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おさとうの箱庭


目が覚める。キャラメル色の天井、レモン色の布団、テーブルの上の空になったマグカップ。いつも通りの景色。ただひとつ違うのは、いつも私より早く起きるはずのタイリーが、まだサイドテーブルの上で眠っていること。朝に弱い私が、サクリに声をかけられた訳でもなく、自分から早起きできたこと。
そっとベッドを抜け出し、カーテンを開く。ミント色の空が、爽やかにこちらをのぞいている。
今日は、特別な日だ。

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前日の夜、シュクルドールの世話を終え、疲れて眠ってしまったタイリーを部屋に置いて、サクリと遅めの夕飯を食べていると師匠が向かいに座り、私たちを見つめた。

「見習いくん、三つ編みくん、忘れていないと思うけど、明後日はタイリーを出荷させる日だ」
「……はい」

ハーブティの入ったティーカップをゆらゆら揺らしながら、師匠は続ける。

「君たちにとって、はじめての出荷だ。それも、一番近くで長時間過ごしたドールとの別れは、きっとくるものがあるだろう」
「………」
「そこで、明日一日君たち二人には休暇をあげることした」
「えっ?休暇…?」
「ああ。そしてここに、とあるツテで手に入れた遊園地のチケットが二枚ある」

ひらひらと、色とりどりのジェリービーンズのようにカラフルなチケットを振る師匠。そう言えば、最近王都に新しく遊園地がオープンしたと、少し前に何人かの先輩が騒いでいた気がする。

「あ!それって……シュガーワンダーランドのチケットですか?!今めちゃくちゃ人気で全然チケット買えないって先輩が言ってたのに…!」
「ふふ。君たちはほとんどミスもなく世話係をこなしてくれているからね、ご褒美だと思ってくれればいい」
「わー!しかもキューヴチケット!!これ持ってたらどのアトラクションも待たずに乗れるんだよ、ミナ!!」

すごいすごい!とサクリのテンションが飛び跳ねる勢いであがっていく。

「明日、タイリーを連れて、遊びに行っておいで」
「やったー!!ありがとうございます!!」
「本当に良いんですか?」
「ああ。思い出をつくってくるといい」

最後に、と小さな声で呟いた師匠の声は、サクリには届いていなかったようで。きっとタイリーちゃんも喜ぶね!とにこにこ上機嫌の彼女に、そうだね、と微笑み返した。

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そして現在。
クッキーで出来た地面、ずらりと並ぶお菓子の家、スイーツをモチーフにしたようなキャラクターの着ぐるみ。〈お菓子の国〉をテーマにつくられた遊園地、シュガーワンダーランドに私たちはいる。
サクリはいつもの正服でなく、バニラアイスのようなトップスに鮮やかなメロンソーダ色のスカートを着て、タイリーを入れたポーチを首から下げ「ミナ!早く早く!!」と私の前を駆けていく。こんがり焼いたタルト生地のような髪色に、エメラルドグリーンのチュールスカートはよく映えていた。タイリーもポーチから顔を出して『みならいちゃん!はやくー!』と私を呼ぶ。私服を持っていない私はサクリに借りたレモンスカッシュのようなワンピースを、珍しく浮かれた気分でひらめかせ、彼女たちのあとを追いかけた。

コーヒーカップ。メリーゴーランド。数々のアトラクションに乗って、レストランで美味しいお昼を食べて、スイーツのパレードを観て。はじめての遊園地をたくさんたくさん遊び尽くして、最後は三人で観覧車に乗ることにした。カップケーキの形をした、とても大きな観覧車。私たちが乗ったのはたっぷりの生クリームとチョコスプレーで彩られたカップケーキ。中の壁はチョコレート柄なので、おそらくチョコ味のカップケーキなのだろう。
サクリとタイリーは乗り込んだ途端、窓に張り付いて景色を眺めている。私も向かいの椅子に座り、ハート型の窓をのぞく。ブルーハワイの青にレモネードをこぼしたような夕空。

「ね、ミナ、すっごく綺麗だね!」
「うん、すごく」

神様の視点から見る街は、まるで、とても精巧につくられた砂糖菓子のミニチュアのようで。

「……おいしそうだね」
『わかる!ケーキのうえのマジパンみたい!』
「えー?二人とも変わってるねぇ」

観覧車を降りる頃には、空はすっかりブラッドオレンジに染まっていた。帰る前にどうしても!とサクリが言うので、出口に一番近いお土産屋さんに寄る。

「せめて師匠にはお土産買って帰らなきゃ!」
「とか言って、自分も何か買いたいんでしょ」
「う……それもあるけど、ちゃんと本心だよ!」
『サクリちゃん、なにが欲しいのー?』
「実は、欲しかったコスメがあるんだ!」
「コスメ?」
「えっと……あ、あったあった!」

サクリが手に取ったのは、お花の形のコンパクト。置いてあったサンプルをぱちんと開くと中には同じお花型のパフと、桃色のパウダーが入っている。

「……チーク?」
「そう!マーガレットのチーク!」
『おかしのくになのに、おはな?』
「これはお花の形のチョコレートをイメージしてるんだって!だからほんのりチョコの香りがするんだよ」

サクリが自慢げに言うので、サンプルのチークの香りを嗅いでみる。ふわりと、主張しすぎないくらいのミルクチョコレートが私の鼻をくすぐった。

「ほんとだ、おいしそう」
「食べないでね?!」
『サクリちゃん、これかうのー?』
「うん!あたし、お花の中でマーガレットが一番好きなの!」

そう言えば、マグカップやハンカチなど、彼女の私物はマーガレットモチーフのものが多かった気がする。

「ふふ、良かったね」
「うん!じゃあこれと……師匠には何を買おうか!」
「やっぱり食べ物がいいんじゃないかな」
「それミナが食べたいだけじゃないのー?」

チークをカゴに入れて、フードコーナーに行く。キャンディやラングドシャなど、日持ちのするお菓子がずらりと並んでいる。

『あ!このギモーヴはどう?とってもおいしそう!』
「確かにおいしそうだけど、師匠は甘いもの苦手だからギモーヴはだめだね〜」
『そうだったあ、わすれてた』
「シュガーワンダーランドで甘くないお土産なんて難しくない?」
「うーん、そうかも……」
『サクリちゃんサクリちゃん、あっちにこうちゃのちゃばがあるよ!』
「わ、紅茶いいかも!師匠紅茶好きだよね!」
「そうだね、ハーブティはよく飲んでたはず」
「タイリーちゃんお手柄だよ〜!」
『えっへん!』
「それじゃあ、それ買って、帰ろっか!」

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師匠にハーブティのティーバッグを渡すと、「ちょうど今飲んでいるものがなくなりそうだったから助かるよ、ありがとう。とても美味しそうだ」と優しく微笑んでくれた。

「遊園地は楽しかったかい?」
「はい、とても!本当にありがとうございました!!」
「見習いくんは?」
「私もああいう場所ははじめてだったので……何もかも新鮮で、きらきらしてて、すごく楽しかったです」
「そうかそうか。タイリーは……聞くまでもなさそうだね」
『めちゃくちゃたのしかったよ、せんせい!』
「ふふ、みんなで楽しめたなら何よりだ。さあ、今日はもう遅い。早くお風呂に入っておいで」
「はい!」

入浴を手早く済ませて、眠る前にキッチンでいつものホットミルクを淹れる。お気に入りのマグカップにあたためたミルクを注いで、砂糖はスプーンに一杯だけ。
マグカップを持って部屋に戻ると、いつもは既に眠っているはずのタイリーがサイドテーブルにちょこんと腰かけていた。

「どうしたの、タイリー。眠れないの?」
『……うん』
「珍しいね、この時間まで起きていられたことないのに」

私もベッドに腰かけ、ホットミルクを少しずつ飲みながらタイリーと向き合う。

『あしたが、こわいの』
「明日が?」
『みならいちゃんや、サクリちゃんといっしょにいるのが とてもたのしくてね。このじかんが ずっとつづけばいいのにっておもうの』
「タイリー……」
『しゅっかされるのは、とてもすばらしくてすてきなことなのに。いまは、しゅっかされるのがこわいの』

ぽつりぽつりと、タイリーは呟く。

「私も、タイリーと一緒にいる時間がすごく楽しかった。宝物だよ」
『みならいちゃん』
「今日、一緒にシュガーワンダーランドに行けたのもすごく嬉しかった」
『わたしも、わたしもだよ』

今にも泣き出しそうなタイリーの頭を、優しく撫でる。

「離ればなれになるのは寂しいけど、私、タイリーのことだけは絶対に忘れないから。だからどうか、タイリーも私のことを忘れないでいて」
『うん、うん。ぜったいわすれない。わたし、みならいちゃんが、だいすきだから』
「ありがとう。私も、タイリーが大好き」

天真爛漫で、かわいくて、きっと、世界でいちばん美味しい砂糖菓子であるあなたのことが。私は、大好き。

「ほら、横になって。今日はタイリーが眠れるまで、いろんなお話をしよう」
『ほんと?うれしい!じゃあ、なにからはなそうか!』
「そうだね…じゃあ、最初に出会った時のことから……」

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翌日。地下研究室の奥に隠された、通称〈ドールの間〉にて出荷前の儀式を行うから、と師匠に告げられる。参列者は私とサクリ、そして師匠の三人だけだった。

「では、これから出荷前の儀式を行う」
「はい」
「はい…!」
「二人ともはじめてだったね、説明するから、よく聞いていてね」

生クリームを塗りたくったような真白の部屋の中央にあるテーブル。その上に、最初に見た蔦の模様が描かれた箱。そして箱の中には、タイリーがお行儀よく座っている。

「まず、出荷する前に、ドールの記憶を全て消さなければいけない」
「えっ、記憶を?!」
「ああ」
「それじゃ、今まで過ごしてきた日々は、なんだったんですか?意味がなくなるってことなんですか…?」

サクリが狼狽える。声が震えている。師匠はその言葉を聞き、短く首を振った。

「いや、ドールが出荷までにどれだけ幸せを感じたかどうかでドールの甘さが変わるんだ。だから決して無駄じゃないよ」

ただ、出荷先でその記憶を思い出して泣き喚いたりしたら面倒だろう?と、話す師匠。

「そうですね」
「そうですねって…!ミナはそれでいいの?!タイリーちゃんが、あたしたちのこと全部忘れちゃうのに?」
「悲しいけど……仕方ないよ。タイリーはシュクルドールだから」
「そ、それは、そうだけど……でも、」

ぱんぱん、と師匠が手を鳴らす。

「次の説明にうつってもいいかい?」
「はい」
「……はい、すみません」
「うん、ありがとう」

ふわりと、師匠の指が宙を舞う。すると、指から放たれた魔力が線となり、糸となり、熟れたいちごのように真赤なリボンとなった。

「このリボンを、タイリーの首に結ぶんだ」
「首に、ですか?」
「ああ。それでタイリーの記憶は消え、一時的に眠りにつく。次にその箱の蓋が開けられる時まで目覚めることはない」

師匠はそのリボンを、私に差し出した。

「見習いくん、君が結びなさい」
「えっ」
「さあ、受け取って」

言われるがまま、リボンを受け取る。「三つ編みの君には次の出荷の時に頼むからね」と師匠はサクリに話している。サクリはレモンカードの瞳を揺らしながら、黙って頷いた。
私は、サクリは、タイリーを見る。目が合う。チョコチップのようなつぶらな瞳がふたつ、私たちを見ている。

『みならいちゃん、サクリちゃん』
「……タイリー」
「タイリーちゃん……」
『きょうまで、ありがとう。すごくたのしかった』
「うん」
『わたし、ふたりと であえて、とってもしあわせだよ。ふたりとも、すてきなまじょになってね。ずっとずっと、おうえんしてるからね』
「……タイリー、ちゃん……ありがとう。あたしも、幸せだったよ」
『ふふ、ありがとう!サクリちゃん、だいすきよ』
「あたし、あたしも……!」

サクリの瞳から涙がこぼれそうになる。彼女は慌てて両の目を抑え、「ごめんなさい、あたし、……外にいますね」と部屋を出た。師匠がそれを止めることはなかった。

『さあ、みならいちゃん、リボンをむすんで』
「……うん」
『こわがらないで。それは、わたしたちにとって、さいこうのおめかしなのよ』
「うん……」

タイリーの首に真赤な紐をかける。結ぶ手が、震える。強がっていたけれど、私だってタイリーの記憶が消えるのは嫌だし、離れたくなんかない。震えが止まらない。上手く結べない。だって、これじゃ、まるで、

「首を絞めているようだと思っているんだろう?」
「!」
「誰でも最初はそう思う、仕方のないことだ」

師匠がぽんぽんと、私の頭を撫でる。優しい手だ。いつもはもっと撫でるのが下手なはずなのに。こんな時に限ってどうして、声をあげて泣きたくなるような手なんだろう。

「大丈夫だ、これは罪じゃない。むしろ人々を幸福にする、素晴らしいことだよ」
『そうだよ。だから、おそれないで、みならいちゃん』
「……っ、うん」

溢れそうになる涙を、ぐっとこらえる。
手の震えは、もう、おさまっている。

真白のワンピースを纏い、真紅のリボンで首元を飾ったタイリーは、世界一美しい砂糖菓子だと、思った。
タイリーは意識を手放す直前まで、私から目を離すことはなく、微笑みを絶やすこともなかった。
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