壱
翌朝、店の準備をしようと褥から起き上がろうとすると、脇腹に痛みがはしって眉を寄せた昴。
やはり昨日の手合わせの時、沖田の一撃が僅かだが当たったのが原因だろう。
今朝になって少し動かすだけでも痛みを感じ、小さく息を吐いた。
それでも店の準備をしなければ、店主に負担がかかる。
その負担を軽減するために自分は雇われていて、その恩に報いるのが己の務めだから。
痛むのもそのままに布団を畳み、着替えを済ませると階下に降りた。
「─────」
その時、既に恭が準備を終えていたのか、店先には暖簾もさげられている。
椅子や机を綺麗に拭かれ、台所からは店主と恭の声が聞こえて昴も向かおうとした。
「─────おい、どこに行く」
すると座敷の方から別の声が聞こえ、驚いて見ればそこに座る土方の姿。
眉を寄せ、こちらをじっと見つめると立ち上がった。
「あの…………あなたこそ…………」
「お前が出て来るのを待ってた」
そう言うなり、目の前まで近付いたものの頭をかく。
「あー………その………手は大丈夫か?」
彼はまだ昨日のことを心配してくれてるのか、痛くはないかと聞いてきた。
「痛みはもうないので、大丈夫です」
そんな気遣いに昴が表情を和らげると、ふいに男の目許が染まる。
しかしすぐにまた眉を寄せると、視線を落とした。
「脇腹のほうは………どうだ?」
「…………………っ」
その事も気にしてくれていたのだと、理解したが口に出す訳にはいかない。
着物の帯で何とか固定できているのが幸いしてか、仕事はこなせそうだと思っていたからだ。
「特に…………何とも─────」
「ねえわけ、ねえよな?」
しかし、そこで息を吐いた土方が遮るように言い、こっちに来いと手招きして座敷に再び座る。
それでも昴は動くことができず、真っ直ぐと見つめるとその手を掴まえられた。
「──────っ!」
途端に手を引かれて痛みがはしり、鋭く息を飲むとやっぱりなと聞こえてくる。
今度は労るように優しく引き寄せた土方が見上げると、微笑みを浮かべた。
「店主には言ってある。恭もいることだし、今からお前を医者に連れて行くからな」
「え──────」
どうしてそうなったのか、昴が目を見開くと照れ臭そうに視線を反らす男。
「本当なら総司が連れてくはずだったんだが…………今日は俺が非番なんでな。あいつからの伝言だ。治療費は自分が払うから、治るまで通ってくれだとよ」
だから遠慮なく甘えてくれと言われ、慌てて首を横に振った。
「そんなこと………私は大丈夫だ!それに、医者に行くほどのものじゃ──────」
「その帯で固定してるのに、か?」
けれど、無理するなと言った土方が苦笑し、真っ直ぐと見つめてくる。
その真摯な瞳からは誠意が見てとれ、本当に心配してくれているのが分かると鼓動が小さく跳ねた。
「言っただろう?我慢なんかするんじゃねえよ。痛い時は、痛いって素直に言えばいいんだ。誰もお前を責めたりしねえ」
「──────っ」
続けて言われた言葉に、昴が薄茶色の瞳を煌めかせると噛み締められた唇。
女の身で幼い頃から剣術を習い、弱音すら吐くことは許されなかったのだろう。
どんなに苦しくても、苦しい素振りさえ見せないこの女性が、土方の魂までも揺さぶるには十分で。
ふと触れたくて伸ばされた手が、しかし昴に触れることはなかった。
代わりに自分の頭をかけば、出掛ける用意をしろと促した。
「土方さん、先輩を頼みます」
「ああ、任せとけ」
「篠宮くん、なるべく早く帰るから………」
そうして出掛ける準備をし、恭が見送ると昴はやはり店を気にしてか口を開く。
それには男二人、大きな溜め息を吐いたのは同時で。
「逃げ出さないように、ちゃんと見張ってくださいよ?」
「…………言われるまでもねえよ」
ジト目で恭が見つめると、土方が鋭く返したのだった。
「ここだ」
それから昴の歩く速度に合わせ、土方も横に並ぶようにして行けば大きな屋敷に辿り着く。
その建物を見上げ、入ってもいいものかと昴が躊躇えば微笑む。
「ここは俺たち新撰組も世話になってる。だから何も遠慮することはねえよ」
そう言って彼女の腕に手を添えると、開けられた門をくぐった。
「じゃあ行って来い。俺はここで待ってるからな」
屋敷の中に入り、時間が早かったのもありすぐにでも診察できると言われると土方が待合所に座る。
しかし昴はここまでと思っていたらしく、少し驚くと見つめてきた。
「何だ?まさか連れてくるだけだと思ってたのか?」
「ああ………違うのか?」
そこで肩を落としたのは土方で、それもまた彼女らしいと思えば苦笑する。
「あのなぁ……俺もそこまで薄情じゃねえよ。それに、治療費をこっちで支払う算段にしなきゃいけねえからな。お前は何も気にせず、治療に専念しろ」
「……………重ね重ね、ありがとう」
だから何も心配はいらないと伝え、昴が微笑んでお礼を言うと奥へ消えた。
その後ろ姿を熱っぽく見つめていた彼が、フッと息を吐いたのはその時で。
「…………ったく。どこが女じゃねえ、だ。どこをどう見たって"女"だろうが。てめえの目は節穴か」
今まで彼女を女性として見てなかったであろう者たちへと、ひとり喧嘩を売ってやった。
その後、医者からは軽度の打撲だと診断された昴に、湿布薬のようなものを塗布されて今回は終わりとなる。
しかも帯で身体を締め付けるようなことはなるべくしないようにと言われ、塗り薬も処方された。
更に数日ほど様子を見て、それで痛みがひくようであれば骨にも異常はないだろうと言われ、そうであれば再診に来る必要もないと付け加えられた。
それを待合所で待っていた土方に伝え、沖田にも伝えるように頼むと引き受けてくれた彼。
「まだ様子を見ねえと分からねえが、この事は総司にも伝えとく」
打撲だけで済んで良かったと、安堵した表情を浮かべた。
診療所を出て、四季に戻るために歩き出した二人。
店まで送り届けると短く告げた土方は、歩く速度を昴に合わせてくれる。
それは歩く度に昴が脇腹の痛みを感じていたのを彼は知っていて、ここに来る途中も寄り添うように歩いてくれたのだ。
そんな心遣いに自分の鼓動が少し騒がしくなっているのを悟られないよう、無言で歩く昴。
しかし土方はその無言でさえ気にならないのか、横を歩いてくれる。
逆に彼にとってそれが心地好いのか、前を向く表情が心なしか穏やかだった。
そうして四季に帰りつき、お礼を言った昴が再び身支度を整えて階下に降りると座敷にはまだ土方が居て。
「土方さん、折角の非番なのにこんな所に居ていいのか?」
身体を休めたりしないのだろうかと思えば、目の前で頭をかく男。
「非番って言っても、あそこじゃろくに休めもしねえからな。それに……………」
「………………?」
チラリと昴を見つめ、すぐに反らすと目許が微かに染まり。
「ここだと、何の気兼ねもなく休める」
「…………お客さんが沢山来るが?」
昴の問い掛けに苦笑すると、ごろんと横になった。
「それでもだ」
「…………分かった。ごゆっくり」
そして有無を言わさず目を閉じた相手を見つめ、彼女も苦笑すると邪魔しないように傍を離れる。
ふと土方の前から気配が消え、台所に向かうその姿を目を開けて見ると息を吐き。
「…………瀬田、昴…………か」
女にそぐわぬ名を与えられたその女性が、己の心を掻き乱しては揺さぶる。
その心地好さに目を閉じ、土方は彼女の気配を感じる度に笑みをこぼした。
これはきっと
身を焦がすほどの恋になる────
そうなる運命だから
next……
やはり昨日の手合わせの時、沖田の一撃が僅かだが当たったのが原因だろう。
今朝になって少し動かすだけでも痛みを感じ、小さく息を吐いた。
それでも店の準備をしなければ、店主に負担がかかる。
その負担を軽減するために自分は雇われていて、その恩に報いるのが己の務めだから。
痛むのもそのままに布団を畳み、着替えを済ませると階下に降りた。
「─────」
その時、既に恭が準備を終えていたのか、店先には暖簾もさげられている。
椅子や机を綺麗に拭かれ、台所からは店主と恭の声が聞こえて昴も向かおうとした。
「─────おい、どこに行く」
すると座敷の方から別の声が聞こえ、驚いて見ればそこに座る土方の姿。
眉を寄せ、こちらをじっと見つめると立ち上がった。
「あの…………あなたこそ…………」
「お前が出て来るのを待ってた」
そう言うなり、目の前まで近付いたものの頭をかく。
「あー………その………手は大丈夫か?」
彼はまだ昨日のことを心配してくれてるのか、痛くはないかと聞いてきた。
「痛みはもうないので、大丈夫です」
そんな気遣いに昴が表情を和らげると、ふいに男の目許が染まる。
しかしすぐにまた眉を寄せると、視線を落とした。
「脇腹のほうは………どうだ?」
「…………………っ」
その事も気にしてくれていたのだと、理解したが口に出す訳にはいかない。
着物の帯で何とか固定できているのが幸いしてか、仕事はこなせそうだと思っていたからだ。
「特に…………何とも─────」
「ねえわけ、ねえよな?」
しかし、そこで息を吐いた土方が遮るように言い、こっちに来いと手招きして座敷に再び座る。
それでも昴は動くことができず、真っ直ぐと見つめるとその手を掴まえられた。
「──────っ!」
途端に手を引かれて痛みがはしり、鋭く息を飲むとやっぱりなと聞こえてくる。
今度は労るように優しく引き寄せた土方が見上げると、微笑みを浮かべた。
「店主には言ってある。恭もいることだし、今からお前を医者に連れて行くからな」
「え──────」
どうしてそうなったのか、昴が目を見開くと照れ臭そうに視線を反らす男。
「本当なら総司が連れてくはずだったんだが…………今日は俺が非番なんでな。あいつからの伝言だ。治療費は自分が払うから、治るまで通ってくれだとよ」
だから遠慮なく甘えてくれと言われ、慌てて首を横に振った。
「そんなこと………私は大丈夫だ!それに、医者に行くほどのものじゃ──────」
「その帯で固定してるのに、か?」
けれど、無理するなと言った土方が苦笑し、真っ直ぐと見つめてくる。
その真摯な瞳からは誠意が見てとれ、本当に心配してくれているのが分かると鼓動が小さく跳ねた。
「言っただろう?我慢なんかするんじゃねえよ。痛い時は、痛いって素直に言えばいいんだ。誰もお前を責めたりしねえ」
「──────っ」
続けて言われた言葉に、昴が薄茶色の瞳を煌めかせると噛み締められた唇。
女の身で幼い頃から剣術を習い、弱音すら吐くことは許されなかったのだろう。
どんなに苦しくても、苦しい素振りさえ見せないこの女性が、土方の魂までも揺さぶるには十分で。
ふと触れたくて伸ばされた手が、しかし昴に触れることはなかった。
代わりに自分の頭をかけば、出掛ける用意をしろと促した。
「土方さん、先輩を頼みます」
「ああ、任せとけ」
「篠宮くん、なるべく早く帰るから………」
そうして出掛ける準備をし、恭が見送ると昴はやはり店を気にしてか口を開く。
それには男二人、大きな溜め息を吐いたのは同時で。
「逃げ出さないように、ちゃんと見張ってくださいよ?」
「…………言われるまでもねえよ」
ジト目で恭が見つめると、土方が鋭く返したのだった。
「ここだ」
それから昴の歩く速度に合わせ、土方も横に並ぶようにして行けば大きな屋敷に辿り着く。
その建物を見上げ、入ってもいいものかと昴が躊躇えば微笑む。
「ここは俺たち新撰組も世話になってる。だから何も遠慮することはねえよ」
そう言って彼女の腕に手を添えると、開けられた門をくぐった。
「じゃあ行って来い。俺はここで待ってるからな」
屋敷の中に入り、時間が早かったのもありすぐにでも診察できると言われると土方が待合所に座る。
しかし昴はここまでと思っていたらしく、少し驚くと見つめてきた。
「何だ?まさか連れてくるだけだと思ってたのか?」
「ああ………違うのか?」
そこで肩を落としたのは土方で、それもまた彼女らしいと思えば苦笑する。
「あのなぁ……俺もそこまで薄情じゃねえよ。それに、治療費をこっちで支払う算段にしなきゃいけねえからな。お前は何も気にせず、治療に専念しろ」
「……………重ね重ね、ありがとう」
だから何も心配はいらないと伝え、昴が微笑んでお礼を言うと奥へ消えた。
その後ろ姿を熱っぽく見つめていた彼が、フッと息を吐いたのはその時で。
「…………ったく。どこが女じゃねえ、だ。どこをどう見たって"女"だろうが。てめえの目は節穴か」
今まで彼女を女性として見てなかったであろう者たちへと、ひとり喧嘩を売ってやった。
その後、医者からは軽度の打撲だと診断された昴に、湿布薬のようなものを塗布されて今回は終わりとなる。
しかも帯で身体を締め付けるようなことはなるべくしないようにと言われ、塗り薬も処方された。
更に数日ほど様子を見て、それで痛みがひくようであれば骨にも異常はないだろうと言われ、そうであれば再診に来る必要もないと付け加えられた。
それを待合所で待っていた土方に伝え、沖田にも伝えるように頼むと引き受けてくれた彼。
「まだ様子を見ねえと分からねえが、この事は総司にも伝えとく」
打撲だけで済んで良かったと、安堵した表情を浮かべた。
診療所を出て、四季に戻るために歩き出した二人。
店まで送り届けると短く告げた土方は、歩く速度を昴に合わせてくれる。
それは歩く度に昴が脇腹の痛みを感じていたのを彼は知っていて、ここに来る途中も寄り添うように歩いてくれたのだ。
そんな心遣いに自分の鼓動が少し騒がしくなっているのを悟られないよう、無言で歩く昴。
しかし土方はその無言でさえ気にならないのか、横を歩いてくれる。
逆に彼にとってそれが心地好いのか、前を向く表情が心なしか穏やかだった。
そうして四季に帰りつき、お礼を言った昴が再び身支度を整えて階下に降りると座敷にはまだ土方が居て。
「土方さん、折角の非番なのにこんな所に居ていいのか?」
身体を休めたりしないのだろうかと思えば、目の前で頭をかく男。
「非番って言っても、あそこじゃろくに休めもしねえからな。それに……………」
「………………?」
チラリと昴を見つめ、すぐに反らすと目許が微かに染まり。
「ここだと、何の気兼ねもなく休める」
「…………お客さんが沢山来るが?」
昴の問い掛けに苦笑すると、ごろんと横になった。
「それでもだ」
「…………分かった。ごゆっくり」
そして有無を言わさず目を閉じた相手を見つめ、彼女も苦笑すると邪魔しないように傍を離れる。
ふと土方の前から気配が消え、台所に向かうその姿を目を開けて見ると息を吐き。
「…………瀬田、昴…………か」
女にそぐわぬ名を与えられたその女性が、己の心を掻き乱しては揺さぶる。
その心地好さに目を閉じ、土方は彼女の気配を感じる度に笑みをこぼした。
これはきっと
身を焦がすほどの恋になる────
そうなる運命だから
next……