二
目が覚めている状態での二度目の口付けに、抵抗する間もなく口内に流れ込む水。程よく冷えたそれを舌に感じた途端、夢中で飲み干すと男の唇が弧を描く。そしてまた口に水を含み、飲ませた最後に口の端からこぼれ落ちると指先で触れた。
「っ………す、すまない」
優しく口許を拭われ、慌てて身体を離すと風間の視線に射抜かれる。それがどうにもいたたまれず、感謝の言葉を述べると体調はどうか聞かれた。
「大分良くなった……。でも、どうしてこんな事になったのか……全く分からなくて」
「お前は殺されかけたのだ」
すると風間が褥へと寝かせ、昴を見つめると驚きの表情。誰が何のためにと、小さな声が聞こえると腕を組んだ風間が説明を始めた。
「では聞くが……千と言う女に会ったことは?」
「………彼女とは、二条城に行く二日前だが確かに会った」
浪人に絡まれているところを助けた少女だと教えると、あれは"鬼"だと告げる。
「鈴鹿御前の名は?」
「鈴鹿山に住むという……?」
「そうだ。あれは鈴鹿御前の子孫である"鬼"。この世に存在する数少ない女鬼でもある。位からしても俺や天霧、不知火よりも上にあたる。普段は京にある六角堂にいるが……俺の事を聞き付け、こそこそと動いているようだな」
しかしそれとどう関係があるのかと、昴には理由が分からず首を傾げると風間は躊躇うことなく話し続けた。
「我らの一族も人間共に滅ぼされた所が多くてな。その数を減らし続けているのが今の現状。そこで一族の長老たちが危機感を募らせ、各頭領に命を下した。"子孫を残すべく、早急に妻を娶り、子を成せ"と」
それは鬼の存亡を懸けた重役であり、長老たちの命は絶対。
「しかも"純血鬼"同士でなければならぬ、と付け加えられてな……。先ほど言った通り、女鬼で尚且つ純血の鬼は数が少ない。そこで俺が目を付けたのが雪村千鶴だった」
「え─────?」
唐突にも聞かされたその名前に、昴が視線をさ迷わせると風間が笑う。
「雪村は東国を治める鬼の一族だ。だが人間によって滅ぼされ、生き残った者はいないとされていた。それが最近になって生き残りがいると分かり、その生き残りが雪村千鶴だと判明した。あれは殺された頭領の娘だ」
「頭領の娘………?だが彼女は蘭方医の父が行方不明になった、と言っていたが………」
それでは辻褄が合わず、風間を見ると真紅の瞳が見つめ返し。
「雪村鋼道は調べによると分家筋だ。生き残った頭領の娘を引き取り、育てたようだな」
そこで納得するも、まだ全てが繋がった訳ではない。何故自分が千に狙われるのか、そこが一番の問題だと続きを促すと男の唇がゆるりと開き。
「最初は雪村を追っていたからか、千が消そうとしていたのは雪村千鶴だったようだ。だが………そこで俺が追う対象を変えた。それがお前だ、昴」
「………そ、んな………まさか………」
驚愕の言葉を聞くと言葉に詰まる。何故自分がその対象になるのか、真っ直ぐと刺さるような視線を呆然としながらも受け止めると風間が可笑しそうに笑い。
「まるで"自分は関係ない"……とでも言いたそうな顔だな?」
指先で昴の頬に触れると見開かれた真紅の瞳。
「あれが『呪詛』をお前に掛けるくらいだ。俺が気付かねば……あのまま死んでいただろうな」
「呪詛…………」
記憶を辿り、あの日千に会った時に渡されたお茶菓子を思い出せば、それを食べた後から体調が悪くなったと気付く。
呪詛とは、己の念……"怨念"をモノに込めることにより、相手を呪い殺すもの。手渡されたお茶菓子にそれが込められ、体内に摂取することにより内側から殺そうとしていたのだ。
「尤も……俺は長老たちの命など、特段どうでも良いのだが────」
「それなら………それなら何故!私が標的になる!?」
そして風間がさして興味のない声を出し、カッとなって思わず睨み付けると相手が口の端を上げる。何も知らず殺されかけたのだと、怒りに濡れる彼女の真紅の瞳が煌めき、内に秘めるその激しさを垣間見ればゆるりと目を細めた。
「何故か教えてやろう……。あれは鈴鹿御前の子孫にして純血の鬼。西国を束ねる頭領である俺の妻になりたいと、常から言っていたからな」
その男が昴を追い、邪魔になる者と判断して昴を殺そうとした。
「言っておくが……"俺はお前などに興味はない"と、常々伝えている」
「っ…………」
しかも昴が口を開く前に、思考を先読みしたのか風間が言い放つと声を潜め。
「お前を新選組のやつらに返す気などない。ましてや逃げようとしても無駄だ」
最後通告のように言い渡すと、凛とした眼差しが風間を捉える。泣き叫ぶでもなく、暴れるでもなく、ただ真っ直ぐと向けられるのは彼女の強い意志。
「未来から来た私 を手に入れたとしても、何の意味がある。私にはもう何もない……伽藍堂に過ぎないただの"鬼"。ならばせめて、人のために生きて────」
『死にたい』と。
「─────」
この女は、どこまで強い心を持っているのか。他者と交わり、生き永らえる道ではなく、死を選ぶ。
火傷するほどの熱を宿し、呪詛に侵されていたあの時よりも熱い志を見た風間は、軽く息を切らした女性を見つめ。
「とにかく今は休め。後で何か持ってこよう」
彼女の言葉に答えはやらず、静かに立ち上がると部屋から出て行った。
翌朝。
鳥たちの鳴き声で目が覚め、ゆっくりと身体を起こすと昨日よりもまた身体が軽くなっているのに気付く。そうなると生命を維持するために鬼化する必要もなくなり、そっと目を閉じると髪色などが元に戻った。
そして静かな部屋を見渡し、昨夜のことを思い出すと小さく吐息。風間の目的がどうであれ、命を救ってくれた事に違いなく。まだ礼をしていないと思えば心が痛む。己の身がどうなるかは分からないが、少なくとも彼は回復に努めてくれているのだ。
その証拠に昨夜彼が何か持ってくると言った通り、粥を作らせたのか運んで来たのだ。風間家の頭領でありながら、動く彼に申し訳ない気持ちが込み上げて顔さえ見れなかった。
それでも薬湯を飲む頃には手の震えもなくなり、何やら意味深に微笑む男の前で飲んだのを覚えている。
そんな彼に鼓動は乱れるも、今は自分の置かれた立場を確認するのが優先だった。
「目が覚めたか」
その時、姿を現した風間が昴を見るも特に反応はなく。
「その姿に戻れるほどに回復したようだな」
目の前まで来ておもむろに座ると、顔色を確認している。そこで今がチャンスだと、昴が見つめ返すと風間は静かに佇み。
「あなたに礼を言うのが遅くなった……。命を救ってくれて、有り難う」
頭を深く下げると一瞬の沈黙の後、風間がフッと笑う。
「お前をただ"子孫を残すため"だけに生かしたのかもしれん男に、お前は礼を言うのか?」
そこには嘲笑するような色を含ませ、そしてどこか探るような目。けれど今だけは、その目を通して彼の気持ちが見えそうで………。
真紅の眼に微かに揺れる小さな炎を見れば、ゆっくりと頷く。
だが風間はすぐに目を閉じ、鼻で笑うような仕草をすると次の瞬間には感情すら読み取れない表情を向け。まるで興味もなくなったかのように立ち上がった。
「湯編みの用意をさせている………。入りたければ勝手に入れ」
そして目も合わせることなく、部屋を出て行けば昴はひとり取り残されたのだった。
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「っ………す、すまない」
優しく口許を拭われ、慌てて身体を離すと風間の視線に射抜かれる。それがどうにもいたたまれず、感謝の言葉を述べると体調はどうか聞かれた。
「大分良くなった……。でも、どうしてこんな事になったのか……全く分からなくて」
「お前は殺されかけたのだ」
すると風間が褥へと寝かせ、昴を見つめると驚きの表情。誰が何のためにと、小さな声が聞こえると腕を組んだ風間が説明を始めた。
「では聞くが……千と言う女に会ったことは?」
「………彼女とは、二条城に行く二日前だが確かに会った」
浪人に絡まれているところを助けた少女だと教えると、あれは"鬼"だと告げる。
「鈴鹿御前の名は?」
「鈴鹿山に住むという……?」
「そうだ。あれは鈴鹿御前の子孫である"鬼"。この世に存在する数少ない女鬼でもある。位からしても俺や天霧、不知火よりも上にあたる。普段は京にある六角堂にいるが……俺の事を聞き付け、こそこそと動いているようだな」
しかしそれとどう関係があるのかと、昴には理由が分からず首を傾げると風間は躊躇うことなく話し続けた。
「我らの一族も人間共に滅ぼされた所が多くてな。その数を減らし続けているのが今の現状。そこで一族の長老たちが危機感を募らせ、各頭領に命を下した。"子孫を残すべく、早急に妻を娶り、子を成せ"と」
それは鬼の存亡を懸けた重役であり、長老たちの命は絶対。
「しかも"純血鬼"同士でなければならぬ、と付け加えられてな……。先ほど言った通り、女鬼で尚且つ純血の鬼は数が少ない。そこで俺が目を付けたのが雪村千鶴だった」
「え─────?」
唐突にも聞かされたその名前に、昴が視線をさ迷わせると風間が笑う。
「雪村は東国を治める鬼の一族だ。だが人間によって滅ぼされ、生き残った者はいないとされていた。それが最近になって生き残りがいると分かり、その生き残りが雪村千鶴だと判明した。あれは殺された頭領の娘だ」
「頭領の娘………?だが彼女は蘭方医の父が行方不明になった、と言っていたが………」
それでは辻褄が合わず、風間を見ると真紅の瞳が見つめ返し。
「雪村鋼道は調べによると分家筋だ。生き残った頭領の娘を引き取り、育てたようだな」
そこで納得するも、まだ全てが繋がった訳ではない。何故自分が千に狙われるのか、そこが一番の問題だと続きを促すと男の唇がゆるりと開き。
「最初は雪村を追っていたからか、千が消そうとしていたのは雪村千鶴だったようだ。だが………そこで俺が追う対象を変えた。それがお前だ、昴」
「………そ、んな………まさか………」
驚愕の言葉を聞くと言葉に詰まる。何故自分がその対象になるのか、真っ直ぐと刺さるような視線を呆然としながらも受け止めると風間が可笑しそうに笑い。
「まるで"自分は関係ない"……とでも言いたそうな顔だな?」
指先で昴の頬に触れると見開かれた真紅の瞳。
「あれが『呪詛』をお前に掛けるくらいだ。俺が気付かねば……あのまま死んでいただろうな」
「呪詛…………」
記憶を辿り、あの日千に会った時に渡されたお茶菓子を思い出せば、それを食べた後から体調が悪くなったと気付く。
呪詛とは、己の念……"怨念"をモノに込めることにより、相手を呪い殺すもの。手渡されたお茶菓子にそれが込められ、体内に摂取することにより内側から殺そうとしていたのだ。
「尤も……俺は長老たちの命など、特段どうでも良いのだが────」
「それなら………それなら何故!私が標的になる!?」
そして風間がさして興味のない声を出し、カッとなって思わず睨み付けると相手が口の端を上げる。何も知らず殺されかけたのだと、怒りに濡れる彼女の真紅の瞳が煌めき、内に秘めるその激しさを垣間見ればゆるりと目を細めた。
「何故か教えてやろう……。あれは鈴鹿御前の子孫にして純血の鬼。西国を束ねる頭領である俺の妻になりたいと、常から言っていたからな」
その男が昴を追い、邪魔になる者と判断して昴を殺そうとした。
「言っておくが……"俺はお前などに興味はない"と、常々伝えている」
「っ…………」
しかも昴が口を開く前に、思考を先読みしたのか風間が言い放つと声を潜め。
「お前を新選組のやつらに返す気などない。ましてや逃げようとしても無駄だ」
最後通告のように言い渡すと、凛とした眼差しが風間を捉える。泣き叫ぶでもなく、暴れるでもなく、ただ真っ直ぐと向けられるのは彼女の強い意志。
「未来から来た
『死にたい』と。
「─────」
この女は、どこまで強い心を持っているのか。他者と交わり、生き永らえる道ではなく、死を選ぶ。
火傷するほどの熱を宿し、呪詛に侵されていたあの時よりも熱い志を見た風間は、軽く息を切らした女性を見つめ。
「とにかく今は休め。後で何か持ってこよう」
彼女の言葉に答えはやらず、静かに立ち上がると部屋から出て行った。
翌朝。
鳥たちの鳴き声で目が覚め、ゆっくりと身体を起こすと昨日よりもまた身体が軽くなっているのに気付く。そうなると生命を維持するために鬼化する必要もなくなり、そっと目を閉じると髪色などが元に戻った。
そして静かな部屋を見渡し、昨夜のことを思い出すと小さく吐息。風間の目的がどうであれ、命を救ってくれた事に違いなく。まだ礼をしていないと思えば心が痛む。己の身がどうなるかは分からないが、少なくとも彼は回復に努めてくれているのだ。
その証拠に昨夜彼が何か持ってくると言った通り、粥を作らせたのか運んで来たのだ。風間家の頭領でありながら、動く彼に申し訳ない気持ちが込み上げて顔さえ見れなかった。
それでも薬湯を飲む頃には手の震えもなくなり、何やら意味深に微笑む男の前で飲んだのを覚えている。
そんな彼に鼓動は乱れるも、今は自分の置かれた立場を確認するのが優先だった。
「目が覚めたか」
その時、姿を現した風間が昴を見るも特に反応はなく。
「その姿に戻れるほどに回復したようだな」
目の前まで来ておもむろに座ると、顔色を確認している。そこで今がチャンスだと、昴が見つめ返すと風間は静かに佇み。
「あなたに礼を言うのが遅くなった……。命を救ってくれて、有り難う」
頭を深く下げると一瞬の沈黙の後、風間がフッと笑う。
「お前をただ"子孫を残すため"だけに生かしたのかもしれん男に、お前は礼を言うのか?」
そこには嘲笑するような色を含ませ、そしてどこか探るような目。けれど今だけは、その目を通して彼の気持ちが見えそうで………。
真紅の眼に微かに揺れる小さな炎を見れば、ゆっくりと頷く。
だが風間はすぐに目を閉じ、鼻で笑うような仕草をすると次の瞬間には感情すら読み取れない表情を向け。まるで興味もなくなったかのように立ち上がった。
「湯編みの用意をさせている………。入りたければ勝手に入れ」
そして目も合わせることなく、部屋を出て行けば昴はひとり取り残されたのだった。
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