「なっ………昴………?」

涼やかな声と、振り向いて見えた姿に土方が言葉を失ったのはその時。斎藤も、原田も、千鶴でさえも言葉が出ず、現れた昴をただ見つめる。
だがそこで昴が力尽きたのか、膝をつくと隊士が必死に支え。弱々しい笑みを浮かべた彼女がすまない、と謝った。
その姿を見た途端、名を呼ばれた風間の表情が厳しいそれに変わると天霧が再び何かを耳元で囁き、猛烈に激しい怒りを滲ませた紅い眼。

「天霧」

「わかりました」

呼ばれた天霧がスッと前にでると、目にも止まらぬ速さで昴の目の前に現れる。

「………っ………な、に………を………?」

「ご容赦下さい」

近付けばより感じる波動の弱さに、一刻を争うと判断すると横にいた隊士を退け、昴を抱え上げた。

「昴から手を離せ!」

が、ピクリと動いた斎藤が床を蹴り、鞘に納めていた刀身を目にも止まらぬ速さで抜き放つ。しかし刃が届く寸前で天霧の姿が消え、目を見開いた次の瞬間には金髪の男の横へと戻っていた。

「行くぞ」

そのまま昴を抱き直した風間が背を向け、闇に消えかけるも土方が斬り掛かる。

「何処へ連れていく!?てめぇらに昴は渡さねぇ!!」

その瞬間、目の前にまたも天霧が現れると拳が放たれ。

「土方さん!!」

寸でのところで土方が拳を避け、横から原田の槍が唸れば素早く後ろへ後退する。

「あなたたちに治すことは不可能です。桜塚昴は私たちが預りましょう」

しかし昴を抱えた風間が天霧の言葉を聞いて振り返り、妖艶な笑みを浮かべると宣言する。

「天霧はああ言っているが……。俺は貴様らに返すつもりなど毛頭ないが、な?」

そうしてくつくつと笑う声を残しながら、闇に紛れるようにして姿を消し。
土方たちの目の前で、為す術もなく昴は連れ去られたのだった。



* * *

風間の腕に抱かれ、意識が朦朧とするなか昴が見上げると、何の感情も映さないその面を見つめる。熱で視界が霞むまま、どこに連れて行くのかと、そう口にしようとしたが声にならなかった。

「余計なことを喋ろうとするな」

だが風間は前を見据えたまま、静かに言い放つと腕から伝わる熱さに舌打ちする。今にも燃え尽きてしまいそうな、命の灯でさえ奪い尽くそうとする熱に侵された昴の身体は生きていることさえ不思議な状態なのだ。
あのまま彼らのもとにいたら、間違いなく命を落としていた。

「千め。こそこそと動き回っていると思えば……やってくれる」

速度を上げ、自分の為に用意された屋敷に到着すると天霧が速やかに寝所へと先回りする。

「んじゃあな、風間。何か用があれば呼んでくれ」

そこで不知火が踵を返せば風間が視線だけを向け、薬を持って来いと告げた。

「生憎こちらに用意してあるのが少ない。早急に戻り、明朝までには戻って来い」

「あ?それなら早く言えよ……。それじゃ、ちょっと取ってくるわ」

そんな無理難題であろうが、不知火は面倒くさそうにしながらも瞬時に姿を消す。風間はその足で寝所へと向かい、褥の用意が出来ているのを確認すると昴を寝かせた。
ここに着く少し前に昴の意識は再び沈み、この状態で自分の元まで来た時を思い出すと苛立ちを隠せず。

「天霧、薬はまだか?」

まるで叱責するように呼ぶと、薬湯を持った天霧が現れた。

「っ………これは………」

しかし褥に横たわる昴の姿が変化してゆくのを見れば、その美しさに目を奪われる。
黒髪は輝くような銀色へ変わり、額に現れたのは一角のみ。風間のように二対の者や、一対の者以外知らず、一角の者など見たこともなくて。

「なにをしている。こっちに寄越せ」

呆然としている天霧から薬湯を奪った風間が口に含むと、おもむろに昴へと口付けた。

「………っ………」

瀕死に近い昴は既に自力で飲むことも出来ず、口移しで飲ませようとするが口の端から少しこぼれる。それでも風間は残りの薬湯を含み、無理やりにでも飲ませると一息ついた。

「これでひとまず……か」

「………それでは私もこれで」

昴から目を離さず、彼女の傍に座る男の背を見て天霧が声を掛けるも返事さえなく。自分など既に用はないと語る男を見て微苦笑する。今は桜塚昴以外頭にないのか、天霧は静かに部屋から出ると姿を消した。
その風間は彼女の濡れた唇を指先で拭い、腰に差していた刀を抜き取ると横に置く。いまだ苦しそうに息をし、額に汗を滲ませているのを見れば懐に入れていた白布で拭いてやった。
薬は飲ませたが、予断を許さぬ状態であることには変わりない。後は本人の生命力に懸けるしかなかった。

「俺が手に入れる前に死ぬのは許さん」

そうして銀色の髪に触れ、文献でしか見たことのなかった"鬼"が目の前にいることを確かめるように撫でる。だが、同時に彼女がこうして命を繋いでいるのはその力の強さ故。人間であれば即死か、力なき"鬼"であれば数時間で死に至る。たとえ風間のような"鬼"であっても、一日もつかだ。
だが瀕死に直面してなおヒトの姿を保ち、ここに来て"鬼"の姿に戻ったのは昴本来の力が強大であるから。

「池田屋の時はお前を逃がしてやったが……。次はもうない」

自らも身体を昴の隣に横たえ、熱で火照った頬に触れると囁いた。


昴が風間の屋敷に連れて来られてから二日後。
いまだ目を覚まさない彼女の傍らには風間の姿があり、侍女が薬湯を持ってくるとそれを受け取る。二条城で倒れた彼女をさらい、ここに来てから数時間おきに薬を飲ませては身体から毒素を抜くことを繰り返せば、一日目の夜にようやく熱が下がり始めた。そして今朝になって呼吸も少しずつ落ち着きを見せ、小さな寝息が聞こえるようになれば無事峠は越えたようだった。

「風間様、お薬湯は私が………。少しお休みになられては?」

寝所は高価な衝立で仕切られ、中を見せないようにしているのは昴の姿を隠すため。いや、たとえ人間であろうがその姿を眺めることさえ許されない。
部屋の入り口で侍女から薬を受け取り、床に伏せる昴の元へ戻る途中で控え目に言われるも、風間はギロリと睨み付けた。

「無駄口を叩くな。そのような暇があるのなら、着替えでも用意しておけ」

「っ………申し訳ございません!」

それだけで怯えたような表情を浮かべ、一礼すると慌てて部屋から去っていく。あの女は侍女として薩摩藩から当てがわれた者であり、風間を一目見た瞬間から近付こうとしているのが明け透けなのだ。

「人間の女など………興味すらない」

まるで穢らわしいとでも言うように冷たい声で呟き、昴を見れば薬を飲ませるべく肩を抱き寄せる。頭を支えるようにして上半身を起こし、薬湯を口に含もうとすれば目の前で震えた睫毛。

「………ん」

微かな声を洩らし、それから瞼がゆっくりと開けられると覗いたのは風間と同じ真紅の瞳。何度か瞬きし、ようやく風間へ視線が向くと笑みを浮かべ。

「やっと目が覚めたようだな………」

不思議そうに見つめてくるその瞳を覗き込んだ。


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