昴が千と言う少女に出会った二日後。
いよいよ徳川家茂公が京に上洛する日を迎え、新選組の隊士たちは御役目を果たすべく動き出す。その日もうだるような暑さで、共に行動していた昴は額に浮かぶ汗をそっと拭った。

「どうした?大丈夫か?」

その横で何故か涼しそうな顔をした斎藤が眉を寄せ、いつもとどこか様子の違う彼女に問い掛ける。

「はい、大丈夫です」

けれど昴はふわりと微笑み、また視線を前に向けると二条城へ入っていく行列を見つめていて。しかし心なしか頬は朱に染まり、時折小さく息を吐く姿は大丈夫とは言い難く。何度か斎藤が休むよう言うが、本人は首を縦に振らないのだ。
その間にも行列が城へ無事入り、近藤と土方が挨拶のため謁見しに向かうと残りの隊士たたちは警護にあたる。既に時刻は夕刻となっており、昴の身を案じていた斎藤は別の場所で警護をしている彼女の様子を伺うことができなかった。
そしてその本人である昴は、昨日から身体の調子が悪いことに気付いていた。だが風邪のような症状だけで、熱っぽさと身体の怠さを感じる以外は動けているから。

「ふぅ…………」

夕刻でもまだ外は暑く、休憩がてら廊下の端で小さく息を吐くと急に眩暈に襲われた。

「っ………何で、急に………」

咄嗟に目の前の柱を掴み、倒れそうになるのを耐えるが座り込んでしまう。今や動悸も激しく、体内で熱が暴れだしそうになれば目を閉じてこらえた。だがこのままこうしている訳にもいかず、何とか立ち上がると廊下を進む。仲間に迷惑を掛けたくないと、休憩場所として案内された部屋へ向かおうとすると背後から声が掛かった。

「昴?こんなとこでどう────おい!?」

その声が原田のものだと分かるが、再び眩暈が襲えば崩折れそうになる身体。慌てた原田に抱き止められ、ぼんやりと目を開けると額に触れた大きな手。

「お前、こんなになるまで何我慢してんだ! 凄い熱だぞ!?」

「ま、待って………原田、さ………」

途端に原田が誰か呼ぼうとし、昴が止めると舌打ちする音。逞しい腕に抱き上げられたかと思えば、彼が廊下を大股で歩き出す。

「斎藤のやつ……何でこんな時に限って傍にいねぇんだよっ!」

しかもそんな言葉を霞む意識のなかで聞き、部屋に連れて行かれるとちょうどそこにいた千鶴が駆け寄った。

「原田さん?それに昴さん!?どうしたんですか!?」

「よく分からねぇが、熱が高ぇ。寝かせてやりてぇが、何か敷くもんねぇのかよ……」

「私、借りて来ます!」

そして苦しそうに息を吐く昴を見るなり、千鶴は弾かれたように走り出した。その途中、偶然斎藤が通り掛かれば昴が倒れたと聞く。

「っ……………昴が?」

「はい!今原田さんが傍にいますので!お布団とか借りて来ますね!!」

そのまま廊下を走り去り、斎藤は歯を食い縛れば部屋に向け走る。やはりあの時無理やりにでも休ませれば良かったと、そう後悔したが遅い。辿り着いた部屋の中に入ると、畳の上に寝かせられた彼女の姿が見えた。

「斎藤…………」

「昴の容態は?」

傍に膝をつき、様子を伺うと眉を寄せ、ただ乱れた呼吸を繰り返す昴は見るからに辛そうで。

「俺が見つけた時にはもうこんな感じだったんだ。……ったく、こんなになるまで気付かなかった俺も俺だけどよ。彼女の我慢強さにも呆れるぜ、ほんと……!」

悔しげに原田が声に出す横で、斎藤が昴の額に触れると目を見開いた。

「沸騰しそうなくらいに熱い」

まるで焼けた鉄に触れているような、そんな熱さに斎藤はまた立ち上がる。今すぐ冷やさなければ、このままでは彼女の身体がもたない。

「昴を看ていてくれ」

「わかった」

拳を握り締め、斎藤が城の台所へ向かうと侍女に必要なものを伝えて受け取る。桶に井戸水を汲み、すぐに部屋へ戻れば布を浸して絞った。それを昴の額に当て、頬や首筋へと順に当てるとすぐに温くなる布。再び水に浸し、冷やすことを繰り返していると布団を抱えた隊士を連れて千鶴が戻ってきた。

「ここに昴さんを!」

「わかりました!」

斎藤が看病している間も隊士が布団を敷き、準備が整えば斎藤自らが昴を抱き上げる。ゆっくりと寝かせ、また絞った布を当てるが彼女の意識はいまだ沈んだままで。

「おい、お前は持ち場に戻ってくれ。ありがとな!」

「は、はい!失礼します」

原田が土方たちに連絡しに行くと告げ、布団を持って来た隊士を持ち場に戻した。




「昴が………?」

別室で待機していた近藤と土方の元へ原田が向かい、昴が倒れたことを伝えると二人の表情が変わる。近藤は心底心配なのか容態を聞き、土方は苦虫を噛み潰したような顔。

「部屋に運び込んでからは意識もねぇ状態で……。今は斎藤が濡れた布使って身体を冷やしてます」

「あいつぁほんとに……忍耐だけはいっちょまえに持ちやがって………!何で誰も気付かなかったんだ!?」

「それも彼女らしいと言えばらしいがな。原田君、城の警護は他の隊士がいるから大丈夫として、昴の看病は雪村君に任せよう。そして斎藤君には悪いが、持ち場に戻ってもらう」

そして他の隊士を一名、部屋の外に待機させるよう近藤が告げると原田は再び昴のいる部屋に戻った。


──────。

近藤からの通達を受け、昴の看病を千鶴がするなか警護に戻った斎藤。小さくため息を吐き、すっかり暗くなった空を見上げる。
あれから何度か昴のいる部屋の前で待機している隊士に容態を聞いたが、依然として熱が高く意識は戻らないまま。原因さえ分からず、昴の身に何が起きているのかすら誰も分からず、ただ時間だけが過ぎてゆく。その虚しさから込み上げるやるせなさに、斎藤は己を責めるばかりで。

「せめて意識が戻れば…………」

ポツリと、見上げた星空に呟いた時。

「斎藤さん、お疲れ様です」

桶を手に千鶴が姿を現し、目をスッと細める。

「水を替えに行くのか?」

「はい……。高熱がずっと続いてて、すぐに水が温くなるんです……」

そう言った千鶴の手は水に浸る度にふやけ、彼女も必死で昴の看病をしていることがわかった。だが斎藤に言い渡された役目は警護であり、たとえ自分が傍にいても出来ることは千鶴と同じ。代わってやることも出来ず、今はただ回復することを祈るしか出来ない。
だから斎藤は何も言わず、井戸へと向かう千鶴を見送ろうとした。

刹那。

『!!?』

辺りの空気が一気に氷点下になったような、それでいて肌を刺すような殺気・・を感じ、二人動きが止まる。
またともすれば息さえ出来なくなりそうな重圧感と、迫り来る"何か"に全身が総毛立った。

「────ほう、そこまで鈍いわけではないようだな?」

同時に闇の中から声が聞こえ、声も出せない千鶴の横で斎藤が刀に手を添える。だが姿は依然として見えず、くつくつと笑う声だけが響くと雲の隙間から射した月の光りが庭をゆっくりと照らし────。

「この空気の中動けるとはさすが………新選組と言うべきか」

「……………っ!」

闇より現れた三つの影に目を凝らすと、斎藤が大きく目を見開いた。


1/11ページ