応援してるなんて気安く言うな
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「落ち着いたかね?」
背中を擦る温かい手はもうなくて、目の前には赤い髪の男が座っている。
「彼女はね、綴喜深雪さんというよ。」
「は?」
「ワタシだけ知っているのはフェアではないだろう?」
この男は、俺が蓋をした俺の気持ちを知っている。
ここは控え室。普段は準備室として使われている部屋だ。俺たちのすぐ後ろでは忙しなく人が動いている気配がする。彼女は先刻瀬見さんと出て行った。
「まさか、彼女が初恋泥棒を働いていたとはね。」
「初恋なんて、」
「おや、違ったかね?」
違わない。その通りだ。俺の初恋は十年前、『歯医者さんのお姉さん』だった彼女に捧げた。俺だけに向けられた笑顔じゃないのに、俺だけが特別な気になってた。俺がもっと大人だったなら、彼女は俺のことを見てくれただろうか。
「ワタシは天才だからね、凡人の気持ちがわからないのだよ。」
「は?」
「だがね、キミのことはすぐにわかったよ。」
赤い髪の男、有栖川誉はそう言って笑った。
「彼女は自分に向けられる好意には鈍くてね。」
その余裕は、彼女の恋人である余裕だろうか。俺がどれだけ想っても、もう届かないところにあるとでも言いたいのだろうか。
「ワタシはね、少々不安でね。」
「・・・不安?」
「彼女は自分に向けられた好意に鈍い。しかしその好意に気づくと引っ張られてしまうところがある。」
「・・・。」
「キミのような若者に靡くとは思えないが、情に流されてしまわないかと不安なのだよ。」
驚いた。こんな大人が、俺をライバルとして見ている。今更恋人のいる彼女を奪うような心境にはなれないが、目の前の大人は俺を脅威としている。
「・・・今更、なにもしませんよ。」
「そうかね?」
「彼女が今、幸せなのなら。」
彼女が幸せでいてさえくれればいい。それは昔からの願いだった。
彼女がいなくなる前、俺はその場にいた。
『綴喜さんらしくないミスだね。』
『すみません。』
『いや、いつも頑張ってくれてるからね。少し休みなさい。』
そのまま、週に一回の通院で会える日は減った。毎週あの時間にいた彼女は、次の週には違う人になっていた。前にいた人は辞める前に告げていたから、この人も辞める時にはちゃんと言ってくれると思っていた。
ある冬の日、思い切って先生に訊くと「あのお姉さんは先週辞めてしまったよ」と言われた。体調が悪いのだと言っていた。その日は帰るとすぐに部屋に閉じ篭って、夕飯も食べられなかった。
「キミは彼女が幸せだと思うかい?」
「・・・あなたがいて、幸せなのでしょう。」
あんな幸せそうな笑顔を、今の俺が彼女にさせられるとは思えない。今がとても幸せなのだと言って歩いているようなものだった。
「俺のことなんて忘れてたわけだし。」
「それは違うね。」
「え、」
「彼女は今までで一番楽しかった仕事は歯科助手だと言っていたよ。先刻もね、自分は大きくなれば忘れられる立場にあった人間だったはずなのに覚えててもらえて嬉しかったと言っていたよ。」
「それは、」
「キミは金曜日の午後五時半に通院していたそうだね?」
「!!」
小学校に上がったばかりの俺は、いくつか習い事をしていた。その習い事がなにもなかったのが金曜日で、ちょうど五時半は親の都合もよく通えたのだった。
「彼女は芋づる式に物事を思い出す人でね。キミのことは『金曜日に来る綺麗な髪の男の子』として覚えていたよ。」
「・・・微妙。」
「まぁ、そう悲観することはない。彼女は綺麗なものが好きなのだから。」
有栖川誉が語る彼女の好きなものは、少々意外なものもあった。例えばミュージカル映画が好きだとか。
「家でも突然歌い出すから、ワタシも一緒に歌ってしまうのだよ。」
「・・・同棲、してるんですか?」
「そうだね。帰る家は一緒だ。」
「そうですか。」
それが大人の交際の仕方なのだと言われればそうかもしれない。聞き分けのいいつもりでいたが、ショックなことには変わりない。
「白布、大丈夫か?」
「あ、瀬見さん。」
「瀬見くんと荷物だけ取ってきたからね。もうHRも終わってるからこのまま帰ってもいいみたいだけど・・・。」
彼女はこういう人だった。待合室にいたお年寄りの相手をする時だって、相手が気にしそうなことをこんな風に先回りしていた。
ちらっと有栖川誉の方を見ると、胸元から紙を出して差し出してくる。名刺だった。
「またナンパ?」
「失礼だね。」
「私の時もそうだったでしょ。」
「これは男同士の友情の証だよ。」
いつから俺たちは友達になったんだ。そう言ってやりたかったが、なんとなくその名刺を受け取ってしまった。
「いつでも時間を割こう。」
「はぁ。」
立ち上がると結構タッパある。瀬見さんよりデカい。彼女なんてすっぽり収まってしまうんじゃないか。そこでまた身長が伸びないか気にしてしまう。
「あの人、変なこと言わなかった?」
「いえ。」
「そう。・・・ありがとうね、覚えててくれて。」
「・・・まぁ。」
「暫くこっちにいるから、時間あったらそこに連絡して?私の連絡先なんて知ってたら彼女に怒られちゃうでしょ?」
彼女なんていない。ずっとあなただけ好きだった。そんなこと言えないから濁したけれど、有栖川誉にはバレているだろう。
「部活、あるんで。」
「あ、バレー部なんだってね?瀬見くんから聞いたよ。頑張って。」
「・・・ありがとうございます。」
彼女の「頑張って」は嫌味がなくて、届かないとわかっているのにドキドキした。まだ俺は彼女のことが好きなのかもしれない。
背後の瀬見さんの視線に気づかず、そんなことを思った。
20190211
背中を擦る温かい手はもうなくて、目の前には赤い髪の男が座っている。
「彼女はね、綴喜深雪さんというよ。」
「は?」
「ワタシだけ知っているのはフェアではないだろう?」
この男は、俺が蓋をした俺の気持ちを知っている。
ここは控え室。普段は準備室として使われている部屋だ。俺たちのすぐ後ろでは忙しなく人が動いている気配がする。彼女は先刻瀬見さんと出て行った。
「まさか、彼女が初恋泥棒を働いていたとはね。」
「初恋なんて、」
「おや、違ったかね?」
違わない。その通りだ。俺の初恋は十年前、『歯医者さんのお姉さん』だった彼女に捧げた。俺だけに向けられた笑顔じゃないのに、俺だけが特別な気になってた。俺がもっと大人だったなら、彼女は俺のことを見てくれただろうか。
「ワタシは天才だからね、凡人の気持ちがわからないのだよ。」
「は?」
「だがね、キミのことはすぐにわかったよ。」
赤い髪の男、有栖川誉はそう言って笑った。
「彼女は自分に向けられる好意には鈍くてね。」
その余裕は、彼女の恋人である余裕だろうか。俺がどれだけ想っても、もう届かないところにあるとでも言いたいのだろうか。
「ワタシはね、少々不安でね。」
「・・・不安?」
「彼女は自分に向けられた好意に鈍い。しかしその好意に気づくと引っ張られてしまうところがある。」
「・・・。」
「キミのような若者に靡くとは思えないが、情に流されてしまわないかと不安なのだよ。」
驚いた。こんな大人が、俺をライバルとして見ている。今更恋人のいる彼女を奪うような心境にはなれないが、目の前の大人は俺を脅威としている。
「・・・今更、なにもしませんよ。」
「そうかね?」
「彼女が今、幸せなのなら。」
彼女が幸せでいてさえくれればいい。それは昔からの願いだった。
彼女がいなくなる前、俺はその場にいた。
『綴喜さんらしくないミスだね。』
『すみません。』
『いや、いつも頑張ってくれてるからね。少し休みなさい。』
そのまま、週に一回の通院で会える日は減った。毎週あの時間にいた彼女は、次の週には違う人になっていた。前にいた人は辞める前に告げていたから、この人も辞める時にはちゃんと言ってくれると思っていた。
ある冬の日、思い切って先生に訊くと「あのお姉さんは先週辞めてしまったよ」と言われた。体調が悪いのだと言っていた。その日は帰るとすぐに部屋に閉じ篭って、夕飯も食べられなかった。
「キミは彼女が幸せだと思うかい?」
「・・・あなたがいて、幸せなのでしょう。」
あんな幸せそうな笑顔を、今の俺が彼女にさせられるとは思えない。今がとても幸せなのだと言って歩いているようなものだった。
「俺のことなんて忘れてたわけだし。」
「それは違うね。」
「え、」
「彼女は今までで一番楽しかった仕事は歯科助手だと言っていたよ。先刻もね、自分は大きくなれば忘れられる立場にあった人間だったはずなのに覚えててもらえて嬉しかったと言っていたよ。」
「それは、」
「キミは金曜日の午後五時半に通院していたそうだね?」
「!!」
小学校に上がったばかりの俺は、いくつか習い事をしていた。その習い事がなにもなかったのが金曜日で、ちょうど五時半は親の都合もよく通えたのだった。
「彼女は芋づる式に物事を思い出す人でね。キミのことは『金曜日に来る綺麗な髪の男の子』として覚えていたよ。」
「・・・微妙。」
「まぁ、そう悲観することはない。彼女は綺麗なものが好きなのだから。」
有栖川誉が語る彼女の好きなものは、少々意外なものもあった。例えばミュージカル映画が好きだとか。
「家でも突然歌い出すから、ワタシも一緒に歌ってしまうのだよ。」
「・・・同棲、してるんですか?」
「そうだね。帰る家は一緒だ。」
「そうですか。」
それが大人の交際の仕方なのだと言われればそうかもしれない。聞き分けのいいつもりでいたが、ショックなことには変わりない。
「白布、大丈夫か?」
「あ、瀬見さん。」
「瀬見くんと荷物だけ取ってきたからね。もうHRも終わってるからこのまま帰ってもいいみたいだけど・・・。」
彼女はこういう人だった。待合室にいたお年寄りの相手をする時だって、相手が気にしそうなことをこんな風に先回りしていた。
ちらっと有栖川誉の方を見ると、胸元から紙を出して差し出してくる。名刺だった。
「またナンパ?」
「失礼だね。」
「私の時もそうだったでしょ。」
「これは男同士の友情の証だよ。」
いつから俺たちは友達になったんだ。そう言ってやりたかったが、なんとなくその名刺を受け取ってしまった。
「いつでも時間を割こう。」
「はぁ。」
立ち上がると結構タッパある。瀬見さんよりデカい。彼女なんてすっぽり収まってしまうんじゃないか。そこでまた身長が伸びないか気にしてしまう。
「あの人、変なこと言わなかった?」
「いえ。」
「そう。・・・ありがとうね、覚えててくれて。」
「・・・まぁ。」
「暫くこっちにいるから、時間あったらそこに連絡して?私の連絡先なんて知ってたら彼女に怒られちゃうでしょ?」
彼女なんていない。ずっとあなただけ好きだった。そんなこと言えないから濁したけれど、有栖川誉にはバレているだろう。
「部活、あるんで。」
「あ、バレー部なんだってね?瀬見くんから聞いたよ。頑張って。」
「・・・ありがとうございます。」
彼女の「頑張って」は嫌味がなくて、届かないとわかっているのにドキドキした。まだ俺は彼女のことが好きなのかもしれない。
背後の瀬見さんの視線に気づかず、そんなことを思った。
20190211
2/2ページ