二
それから新たな年を迎え、桜の花が咲き始めた頃。
庭に出ていた昴の元に、やってきたのは天霧九寿。薩摩藩邸に呼ばれたりと、忙しそうな風間の代わりに、こうして様子を見に来ては少し話をしていく。
「この時期とは言え、まだ寒い日もあるというのに……どうされたのです?早く中に入りなさい」
「あ……花がいつ満開になるかと、そう思って見ていたんですが……まだみたいです。すみません」
そう言って踵を返した彼女は、すっかり体調も良くなったのか顔色も良く。感じる波動も強いものに戻り、天霧が心の中で安堵する。
しかしその彼女を新選組が探しているのを知っており、彼らは昴が薩摩藩邸に捕らわれていると思っているようだった。
それと同時に昴は己の正体を風間に知られて以降、新選組の元へ戻りたいと一言も言うことがない。それは彼女自身、風間が自分を放すつもりがないのを知っていて、尚且つ新選組に迷惑が掛からないようにしているから。
桜をじっと見つめていた碧い相眸からは何も読み取れず、天霧とも必要以上のことは喋らなかった。
そうして部屋へ戻り、置かれていた七厘へ昴が手をかざすと、天霧が手に入れた情報を教える。それは彼女からの希望ではなく、また風間からの命でもなかったが、昴には外の出来事を把握させたいと思う彼の本心で。
ただ凛とした佇まいのまま、この現実を受け入れていた。
「そう言えば……新選組からは伊藤甲子太郎が抜けたようです」
「っ……伊藤さんが……?」
伊藤と言えば、近藤が江戸に戻った際に引き連れてきた一刀流の師範で、新選組に身を置きながらも攘夷を謳っていたのを覚えている。その男が新選組の隊士らを半分ほど引き抜いたようで、その中に藤堂と斎藤の名を聞けば昴が小さく目を見開いた。
「藤堂さんはともかく ……斎藤さんも……」
呟かれたその言葉はまるで知っているかのような、そんな口振りに天霧が目を細め、しかし話を続ける。
伊藤はそのまま御陵衛士なるものを結成し、尊皇攘夷を掲げたが事を穏便に済ませるため、対外的には対立関係ではないとしているようで。
藤堂と仲が良かった千鶴の事を思えば、胸が酷く痛んだ。
そんな知らせがあった後も、風間は相変わらず昴を手元に置いたまま。時間があれば彼女の部屋へ訪れては、端的な会話をしてすぐに去っていく。どうして会いに来るのか皆目見当もつかないけれど、時に土産だと食べ物などを渡され、素直に喜ぶと相手も笑みを浮かべ。その度に昴の鼓動が訳もなく激しくなるの感じる。
何故なら、風間は決して無理強いするわけでもなく、外出以外は何不自由ない生活をさせているのだ。自分のものにすると言いながら手を出すことなく、まるで千という女から守ってくれているようで……。その風間と接する度に、胸に広がる温かくも心地よい感情。
それが何なのか昴には分からなかったけれど、出逢った時のあの放漫な態度を見せることはなかった。
それから更に夏を過ぎ、また寒い季節を迎えようとしていたその頃。
昼間にも関わらず、昴の部屋に誰か来たと思えば風間千景の姿。珍しくもこの時間帯にどうしたのかと、無言で見上げると男は静かに座る。
「こんな時間に珍しいですね……」
「何だ……?お前の所に来るのに、理由が必要か?」
すると風間が少しだけ睨み付け、昴がゆるりと首を振れば男の唇が動く。
「ところで……坂本龍馬が暗殺されたのは、知っているな?」
「………はい、天霧さんから聞きました」
それは昴がいた時代であれば有名な出来事であり、後生にも伝わるこの時代を代表するもの。土佐藩を脱藩し、日本のためにと奔走した彼の最期だったと……そう思い出していると風間は抑揚のない声で話を続けた。
「それにかこつけて、御陵衛士の動きが活発になっていると薩摩の連中が言っていたのはいいが……。坂本を殺したのは、新選組の原田佐之助という男だとも……言いふらしているらしい」
しかもくつくつと笑い、昴の反応をじっと見ていると碧い瞳が微かに細められ。
「それは彼じゃない」
静かに答えると、風間は口の端を上げる。
二条城で昴をさらって以降、この女は一度たりとも逃げ出すこともなく、戻りたいと願い出ることもしない。理由は簡単に想像がついていたが、その姿には風間でも感心するほど。だからどれほどの強い思いが昴の中にあるのか見極めるため、わざと新選組のことを教えた。
「俺には坂本を誰が暗殺したかなど、どうでもいい事だが……。その御陵衛士とかいう輩が、それに乗じて近藤勇を暗殺しようと企てているらしいぞ?」
「っ─────」
途端に艶やかな黒髪をさらりと揺らし、碧い瞳が微かに見開かれるのを見れば突然男の胸に過るどす黒い感情。風間から初めて視線を反らし、唇を噛み締めたのを見逃すはずもない。
これは彼の予想でしかないが、昴が言っていた『人の役に立って死にたい』という言葉は、新選組の事を言っているようにしか思えず。彼女の何がそうさせているのか、憶測の域を出ない。だが、昴の中に確固たる意志があり、それに基づいて動いているのは明白で。
それを確かめるべく、風間は真紅の瞳を眇めると更に情報を与える。
「それを知った新選組もまた、伊藤甲子太郎の暗殺を決定したようだがな?」
「…………………」
けれど昴はじっと動かぬまま、瞬きを繰り返す度に毛ぶる睫が目許に影を落とす。しかしふと顔を上げ、どこか探るように見つめると言った。
「もし……私が勝手に外に出たとしたら、あなたはどうする?」
「……………クッ、面白いことを言う。それは間違いなく出ると言うことだろう?」
すると二人の視線が交わり、風間が面白そうに笑えば昴へ近づく。そして指先で彼女の細い顎に触れ、上向かせるとまるで接吻をするような距離で囁いた。
「勝手にしろ……。その時は、何処へでも好きな所に行くがいい」
その二日後。
風間の屋敷で日が暮れるのを待っていた昴は、日没と共に動き出す。
腰に二本の刀を差し、廊下に出ると向かった先は庭。冬の凍てついた寒さのなか、吐く息も白く煙ると塀を見上げた。高さ的には昴の頭を少し越えるくらいのもので、今度は庭に植えられていた大きな木へ近寄るとそこに触れる。そして助走をつけるために下がり、軽やかに飛ぶと木を土台にして塀へ飛び移った。
「待っててくれ……藤堂さん」
そのまま小さな声で呟き、向こう側へと姿が消えれば静けさだけが残り、庭に現れた影。
「よろしいのですか?行ってしまわれましたが……」
天霧が白い息を吐き、横に立つ男、風間千景を見ると相手は笑う。
「好きにしろと言ったのはこの俺だ……。どうなろうが、俺の知ったことではない」
何より、彼女にその気があればいつでも逃げ出せたのだ。現に軽やかに塀を飛び越えて行き、その力を見せた。それでも風間は気付かぬふりをし、自由を与えていたのは何故か。
彼女が消えた場所を今も見つめ、まるで戻って来いとでも言うような眼差に見えたのは錯覚か……。
「戻るぞ、天霧」
踵を返し、屋敷へと戻っていく風間の背を見つめていた天霧は、小さく吐息するとその後を追った。
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庭に出ていた昴の元に、やってきたのは天霧九寿。薩摩藩邸に呼ばれたりと、忙しそうな風間の代わりに、こうして様子を見に来ては少し話をしていく。
「この時期とは言え、まだ寒い日もあるというのに……どうされたのです?早く中に入りなさい」
「あ……花がいつ満開になるかと、そう思って見ていたんですが……まだみたいです。すみません」
そう言って踵を返した彼女は、すっかり体調も良くなったのか顔色も良く。感じる波動も強いものに戻り、天霧が心の中で安堵する。
しかしその彼女を新選組が探しているのを知っており、彼らは昴が薩摩藩邸に捕らわれていると思っているようだった。
それと同時に昴は己の正体を風間に知られて以降、新選組の元へ戻りたいと一言も言うことがない。それは彼女自身、風間が自分を放すつもりがないのを知っていて、尚且つ新選組に迷惑が掛からないようにしているから。
桜をじっと見つめていた碧い相眸からは何も読み取れず、天霧とも必要以上のことは喋らなかった。
そうして部屋へ戻り、置かれていた七厘へ昴が手をかざすと、天霧が手に入れた情報を教える。それは彼女からの希望ではなく、また風間からの命でもなかったが、昴には外の出来事を把握させたいと思う彼の本心で。
ただ凛とした佇まいのまま、この現実を受け入れていた。
「そう言えば……新選組からは伊藤甲子太郎が抜けたようです」
「っ……伊藤さんが……?」
伊藤と言えば、近藤が江戸に戻った際に引き連れてきた一刀流の師範で、新選組に身を置きながらも攘夷を謳っていたのを覚えている。その男が新選組の隊士らを半分ほど引き抜いたようで、その中に藤堂と斎藤の名を聞けば昴が小さく目を見開いた。
「藤堂さんは
呟かれたその言葉はまるで知っているかのような、そんな口振りに天霧が目を細め、しかし話を続ける。
伊藤はそのまま御陵衛士なるものを結成し、尊皇攘夷を掲げたが事を穏便に済ませるため、対外的には対立関係ではないとしているようで。
藤堂と仲が良かった千鶴の事を思えば、胸が酷く痛んだ。
そんな知らせがあった後も、風間は相変わらず昴を手元に置いたまま。時間があれば彼女の部屋へ訪れては、端的な会話をしてすぐに去っていく。どうして会いに来るのか皆目見当もつかないけれど、時に土産だと食べ物などを渡され、素直に喜ぶと相手も笑みを浮かべ。その度に昴の鼓動が訳もなく激しくなるの感じる。
何故なら、風間は決して無理強いするわけでもなく、外出以外は何不自由ない生活をさせているのだ。自分のものにすると言いながら手を出すことなく、まるで千という女から守ってくれているようで……。その風間と接する度に、胸に広がる温かくも心地よい感情。
それが何なのか昴には分からなかったけれど、出逢った時のあの放漫な態度を見せることはなかった。
それから更に夏を過ぎ、また寒い季節を迎えようとしていたその頃。
昼間にも関わらず、昴の部屋に誰か来たと思えば風間千景の姿。珍しくもこの時間帯にどうしたのかと、無言で見上げると男は静かに座る。
「こんな時間に珍しいですね……」
「何だ……?お前の所に来るのに、理由が必要か?」
すると風間が少しだけ睨み付け、昴がゆるりと首を振れば男の唇が動く。
「ところで……坂本龍馬が暗殺されたのは、知っているな?」
「………はい、天霧さんから聞きました」
それは昴がいた時代であれば有名な出来事であり、後生にも伝わるこの時代を代表するもの。土佐藩を脱藩し、日本のためにと奔走した彼の最期だったと……そう思い出していると風間は抑揚のない声で話を続けた。
「それにかこつけて、御陵衛士の動きが活発になっていると薩摩の連中が言っていたのはいいが……。坂本を殺したのは、新選組の原田佐之助という男だとも……言いふらしているらしい」
しかもくつくつと笑い、昴の反応をじっと見ていると碧い瞳が微かに細められ。
「それは彼じゃない」
静かに答えると、風間は口の端を上げる。
二条城で昴をさらって以降、この女は一度たりとも逃げ出すこともなく、戻りたいと願い出ることもしない。理由は簡単に想像がついていたが、その姿には風間でも感心するほど。だからどれほどの強い思いが昴の中にあるのか見極めるため、わざと新選組のことを教えた。
「俺には坂本を誰が暗殺したかなど、どうでもいい事だが……。その御陵衛士とかいう輩が、それに乗じて近藤勇を暗殺しようと企てているらしいぞ?」
「っ─────」
途端に艶やかな黒髪をさらりと揺らし、碧い瞳が微かに見開かれるのを見れば突然男の胸に過るどす黒い感情。風間から初めて視線を反らし、唇を噛み締めたのを見逃すはずもない。
これは彼の予想でしかないが、昴が言っていた『人の役に立って死にたい』という言葉は、新選組の事を言っているようにしか思えず。彼女の何がそうさせているのか、憶測の域を出ない。だが、昴の中に確固たる意志があり、それに基づいて動いているのは明白で。
それを確かめるべく、風間は真紅の瞳を眇めると更に情報を与える。
「それを知った新選組もまた、伊藤甲子太郎の暗殺を決定したようだがな?」
「…………………」
けれど昴はじっと動かぬまま、瞬きを繰り返す度に毛ぶる睫が目許に影を落とす。しかしふと顔を上げ、どこか探るように見つめると言った。
「もし……私が勝手に外に出たとしたら、あなたはどうする?」
「……………クッ、面白いことを言う。それは間違いなく出ると言うことだろう?」
すると二人の視線が交わり、風間が面白そうに笑えば昴へ近づく。そして指先で彼女の細い顎に触れ、上向かせるとまるで接吻をするような距離で囁いた。
「勝手にしろ……。その時は、何処へでも好きな所に行くがいい」
その二日後。
風間の屋敷で日が暮れるのを待っていた昴は、日没と共に動き出す。
腰に二本の刀を差し、廊下に出ると向かった先は庭。冬の凍てついた寒さのなか、吐く息も白く煙ると塀を見上げた。高さ的には昴の頭を少し越えるくらいのもので、今度は庭に植えられていた大きな木へ近寄るとそこに触れる。そして助走をつけるために下がり、軽やかに飛ぶと木を土台にして塀へ飛び移った。
「待っててくれ……藤堂さん」
そのまま小さな声で呟き、向こう側へと姿が消えれば静けさだけが残り、庭に現れた影。
「よろしいのですか?行ってしまわれましたが……」
天霧が白い息を吐き、横に立つ男、風間千景を見ると相手は笑う。
「好きにしろと言ったのはこの俺だ……。どうなろうが、俺の知ったことではない」
何より、彼女にその気があればいつでも逃げ出せたのだ。現に軽やかに塀を飛び越えて行き、その力を見せた。それでも風間は気付かぬふりをし、自由を与えていたのは何故か。
彼女が消えた場所を今も見つめ、まるで戻って来いとでも言うような眼差に見えたのは錯覚か……。
「戻るぞ、天霧」
踵を返し、屋敷へと戻っていく風間の背を見つめていた天霧は、小さく吐息するとその後を追った。
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