弐
店で沖田の頼みを断り、それからまた二日、何事もなく過ぎる。
やはり土方は店に姿を現すことはなく、恭だけは屯所に出入りしては御役目をこなしているようで。
「土方さん、傷の痛みもないみたいで、また市中の見回りもするようになったぜ」
律儀に彼の近況を教えてくれる。
そんな彼に礼を述べ、また動き回れるようになって良かったと安堵すると、自分も配達へと出掛けた。
そうして行き交う人々の間を縫いながら、誰ともぶつかることなく歩けば後ろから声が掛かる。
「おい」
「──────っ」
それには流石に驚き、振り返るとそこに立っていたのは土方歳三。
この雑踏のなか、よく自分に気付いたと思えば浅葱色の羽織をはためかせ、額に鉢金を巻いたその姿に鼓動が高鳴る。
見回りをしていたのか、隣にいた隻眼の男が頭を下げると昴も同じく返した。
「斎藤、先に行ってろ」
すると土方が有無を言わさず命令し、しかし分かっていたのか斎藤と呼ばれた男が頷くと静かにその場から去って行く。
途端に二人だけになり、どうしたらいいのかと少し目を伏せると先に目の前の男が口を開いた。
「店の配達か?」
その口調はいつもと変わらず、何故か切なさで胸が痛んだけれど微笑む。
「ああ。今から行くところだ。………傷はもういいのか?」
そして少し離れると、土方が何やら眉を寄せた。
「この通り、もうなんともねえよ」
「そうか…………」
そうしてちゃんと動けているのなら、それに越したことはないと。
また微笑むと土方が頭をかいてじっと見つめる。
何か言いかけたように見えたけれど、そのまま口を閉じた。
「………………?」
それを見た昴は首を傾げ、もう挨拶は終わったと感じ取ると踵を返す。
「それじゃあ…………」
「待て」
けれどそこで土方が呼び止め、距離を縮めると真っ直ぐと見つめる相手。
そしてあー……と言いながら一瞬目を反らし、すぐに眼差しを向けると声に出した。
「夜に………店に行く」
「え──────」
たったそれだけの言葉に、心なしか土方の目許が染まったように見えたが背中を向けられて見えなくなる。
「それだけだ………。気を付けて行けよ」
更に小さく囁き、昴の返事も待たずに歩き出すとあっという間に人混みに紛れて見えなくなった。
「…………あなたと言う人は…………」
ざわめきの中、土方の言葉を反芻してはやがて参ったとばかりに吐息したのは昴。
"気を付けて行け"などと、自然に声を掛けてくれることに驚くばかり。
しかも夜に店に来ると言われ、心臓が音を立てて反応したのは止めようがなくて。
「屯所の中で何かあったのかもしれないな」
それでも色々と思い巡らせながら、配達するべくまた歩き出した。
その夜。
賑わいを見せていた店も客の殆んどが帰路につき、店仕舞いの時間を迎えると後片付けを始める。
台所で洗い物をしながら、昴は昼間の事を思い出していると小さく吐息。
まだ土方の姿はなく、急に用事でも入ったのだろうと思えば片付けに集中する。
そうして一通りの事を終え、もう一度やり残した事がないか確認するために店の方へ行くと誰かが入ってくる。
「片付けは終わったか?」
「─────っ!?あ、ああ………今終わったところだ」
しかもこの時間を目指して来たようなその男は土方で、そのまま奥へと入ってくると目の前に立った。
「…………後は戸締まりだけだろ?」
「今からしようと思ったが………お客様が来たから。後にする」
それは彼の事を言っていて、微笑んだ昴が座敷へ移動しようとすると頭をかく男。
「あー………まあ、そうだな」
少し視線を伏せ、彼女の後を追うと正面に座った。
そうして沈黙が訪れ、昴が何か欲しいものはあるかと聞いてきたが首を振る。
その彼女はまだ何も話さない土方を急かすわけでもなく、黙って手元を見つめる姿。
数日振りに近くに昴がいて、感じる穏やかな空気にふと息を吸い込むと、土方はやっと口を開いた。
「この間、お前に聞いただろ…………俺はお前にとって、どんな存在かと」
「…………………」
するとピクリと昴が反応し、薄茶色の瞳を少しの間だけ彼へ向けるがすぐに伏せられる。
お互いに忘れるはずもなく、それでも彼女がただ静かに頷けば。
「……………俺にとって、一番大事なものは新撰組だ」
息を吐き、土方が低い声で告げると昴の黒髪がサラリと揺れる。
その髪に触れたいと、途端に沸き起こった感情を抑えつけ、昴が自分の言葉の意味を理解しようとする姿を見た。
「……………ああ、分かってる」
その時、土方の言葉を拒絶の意と判断したのだろう、ほんの一瞬だけ瞼を震わせ、しかしスッと表情を無くすと頷く。
その一言に込められた思いに、彼女の心までも閉ざされていくようで。
このままだともう二度とその心に触れる事が出来なくなると、息を飲んだ彼が頭をかくとすぐに遮るように言葉を続けた。
「勘違いするんじゃねぇよ。俺は、それでもいいかって………お前に聞いてる」
「──────っ」
僅かに見開かれた瞳が揺れ、小さな唇が震える様を見つめると頬が熱くなるのを感じる。
柄にもない事をしているのは分かっている。
だが、己の気持ちを認めたあの時から、心は昴に向かうばかりなのだ。
傍に居なければその姿を探し、こうして傍に居ると離れがたく思う。
今まで経験したことのない感情に、戸惑うばかりでどうにも居心地が悪いのだ。
しかし、それが全て昴を起因して起きている事は覆しようがなく。
「お前のこと、もっと俺に教えろよ。上部だけじゃねぇ………全部、俺に見せろ」
「土方さ─────っ」
白い手を掴まえ、引き寄せると抱き締めた柔らかな身体。
ようやく触れたいと願っていた黒髪に指を通し、顎を掬い上げるようにして視線を絡ませると囁いた。
「そしたら…………俺のことも、教えてやる」
next……
やはり土方は店に姿を現すことはなく、恭だけは屯所に出入りしては御役目をこなしているようで。
「土方さん、傷の痛みもないみたいで、また市中の見回りもするようになったぜ」
律儀に彼の近況を教えてくれる。
そんな彼に礼を述べ、また動き回れるようになって良かったと安堵すると、自分も配達へと出掛けた。
そうして行き交う人々の間を縫いながら、誰ともぶつかることなく歩けば後ろから声が掛かる。
「おい」
「──────っ」
それには流石に驚き、振り返るとそこに立っていたのは土方歳三。
この雑踏のなか、よく自分に気付いたと思えば浅葱色の羽織をはためかせ、額に鉢金を巻いたその姿に鼓動が高鳴る。
見回りをしていたのか、隣にいた隻眼の男が頭を下げると昴も同じく返した。
「斎藤、先に行ってろ」
すると土方が有無を言わさず命令し、しかし分かっていたのか斎藤と呼ばれた男が頷くと静かにその場から去って行く。
途端に二人だけになり、どうしたらいいのかと少し目を伏せると先に目の前の男が口を開いた。
「店の配達か?」
その口調はいつもと変わらず、何故か切なさで胸が痛んだけれど微笑む。
「ああ。今から行くところだ。………傷はもういいのか?」
そして少し離れると、土方が何やら眉を寄せた。
「この通り、もうなんともねえよ」
「そうか…………」
そうしてちゃんと動けているのなら、それに越したことはないと。
また微笑むと土方が頭をかいてじっと見つめる。
何か言いかけたように見えたけれど、そのまま口を閉じた。
「………………?」
それを見た昴は首を傾げ、もう挨拶は終わったと感じ取ると踵を返す。
「それじゃあ…………」
「待て」
けれどそこで土方が呼び止め、距離を縮めると真っ直ぐと見つめる相手。
そしてあー……と言いながら一瞬目を反らし、すぐに眼差しを向けると声に出した。
「夜に………店に行く」
「え──────」
たったそれだけの言葉に、心なしか土方の目許が染まったように見えたが背中を向けられて見えなくなる。
「それだけだ………。気を付けて行けよ」
更に小さく囁き、昴の返事も待たずに歩き出すとあっという間に人混みに紛れて見えなくなった。
「…………あなたと言う人は…………」
ざわめきの中、土方の言葉を反芻してはやがて参ったとばかりに吐息したのは昴。
"気を付けて行け"などと、自然に声を掛けてくれることに驚くばかり。
しかも夜に店に来ると言われ、心臓が音を立てて反応したのは止めようがなくて。
「屯所の中で何かあったのかもしれないな」
それでも色々と思い巡らせながら、配達するべくまた歩き出した。
その夜。
賑わいを見せていた店も客の殆んどが帰路につき、店仕舞いの時間を迎えると後片付けを始める。
台所で洗い物をしながら、昴は昼間の事を思い出していると小さく吐息。
まだ土方の姿はなく、急に用事でも入ったのだろうと思えば片付けに集中する。
そうして一通りの事を終え、もう一度やり残した事がないか確認するために店の方へ行くと誰かが入ってくる。
「片付けは終わったか?」
「─────っ!?あ、ああ………今終わったところだ」
しかもこの時間を目指して来たようなその男は土方で、そのまま奥へと入ってくると目の前に立った。
「…………後は戸締まりだけだろ?」
「今からしようと思ったが………お客様が来たから。後にする」
それは彼の事を言っていて、微笑んだ昴が座敷へ移動しようとすると頭をかく男。
「あー………まあ、そうだな」
少し視線を伏せ、彼女の後を追うと正面に座った。
そうして沈黙が訪れ、昴が何か欲しいものはあるかと聞いてきたが首を振る。
その彼女はまだ何も話さない土方を急かすわけでもなく、黙って手元を見つめる姿。
数日振りに近くに昴がいて、感じる穏やかな空気にふと息を吸い込むと、土方はやっと口を開いた。
「この間、お前に聞いただろ…………俺はお前にとって、どんな存在かと」
「…………………」
するとピクリと昴が反応し、薄茶色の瞳を少しの間だけ彼へ向けるがすぐに伏せられる。
お互いに忘れるはずもなく、それでも彼女がただ静かに頷けば。
「……………俺にとって、一番大事なものは新撰組だ」
息を吐き、土方が低い声で告げると昴の黒髪がサラリと揺れる。
その髪に触れたいと、途端に沸き起こった感情を抑えつけ、昴が自分の言葉の意味を理解しようとする姿を見た。
「……………ああ、分かってる」
その時、土方の言葉を拒絶の意と判断したのだろう、ほんの一瞬だけ瞼を震わせ、しかしスッと表情を無くすと頷く。
その一言に込められた思いに、彼女の心までも閉ざされていくようで。
このままだともう二度とその心に触れる事が出来なくなると、息を飲んだ彼が頭をかくとすぐに遮るように言葉を続けた。
「勘違いするんじゃねぇよ。俺は、それでもいいかって………お前に聞いてる」
「──────っ」
僅かに見開かれた瞳が揺れ、小さな唇が震える様を見つめると頬が熱くなるのを感じる。
柄にもない事をしているのは分かっている。
だが、己の気持ちを認めたあの時から、心は昴に向かうばかりなのだ。
傍に居なければその姿を探し、こうして傍に居ると離れがたく思う。
今まで経験したことのない感情に、戸惑うばかりでどうにも居心地が悪いのだ。
しかし、それが全て昴を起因して起きている事は覆しようがなく。
「お前のこと、もっと俺に教えろよ。上部だけじゃねぇ………全部、俺に見せろ」
「土方さ─────っ」
白い手を掴まえ、引き寄せると抱き締めた柔らかな身体。
ようやく触れたいと願っていた黒髪に指を通し、顎を掬い上げるようにして視線を絡ませると囁いた。
「そしたら…………俺のことも、教えてやる」
next……