おさとうの箱庭
タイリーが出荷し、その二日後にはサクリが担当していたナタリーとラムルムを出荷させ、あたたかな春が終わりを告げようとしていた。どれだけ私たちが立ち止まりたいと願っても、時は私たちを待ってくれない。もうすぐ、〈
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ざわざわと、共用リビングのあちこちで人の話し声がする。どこを見ても同じ正服。師匠の弟子が皆、この部屋に集められている。試験については、毎回こうして全員に師匠から直接情報が開示されるのだ。
「今回はどんな試験なんだろうね」
隣に座るサクリが真剣な面持ちでテーブルに視線を合わせたまま呟く。タイリーの出荷の時に動揺していたのが嘘のように、凛とした佇まい。きっと彼女の中で何かが変わったんだと、直感的に思った。
「はい、皆静かに」
甘い、でも甘いだけじゃない師匠の声。それが部屋に響いた途端、すっと全ての音が消える。
「ありがとう。もう皆分かっていると思うが、一週間後は春のテンパリングだ」
テンパリングとは、チョコレートをつややかでなめらかな一番美味しい状態に仕上げる工程のことらしい。師匠はそれになぞらえて、試験のことをテンパリングと呼ぶ。
「私はこれまで数多の弟子をとってきたが、未だにクーベルチュールになれた者はいない。誰が最初のクーベルチュールになるのか、今回のテンパリングでクーベルチュールは生まれるのか。今からとても楽しみだよ」
師匠の弟子のランクは五段階。下から、ホワイト、ミルク、ビター、ダーク、クーベルチュール。この階級の名前もチョコレートからとってあるそう。
「今回のテンパリングは、「私の角砂糖をどれだけ早く壊せるか」。身体は使わず、必ず魔法のみで壊すこと。魔法の種類は自由。攻撃系でも防衛系でも、それぞれの得意なものを使うといい」
弟子たちがざわつく。〈角砂糖を壊す〉だけ。簡単そうに聞こえるが、魔力を一点に集中させ、なおかつ対象を破壊するというのはとても難しい。正確で迅速な魔力コントロールと、しっかりした攻撃性が必要とされる。それに世界一の魔女である師匠の角砂糖だ、きっと一筋縄ではいかないだろう。
「いつもの通り今日から一週間、私の手伝いはしなくていい。各自、試験勉強に励むように」
「「はい!!」」
「質問がある者はいるかい?……なければこれで解散。皆、実力を出し切れるよう頑張ってくれ」
師匠が部屋を出る。少しして、リビングが先ほどと同じ喧騒に包まれる。焦燥や不安の声の中、簡単そうだね、絶対クリアできるよ、なんて生ぬるい会話が聞こえて思わず眉をしかめた。今のはホワイトランクの子たちだな。ここを甘く見ない方がいい。そんな気の抜けた気持ちのまま臨むなら、君たちはずっとホワイトランクだ。
「あ、ミナ!」
席を立ち自室に戻ろうとリビングを出たところで、サクリに呼び止められる。
「どうしたの?」
「ねえ、一緒に練習しよ!」
「え、……どうして?サクリは、」
サクリは魔力のコントロールが上手い。私たちミルクランクの中で一番と言えるほど。だから、師匠に「魔力がほとんどない」とまで言われた落ちこぼれの私と一緒に練習するメリットなんてないはず。
「迷惑かける、とか思ってるんでしょ?」
「!」
私の考えを見透かしたように、サクリは私の眉間を人差し指でぐりぐりする。いつの間にかシワを寄せて考えごとをしていたらしい。
「あたし、ミナと一緒にクーベルチュールになって、ミナと一緒に魔女になりたいの。弟子は皆ライバルだ、って先輩は言ってたけど……あたしとミナは親友でしょ?」
私の両頬をむにむにとつまみながら笑うサクリの気の抜けた笑顔を見ていると、なんだかこちらまで肩の力が抜けていく気がする。
「……そうだね。ありがとう、サクリ」
「うん!ミナも今までたくさんドールと一緒にいたし、きっと魔力も増えてるよ!絶対、一緒に合格しようね!」
「……うん。絶対に」
私もサクリの両頬をつまむ。しっかり手入れされている、マシュマロのような肌。もにゅもにゅと手を動かす。気の抜けた笑顔がさらに気の抜けたような顔になり、面白くて、二人で笑った。
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師匠の言う通り、私の魔力はシュクルドールに長時間触れていたため、少し増えているようだった。いつもよりコントロールが上手くできる、気がする。貴重な角砂糖を練習に使う訳にはいかないから、小さい風船を使って、それを破裂させるように魔力を集中させる。落ち着いて、冷静に。
「ミナ、目を閉じて。風船が自分の魔力で割れるのを強くイメージして、やってみて」
「わかった」
サクリに教えてもらいながら、瞼を閉じ、集中して魔力を風船に凝縮させる。でも、どうしても、割れない。壊せない。
何日も何日も寝る時間も食べる時間も削ってずっと練習した。けれど、ついに試験の前日になっても、私が風船を割ることは出来なかった。
ギリギリまで練習していたので、お風呂に入るのが最後になってしまった。最後に入った人がお風呂の掃除をする決まりなので、手早く済ませよう。浴槽を洗いながら、ぼんやりと思考する。どうしよう、一度も成功しなかった。本番で出来るのだろうか?出来なかったらどうしよう。サクリと一緒に合格しようって、約束したのに。胸の奥がざわざわとして落ち着かない。焦燥。恐怖。ネガティブなことばかり考えてしまう。
「……いけない」
自分の両頬をぱんと叩く。不安を抱いたままで成功するわけない。本番はきっと大丈夫。そう思わないと。練習量は弟子の中で一番自信があるんだから。
掃除を終え、キッチンへ向かう。いつものマグカップを用意し、ミルクをあたためる。ひとさじの砂糖を入れて、くるくる回す。カップを持って自室に向かうと、部屋の扉の前に影がひとつ。
「……サクリ?」
「! ミナ、まだ戻ってなかったんだね」
「うん、ギリギリまで練習したくて……どうしたの?」
「あ、えっと。少し話がしたくて」
「そっか。どうぞ」
扉を開ける。サクリはお邪魔します、と小さな声で呟いた。
サイドテーブルにマグカップを置いて、ベッドに腰かけ、隣をぽふぽふと叩く。サクリがそろりとそこに座った。
「……それで、話って?」
「うん、話というか、渡したい物があって」
「もの?」
「ん、これ」
手元に隠し持っていたらしいものを、ぽんと私の膝に置く。手のひらサイズの巾着袋にサクリの瞳と同じレモン色のリボンが結ばれている。
「わ、ありがとう。開けていいの?」
「うん、開けて開けて」
口角が自然にあがるのを抑えることもせず、わくわくした気持ちでリボンを解く。中には、小さいマーガレットのヘアピンが入っていた。
「うわあ、かわいい…!」
「良かった!すごくかわいいよね、あたしとおそろいなんだよ〜!」
「ほんと?嬉しい……これ、シュガーワンダーランドで買ったの?」
「そう!こっそり買ってたの、ミナに気付かれてなくてよかった〜!」
「ほんとに全然気付かなかった……つけてみてもいい?」
「いいよ!むしろつけて!見たい!」
扉の近くの全身鏡の前に行き、髪の右側にぱちんとヘアピンを留める。水あめのような色の髪に咲く白のマーガレットが、まるで水に浮かぶ花のように見えて。くるりとサクリの方を振り返る。
「……どう?」
「わあっ、かわいい!すっごく似合うよ!」
「え、へへ……ありがとう」
真っ直ぐに褒められると恥ずかしくて、目を逸らす。顔が熱い。どきどきと早鐘を打つ心臓を落ち着けたくて、ベッドに座り直して少しぬるくなったホットミルクを飲む。
「あたしが、お花の中でマーガレットが一番好きだって話、したよね?」
「……うん」
サクリが私の髪を手で梳きながら、ゆっくり話し出す。
「それは見た目もかわいいし、あたしの誕生花だからって言うのもあるけど……一番大きい理由は、花言葉が好きだからなの」
「花言葉?」
「うん。マーガレットの花言葉はふたつあって……ひとつは〈信頼〉。」
「信頼……」
サクリが私の手を握る。レモンカードの瞳と視線が交わる。今まで見たことないくらい、真剣な表情で私を見つめている。
「あたし、ミナのこと信頼してるから。たくさん努力してたの、一番近くで見てたもん……試験、絶対合格できるから。信じてる」
「サクリ……」
「なんていうか、それを伝えたかった〜みたいな?あと、おそろいしたかったんだよね!えへへ!」
私も同じの買ったんだ〜と言いながら、ぱっといつもの穏やかな笑みを浮かべる彼女。不安と自己嫌悪だらけの私の心が、彼女の笑顔で溶かされていく。
「ありがとう……。大丈夫、だよね」
「うん!絶対大丈夫!あたし応援してるから!」
「ふふ、すごく心強い」
くすくすと、二人で笑い合う。サクリと一緒なら、この先のどんな難関も乗り越えていける。そう、感じていた。
「それで、もうひとつの花言葉は?」
「あー、それは……」
「それは?」
「秘密!明日、試験のあとのお楽しみ!」
「え、気になる。今教えてよ」
「だめー!まだ内緒!試験が終わったら、ちゃんと教えるから!」
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そして、試験当日。試験者は一人ずつ師匠の待つ地下へ行き、順番に試験を行うことになっている。誰から始まるかは完全にランダム。今回の試験、私の番は最後になった。トップバッターも嫌だけど、まさか最後になるなんて。共用リビングでひとり、テーブルとにらめっこ。いけない、気を抜くとすぐに悲観的になってしまう、深呼吸。落ち着いて。マーガレットのヘアピンにそっと触れる。大丈夫、私にはサクリがついている。たくさんアドバイスをもらったじゃないか。練習では出来なかったけど、本番ではきっと、できる!
部屋の本棚が動く。最後から二番目の弟子が出てきた。次は私の番。もう一度、大きく深呼吸。地下への階段を降り、いつものように真赤の扉を開く。
「失礼します」
「やあ。お待たせ、見習いくん」
部屋の中には、師匠とサクリが立っていた。
「え、なんでサクリが?」
「彼女は一番目だったからね。記録係をしてもらっているのさ」
師匠の横でバインダーと万年筆を持つサクリが、私を見て微笑む。その前髪には、私とおそろいのマーガレットが咲いていた。
「ミナ、大丈夫だよ!」
「……うん、ありがとう」
「それでは、テンパリングを開始するよ」
「はい」
師匠が、テーブルの上にコトリと角砂糖を置く。師匠の髪の色と同じ、ミルクグレープの角砂糖。シュクルドールが食べるものよりも、二回りほど大きい。
「この角砂糖を壊すこと。制限時間は設けていないから、自分の全力を出し尽くすように」
「はい」
「では、はじめ!」
ぱん、と師匠が手を叩く。私は目を閉じ、ゆっくりと角砂糖に両手を向ける。サクリに教えてもらったように、落ち着いて、冷静に、壊れることを強く思い浮かべてーーー。
ひゅっ、と。自分の身体から出た魔力が、何かを破壊する感覚。それを感じた瞬間、全身の血液が沸騰したような気がした。やった!練習では一度も出来なかったけど、今、成功させることが出来たんだ…!
そう思った、刹那。
伸ばしていた手が、何かの液体を浴びる感覚。
液体?破壊したのは角砂糖なのに。どうして?
目を開ける。
サクリに夜遅くまで付き合ってもらって、たくさん教えてもらって、励ましてもらって、ここまで来た。サクリがいたから、私は頑張れたのに。サクリがいないと、私は……。
それなのに。
今目の前にある、この血溜まりはなに?
「…………し、師匠」
「ありゃ。魔力の暴発かな。ま、ひとりで済んで良かったね」
目の前に流れるのはいちごジャムでもラズベリーソースでもない。真赤。鮮やかな、真赤。鮮血。
その中心に、その場所にいたはずのサクリの姿は見当たらない。あるのは、人〈だった〉何か。
「それにしても暴走したのは良くないから、テンパリングは不合格かな。また次、がんばって」
いつの間に取り戻したのか、サクリが持っていたはずのバインダーに万年筆で何かを書き、それを近くの棚に戻した後。穏やかに微笑んで私の頭をぽんぽんと撫で、真赤の中心にある肉塊に手を伸ばす師匠。私は咄嗟に、師匠の手を掴んでいた。
「ま、まってください」
「うん?どうして?死体はなるべく早く処理しないと面倒なんだ」
「その、処理は…私にさせてください」
師匠はきょとんとした顔で私を見る。自分でもどうしてその言葉を発したのか、わからない。ただ、彼女に触れるのは私だけであってほしかった。誰にも、たとえ師匠にも触れさせない、と。
「……そうか。今日のテンパリングはきみで最後だし、構わないよ」
「ありがとう、ございます」
「人間の血は落ちにくいから、拭き取ったあとはそこの棚にある液体を使ってくれ」
「……はい」
「ゆっくりで大丈夫だから。頼んだよ」
もう一度、私の頭をぽんぽんと撫でて、師匠は部屋を出た。
ゆっくりと真赤に近付き、中心の肉塊にそっと触れる。まだあたたかい。さっきまで私に微笑みかけてくれていたはずなのに。赤い水溜まりの中にバラバラに落ちているふたつのレモンカードが、嫌でもこれを彼女だと証明する。
視界が滲む。
くらくらする赤の中にひとつ、花を見つける。拾う。彼女が私とおそろいで買った、マーガレットのヘアピン。ホワイトチョコレートだったはずのそれは、私のせいで、赤い食紅を入れすぎたようになってしまっていた。ぼたぼたと、私の目から水が滴り落ちる。レッドマーガレットを抱きしめる。
「……ごめんね」
震わせながら呟いた声は、誰にも届かないのに。
- - - - - - - - -▷◁.。
全てを終わらせた、深夜。私は彼女の部屋に行く。扉は開いている。
マーガレット柄のカーテン。レモン色とミルク色で統一された部屋。ふわりと鼻をくすぐるフローラルな香り。私の部屋とほぼ同じ間取りなのに、彼女の部屋の方があたたかいのはどうしてだろう。
テーブルの上を見る。黄色の手帳が置かれている。開く。日記帳のようだ。日付は、昨日で止まっている。
『ミナに、ヘアピンを渡した。花言葉は、片方しか伝えられなかった。でもそれでいい。明日、試験が終わったら絶対に伝えよう。私の気持ち。マーガレットのもうひとつの花言葉。〈真実の愛〉を。』
私は喉から溢れ出そうな声を、殺した。