屋敷を出た昴にたったひとつ、誤算があったとすれば、それは地理だ。
まだ人が行き交う道を足早に歩き、天霧から得た情報を元に向かおうとしたのは油小路と言う場所。だがここが近いのか遠いのかも分からず、意識を失った状態で連れて来られたのを考えるといかに自分が浅はかだったのか思い知らされた。
急ぎ足で通り過ぎる町人に道を聞きつつ、ひたすら油小路を目指すも時間をかなりロスしていることに変わりない。白い息が舞うなか、やっとたどり着けば遠くで見えた多くの影。
伊藤甲子太郎の遺体を油小路に放置し、それを引き取りに来た御陵衛士を一斉に襲う計画にしては、人数もさることながら入り乱れており。様子がおかしいと、足を早めると響いた破裂音。
それが銃声だと気付いた時には数人が倒れ、発砲した人物の気配が不知火だと気付けば走り出した。

「なにグズグズしてやがんだよ!!俺は早く新選組もろとも消せって言ってんだ!」

だがどうして長州に属している彼がここにいるのか、疑問が浮かぶも取り囲んだ数十にも及ぶその中心に見えた浅葱色の羽織。
原田佐之助と永倉新八の姿と、守られるようにして千鶴の姿も認めると歯を食い縛る。圧倒的な人数相手に、千鶴を守りながら闘うのは困難を極め、じわじわと彼女ひとりが離れて行くのを見ると前に出たひとりの男。

「あれは……藤堂さん」

御陵衛士側にいたはずの彼が、千鶴を守るようにして立つ姿に胸が温かくなるのを感じた瞬間、不知火に吹き飛ばされた藤堂。やはり鬼の力に敵うはずもなく、千鶴が再びひとりになってしまう。その瞬間を逃すはずもなく、二人の武士が彼女に襲いかかるのを見た昴が速度を上げるが、それより早く刃が到達しようとしたその時。

「千鶴!!」

倒れていたはずの藤堂が千鶴の前に立ちはだかり、刀と脇差しで仕留める。しかし一歩遅く、その二人の斬擊を浴びた身体からは血飛沫が舞い、ガクリと膝をつくとそこに現れた不知火。

「よく守ったな……人間。だが、これで終わりだぜ?」

カチャリと、擊鉄を起こす音が冷たく響き、藤堂の額に照準を定めると引き金を引いた。

刹那────。

風を斬る音が聞こえ、不知火の目の前で銃がバラバラと落ちる。それは微塵切りのような、金属音をさせながら転がったそれを不知火が見れば、聞こえた涼やかな声。

「彼を殺させはしない」

同時に原田と永倉がそこに立つ姿を見つめ、驚愕で目を見開けば千鶴が震える唇で名を呼んだ。

「す、昴さん……っ!」

しかし、その呼び掛けには答えず、不知火と対峙すればニヤリと笑う男。

「よう、昴。助かったんだな」

武器を破壊されたにも関わらず、余裕の笑みで問う。それでも刀を持った昴はひたと目の前の男を捉え、フッと姿が消えると静けさだけが残り。

「───っく!!」

何かを察知したのか、後ろへと飛び退けば心臓を捕らえた昴の刃が突きの攻撃を繰り出している。

「あっぶねぇだろが!!」

しかしその動きを視認できたのは誰ひとりとしておらず、見えていたのは不知火ただひとりだけ。

「おいおい……今の攻撃、まったく見えなかったぜ……?」

永倉がゴクリと唾を飲み込み、原田が言葉を失っていると昴が静かに告げた。

「退け」

短いその言葉はあの穏やかな彼女からはかけ離れ、碧い瞳は凍えるように冷たい。
長州だけがこの企てをしていたとは考えにくいが、ここにいるのは彼だけなのだ。原田や永倉、そして藤堂もまとめて殺そうとしていたのは確かで。

「それとも……ここで私と闘うか?」

怒りを孕んだ瞳が一瞬、紅に染まるのを見れば不知火は肩を竦めて見せた。

「やれやれ……お前とやりあうなんて御免被りたいぜ。風間のヤローに何を言われるか分かったもんじゃねぇ」

その代わりにと、呆然としていた長州らしき武士たちを見ればまたニヤリと笑い。

「おいそこの役立たずども!!なにぼーっと突っ立ってやがる!!さっさとその、やっちまえってんだよ!!」

我に返った男たちを尻目に不知火は闇に溶けるようしにて消える。
そして昴を囲んだ男たちが、一斉に飛び掛かると原田が反射的に駆け出した。

「昴─────っ!!?」

が、原田が見たのはたった一歩で相手へと間合いを詰め、身体を貫いた白銀の刃。間を置かずして横から振り下ろされた刀を受け流し、袈裟斬りで男の首筋を捉えると絶命する。その流れるような動きもさることながら、背後から襲ってきた攻撃が見えているのか。軽やかに避けるとその刃が味方に当たり自滅。こと切れた男から武器を瞬時に奪い、襲いかかる数本の刀を受け止めると己の刃で貫き、残る相手を見れば情けない声を出しながら逃げにかかる。
だがその男たちを原田と永倉が仕留め、昴の横に立つとそれぞれが構えた。

「時間がない……。速攻で終わらせる」

「おう!平助の命が掛かってるからな!」

「それじゃやるぜ、昴」

そこから三人が敵へと突っ込むと、まるで嵐のように薙いでゆく。あれだけ劣勢だったのがまるで嘘のように数を減らし、鬼神の如き動きで立ち回ると怖じ気付いた者たちは、蜘蛛の子を散らすが如く逃げて行った。

「平助!大丈夫か!?」

そうして永倉が倒れている藤堂の横に屈み、まだ息をしているのを確認すると安堵する。しかし一刻を争うのは目に見えていて、今も流れる血が着物を染めていた。

「千鶴も大丈夫か?」

「は、はい……。でも平助君が………!」

その横では原田が視認し、怪我がないのを確認すると藤堂が何やら口を動かす。出血が多く、貧血をおこしているのか唇は紫色に染まり、静かに近付いた昴を見れば手を伸ばした。

「………っ、昴………お前、かっこ……いい、とこ……取るん、じゃ……ねぇ………よ」

その手を握り、藤堂が笑いながら嫌味を言うものの昴は真っ直ぐと見つめる。指先は冷たく、唇を噛み締めると原田たちへ視線を向け早く戻れと促した。

「ここは私が引き受ける。皆は早く屯所へ戻ってくれ」

「は?おい、お前も戻るんだろ?そのために来てくれたんだろーが」

途端に永倉が食い付き、原田が見つめるなか昴は首を振る。今はそんな事を言ってる暇などないと、藤堂を見ると弱々しい笑み。

「俺………も………駄目、か…………もな………。で、も………最後、に………千、鶴………まも………て、良かっ…………」

この傷の深さでは助からないと、諦めにも似た声を滲ませた瞬間───。

「逃げるな!!」

昴の鋭い声が闇に木霊する。
その声に誰もが驚き、藤堂も目を開いて反応すれば強く握り締められた手。

「生きることから、"逃げるな"!これは………命令だ!!」

凛とした眼差しに射抜かれ、命令だと聞けば藤堂が小さく吐息しながらまた笑い。

「っ…………だ、れ…………に、命令…………し、てん…………だ……。ばー………か………」

彼女の手を強く握り返すと、永倉が抱えて立ち上がった。

「後から来いよ!絶対だからな!!」

「待ってるぜ?昴」

続けて原田も念を押し、しかしその言葉には頷くことはなく、千鶴が何か言う前に早く行けと遮る。

「振り向くな………そのまま、前だけを見て走れ」

己の事など気にしている暇はないと、二人の後を泣きそうになりながらも千鶴が追うのを確認し。

「間に合ってくれ………」

祈るように囁くと、目を閉じた………。

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