は代々の玄武に仕えてきたが、私の代で随分と柔らかくなったから」

「それは主様が堅苦しいのを嫌うからで御座いましょう?」

しかも後鬼が困ったように笑い、だがそこにあるのは昴へと寄せられる絶対の信頼。彼女の人徳の成せる業である。

「いや……鬼の一族は古き伝統と格式を重んじる。いくらお前の頼みでも、礼儀は尽くさねばならん」

そんな昴の滅多に見ることがない表情に笑みを浮かべるも、風間が真面目な顔で言うと彼女がひたと見つめてきた。

「………何だ、どうした?」

「っ………い、いや、何でもない」

途端に昴の頬が染まり、視線を反らすと夫婦鬼がフッと笑う。その二人を風間が見ると、密かに教えてくれた。

「貴方のそのお言葉に聞き惚れていただけです」

「………ほう、そうゆうことか」

どうりで可愛らしい反応をしたのかと、真紅の瞳を細め、ゆるりと笑みを洩らす。そして背中を向けていた昴に近付くと顔を寄せ。

「素直に言ってもいいのだぞ?俺に惚れ直した……とな?」

「っ!!」

耳許で囁けばビクリと震えるひと。けれど風間がまた真っ直ぐと見つめ、彼女の柔らかな頬に触れると眉を寄せた。

「今日はこのまま宿を取るぞ。移動続きなうえ羅刹との闘い……今お前に必要なのは休息だ」

「あ…………」

確かに、風間に言われるまで気付かなかったが、身体が少し重いと感じたはそのためだったのか。それを顔色を見ただけで見抜いた彼に感服するしかなく、同時に不思議に思う。
そこで風間が不敵に笑い、行くぞと促せばとどめとばかりに囁いたのはその時。

我が妻・・・のこと、この俺が分からぬはずがないだろう?」

歩き出すその背中見つめ、小さく目を見開いた昴が苦笑したのも一瞬。

「っ………本当に、あなたという人は………」

触れられた頬が熱を持ったように熱く、もうごまかしようのない己の気持ちに気付いているから。

『どうぞ、お心のままに……主様……』

姿が薄れゆく夫婦鬼の声が風と共に聞こえ、目を閉じた昴が次にそっと瞼を開けると。

「行くぞ、昴」

「ああ」

自分を待ってくれる愛しい男へ、力強く踏み出した。



* * *

戦闘が繰り広げられた場所から離れ、宿場町へと訪れた二人。できるだけ治安の良い場所を選び、人の往来が多い宿を取る。
しかも時刻は丁度夕餉の時間であった為、部屋に入るとすぐに温かな食事にありつけた。
それから風間が天霧と連絡を取るべく、部屋から出て行くと残った昴は障子をそっと開け、灯りに照らされた町並みを眺める。
その幻想的な景色を見つめ、思うことはやはり風間千景のことで。鋼道を追うべく旅をするように二人で行動し始めてから、こうして宿に泊まることを何度かしてきたなかで、風間が一定の距離を取っていることには気付いていた。
しかしそれは彼が昴の心に添うようにしていたからであり、妻などと公言してはいるが無理矢理己のものにするなど絶対にしない。代わりに常に先々のことを考え、人間や、ましてや新選組などどうでもいいと言いながら、共に行動してくれるのだ。
そうして風間千景という男に触れる度、彼の内にある『本当の心』に触れる度、どうしようもなく惹かれている自分がいて。彼との間にある距離が、時折もどかしくも切なく胸を締め付ける。
それは既に"大切な人"ではなく、風間千景という男を"愛している"と、そう気付いたのは鋼道の目の前で口付けられた時。そして大阪城で抱き締められた時には、胸が痛いほどに震えていたから。

「心のままに、か………」

思わず顔を両手で覆い、小さな声で呟くとそっと息を吐いた。


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