二
原田たちが新選組の屯所へ帰還し、瀕死の藤堂を連れ帰るとすぐに治療が施される。しかし帰りつくまでの出血の多さと、傷の深さから誰もが助からないと思っていたのは否めず。今にも息絶えそうな彼を助ける方法は、最早ひとつしか残されていなかった。
その方法とは、彼を"羅刹"にすること。
それ以外に生かすことは無理だと、決断を余儀なくされた彼らは、藤堂自らも望んだことにより変若水を飲ませたのだった。
辺りの空気までもきんと冷え、澄んだ夜空に浮かぶ星を見上げるひとつの影。
時刻は深夜を回っているのだろう。出歩く者さえ見えず、動物たちでさえどこか暖かな場所で過ごしているのか姿が見えないなか。灯りも持たず、ただひたすらに歩き続けていたのは昴。あれからどのくらい歩いていたのか、時間の感覚さえとうになく。帰る場所もなくさ迷う。
いまや手も寒さでかじかみ、吐き出す息の白さを呆然と見つめる碧い瞳は何も映しておらず。まるで廃墟の中を歩いているような、人の気配さえ感じられない場所を歩いていると、向こうから誰かが近付いてくる姿。
「…………………」
それは遠目に見ても分かるほど、月光で綺麗に浮かび上がる金色の髪と、血に濡れたかのような真紅の瞳を持つ男。
屋敷から逃げようが関係ないと、どこへでも好きな所へ行けと。突き放すように言った風間千景。
そこで昴は歩みを止め、一方では歩みを止めないその男が目の前まで来ると、真っ直ぐに見つめた。
「気は済んだのか……?」
そして男らしくも低い声色が聞こえ、静かに頷くと落ちた沈黙。こちらを見つめる真紅の瞳に耐え兼ね、ふと目を伏せるとフワリと肩に何かを掛けられる。それが彼の着ていた羽織だと、目を見開けば既に背を向けて歩き出す姿。
「どうして…………」
その背を見つめ、震える唇で問い掛けたが風間は振り返らない。
「ないよりはましだろう?」
しかも羽織の事だと思ったようで、短く答えると昴は首を振った。
「どうして……どうして、迎えになど………!」
そして今度こそ聞きたかった事を問い掛けると、ピタリと動きを止める男。そのままゆっくりと振り向き、悲壮な顔を向ける昴を見つめ目を細める。
だが距離を縮めるわけでもなく、突き放すわけでもなく、自分を見つめる目に宿るのは暖かな光。この男のどこに、そんな心があったのかと………。小さく目を見開いたその時。
「お前がもつ"確固たる意志"を見たくてな……。それがどこから来るのか、お前を突き動かしているのは何か、ただ知りたかった……それだけのこと」
夜の静寂に風間の声が響き、更に見開かれた彼女の目。
いや、この男に心がないわけじゃない。今まで自分が見ていなかっただけのことだと。
そしてその彼を"知りたい"と思う自分がいることに気付けば、愕然とする。
同時に鼓動がひどく乱れ、直視できなくなった。
それでも男は気付かないのか、俯いた昴へと再び歩み寄り、冷たくなった頬に触れるとビクリと震えるひと。図らずも潤んだ碧い瞳が揺れ、風間を捉えると二人の視線が絡まり。
「俺は自分が鬼だということに誇りを持っている……。それは西国を束ねる頭領としてもそうだが、それ以前に鬼として在る本来の誇りだ」
力強くも、どこか優しい響きで男が語る。
「だが人間はどうだ………?己の"欲"の為ならば平気で人を裏切り、平気で敵へ寝返りもする。己を武士だと言いながら、その武士の誇りでさえ自ら踏みにじるのだ……。そんな人間どもに、何故お前が執着しているか理解もできなかったが………。今回の事で分かった気がする」
そして触れた風間の指先が頬を撫で、その動きに驚くと囁かれた言葉。
「奴らは少なくとも……己の強固な意志のもと動いている。我ら鬼に歯向かい、牙を剥くのは余程の馬鹿か……余程貫きたい何かがあるからだろうが……。だがあの土方という男を始め、何人かがその後者だ……。その者たちを守りたい……志を貫き通してやりたい……そう思うからこそ、お前は動いた……。違うか?」
的確にも昴の思いを見抜き、今や風間の目に宿る熱に全てを見透かされそうで。
「その通りです………」
一寸の間違いもないと、告げると風間が笑みを浮かべる。そうして手を離し、温もりが失われると昴の胸が小さく痛み。
「帰るぞ 」
「────っ!?」
風間からの言葉に自分の耳を疑う。だから動くことも出来ず、男の背を見つめていると彼があからさまにため息をつく。
「どうせ帰る宛もないのだろう……?まぁ……お前がどこに身を寄せようとも、また奪いに行くがな」
そしてクスリと笑えば、昴の頬が薔薇色に染まった。
「まさか……最初からそのつもりで……っ」
その姿があまりにも可愛らしく、風間が声を上げて笑うと本人は睨み付けてくる。しかし昴を更に知ることが出来た今では、それさえも心地好い。
「長老どもの命令に従う気はないが……。俺は俺の意志で、お前を手に入れたくなったからな……。どうするかはお前次第だが?」
これまで通り彼女を自由にするのは変わらず、逃げたければいつでも逃げればいいと。
だが昴は決して逃げはしないだろう。
今も風間の羽織を握り締め、透き通る碧い瞳を反らしはしないのだから。
「いつまでそうしているつもりだ?そこに立ったまま凍死したいのなら、話しは別だが……」
まだ少し肩を震わせ、風間がわざと首を傾げてやれば動き出した昴。彼の横を通り過ぎる間際、小さな唇が動くと男がフッと笑み、目を閉じる。
『有り難う』
と、その囁きに風間の目が一瞬燃えるような熱を孕み。次に目を開けた時にはもう何も見えなかったけれど。
二人闇に紛れるように、姿を消した。
* * *
新選組が伊藤甲子太郎の暗殺、及び御陵衛士の隊士らを粛清した出来事は油小路事件と呼ばれ、その翌日に広間に集まっていたのは幹部と千鶴。
瀕死の重傷を負い、変若水を飲まなければ助からなかった藤堂平助は表向きには死亡したことになり、羅刹隊に属することになった。それと同時にもうひとつ、昨夜あの場所に姿を現した昴の話が出ると誰もが悔しげな表情を浮かべる。なかでもその場にいた原田、永倉、千鶴の三人がやるせなさを感じていたのは隠せず。
「なんで戻ってこねぇんだよ………昴!」
床を殴った永倉が歯噛みすると、原田もさすがに頭を抱える。
あれから昴のことを土方に伝え、彼女が戻ってくるのを待っていたがいっこうに姿を現さず、山崎を現場へと向かわせたが既にその姿がなかったと聞けば唖然とするばかり。
自分たちを助けるために現れ、藤堂に諦めるなと叫んだその姿を忘れるはずもなく。だが現実には再び姿を消し、新選組に戻ることはなかったのだ。
「あの時、否が応でも離さなけりゃ良かったぜ……」
思い出すのは早く屯所へ戻れと、強い眼差しで見つめていた彼女は一度たりとて頷きはしなかったから。原田が何が何でも捕まえておけば良かったと……苛立ちを隠しもせずに言えば、腕組みした土方が口をようやく開いた。
「だが昴が昨夜、油小路に来たってこたぁ俺らが動くのを知っていたからだ。その情報を一体どこで手にいれたのか……本人に聞きゃあ分かることなんだろうが、調べる必要はあるな」
「自分もそう思います。風間に連れ去られたままであれば、油小路に来れるとは到底思えない。何かしらの方法であの男から逃れ、どこかに身を潜めているやも知れません」
そして黙っていた斎藤が頷き、風間の元から逃げ出し、今もどこかをさ迷っているかもしれないと考えると瞳に怒りを滲ませる。それは風間から狙われているのが自分だと分かっているからこそ、ここには戻るつもりがないと。
伝わる思いに目を閉じ、原田が大きなため息を吐くと呟いた。
「あのヤローが鬼と名乗ろうが、俺たちが守ることには変わりねぇのにな………」
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その方法とは、彼を"羅刹"にすること。
それ以外に生かすことは無理だと、決断を余儀なくされた彼らは、藤堂自らも望んだことにより変若水を飲ませたのだった。
辺りの空気までもきんと冷え、澄んだ夜空に浮かぶ星を見上げるひとつの影。
時刻は深夜を回っているのだろう。出歩く者さえ見えず、動物たちでさえどこか暖かな場所で過ごしているのか姿が見えないなか。灯りも持たず、ただひたすらに歩き続けていたのは昴。あれからどのくらい歩いていたのか、時間の感覚さえとうになく。帰る場所もなくさ迷う。
いまや手も寒さでかじかみ、吐き出す息の白さを呆然と見つめる碧い瞳は何も映しておらず。まるで廃墟の中を歩いているような、人の気配さえ感じられない場所を歩いていると、向こうから誰かが近付いてくる姿。
「…………………」
それは遠目に見ても分かるほど、月光で綺麗に浮かび上がる金色の髪と、血に濡れたかのような真紅の瞳を持つ男。
屋敷から逃げようが関係ないと、どこへでも好きな所へ行けと。突き放すように言った風間千景。
そこで昴は歩みを止め、一方では歩みを止めないその男が目の前まで来ると、真っ直ぐに見つめた。
「気は済んだのか……?」
そして男らしくも低い声色が聞こえ、静かに頷くと落ちた沈黙。こちらを見つめる真紅の瞳に耐え兼ね、ふと目を伏せるとフワリと肩に何かを掛けられる。それが彼の着ていた羽織だと、目を見開けば既に背を向けて歩き出す姿。
「どうして…………」
その背を見つめ、震える唇で問い掛けたが風間は振り返らない。
「ないよりはましだろう?」
しかも羽織の事だと思ったようで、短く答えると昴は首を振った。
「どうして……どうして、迎えになど………!」
そして今度こそ聞きたかった事を問い掛けると、ピタリと動きを止める男。そのままゆっくりと振り向き、悲壮な顔を向ける昴を見つめ目を細める。
だが距離を縮めるわけでもなく、突き放すわけでもなく、自分を見つめる目に宿るのは暖かな光。この男のどこに、そんな心があったのかと………。小さく目を見開いたその時。
「お前がもつ"確固たる意志"を見たくてな……。それがどこから来るのか、お前を突き動かしているのは何か、ただ知りたかった……それだけのこと」
夜の静寂に風間の声が響き、更に見開かれた彼女の目。
いや、この男に心がないわけじゃない。今まで自分が見ていなかっただけのことだと。
そしてその彼を"知りたい"と思う自分がいることに気付けば、愕然とする。
同時に鼓動がひどく乱れ、直視できなくなった。
それでも男は気付かないのか、俯いた昴へと再び歩み寄り、冷たくなった頬に触れるとビクリと震えるひと。図らずも潤んだ碧い瞳が揺れ、風間を捉えると二人の視線が絡まり。
「俺は自分が鬼だということに誇りを持っている……。それは西国を束ねる頭領としてもそうだが、それ以前に鬼として在る本来の誇りだ」
力強くも、どこか優しい響きで男が語る。
「だが人間はどうだ………?己の"欲"の為ならば平気で人を裏切り、平気で敵へ寝返りもする。己を武士だと言いながら、その武士の誇りでさえ自ら踏みにじるのだ……。そんな人間どもに、何故お前が執着しているか理解もできなかったが………。今回の事で分かった気がする」
そして触れた風間の指先が頬を撫で、その動きに驚くと囁かれた言葉。
「奴らは少なくとも……己の強固な意志のもと動いている。我ら鬼に歯向かい、牙を剥くのは余程の馬鹿か……余程貫きたい何かがあるからだろうが……。だがあの土方という男を始め、何人かがその後者だ……。その者たちを守りたい……志を貫き通してやりたい……そう思うからこそ、お前は動いた……。違うか?」
的確にも昴の思いを見抜き、今や風間の目に宿る熱に全てを見透かされそうで。
「その通りです………」
一寸の間違いもないと、告げると風間が笑みを浮かべる。そうして手を離し、温もりが失われると昴の胸が小さく痛み。
「
「────っ!?」
風間からの言葉に自分の耳を疑う。だから動くことも出来ず、男の背を見つめていると彼があからさまにため息をつく。
「どうせ帰る宛もないのだろう……?まぁ……お前がどこに身を寄せようとも、また奪いに行くがな」
そしてクスリと笑えば、昴の頬が薔薇色に染まった。
「まさか……最初からそのつもりで……っ」
その姿があまりにも可愛らしく、風間が声を上げて笑うと本人は睨み付けてくる。しかし昴を更に知ることが出来た今では、それさえも心地好い。
「長老どもの命令に従う気はないが……。俺は俺の意志で、お前を手に入れたくなったからな……。どうするかはお前次第だが?」
これまで通り彼女を自由にするのは変わらず、逃げたければいつでも逃げればいいと。
だが昴は決して逃げはしないだろう。
今も風間の羽織を握り締め、透き通る碧い瞳を反らしはしないのだから。
「いつまでそうしているつもりだ?そこに立ったまま凍死したいのなら、話しは別だが……」
まだ少し肩を震わせ、風間がわざと首を傾げてやれば動き出した昴。彼の横を通り過ぎる間際、小さな唇が動くと男がフッと笑み、目を閉じる。
『有り難う』
と、その囁きに風間の目が一瞬燃えるような熱を孕み。次に目を開けた時にはもう何も見えなかったけれど。
二人闇に紛れるように、姿を消した。
* * *
新選組が伊藤甲子太郎の暗殺、及び御陵衛士の隊士らを粛清した出来事は油小路事件と呼ばれ、その翌日に広間に集まっていたのは幹部と千鶴。
瀕死の重傷を負い、変若水を飲まなければ助からなかった藤堂平助は表向きには死亡したことになり、羅刹隊に属することになった。それと同時にもうひとつ、昨夜あの場所に姿を現した昴の話が出ると誰もが悔しげな表情を浮かべる。なかでもその場にいた原田、永倉、千鶴の三人がやるせなさを感じていたのは隠せず。
「なんで戻ってこねぇんだよ………昴!」
床を殴った永倉が歯噛みすると、原田もさすがに頭を抱える。
あれから昴のことを土方に伝え、彼女が戻ってくるのを待っていたがいっこうに姿を現さず、山崎を現場へと向かわせたが既にその姿がなかったと聞けば唖然とするばかり。
自分たちを助けるために現れ、藤堂に諦めるなと叫んだその姿を忘れるはずもなく。だが現実には再び姿を消し、新選組に戻ることはなかったのだ。
「あの時、否が応でも離さなけりゃ良かったぜ……」
思い出すのは早く屯所へ戻れと、強い眼差しで見つめていた彼女は一度たりとて頷きはしなかったから。原田が何が何でも捕まえておけば良かったと……苛立ちを隠しもせずに言えば、腕組みした土方が口をようやく開いた。
「だが昴が昨夜、油小路に来たってこたぁ俺らが動くのを知っていたからだ。その情報を一体どこで手にいれたのか……本人に聞きゃあ分かることなんだろうが、調べる必要はあるな」
「自分もそう思います。風間に連れ去られたままであれば、油小路に来れるとは到底思えない。何かしらの方法であの男から逃れ、どこかに身を潜めているやも知れません」
そして黙っていた斎藤が頷き、風間の元から逃げ出し、今もどこかをさ迷っているかもしれないと考えると瞳に怒りを滲ませる。それは風間から狙われているのが自分だと分かっているからこそ、ここには戻るつもりがないと。
伝わる思いに目を閉じ、原田が大きなため息を吐くと呟いた。
「あのヤローが鬼と名乗ろうが、俺たちが守ることには変わりねぇのにな………」
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