ひとり部屋に戻り、ようやく安堵の息を吐いた昴。
そう言えば、鋼道の話しがまだ途中だったことに気付き頭を抱える。彼が何故会わせろと言っているかも分からず、変若水がヴァンパイアにまつわる薬だったと判明したが、鋼道とはまだ結びつかない。それを聞くためにいたのに、話の路線が変わった途端に頭が真っ白になってしまった。
それに何より、風間を振り切って部屋から出て行ったのが心残りで。

「風間さんに……悪いことをした……」

せめてこの胸の痛みが何なのか分かればいいのにと、目を閉じた。

その時、

「ならば、今夜はお前が作ったものでも食わせてもらおうか」

襖が静かに開くと、風間が中に入ってくる。

「か、風間さ………っ」

まだ心の整理もついていないのに、心臓に悪すぎて思わず後退ると面白そうに笑う男。

「別に取って食うわけでもないのだが……。鋼道の話がまだ終わってないだろう?」

「あ…………」

ここに来た理由がそれだと告げ、姿勢を正した昴が碧い目を向けると、風間が目の前に座る。そして彼もまた表情を戻せば、分かりやすく説明を始めた。

「あの男は長州の庇護のもと、変若水の研究を更に続けているようだ。その中に、日中でも動ける羅刹を作ると言うのがある」

そうなると、これから起こるであろう闘いに羅刹が導入されれば、戦力は考えずとも分かること。銃弾を浴びても死ぬことがない彼らは、まさに脅威でしかない。

「だが……天霧の調べでは、あの変若水にも最大の弱点がある」

「最大の……?」

そこが最も重要なことだと、風間が告げると聞かされたのは衝撃の事実。

「あれは人間を羅刹という"鬼"に変えるが、元になっているのはあくまでも人間の身体。筋力が増強され、自然治癒能力を高めているのは己の命を先取りしているも同じ。要は羅刹の力を使うたび、自分の寿命を削っているに過ぎん。そして命を使い果たした者は、灰となって死ぬ」

「っ………そ、んな………」

彼の言うことが本当であれば、実験台として使われていた新選組の隊士たちも、いずれは灰になると言うのか。そうなると、苦しみぬいた結果、変若水に手を出した山南も……。

「そのような紛い物を作り出して何になるというのか……。そんなモノを作ったとして、我ら鬼には敵わぬものを」

「だが……それじゃあたとえ羅刹を作っても灰になれば意味がない……。その度に薬を飲ませ、羅刹を作るなど……邪道にもほどがある!」

怒りのあまり唇が震え、昴が拳を握り締めると、そこでだと話を続ける男。

「鋼道が考えたのは、その変若水に鬼の力を加えれば………灰になることがなくなると言うことだ」

勿論昴もすぐにピンときたのか、風間を見れば頷かれる。

「変若水に鬼の血を混ぜることにより人間を更に鬼へ近付け、灰になる確率を下げる。しかもより強き力を持つ鬼であれば尚更だ。鋼道は初め己の娘……雪村千鶴を使おうと目論んでいたようたが、俺の屋敷に匿われているお前のことをどこからか嗅ぎ付けたらしい」

「だからあなたに書状を何度も送り、私に会おうとした……」

そして風間や千姫とも違う鬼の種族である昴の血を使い、より完璧な羅刹を作ろうとしているのだと。

「そうだったのか……」

ここにきてまた自分が狙われているのかと、眉を寄せ目を閉じると目まぐるしく考える。いくら薩摩と長州の仲が良いとしても、長州側の依頼を断り続けるとさすがに怪しまれるのは必至だ。だから風間と天霧が考えていたのだろうと思い至り、それなら自分が取るべき道はひとつ。
ここから出て行くべきだと、心に決める。
だがそんな彼女を見つめていた風間が名を呼び、震える様を見れば強い眼差しで射抜いた。

「まさか……ここを出て行くなどと、考えているのではあるまい?」

しかも風間の考えは的中し、息を微かに飲むのさえ見逃さない。

「ここを出てどうする?また新選組の元にでも行くか?」

「っ……それはできない!」

「では、どこに行こうというのだ?この寒いなか野宿でもするつもりか?」

風間の言うことは的確で、追い詰められていく感覚を味わうと唇を噛み締める。それでも出て行かない限り、風間が不利になるだけなのだ。それだけは、絶対に許せない。

「私なら………少々のことで死ぬことはない。相手に気配を悟らせるようなこともしない。それに鋼道にだけは、この血を渡さないと約束する!だから、このまま私を────」

真っ直ぐと風間を見つめ、この思いが少しでも伝わるようにと訴えた瞬間。

「もう忘れたのか?」

伸びた手が昴の首筋を捉え、力強く引き寄せられたと思った時には風間の腕の中。瀕死だった時よりも近く、抱き締められた腕の強さに息が止まる。そして昴の耳許に風間が唇を寄せ、彼女が小さく震えると囁いた。

「俺はお前を手放すつもりはない。たとえお前がどこに行こうが、奪いに行くと……それさえも忘れたと言うのか?」

「…………っ」

忘れるなど、あるはずもないと。
首を横に振り、込み上げる苦しさに吐息を洩らす。
それならどうすればいいのか。このままここに居ても、風間の立場を危うくするだけなのに。ここに居ては駄目なのに、どこにも行かせてはくれないのか。
堂々巡りの思考が絡み付くようで、その苦しさが声に出た。

「あなたに迷惑を掛けるようなことだけは、したくない………。それが原因で薩摩との関係が悪化するのも嫌なんだ!」

「それは……俺がお前にとって命を助けた者だからか?」

なのに、風間は許そうとせず、更に問い掛けてくる。それはまるで、昴に明確な理由を与えようとしているようで。

「俺が命の恩人だから、迷惑を掛けたくないと……そう言うのだな?」

再度、耳許で囁かれた、その時。

「あなたが………大切だから………!」

碧い瞳がひたと風間を捉え、静かな部屋に響いた言葉。
抵抗さえなく、思いのほか昴の心にすとんと落ちれば苦しさから解放された。また、新選組に居た時でさえ、誰にもこんな気持ちになったことなどなかったから……。
驚きと共に風間千景が大切な人だと理解した途端、また別の苦しさが昴を襲った。
それは大切な人を守りたいという、心からの想い。

「言ったな………?」

そこで風間の唇が弧を描き、昴の視線を絡めとる。取り消しはもうできぬと、真紅の瞳が告げ、何か言わなければと惑う彼女の唇をゆるりとなぞれば。

「今はその理由で我慢するが……。お前は俺が女ひとりも守れぬ男だと……そう思っているのか?」

再び問い掛け、それは違うと返ってくる。純血の鬼である風間の力は、新選組でさえも敵わないと分かっている。しかしそれが女ひとり守れない事に繋がるはずもない。対する相手が一人ではないからこそ、昴は守りたかったのだ。
それなのにこの男は不敵に笑い、ならばここにいろと告げ。

「鬼は一度交わした約束を決して違えることはない……。だからここでお前に約束しよう」

ふと真剣な表情へと変わると、真っ直ぐに昴を見つめ誓うように言った。

「お前を必ず守ると約束する。指一本でも触れさせはせん……。それがたとえ千姫であろうが、長州であろうが、変わりはしない」

「っ………風間、さ………」

それはまるで騎士の誓いのように、厳かにも昴の心を震わせるには十分で。彼にこんな言葉を言われる日が来るなどと、想像してもなかったから。自分はこんなにまでも大切に思われていると、錯覚しそうになる。それでも今は、彼の真っ直ぐな言葉が嬉しくて。

「分かったな?」

風間が視線を反らすことなく言い、静かに頷くとまた力強い腕の中。
たとえこの腕の温もりが、この時だけと知っていても、昴にとっては信じることのできる唯一の光だから。
風間の胸の鼓動を聞きながら、そっと目を閉じたのだった………。


続く
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