三
風間と昴の二人は、雪村鋼道が京に向かったとの知らせを受け動き出す。
しかし薩摩や長州などの新政府軍が京の鳥羽街道を封鎖しており、徳川慶喜率いる旧幕府軍が朝廷に直訴するべく前進していたことを知っていたため、二人も簡単に近付くことはできない。そこで天霧が薩摩藩がいる鳥羽街道へと直接確認しに行くと、前進してきた旧幕府軍と既に接触していたのを見た。
「旧幕府軍は街道の通行を許可するよう言っているようですが、京から許可が降りるまでその場で待つよう薩摩が足止めしているようです」
しかも旧幕府軍が何度か強行突破しようとしているらしく、薩摩がそれを押し返していたとも教えた。
「旧幕府軍がどこまで辛抱できるかだが……。それも時間の問題だな」
双方既に緊迫した空気が流れ、どちらかがいつ発砲してもおかしくないと。風間が抑揚のない声で呟き、昴が碧い目を細めると日が傾き始める。
この時刻になるまで旧幕府軍は待てを言い渡され、かなり苛立っているだろうと推測すれば突如として空を裂くような破裂音。
「我慢の限界がきたか………」
風間が小さく吐息し、天霧が再び薩摩の方へ向かえば昴たちはもうひとつの方へ行く。
そこは新選組が駐屯している伏見の方であり、森を抜けて奉行所がある付近まで近付くと、鳥羽での銃声を聞いたのか闘いが繰り広げられていた。
その光景は端から見ても新政府軍の武力が上に見え、旧幕府側は持っている武器なども旧式だ。相手に接近する前に新型の銃に撃たれるのは必至で、それでも突破せんと闘い続ける旧幕府軍。
「どう見ても幕府側が不利だ……」
「………そうだな」
合戦の声が小さく聞こえてくるなか、風間の声に昴が頷くも拳を握り締める。あの兵の中に必ず土方たちがいるはずで、前線を走る姿が思い浮かべば目を閉じた。
いっぽう風間は彼女の心中が手に取るように分かるのか、ただ無言で傍に寄り添えば辺りが暗くなるのを見る。だが銃声は止まることを知らず、徹底的に交戦するのが分かれば昴の肩を引き寄せた。
「行くぞ。このまま夜戦となれば、巻き込まれる可能性が高くなる。まずは薩摩が布陣している御香宮神社に向かう」
「ああ、分かった」
夕闇に沈む道を進み、山道へと入るもいまだ銃声が鳴り響く。それに加え、高台にも薩摩の砲撃隊がいるようで、絶え間なく伏見奉行所へ向け攻撃を仕掛けているようだった。
だが風間や昴にしてみれば、この山道に潜んでいるであろう兵の目や耳を欺くことは簡単で。足音も立てず、目的地へ向け足を進めていると二人が同時に立ち止まった。
「なるほど……そう来たか……」
すると風間がやれやれとため息を吐き、昴が暗闇に目を向けると現れた集団。
「ようやく会えましたな……風間様。返事もないのでどうしたのかと思いましたが……元気そうで何よりです」
その先頭に立ち、にこやかな笑みを浮かべるのは坊主頭の初老の男。
「俺も忙しい身でな……。貴様に返事などする暇もないのだ」
風間が口の端を上げ、しかし隙もなく相手を伺うと男の目が昴を捉える。まるで探していた獲物が見つかったかのように、一瞬目がニヤリと嗤うのを見れば大袈裟な声を出した。
「おお、これはこれは。もしやあなたが風間様が大事にされている『姫』ですかな?まぁなんとお美しいお方でしょうか。羨ましい限りですなぁ」
「……貴様には関係ない。何をしに来たかは知らぬが、用がなければ退け」
だが風間は抑揚のない声で返し、歩き出そうとするが男は目の前に立ちはだかるように行く手を遮る。更に昴を上から下まで舐めるようにして眺め、普通の女性であれば恐怖に戦くだろうその動きを、しかし昴は真っ直ぐと見れば突然眉を寄せる相手。
「それにしても風間様は確か……私の娘、千鶴を妻にと申していたような気がするのですが……。まさか娘が手に入らないからと、このお方で妥協 されたのですかな?」
残念ですと呟き、けれど予期せぬ言葉を聞いて目を見開く昴。今の台詞でこの男が千鶴の義父である鋼道なのだと分かったが、また胸が痛み出し必死に心を押し殺す。
もし鋼道の言うことが正しいのであれば、やはり風間は千鶴を妻にしようとしていたのだ。そこで千鶴はどう思っていたのかは分からないが、本来の形であるなら自分は全くの部外者である。それを捻曲げてしまったのであれば、自分は身を引くべきではないかと。
いや、そもそも身を引くとは……それでは昴が風間の妻になるはずだったかのような話で。
「違う。私は……ただ、あなたが……」
心が千々に乱れ、情けなくも呟きが落ち。
それでも風間の顔を見ることだけは出来ず、ただ地面へと視線を落とした。
「どこをどうすればそのような戯れ言を言えるのだ?鋼道」
その時、風間が氷よりも冷たい声で言い放ち、殺気を隠そうともせずに睨み付ける。まるで穢らわしいものでも見ているかのような、真紅の瞳に宿るは純粋な怒りであり、さすがの鋼道も顔を青ざめさせた。
「残念だが……貴様の娘など俺にとってはどうでもよいこと。最初から『子孫を残すため』の純血鬼だという以外、何の興味すらなかったのだ。それを探す手間を省くために貴様に娘の居場所を聞いただけの事が……俺の妻だと?笑わせるな……」
そして更なる追い討ちをかけるように風間が言い放ち、鋼道がギリリと歯を食い縛る音を聞く。
今はこの男に昴の素性を知られるわけにはいかず、彼女こそ己の妻だと声も高らかに宣言したいところを耐えた。
「っ………ぐぅ………。く、くくっ………」
すると歯噛みしていた鋼道が段々と肩を震わせ始め、風間が目を眇めると遂に笑い出す。
「さすがは西国の頭領であられる!こうでも言えばぽろりと喋るかと思いましたが……そうはいかないようですねぇ」
そうして余裕のある笑みを見せ、顎をしゃくるような動きをすると羅刹たちが包囲した。
「こうなれば力ずくでも彼女を渡してもらいますよ。正体を暴くのはそれからでも遅くはない。それに、今の彼女であれば容易いこと」
と、ニヤリと口元を歪ませ、昴へ視線を向けると目を少し見開いた風間も同じようにする。既に回りの声など耳に入ってないのか、碧い瞳が生命を失うかのように色をなくしていけば、風間が昴の細い顎を捕らえた。
「っ────!」
途端に身体を震わせ、上を向かされると出逢った真紅の瞳。真っ直ぐと、嘘偽りのない想いがそこにあり、息もできずひたすらに見つめた、瞬間。
「ん────」
風間の柔らかな唇が触れ、口付けられたのだと気付けば見開かれた瞳。しかし生気を失ったかのような色は元の碧へと戻り、鼓動が熱く高鳴れば瞼をそっと閉じる。
そしてこの胸の痛みが何なのか、触れた唇から伝わる想いにようやく理解すると、顔を離した風間がゆるりと微笑み。
「文句は後でいくらでも聞いてやる」
腰に差していた刀を抜き放てば、昴も直ぐに気配を察知して刀を抜く。たとえ羅刹が何人来ようと、鬼の力の前では敵うはずもなく。
「その女を捕らえよ!!」
鋼道が叫ぶも、襲い掛かる羅刹を次々と風間が薙ぎ払うと昴も同じように倒していく。
そして最後の一人を倒し、鋼道ひとりになるといよいよ追い詰められた男。風間がゆっくりと近付き、刃を突き付けると最後通告のように言い渡す。
「最早鬼の誇りすらもない貴様の所業……地獄で後悔しろ」
そのまま刀身をぐっと後ろに引きつけ、心臓を捕らえた白銀に光る刃を繰り出した。
刹那────
横から羅刹が飛び出し、鋼道をさらうと距離を開ける。一体どこに羅刹が潜んでいたのか、風間が舌打ちすれば鋼道が嗤い。
「いいのですかな?たとえその女が手に入らずとも……私にはまだ娘がいる」
『っ!!』
途端に昴と風間が息を飲み、昴が来た道を振り返ると拳を握り締める。彼女がまだ新選組と共に行動しているのであれば、伏見奉行所にいるはず。そこに鋼道が羅刹を向かわせているのは明白で、二人視線を交わすと再び現れた羅刹に囲まれた。
「おっと、行かせませんよ?」
しかし鋼道が立ちはだかり、時間稼ぎをしようと動く。そこで風間が小さく吐息し、昴を見れば行けと促した。
「………っ、それは駄目だ!」
けれど、ここで二手に分かれるなどとできるはずもなく、拒絶するも不敵な笑みを浮かべる男。
「お前はあの男たちの生き様を見届けたいのだろう……?ならば今行かねば死ぬやも知れぬぞ?」
昴が何を思い、考え、ここに来たのか。
「あなたには全てお見通しなのだな……」
フワリと唇を開き、苦笑すれば風間の瞳に熱が宿る。その瞳と、昴の瞳が互いの熱を感じ、彼女が背を向けると風間の耳に届いた囁き。
『必ずあなたの元に帰る』
その言葉にフッと笑みをこぼし、だが次の瞬間には当たり前のように囁いた。
「言っただろう?お前を手放すつもりはないとな」
.
しかし薩摩や長州などの新政府軍が京の鳥羽街道を封鎖しており、徳川慶喜率いる旧幕府軍が朝廷に直訴するべく前進していたことを知っていたため、二人も簡単に近付くことはできない。そこで天霧が薩摩藩がいる鳥羽街道へと直接確認しに行くと、前進してきた旧幕府軍と既に接触していたのを見た。
「旧幕府軍は街道の通行を許可するよう言っているようですが、京から許可が降りるまでその場で待つよう薩摩が足止めしているようです」
しかも旧幕府軍が何度か強行突破しようとしているらしく、薩摩がそれを押し返していたとも教えた。
「旧幕府軍がどこまで辛抱できるかだが……。それも時間の問題だな」
双方既に緊迫した空気が流れ、どちらかがいつ発砲してもおかしくないと。風間が抑揚のない声で呟き、昴が碧い目を細めると日が傾き始める。
この時刻になるまで旧幕府軍は待てを言い渡され、かなり苛立っているだろうと推測すれば突如として空を裂くような破裂音。
「我慢の限界がきたか………」
風間が小さく吐息し、天霧が再び薩摩の方へ向かえば昴たちはもうひとつの方へ行く。
そこは新選組が駐屯している伏見の方であり、森を抜けて奉行所がある付近まで近付くと、鳥羽での銃声を聞いたのか闘いが繰り広げられていた。
その光景は端から見ても新政府軍の武力が上に見え、旧幕府側は持っている武器なども旧式だ。相手に接近する前に新型の銃に撃たれるのは必至で、それでも突破せんと闘い続ける旧幕府軍。
「どう見ても幕府側が不利だ……」
「………そうだな」
合戦の声が小さく聞こえてくるなか、風間の声に昴が頷くも拳を握り締める。あの兵の中に必ず土方たちがいるはずで、前線を走る姿が思い浮かべば目を閉じた。
いっぽう風間は彼女の心中が手に取るように分かるのか、ただ無言で傍に寄り添えば辺りが暗くなるのを見る。だが銃声は止まることを知らず、徹底的に交戦するのが分かれば昴の肩を引き寄せた。
「行くぞ。このまま夜戦となれば、巻き込まれる可能性が高くなる。まずは薩摩が布陣している御香宮神社に向かう」
「ああ、分かった」
夕闇に沈む道を進み、山道へと入るもいまだ銃声が鳴り響く。それに加え、高台にも薩摩の砲撃隊がいるようで、絶え間なく伏見奉行所へ向け攻撃を仕掛けているようだった。
だが風間や昴にしてみれば、この山道に潜んでいるであろう兵の目や耳を欺くことは簡単で。足音も立てず、目的地へ向け足を進めていると二人が同時に立ち止まった。
「なるほど……そう来たか……」
すると風間がやれやれとため息を吐き、昴が暗闇に目を向けると現れた集団。
「ようやく会えましたな……風間様。返事もないのでどうしたのかと思いましたが……元気そうで何よりです」
その先頭に立ち、にこやかな笑みを浮かべるのは坊主頭の初老の男。
「俺も忙しい身でな……。貴様に返事などする暇もないのだ」
風間が口の端を上げ、しかし隙もなく相手を伺うと男の目が昴を捉える。まるで探していた獲物が見つかったかのように、一瞬目がニヤリと嗤うのを見れば大袈裟な声を出した。
「おお、これはこれは。もしやあなたが風間様が大事にされている『姫』ですかな?まぁなんとお美しいお方でしょうか。羨ましい限りですなぁ」
「……貴様には関係ない。何をしに来たかは知らぬが、用がなければ退け」
だが風間は抑揚のない声で返し、歩き出そうとするが男は目の前に立ちはだかるように行く手を遮る。更に昴を上から下まで舐めるようにして眺め、普通の女性であれば恐怖に戦くだろうその動きを、しかし昴は真っ直ぐと見れば突然眉を寄せる相手。
「それにしても風間様は確か……私の娘、千鶴を妻にと申していたような気がするのですが……。まさか娘が手に入らないからと、このお方で
残念ですと呟き、けれど予期せぬ言葉を聞いて目を見開く昴。今の台詞でこの男が千鶴の義父である鋼道なのだと分かったが、また胸が痛み出し必死に心を押し殺す。
もし鋼道の言うことが正しいのであれば、やはり風間は千鶴を妻にしようとしていたのだ。そこで千鶴はどう思っていたのかは分からないが、本来の形であるなら自分は全くの部外者である。それを捻曲げてしまったのであれば、自分は身を引くべきではないかと。
いや、そもそも身を引くとは……それでは昴が風間の妻になるはずだったかのような話で。
「違う。私は……ただ、あなたが……」
心が千々に乱れ、情けなくも呟きが落ち。
それでも風間の顔を見ることだけは出来ず、ただ地面へと視線を落とした。
「どこをどうすればそのような戯れ言を言えるのだ?鋼道」
その時、風間が氷よりも冷たい声で言い放ち、殺気を隠そうともせずに睨み付ける。まるで穢らわしいものでも見ているかのような、真紅の瞳に宿るは純粋な怒りであり、さすがの鋼道も顔を青ざめさせた。
「残念だが……貴様の娘など俺にとってはどうでもよいこと。最初から『子孫を残すため』の純血鬼だという以外、何の興味すらなかったのだ。それを探す手間を省くために貴様に娘の居場所を聞いただけの事が……俺の妻だと?笑わせるな……」
そして更なる追い討ちをかけるように風間が言い放ち、鋼道がギリリと歯を食い縛る音を聞く。
今はこの男に昴の素性を知られるわけにはいかず、彼女こそ己の妻だと声も高らかに宣言したいところを耐えた。
「っ………ぐぅ………。く、くくっ………」
すると歯噛みしていた鋼道が段々と肩を震わせ始め、風間が目を眇めると遂に笑い出す。
「さすがは西国の頭領であられる!こうでも言えばぽろりと喋るかと思いましたが……そうはいかないようですねぇ」
そうして余裕のある笑みを見せ、顎をしゃくるような動きをすると羅刹たちが包囲した。
「こうなれば力ずくでも彼女を渡してもらいますよ。正体を暴くのはそれからでも遅くはない。それに、今の彼女であれば容易いこと」
と、ニヤリと口元を歪ませ、昴へ視線を向けると目を少し見開いた風間も同じようにする。既に回りの声など耳に入ってないのか、碧い瞳が生命を失うかのように色をなくしていけば、風間が昴の細い顎を捕らえた。
「っ────!」
途端に身体を震わせ、上を向かされると出逢った真紅の瞳。真っ直ぐと、嘘偽りのない想いがそこにあり、息もできずひたすらに見つめた、瞬間。
「ん────」
風間の柔らかな唇が触れ、口付けられたのだと気付けば見開かれた瞳。しかし生気を失ったかのような色は元の碧へと戻り、鼓動が熱く高鳴れば瞼をそっと閉じる。
そしてこの胸の痛みが何なのか、触れた唇から伝わる想いにようやく理解すると、顔を離した風間がゆるりと微笑み。
「文句は後でいくらでも聞いてやる」
腰に差していた刀を抜き放てば、昴も直ぐに気配を察知して刀を抜く。たとえ羅刹が何人来ようと、鬼の力の前では敵うはずもなく。
「その女を捕らえよ!!」
鋼道が叫ぶも、襲い掛かる羅刹を次々と風間が薙ぎ払うと昴も同じように倒していく。
そして最後の一人を倒し、鋼道ひとりになるといよいよ追い詰められた男。風間がゆっくりと近付き、刃を突き付けると最後通告のように言い渡す。
「最早鬼の誇りすらもない貴様の所業……地獄で後悔しろ」
そのまま刀身をぐっと後ろに引きつけ、心臓を捕らえた白銀に光る刃を繰り出した。
刹那────
横から羅刹が飛び出し、鋼道をさらうと距離を開ける。一体どこに羅刹が潜んでいたのか、風間が舌打ちすれば鋼道が嗤い。
「いいのですかな?たとえその女が手に入らずとも……私にはまだ娘がいる」
『っ!!』
途端に昴と風間が息を飲み、昴が来た道を振り返ると拳を握り締める。彼女がまだ新選組と共に行動しているのであれば、伏見奉行所にいるはず。そこに鋼道が羅刹を向かわせているのは明白で、二人視線を交わすと再び現れた羅刹に囲まれた。
「おっと、行かせませんよ?」
しかし鋼道が立ちはだかり、時間稼ぎをしようと動く。そこで風間が小さく吐息し、昴を見れば行けと促した。
「………っ、それは駄目だ!」
けれど、ここで二手に分かれるなどとできるはずもなく、拒絶するも不敵な笑みを浮かべる男。
「お前はあの男たちの生き様を見届けたいのだろう……?ならば今行かねば死ぬやも知れぬぞ?」
昴が何を思い、考え、ここに来たのか。
「あなたには全てお見通しなのだな……」
フワリと唇を開き、苦笑すれば風間の瞳に熱が宿る。その瞳と、昴の瞳が互いの熱を感じ、彼女が背を向けると風間の耳に届いた囁き。
『必ずあなたの元に帰る』
その言葉にフッと笑みをこぼし、だが次の瞬間には当たり前のように囁いた。
「言っただろう?お前を手放すつもりはないとな」
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