いつかの話
文次郎は毎朝アラームで起きる。しかし最近になってわざと寝過ごすことも多くなった。理由は簡単。
「おーい、文次。起きろー」
「ん、ぅ…」
「起きろって」
頬をペシペシと軽く叩かれる。その鬱陶しさに眉間に皺を寄せて目を開ければ室内灯を背負った恋人が笑いかけてくる。
「おはよ、文次」
柔らかく笑いかけ、その声に昨日までの疲れも全て吹っ飛んでしまう。
「はよ゙…」
「声ガサガサ…。加湿器つけてんのかよ」
配信者である留三郎は体調管理も重要となる。加湿器はもちろん空気清浄機も着いている。しかし一般人の文次郎は気にしない。ある程度の生活習慣が整っていれば少し体調が悪くても問題がなかった。ベッドの縁に座って未だに寝ぼけ眼な文次郎の瞼を撫でる留三郎の手にすり寄る。そのまま頭を撫でられるとどうにも睡魔が押し寄せる。
「こーら。起きろ。朝飯できてんだ」
「わぁ゙ってる…」
少し冷える室内にどうしても布団から出る勇気がない。気合を入れるにもどうにも休日はスイッチが入りずらくなっている。文次郎は前はこんなこと無かったはずなのにと思いつつもゆっくりと寝返りを打ってベットの上に正座する。
「ンハハ!寝癖!」
乱暴に撫でられるがそれを弾く力も入らない。サッと治すように動かしてくれる手がまた心地よく目を瞑れば体がゆらゆらと揺れる。
「ったくもーよー…!ほら!起きる!来い!」
来いと言われて視線を向ければベッドから立ち上がって手を広げる留三郎が居る。文次郎は引かれるままに手を伸ばしてベットから出て留三郎の腕の中へと移動する。
「よっ!っ、とと…。よし、行くぞー」
重たいはずの文次郎を軽々と持ち上げ空いたままだった扉から出ていく。
リビングにつけばダイニングテーブルの上には朝食が並べられている。
「今日はフレンチトースト!昨日から仕込んだかいがあるぜ…!」
「んぅ…」
まだ覚醒しきれていない文次郎はこくんと首を動かすがそろそろ起きなければと考えても頭はまだ重たい。手のひらで顔を擦って何とか覚醒を促してそのまま腕を上に伸ばす。
「ンッ…ッ〜〜〜!」
声にならない音を出して伸びをして上体を左右に動かせばようやく頭が動き始める。
「起きたか?」
「ん?あぁ…」
「随分遅くまで起きてたもんな」
「…聞こえてたか?」
「いや?全然。昨日の夜のお供はなんだったんだ?最近ボイスはあんまり更新してないからさ。動画でも見てたのかと思ってたけど…」
色違いのマグカップを2つ手にして向かいに座った留三郎が文次郎のマグカップを差し出してきた。休日の文次郎用に味を整えたコーヒーを受け取り、一口飲んで一息つく。
「まあ、動画も見てたが…最初の頃のボイスを聞き直してた」
留三郎は同じようにコーヒーを飲んでいたが文次郎の言葉に思わず吹き出す。
「ブフッ…は…!?最初!?」
「最初だ。確か昨日は『【囁き】一緒におやすみ』と『【囁き】癒してあげたいあなたの心』だな」
そう言ってしみじみと思い出しながらコーヒーに口をつける文次郎を前に留三郎は顔を赤くする。
「お、お、ぉお、お前!そんな前の聞かなくても…!」
「いやぁ。これがまたいいんだ…」
「何が!?」
「こう…慣れていない感じとか、今こうやって付き合っているのを見ると素のお前に近いっていうか…」
「…はぁ!?」
「なんか可愛いんだよな。しかも動画の中のリュウは年下だから、そう思うと余計に癒されるというか…」
「アレは…!その、慣れてなかったからというか…!マジで今のもんと比べ物にならないくらい下手だろうが!普通のマイクだし…!今のちゃんとしたマイクの方が…!」
「何言ってる。それがいいんだろうが!」
「お前が何言ってんだよ!?」
留三郎の言葉に信じられないという顔を向ける文次郎に同じ顔を返す留三郎。留三郎はすぐさまスマホを手に取って操作をする。文次郎は直ぐにその操作に嫌な予感をして手を伸ばすが一足遅かったようだ。
「とりあえず非公開にした…!」
「あぁ!?なんで!?」
「なんでって、他の動画に同じようなやついくらでもあるだろうが!」
「アレがいいんだろうが!アレが!」
「俺は新しいやつとか聞いて欲しいの!」
「俺は全部聞きたいんだ!需要は一定数あるんだ!」
「ねぇよ!お前だけだ!このマニアックファンめ!」
「そうだよ!マニアックファンだよ!いいからもう1回公開しろ!って!お前ほかのも消してんじゃねぇか!馬鹿留ェ!」
「デビュー後半年は消した!あんなの俺が許せん!」
「そ、そんな…!」
「聞きたきゃ他の聞けよ。有料とか無料とかどうせお前全部持ってんだろ?それでいいじゃねぇか…」
そう言って文次郎に視線を向ければ文次郎は項垂れた様子で下を見ていた。それはまさに落胆と言った様子で勢いで消したものの留三郎は少し胸がズキリと痛んだ。
「べ、別に他の動画は消すつもりはないが…これだけはダメだ…!」
留三郎は負けないという気持ちで言い切ったが文次郎はそうか、と呟いて静かになる。その様子に少し気になったが文次郎が続けた。
「作者であるお前がそういうんだもんな…。俺たちファンにはそれを止める術もないし権利もない…。けど…そうか…もう聞けないんだな…」
「え…いや、別に…そこまで…」
「同じようなものと言っても、同じものは存在しない。その時の言葉遣いや息遣いはあの時のものも全て好きだったんだが…」
「おい、文次…」
「いや…いいよ。今日の夜のお供にしようとしてた『よしよしボイス』も…もう聞けないんだもんな…ハァ…」
もはやここまで来るとわざとらしさを隠しきれないものの留三郎は文次郎の姿に負けそうになる。しかし自分も恥ずかしい気持ちはある。
その後2人の朝食の時間は静かに過ぎ、文次郎が仙蔵と約束があると言って出かけたあと留三郎は洗濯物を干しながらあることを思いついた。
「随分と沈んでいるな」
「あぁ…。ちょっとな」
仙蔵と待ち合わせの場所にたどり着き顔を突き合わせた瞬間、幼なじみの勘は鋭く文次郎の変化を見逃さなかった。
「おおかたリュウ関連だろう。留三郎に何かされたか?お気に入りの動画消されたみたいな顔して」
仙蔵の言葉に文次郎は黙るしか無かった。仙蔵もその様子にまさかとは思ったが自分のスマホから動画配信アプリを開ける。検索履歴から直ぐにヒットしてホームに飛べばいくつか消された動画の後がある。
「まさか…」
「そのまさかだ…」
「このくだり何回目だ」
「知らん」
ハァ、と大きなため息をついた文次郎の隣にたち、モデル顔負けのスラリと伸びた足で目的地へと向かう。隣で歩きながらも沈んだ顔の幼なじみに溜息をついて前を向いた。
「仕方ないだろ。なにか理由があったんだ。もしかしたら整理するためとか」
興味は無いもののここまで落ち込んだ文次郎を見るのは久々だったためか仙蔵も言葉を選ぶ。
「いや違う…」
「なんだ。違うのか。というか理由くらいはお前は知ってるんだろう?」
「まあな…」
「他のファン達は分からないままなんだ知っているだけマシなんじゃないか?」
その言葉に文次郎も確かになと考える。しかし文次郎はその言葉を聞いて段々と心の奥から罪悪感が芽生える。
「いや…、だが消した理由が俺なんだからマシだと言うよりは申し訳なさしかない…!ハァ…!くそ!なんであんなことを…!」
「はぁ?なんで動画削除に文次郎が関係するんだ…?」
「それが…カクカク、シカジカで…」
文次郎が簡単に説明をすれば仙蔵は納得した顔をしつつ複雑な面持ちでいた。
「別に過去の作品くらい残しててもいいだろう…!」
「あぁ…まぁ…それはな…。だが、留三郎の気持ちも私はわからんでもないな」
「何ッ!?」
文次郎は信じられない目で仙蔵を見た。仙蔵も居た堪れないと苦い顔をするも遠くを見つめながら口を開く。
「私が小さい頃キッズモデルとかしてたのを覚えてるか」
「あぁ。俺も着いて行かされたからな」
「この仕事をしていれば時折昔資料を引っ張り出したり色んな昔の雑誌とかを取り寄せることがあるんだが…まぁそれに載ってる幼い頃の自分を見ると…こう…」
何も無い場所を掴むような仕草で仙蔵がもどかしさを表現する。その苦い顔に文次郎は考える。仙蔵は今はデザイナー及びファッションコーディネーターとして名を轟かせている。表舞台に立つことはほとんどないものの小さな頃は女子と見まごう美貌でキッズモデルもしていた。しかし表舞台よりも装飾に興味を持った仙蔵は今の仕事が天職だと言わんばかりの没頭をしている。最近はメイクにも凝りだし、時折クマ消し実験だとか言って文次郎を呼びつけることも多かった。そんな仙蔵にも恥ずかしいと思うことはあるのかと思えば文次郎はどこか納得がいった。
「そう留三郎を責めてやるな。あいつにもプライドというものはあるだろうしな…」
「責めてるつもりは…!」
「わかってる。お前にその気はないのは知っているが、配信者リュウとて一人の人間、留三郎であるということを一番よくわかっているのはお前だろう?あいつの今の性格を知ってるのも、配信者としての考え方をわかっているのも、この世界の中でお前が1番だ」
文次郎は仙蔵の言葉に今朝の留三郎の様子を思い出した。他のリスナーへの申し訳なさもあるものの、それよりも今は留三郎に会って謝りたかった。
「仙蔵…!」
「今日はもういい。さっさと帰ってやれ」
「いいのか…?」
「買い物はまた次回だ。来週同じ時間で開けておけよ」
「あぁ!悪いな!」
文次郎はそう言ってきた道を引き返す。走っていくその姿に手を振りながら仙蔵は呟いた。
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
文次郎が電車に乗り帰宅途中、留三郎への手土産を考えていた。謝罪の意味も込め、何かしら渡すべきだと思い最寄りに降り立ち自宅とは反対側にある商業施設に入る。
「お菓子か…食品か…多分あいつなら…」
相手を思って選ぶ。文次郎はこの時間は何よりも楽しかった。相手の喜ぶ顔が見たい。建前ではなく、本心から、心の底からそう思える相手に巡り会えたことが幸せだと文次郎は歩きながら考えた。
「ただのファンが出すぎたな…」
自分とて過去を掘り返されて恥ずかしくない訳じゃない。好きと言われようとも本人の気持ちも大事なのだと気づけた。文次郎は2人用のお茶とお菓子を購入する。お茶は高くは無いが普段は買わないもの。お菓子は酒のあてにも悪くないものを。2人で住んでいるのなら2人で共有できるものを。文次郎は会計を済ませると足早にその場を去った。早く帰ろう、そして謝りたい。文次郎は気づけば走っていた。
マンションに着いた時には息が上がっていた。体力はあると思っていたがどうにも急いてしまったようだった。オートロックを開け、エレベーターで上がる中で息を整える。走りながら考えた言葉を反復しながら、気合を入れて部屋へと向かった。鍵を開け、扉に手をかけて開ければいつもの玄関。しかしリビングの電気が消えている。昼間はベランダから差す光があるのでつけないことが多いが、既に夕暮れが迫っている。普段なら何かしら物音がして扉の開く音で留三郎が扉から顔を出すはず。しかしそれもない。文次郎は少し違和感を覚えながらそろりと玄関に上がる。扉が閉まればさらに静寂は強くなり、洗濯機も動いていない。掃除機の音もせず、換気扇が回っているようにも思えなかった。
「留三郎…?」
出ていったのかと考えるが普段用の靴もあるのを確認した。もしかして配信中かと思いスマホを取り出すがそれならば文次郎のスマホに通知が来るはず。文次郎は留三郎の行方が気になりそのままリビングへと急ぐ。
「ただいま…」
いつもなら聞こえるおかえりという声が聞こえない。辺りを見渡して昼寝をしているのかと思ってソファやダイニングテーブルを見てもいない。薄暗い部屋に夕日が差し込んで侘しさを醸し出している。
「部屋か…?」
滅多に入ることはない留三郎の部屋へ行くのは少し憚られた。録音中であれば邪魔をしたくないし先に聞きたくない。そもそもそれ以外で留三郎の部屋に入るのはセックスする時がほとんど。変なスイッチが入ってしまいそうで文次郎は扉を開けられなかった。
おそらくいるであろう留三郎の部屋からは何も聞こえなかった。防音室にいるのだろうとわかっているものの、最初の頃に聞こえていた配信中の声や録音中の声が聞こえていた頃が少し懐かしくなった。聞いてはいけないものを聞いているような心地、それでいて誰よりも聞きたい気持ちが生まれていた。今は共に買いに行った防音室のおかげで留三郎が周りの音を気にする必要もなく、文次郎が内容を気にする必要も無い。
「あいつ…今何してるんだろう…」
ベッドの上でスマホを見つめリュウの動画削除に驚くリスナー達の呟きを見つめる。寂しいという呟きに同調のいいねを押す。
「俺もだ…」
少しばかりリュウが活動を停止し始めた頃を思い出した。忘れたい、そう思って目を瞑った後、文次郎はいつの間にか眠りに落ちていた。
「文次…、文次」
「ッ、ぁ…?」
「おはよ。帰ってたんだな」
「んぅ…あぁ…ちょっとな…」
目を覚ますと朝と同じようにベッドの脇に座った留三郎に揺り起こされた。部屋の時計を見れば30分ほど寝付いたようだった。
「飯作るけど食うか?」
「っ、あぁ。手伝う」
「そうか。じゃあ先に行ってるな」
「あぁ…」
留三郎が立ち上がり部屋を出ていく。その背中を目で追いかけてベッドから起き上がれば留三郎に何を伝えようとしていたか思い出した。
「留三郎…!」
「ん?」
「あの…すまんかった…」
「え?なにが…って、あれのことな。別にいいよ」
へらりと笑った留三郎の顔に文次郎は心が解かれる。
「リビングにあった袋、あれ会社へのお土産か?」
「え?あぁ…アレは…その…詫びの、品というか…」
「詫び…え、あ、あれ俺に?」
「一応…。お前と食べれそうなやつを…」
その言葉を聞いて留三郎は笑って応えた。
「確かに!酒にも合いそうな美味そうなやつだった!今日のアテにでもしようぜ!」
「あぁ。着替えたらそっちに行くよ」
「早く来いよ!」
わかったと言う答えを口にせずに手で振り払うようにすれば留三郎は楽しそうに笑って出ていった。
「ハァ…」
部屋に残り、部屋着に着替えようと立ち上がった時ふとスマホの画面が目に入った。
「ッ!?投稿!?最新ッ!」
慌ててスマホを拾い上げアプリを開くと新たな動画が5つ。全て見た事のある題名、そしてその題名には全て【再編集投稿】とあった。文次郎は震える手である動画を押す。
『すげークマだな。髪もボサボサ』
『ほら、こっち来い』
『よく頑張りました。明日は休みだっけか?ならゆっくり出来るな』
文次郎は開いた口が塞がらなかった。気づけば自分の部屋を飛び出し、キッチンにいる留三郎を目にした瞬間腕を伸ばして抱きついてしまった。
「うぉおッ!?っぶねぇな!…どうした文次郎?」
「グス…!ッ、あり、ありがとう…!」
「え、あぁ…!ははっ!あれのことか!やっぱ早いなお前…!」
留三郎が抱きつく文次郎を抱きしめ返す。顔が見えないながらも涙している文次郎の頭を撫でてやれば文次郎はゆっくりと顔をあげる。鼻を赤くした文次郎を見て留三郎はさらに笑った。
「またゆっくり聞いてくれ」
文次郎の頭を撫でれば文次郎は静かに頷いた。さらにぎゅっと強く抱きしめられ、留三郎はカエルが潰れたような声を出す。
「グエッ…!苦しいって…!」
「…大好きだ。ありがとう…」
「はいはい。リュウをな」
留三郎はいつもの言葉に苦笑いを浮かべながらも答える。しかしいつもと違う言葉が返ってきた。
「お前もだバカタレ」
「え…」
「おーい、文次。起きろー」
「ん、ぅ…」
「起きろって」
頬をペシペシと軽く叩かれる。その鬱陶しさに眉間に皺を寄せて目を開ければ室内灯を背負った恋人が笑いかけてくる。
「おはよ、文次」
柔らかく笑いかけ、その声に昨日までの疲れも全て吹っ飛んでしまう。
「はよ゙…」
「声ガサガサ…。加湿器つけてんのかよ」
配信者である留三郎は体調管理も重要となる。加湿器はもちろん空気清浄機も着いている。しかし一般人の文次郎は気にしない。ある程度の生活習慣が整っていれば少し体調が悪くても問題がなかった。ベッドの縁に座って未だに寝ぼけ眼な文次郎の瞼を撫でる留三郎の手にすり寄る。そのまま頭を撫でられるとどうにも睡魔が押し寄せる。
「こーら。起きろ。朝飯できてんだ」
「わぁ゙ってる…」
少し冷える室内にどうしても布団から出る勇気がない。気合を入れるにもどうにも休日はスイッチが入りずらくなっている。文次郎は前はこんなこと無かったはずなのにと思いつつもゆっくりと寝返りを打ってベットの上に正座する。
「ンハハ!寝癖!」
乱暴に撫でられるがそれを弾く力も入らない。サッと治すように動かしてくれる手がまた心地よく目を瞑れば体がゆらゆらと揺れる。
「ったくもーよー…!ほら!起きる!来い!」
来いと言われて視線を向ければベッドから立ち上がって手を広げる留三郎が居る。文次郎は引かれるままに手を伸ばしてベットから出て留三郎の腕の中へと移動する。
「よっ!っ、とと…。よし、行くぞー」
重たいはずの文次郎を軽々と持ち上げ空いたままだった扉から出ていく。
リビングにつけばダイニングテーブルの上には朝食が並べられている。
「今日はフレンチトースト!昨日から仕込んだかいがあるぜ…!」
「んぅ…」
まだ覚醒しきれていない文次郎はこくんと首を動かすがそろそろ起きなければと考えても頭はまだ重たい。手のひらで顔を擦って何とか覚醒を促してそのまま腕を上に伸ばす。
「ンッ…ッ〜〜〜!」
声にならない音を出して伸びをして上体を左右に動かせばようやく頭が動き始める。
「起きたか?」
「ん?あぁ…」
「随分遅くまで起きてたもんな」
「…聞こえてたか?」
「いや?全然。昨日の夜のお供はなんだったんだ?最近ボイスはあんまり更新してないからさ。動画でも見てたのかと思ってたけど…」
色違いのマグカップを2つ手にして向かいに座った留三郎が文次郎のマグカップを差し出してきた。休日の文次郎用に味を整えたコーヒーを受け取り、一口飲んで一息つく。
「まあ、動画も見てたが…最初の頃のボイスを聞き直してた」
留三郎は同じようにコーヒーを飲んでいたが文次郎の言葉に思わず吹き出す。
「ブフッ…は…!?最初!?」
「最初だ。確か昨日は『【囁き】一緒におやすみ』と『【囁き】癒してあげたいあなたの心』だな」
そう言ってしみじみと思い出しながらコーヒーに口をつける文次郎を前に留三郎は顔を赤くする。
「お、お、ぉお、お前!そんな前の聞かなくても…!」
「いやぁ。これがまたいいんだ…」
「何が!?」
「こう…慣れていない感じとか、今こうやって付き合っているのを見ると素のお前に近いっていうか…」
「…はぁ!?」
「なんか可愛いんだよな。しかも動画の中のリュウは年下だから、そう思うと余計に癒されるというか…」
「アレは…!その、慣れてなかったからというか…!マジで今のもんと比べ物にならないくらい下手だろうが!普通のマイクだし…!今のちゃんとしたマイクの方が…!」
「何言ってる。それがいいんだろうが!」
「お前が何言ってんだよ!?」
留三郎の言葉に信じられないという顔を向ける文次郎に同じ顔を返す留三郎。留三郎はすぐさまスマホを手に取って操作をする。文次郎は直ぐにその操作に嫌な予感をして手を伸ばすが一足遅かったようだ。
「とりあえず非公開にした…!」
「あぁ!?なんで!?」
「なんでって、他の動画に同じようなやついくらでもあるだろうが!」
「アレがいいんだろうが!アレが!」
「俺は新しいやつとか聞いて欲しいの!」
「俺は全部聞きたいんだ!需要は一定数あるんだ!」
「ねぇよ!お前だけだ!このマニアックファンめ!」
「そうだよ!マニアックファンだよ!いいからもう1回公開しろ!って!お前ほかのも消してんじゃねぇか!馬鹿留ェ!」
「デビュー後半年は消した!あんなの俺が許せん!」
「そ、そんな…!」
「聞きたきゃ他の聞けよ。有料とか無料とかどうせお前全部持ってんだろ?それでいいじゃねぇか…」
そう言って文次郎に視線を向ければ文次郎は項垂れた様子で下を見ていた。それはまさに落胆と言った様子で勢いで消したものの留三郎は少し胸がズキリと痛んだ。
「べ、別に他の動画は消すつもりはないが…これだけはダメだ…!」
留三郎は負けないという気持ちで言い切ったが文次郎はそうか、と呟いて静かになる。その様子に少し気になったが文次郎が続けた。
「作者であるお前がそういうんだもんな…。俺たちファンにはそれを止める術もないし権利もない…。けど…そうか…もう聞けないんだな…」
「え…いや、別に…そこまで…」
「同じようなものと言っても、同じものは存在しない。その時の言葉遣いや息遣いはあの時のものも全て好きだったんだが…」
「おい、文次…」
「いや…いいよ。今日の夜のお供にしようとしてた『よしよしボイス』も…もう聞けないんだもんな…ハァ…」
もはやここまで来るとわざとらしさを隠しきれないものの留三郎は文次郎の姿に負けそうになる。しかし自分も恥ずかしい気持ちはある。
その後2人の朝食の時間は静かに過ぎ、文次郎が仙蔵と約束があると言って出かけたあと留三郎は洗濯物を干しながらあることを思いついた。
「随分と沈んでいるな」
「あぁ…。ちょっとな」
仙蔵と待ち合わせの場所にたどり着き顔を突き合わせた瞬間、幼なじみの勘は鋭く文次郎の変化を見逃さなかった。
「おおかたリュウ関連だろう。留三郎に何かされたか?お気に入りの動画消されたみたいな顔して」
仙蔵の言葉に文次郎は黙るしか無かった。仙蔵もその様子にまさかとは思ったが自分のスマホから動画配信アプリを開ける。検索履歴から直ぐにヒットしてホームに飛べばいくつか消された動画の後がある。
「まさか…」
「そのまさかだ…」
「このくだり何回目だ」
「知らん」
ハァ、と大きなため息をついた文次郎の隣にたち、モデル顔負けのスラリと伸びた足で目的地へと向かう。隣で歩きながらも沈んだ顔の幼なじみに溜息をついて前を向いた。
「仕方ないだろ。なにか理由があったんだ。もしかしたら整理するためとか」
興味は無いもののここまで落ち込んだ文次郎を見るのは久々だったためか仙蔵も言葉を選ぶ。
「いや違う…」
「なんだ。違うのか。というか理由くらいはお前は知ってるんだろう?」
「まあな…」
「他のファン達は分からないままなんだ知っているだけマシなんじゃないか?」
その言葉に文次郎も確かになと考える。しかし文次郎はその言葉を聞いて段々と心の奥から罪悪感が芽生える。
「いや…、だが消した理由が俺なんだからマシだと言うよりは申し訳なさしかない…!ハァ…!くそ!なんであんなことを…!」
「はぁ?なんで動画削除に文次郎が関係するんだ…?」
「それが…カクカク、シカジカで…」
文次郎が簡単に説明をすれば仙蔵は納得した顔をしつつ複雑な面持ちでいた。
「別に過去の作品くらい残しててもいいだろう…!」
「あぁ…まぁ…それはな…。だが、留三郎の気持ちも私はわからんでもないな」
「何ッ!?」
文次郎は信じられない目で仙蔵を見た。仙蔵も居た堪れないと苦い顔をするも遠くを見つめながら口を開く。
「私が小さい頃キッズモデルとかしてたのを覚えてるか」
「あぁ。俺も着いて行かされたからな」
「この仕事をしていれば時折昔資料を引っ張り出したり色んな昔の雑誌とかを取り寄せることがあるんだが…まぁそれに載ってる幼い頃の自分を見ると…こう…」
何も無い場所を掴むような仕草で仙蔵がもどかしさを表現する。その苦い顔に文次郎は考える。仙蔵は今はデザイナー及びファッションコーディネーターとして名を轟かせている。表舞台に立つことはほとんどないものの小さな頃は女子と見まごう美貌でキッズモデルもしていた。しかし表舞台よりも装飾に興味を持った仙蔵は今の仕事が天職だと言わんばかりの没頭をしている。最近はメイクにも凝りだし、時折クマ消し実験だとか言って文次郎を呼びつけることも多かった。そんな仙蔵にも恥ずかしいと思うことはあるのかと思えば文次郎はどこか納得がいった。
「そう留三郎を責めてやるな。あいつにもプライドというものはあるだろうしな…」
「責めてるつもりは…!」
「わかってる。お前にその気はないのは知っているが、配信者リュウとて一人の人間、留三郎であるということを一番よくわかっているのはお前だろう?あいつの今の性格を知ってるのも、配信者としての考え方をわかっているのも、この世界の中でお前が1番だ」
文次郎は仙蔵の言葉に今朝の留三郎の様子を思い出した。他のリスナーへの申し訳なさもあるものの、それよりも今は留三郎に会って謝りたかった。
「仙蔵…!」
「今日はもういい。さっさと帰ってやれ」
「いいのか…?」
「買い物はまた次回だ。来週同じ時間で開けておけよ」
「あぁ!悪いな!」
文次郎はそう言ってきた道を引き返す。走っていくその姿に手を振りながら仙蔵は呟いた。
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
文次郎が電車に乗り帰宅途中、留三郎への手土産を考えていた。謝罪の意味も込め、何かしら渡すべきだと思い最寄りに降り立ち自宅とは反対側にある商業施設に入る。
「お菓子か…食品か…多分あいつなら…」
相手を思って選ぶ。文次郎はこの時間は何よりも楽しかった。相手の喜ぶ顔が見たい。建前ではなく、本心から、心の底からそう思える相手に巡り会えたことが幸せだと文次郎は歩きながら考えた。
「ただのファンが出すぎたな…」
自分とて過去を掘り返されて恥ずかしくない訳じゃない。好きと言われようとも本人の気持ちも大事なのだと気づけた。文次郎は2人用のお茶とお菓子を購入する。お茶は高くは無いが普段は買わないもの。お菓子は酒のあてにも悪くないものを。2人で住んでいるのなら2人で共有できるものを。文次郎は会計を済ませると足早にその場を去った。早く帰ろう、そして謝りたい。文次郎は気づけば走っていた。
マンションに着いた時には息が上がっていた。体力はあると思っていたがどうにも急いてしまったようだった。オートロックを開け、エレベーターで上がる中で息を整える。走りながら考えた言葉を反復しながら、気合を入れて部屋へと向かった。鍵を開け、扉に手をかけて開ければいつもの玄関。しかしリビングの電気が消えている。昼間はベランダから差す光があるのでつけないことが多いが、既に夕暮れが迫っている。普段なら何かしら物音がして扉の開く音で留三郎が扉から顔を出すはず。しかしそれもない。文次郎は少し違和感を覚えながらそろりと玄関に上がる。扉が閉まればさらに静寂は強くなり、洗濯機も動いていない。掃除機の音もせず、換気扇が回っているようにも思えなかった。
「留三郎…?」
出ていったのかと考えるが普段用の靴もあるのを確認した。もしかして配信中かと思いスマホを取り出すがそれならば文次郎のスマホに通知が来るはず。文次郎は留三郎の行方が気になりそのままリビングへと急ぐ。
「ただいま…」
いつもなら聞こえるおかえりという声が聞こえない。辺りを見渡して昼寝をしているのかと思ってソファやダイニングテーブルを見てもいない。薄暗い部屋に夕日が差し込んで侘しさを醸し出している。
「部屋か…?」
滅多に入ることはない留三郎の部屋へ行くのは少し憚られた。録音中であれば邪魔をしたくないし先に聞きたくない。そもそもそれ以外で留三郎の部屋に入るのはセックスする時がほとんど。変なスイッチが入ってしまいそうで文次郎は扉を開けられなかった。
おそらくいるであろう留三郎の部屋からは何も聞こえなかった。防音室にいるのだろうとわかっているものの、最初の頃に聞こえていた配信中の声や録音中の声が聞こえていた頃が少し懐かしくなった。聞いてはいけないものを聞いているような心地、それでいて誰よりも聞きたい気持ちが生まれていた。今は共に買いに行った防音室のおかげで留三郎が周りの音を気にする必要もなく、文次郎が内容を気にする必要も無い。
「あいつ…今何してるんだろう…」
ベッドの上でスマホを見つめリュウの動画削除に驚くリスナー達の呟きを見つめる。寂しいという呟きに同調のいいねを押す。
「俺もだ…」
少しばかりリュウが活動を停止し始めた頃を思い出した。忘れたい、そう思って目を瞑った後、文次郎はいつの間にか眠りに落ちていた。
「文次…、文次」
「ッ、ぁ…?」
「おはよ。帰ってたんだな」
「んぅ…あぁ…ちょっとな…」
目を覚ますと朝と同じようにベッドの脇に座った留三郎に揺り起こされた。部屋の時計を見れば30分ほど寝付いたようだった。
「飯作るけど食うか?」
「っ、あぁ。手伝う」
「そうか。じゃあ先に行ってるな」
「あぁ…」
留三郎が立ち上がり部屋を出ていく。その背中を目で追いかけてベッドから起き上がれば留三郎に何を伝えようとしていたか思い出した。
「留三郎…!」
「ん?」
「あの…すまんかった…」
「え?なにが…って、あれのことな。別にいいよ」
へらりと笑った留三郎の顔に文次郎は心が解かれる。
「リビングにあった袋、あれ会社へのお土産か?」
「え?あぁ…アレは…その…詫びの、品というか…」
「詫び…え、あ、あれ俺に?」
「一応…。お前と食べれそうなやつを…」
その言葉を聞いて留三郎は笑って応えた。
「確かに!酒にも合いそうな美味そうなやつだった!今日のアテにでもしようぜ!」
「あぁ。着替えたらそっちに行くよ」
「早く来いよ!」
わかったと言う答えを口にせずに手で振り払うようにすれば留三郎は楽しそうに笑って出ていった。
「ハァ…」
部屋に残り、部屋着に着替えようと立ち上がった時ふとスマホの画面が目に入った。
「ッ!?投稿!?最新ッ!」
慌ててスマホを拾い上げアプリを開くと新たな動画が5つ。全て見た事のある題名、そしてその題名には全て【再編集投稿】とあった。文次郎は震える手である動画を押す。
『すげークマだな。髪もボサボサ』
『ほら、こっち来い』
『よく頑張りました。明日は休みだっけか?ならゆっくり出来るな』
文次郎は開いた口が塞がらなかった。気づけば自分の部屋を飛び出し、キッチンにいる留三郎を目にした瞬間腕を伸ばして抱きついてしまった。
「うぉおッ!?っぶねぇな!…どうした文次郎?」
「グス…!ッ、あり、ありがとう…!」
「え、あぁ…!ははっ!あれのことか!やっぱ早いなお前…!」
留三郎が抱きつく文次郎を抱きしめ返す。顔が見えないながらも涙している文次郎の頭を撫でてやれば文次郎はゆっくりと顔をあげる。鼻を赤くした文次郎を見て留三郎はさらに笑った。
「またゆっくり聞いてくれ」
文次郎の頭を撫でれば文次郎は静かに頷いた。さらにぎゅっと強く抱きしめられ、留三郎はカエルが潰れたような声を出す。
「グエッ…!苦しいって…!」
「…大好きだ。ありがとう…」
「はいはい。リュウをな」
留三郎はいつもの言葉に苦笑いを浮かべながらも答える。しかしいつもと違う言葉が返ってきた。
「お前もだバカタレ」
「え…」
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