「すぐ用意します。お待ち下さい」

しかし昴は気を悪くしたふうでもなく微笑み、奥に消えると幸男が盛大な舌打ち。

「先輩!俺も手伝います!」

横では恭が慌てて彼女の後を追い、台所に消えた。

「ちょっと、今のは失礼でしょ!昴ちゃんだから何も言わないだけよ?」

「…だから、どこがどう失礼なんだよ?俺は女を喜ばせるようなことは言えねぇし、そんな類いのもんじゃねえ」

そう言って再び頭を掻くこの男は、土方歳三。
攘夷派を取り締まるべく結成された、新撰組の副長をしている者だ。
組の中でも鬼の副長と言われるほどに恐れられるこの男は、端から見るとやはり近より難い存在で。
新撰組と聞けば町民もあまり関わろうとしない。
だが唯一、この店の中だけはそんな反応を見せない昴がいる。
初めて出逢った時も、怯えるでもなくただ真っ直ぐと自分を見つめるその姿に、土方は密かに感心していた。
それに何より、立ち姿も何もかもが、まるで涼やかな風のような心地よさを感じさせる彼女の傍に居る時間が、彼はとても好きだった。

「ふーん……。ま、そう言うことにしとくわ」

そんな事を思っていると幸男が呟き、何やらニヤリと笑う。
その顔を見上げ、土方は眉をしかめるも言い返すのも面倒だった。




翌日。
市中を見回りしていた土方と、一番隊隊長である沖田総司の二人が茶屋を通り掛かった時。
そこで女の人の悲鳴が聞こえ、辺りが何事かと一斉に振り返る。

「泥棒!!誰か!私の財布を取り返して!」

良く見ると中年の女性が地面に倒れ、財布を盗まれたと騒いでいた。

「物盗りみたいですね、土方さん。あ、まさか走ってるあの男がそうでしょうか?」

「ああ、そうみたいだな。だが俺たちの領分じゃねぇしな………」

その向こうでは慌てたように男がひとり人並みを掻き分け、転びそうになりながらも逃げる姿。
だが新撰組自体がその役割を担うものではない。
ここで無意味に自警団と衝突する訳にもいかず、叫ぶ女性に視線を向けた。

「あ!あの二人………」

途端に沖田が声を上げ、続けて彼が顔を上げると見えた二人組。

「あの、馬鹿!」

土方が思わず舌打ちしたのは、男が走って行く先に立ちはだかるようにして居たのは昴と恭だったから。

「退け、ゴラァ!!死にてぇのか!?」

更に男の手に光るものが見えると鋭い視線を向け。

「これはちょっと………あ、土方さん!」

眉を寄せた沖田がどうするのか判断を仰ぐ前に、彼が走り出していた。
その姿を見やり、クスリと笑うと呟く。

「彼女の事になると、やっぱり動かずにはいられないんですよね………土方さん?」

だがこの距離では間に合うはずもない。

「────っ、くそ!駄目だっ!」

案の定、男が包丁のようなものを振り上げ、昴目掛けて振り下ろした。

瞬間。

横に居た恭が脚を蹴り上げ、男の手に持っていたものを弾き飛ばす。
太陽の光を反射し、白銀が弧を描いたその先に見えたのは金色の瞳。

「──────っ」

凛とした眼差しと、引き結ばれた小さな唇がフッと息を吐けば、突進してきた男の攻撃をヒラリとかわす。
同時に行き過ぎようとしたその襟首を掴み、腕を捻り上げるようにするといとも簡単に男を地へ捩じ伏せた。

「先輩!怪我はない!?」

呻き声を上げ、まだ逃げようとする男を恭も押さえつけると昴を見つめる。

「ああ、大丈夫だ」

するとふわりと微笑み、無事を知らせる彼女に頬が染まるのを止めることができず。

(ホント、昔から先輩に敵うやつなんていないよ………)

女性としてただ守られる存在ではない、そんな強い心を持つひとなのだ。

「やるじゃねえか嬢ちゃんたち!盗人はオレたちで何とかするから、後は任せな!!ありがとよ!」

そんな中一部始終を見ていた町民たちが歓声を上げ、男たちが集まると礼を言われる。

「あ、はい。お願いします」

恭が代わりに答え、二人が盗人を引き渡すと被害に遭った女性も深々と頭を下げた。

「礼などいりません。無事に取り返すことができて良かった!」

そこで昴が微笑み、女性を見つめると何故か顔を真っ赤にする。

「………あんたが男だったら、間違いなくウチの娘の婿にしてたよ!それかそっちのあんた!婿に来るかい!?」

「え、いや………その……っ」

しかも突然恭の手を握ってきた女性に動揺し、まごつけば昴がクスリと笑う。

「良かったな、篠宮くん。これで篠宮家は安泰だ」

「ちょ!?先輩、他人事だと思って!え、遠慮させて頂きますんで………すみません!!」

それでも何とか恭が女性から逃れ、残念そうに去って行くのを見れば胸を撫で下ろして立ち上がった。

「はあ、良かった。じゃあ、残りの買い物して帰りますよ!先輩……って、あんた……」

その時、ふと彼の横に誰かが立つ気配に顔を上げると息を飲む。

「…………………」

そこに立っていたのは土方歳三で、刀の柄に手を置いたまま無言で見つめるのは昴の姿。
見回りの最中だと分かったのは、彼が新撰組の隊士の証である『誠』と書かれた羽織を着ていたからで。
昴も何も言わず、薄茶色の瞳を向けるとふいに彼が笑った。

「お前、女にしては度胸があるな。それに、一瞬にして男を地面に捩じ伏せるなんざ、素人じゃできねぇ。たいしたもんだ」


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