真っ暗な闇の中、昴はひとり微かな気配を探りながら移動を続ける。壁際から極力離れないようにし、生い茂る雑木林へと視線を向けると立ち止まった。

「────出て来たらどうだ?」

そして凛とした声で問いかけ、闇に沈む向こうを見据える・・・・。刀の柄にそっと手を添え、風でそよぐ草木の音を聞いた。

「…………さすが、と言いましょうか」

そこで闇の中から声が聞こえ、昴の目の前に姿を現した者。

「あなたは…………っ」

「ええ。池田屋の時………以来ですね」

雲が晴れ、月の光が柔らかく照らし出せば池田屋で出会った男が笑みを浮かべる。しかし昴は辺りに視線を疾らせ、もうひとりの男を探せばフッと相手が笑い。

は生憎といませんよ?」

自分ひとりだと告げた。それでも信用したわけではなく、警戒を解くことなく佇む昴を見れば満足そうに頷く男。

「それにしても、気付かれない自信はあったんですが………。どうもあなたには分かってしまうようですね?」

まるで己の存在に気付く者などいないと、そう自負しているような口振りだが楽しそうに笑う。その姿を見つめ、昴が口を開くも再びピクリと震え。

「おや、もう時間切れですか」

目の前の男も気付いたのか残念そうに肩を竦めた。すると池田屋の時のように、一歩後ろに下がれば闇に紛れ始める身体。

「待て………!」

「………ご心配なく。すぐに合間見えますよ……すぐに」

すかさず追い縋ろうとするも、制止する間に身体全体が見えなくなり。最後は完全に消える間際、声だけが残るように昴の耳に届くと向こうから走ってくる斎藤と原田の姿。

「おい!大丈夫か!?」

立ち尽くす昴に駆け寄り、原田が声をかければ無事を確認する。そして斎藤が雑木林を見つめ、目を細めると問い掛けた。

「誰かいたのか?」

「いえ………」

その質問に首を振り、彼に何も言わなかったのは相手が狙っているのは自分だけだと気付いていたから。もし新選組が狙いだったのなら、今頃奇襲をかけられていてもおかしくなく。昴の呼び掛けに応えるかのように、わざと姿を現したのが何よりの証拠。
だから敢えて何も言わず、斎藤に促されるまま夜営地へと戻る。
いまだ謎は多く、胸に靄が掛かったかのような複雑な心境だけを残して……。




夜営地に昴たちが戻り、いつ号令が出てもいいよう不寝ねずの番を続ければ東の空が白み始める。いまだ表立った動きもなく、気を張った状態の新選組をよそに、会津藩の兵たちが眠気に勝てずウトウトし始めたその頃。
遠くで何かが破裂したような音が響き渡り、場に緊張がはしる。

「ようやく出番か………」

すると待ってましたとばかりに土方が立ち上がり、他の隊士たちも動き出すと会津藩の兵が慌てて止めた。

「何をしている!また命が下っておらんぞ!待機だと言うのが分からんのか!」

途端に土方が眉を寄せ、近藤も真剣な顔付きで彼らを見る。

「闘いが始まったってのに………何を言うかと思えば………」

更に永倉が怒りを顕にし、今がその時だろうと声を上げるが相手側も黙っていない。

「黙れ!まったく……お前らは待機と言う意味も分からんのか?」

これだから浪人風情がと、早口で捲し立てたその時。

「うるせぇ!!」

とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、土方が声を荒げる。その声に驚き、怯んだのは会津藩の兵たちであり。凍てついた瞳が全員を捉えると啖呵を切った。

「てめぇらは待機するために待機してんのか。御所を守るために待機してたんじゃねぇのか?長州が攻めてきたら、援軍に向かうための待機だろうが!!」

「いや、しかし命令が─────」

「自分の仕事に一欠片でも誇りがあるなら、てめぇらも待機だ云々言わずに動きやがれ!!」

凛として力強いその声はどこまでも響き、冷水を浴びせられたかのような表情を浮かべていた兵たちは、皆一様に顔を見合わせる。その姿を土方は一瞥し、颯爽と浅葱色の羽織をはためかせると歩き出した。

「行くぞ!!」

そうして新選組の隊士たちが移動し始めると、会津藩の兵たちもようやく後を追うように動き出したのだった。

その足で新選組が向かった先は蛤御門。先ほど聞こえた音は間違いなく砲撃であり、会津藩の本陣もそこにある。
しかし彼らが到着した頃には戦闘は終わっていたのか、長州藩の兵たちの姿は見えない。すると原田や斎藤たちが一斉に展開し、情報収集に走れば斎藤が先に戻り報告する。
それによれば敗戦した長州側は撤退を始めたようで、奥に駐屯している者たちは桑名藩とどうやら薩摩藩の者たちだということ。

「手柄を取ったのはどちらかで揉めているようです」

「ここにきてそれかよ……」

そして土方が興味もなさそうに答え、その様子を見ていると段々と雲行きが怪しくなってくる。遂には双方が刀の柄に手を掛け、今にも斬り合いが始まりそうになったその時。

「お止めください」

奥からひとりの男が現れ、両者の間に入る。

「────っ!」

が、その男を昴が見た瞬間、驚きを隠せず息を飲んだのは言うまでもなく。見間違えるはずもない、昨夜会ったあの男が立っていた。

「私は薩摩藩に属する者、名を天霧九寿と申す。何があったのかお聞かせください」

そうして間に入った男が名乗り、双方の言い分を聞くと表情を険しくする。

「今はそのような事を言っている時ではないでしょう?私からも主に申しておきますので、ここはどうかお引きください」

すると納得がいかないのか、今度は天霧と名乗った男へ標的が向かい。

「あなたの主に言っても意味がない。我ら桑名藩の主に直々に申し立てしてもらわねば。それとも貴殿……そのまま手柄を横取りしようと考えているのではなかろうな?」

再び刀の柄に手を置いた瞬間。

「止めろ」

桑名藩の男らしき人物が来て遮る。服装からして身分が高いのか、天霧から話を聞くと頭を下げ、その場を取り成す計らいをしたお陰で不穏な空気を取り除いた。
そのやり取りを見ていた昴へ、天霧が視線を向けると口の端を上げる。しかし一瞬の事だったために、早々に踵を返せば元来た方へ歩き出した。

「どうした?昴」

「……………っ」

そんな微かな変化すら見逃さず、斎藤が声を掛けるも原田と山崎がようやく戻ってくる。

「土方さん、どうやら長州藩の一部が公家御門の方でまだ闘っているらしい」

「それに、退却している者たちは天王山へ向かっているようです」

「どうする?トシ」

すると近藤が呼び、難しい顔をした土方が考えを巡らせるとひとつ息を吐き。

「近藤さん、今から言うことはあんたにしか出来ない事だ。やってくれるよな?」

「ああ。勿論だとも」

疑うこともなく近藤が頷けば、的確に指示を出していく。それは今から会津藩へ行くことで、天王山へと落ち延びようとしている長州潘を追討する許可を取ること。
土方はその許可が降り次第天王山へと向かうことにし、斎藤と山崎は蛤御門の守護。原田は公家御門へ行くよう命じた。
残る昴は斎藤たちと残り、後の残党狩りに備えるための準備に取り掛かるべく、屯所に戻ったのだった。


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