おさとうの箱庭
あの子がいなくなって、半月が経とうとしていた。
私はまだ、シュクルドールの世話係をさせてもらっている。あの子と二人で始めた世話係。私一人になっても最後までやり遂げたいと思ったから。師匠に直談判しに行ったら「元々まだ辞めさせるつもりはなかったよ?」ときょとんとした顔で言われたが。
彼女が担当していたドールに事情を告げると「にんげんも もろいもんねー」「しかたないね」と、意外にもあっさり受け入れてくれた。ひとりを除いて。
私が担当していたドールは皆出荷し、彼女が担当していたドールもあと二人となっていた。
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午後。三時のティータイムを始めようとドールの間に入ると、『みならいちゃん、みならいちゃん!』と慌てたような声で呼ばれる。
「どうしたの?トルルー」
声の主は金木犀の香りを身に纏うドール、トルルーだった。近付くと、トルルーは『たいへんなの!』とぴょんぴょん飛び跳ねている。
「わ、トルルー、あんまり跳ねると欠けちゃうよ」
『わたしのことはいいの!はやくなんとかしないと、エイミーがこわれちゃう!』
「エイミーが?」
エイミーがいる部屋を見る。エイミーはこちらに背を向けて座っているようだ。おかしい。部屋の中には椅子があるのに床に座り込んでいるし、聞こえないくらい小さな声でぶつぶつと何か呟いている。明らかに、異常だ。
「え、エイミー……どうしたの?」
『………』
応答はない。
「エイミー…?」
『……サクリ』
「え…?」
エイミーがこちらを振り返る。いつも穏やかなはずのチョコチップの瞳はどこか虚ろで、その生気の感じられない顔にぞわりと背筋が凍る。
『サクリは、どこ?』
「っ……!」
『サクリ、サクリにあいたいの。サクリ、サクリ、サクリ』
今にも消えてしまいそうな声で、あの子の名前を呼ぶエイミー。私は何も答えられない。彼女が自分で抱きしめている両腕に、ビシリとヒビが走った。このままでは、欠ける!
「……師匠を呼んでくる!トルルー、エイミーを見てて、すぐ戻る!」
『わかった!』
幸い、師匠は扉を出たすぐそこで研究をしている。私は迅速に事情を説明し、ドールの間に来てもらった。
「やあ、エイミー」
『せんせい。ねえ、サクリにあわせて。ねえ。どうしてサクリをかくすの?いるんでしょ、ねえ、サクリ、サクリ、どこなの?』
「……これは、」
師匠はエイミーの頭をそっと撫でる。その途端、エイミーの瞳が閉じ、身体から力が抜けた。
「し、師匠。エイミーは……」
「自壊指数が高い。レープに診てもらおう……ああ、大丈夫。眠らせただけだよ、このままだと腕が欠けちゃうだろうからね」
ほうっと詰めていた息を吐き出す。良かった。あの子が担当していたドール……ましてや、あの子にとても近い容姿をしているエイミーが壊れてしまったら、私は今度こそ、顔向けできなくなる。
「レープ様……六芒聖の方、ですよね」
「ああ。まぁ、あまり緊張する必要はない。彼は穏やかな魔女だからね」
師匠が連絡したところ、17時頃には診に来てくださるということで、私はドールの間で待たせていただくことにした。
エイミーは部屋で静かに眠ったまま。少し不安そうなトルルーをテーブルに載せて。少し遅くて、お茶菓子のない、16時のお茶会。
「エイミーは師匠に任せたから大丈夫。ココア、せっかく用意したから飲もう?……何か飲めば、きっと落ち着くと思うし」
『……うん、うん。ありがとう、みならいちゃん』
ドールサイズの小さいカップにあたたかいミルクを優しく注いで。自分のカップにも同じココアを淹れる。トルルーはそっとカップに口付け『ココア、おいしいね』と小さく笑った。
「……ごめんね、トラブルばかりの世話係で」
『ううん、あやまらないで。まえのひとたちのほうが ひどかったみたいだし』
「え、そうなの?」
『うん。ほかのこからきいたけど、〈じかい〉しちゃったこもいたし……〈だっそう〉してったこもいたんだって』
「じかい?だっそう……?」
知らないワードがぽんぽんと飛び出す。
『たぶん、せんせいからせつめいされるとおもうけど……じかいは、わたしたちにたったひとつだけゆるされた じさつほうほう。せんせいは〈じかいしすう〉を ていきてきに きろくしていて、それが いっぱいになると〈じかい〉する……じぶんを こわしちゃうの。つまり〈じかい〉すると、ドールはしんじゃう』
こくりとココアを飲み、トルルーは続ける。
『〈だっそう〉は、ドールがにげること。これも〈じかいしすう〉が いっぱいになると おこるの。とってもとおくにいっちゃう」
「……み、見つかるよね…?」
『どうかなー?まえのこはみつからなかったらしいよ。みつかるときもあるってせんせいがいってたきがする!』
「……なんとも、物騒なお話で……」
そんな話をしているとトントントン、と扉がノックされた。開いた扉の向こうには師匠ともうひとり、背の高い男の人がいる。
「お待たせ、見習いくん」
「はじめまして………………うさ」
「……うさ?」
男性をじっと見つめる。大きめのカーディガンに、スキニーパンツ。もうあたたかい季節なのに、マフラーで口元を隠している。寒がりなのだろうか。そして、アーモンド色の柔らかな髪と一緒にはえている、ぴんと立つうさみみ。
思わずそれに釘付けになっていると、視線の位置を察した師匠が口を開く。
「こいつがレープ・アルネブ。きみが気にしてるそのうさ耳は、こいつの趣味だ」
「趣味なわけないでしょ、うさ!」
声を荒らげてしまった彼が一瞬はっとした表情になり「すみません」と、咳払いをする。
「……昔、とある実験の際にうさぎの遺伝子と混ざってしまって………うさ。この耳はもちろん、語尾だって不本意なものですよ………うさ」
「そ…そうなんですね」
「…おれのことはいいでしょう、ドールをテーブルの上に連れてきてくれますか…………うさ」
「は、はい」
トルルーには部屋に戻ってもらい、エイミーをテーブルに横たわらせる。レープ様がエイミーの額にそっと手を置く。
「ん……自壊指数がかなり高いうさ。なにか心当たりはあるうさ?」
「そうだな、この子を担当していた弟子が先日事故で亡くなったんだ。私が理由として思い当たるのはそれくらいだな」
「……きみは、なにかあるうさ?」
レープ様が私に視線を合わせる。
「私も、師匠と同じ意見です。あの子はエイミーと容姿も性格もとても似ていて「双子みたいだね」って話をしてたくらいなので……とても仲が良かったから」
「なるほど……身近な人間の死。自壊指数も高くなるうさね。ありがとうございます、助かったうさ」
「あの……ところで、自壊指数って…?」
私が尋ねると、レープ様は一瞬きょとんとした顔をして、師匠をじろりと見る。
「メリアルームさん……また教えるの面倒くさがってしてないうさね?」
「いやあ、自壊した時に教えればいいかと思ってな!」
「事前知識として教えなきゃいけないことうさ!」
「ははは、すまんすまん、次は気を付ける」
全く……とレープ様がため息をついて、「ごめん、君は悪くないうさ」と私を見る。
「自壊とは、自分を壊すこと。つまり、ドールの自傷、または自殺行為のことうさ。人間もストレスが溜まると自暴自棄になったり憂鬱になったりするでしょ?それと似たようなものうさ」
レープ様はちらりとエイミーを見る。
「ドールを創っている魔女は皆、自分のドールの自壊指数を定期的に測らないといけないうさ。上がってしまった自壊指数が下がることはなく、その数値が高くなるとこの子みたいに暴走しちゃったり、脱走しちゃったりするドールが出るからうさね」
真剣に話すレープ様。集中していると、語尾のことが気にならなくなるらしい。
「それらが起こらないようにするためにおれがいるうさ。おれはドール専門のカウンセラーで、上がってしまった自壊指数を唯一下げることが出来るうさ」
「ドール専門の……?」
「うん。下げられる回数には限度があるけど、一度下げたら上がりにくくなるから基本的には一回カウンセリングしたら大丈夫うさ」
話しながら、レープ様がエイミーの瞼を撫でるとそれが小さく震えて、ゆっくりと開いた。
「それでは、これより処置に入るうさ」
「ああ、頼む」
エイミーはゆっくり起き上がり、テーブルの上に座り込む。先ほどよりはマシだがまだ瞳を濁らせたままの彼女に、レープ様は優しく話しかける。
「エイミー、大切な人がいなくなって、辛かったうさね」
『……そう、そうなの。サクリ……あたし、サクリがだいすきだから……あいたいの……』
「そうか。サクリちゃんに会いたいうさね?」
『うん、うん。とってもあいたいの』
レープ様が、エイミーの手をそっと握る。
「サクリちゃんはね、神様の元でエイミーを待っているうさ」
『かみさまの、もとで?』
エイミーが顔をあげて、レープ様を見つめる。瞳の濁りが、少しマシになっている気がする。
「そう。だから、元気に出荷されて美味しく食べてもらって、サクリちゃんに自慢できるようにしよう?その方が、サクリちゃんもエイミーに会った時、たくさん褒めてくれるうさよ」
『ほんと?ほんとに、たくさんほめてくれる?』
「うん、きっと。いっぱい褒めてくれるうさ」
ゆっくり、ゆっくり、エイミーが笑顔になってゆく。まるでマーガレットが花開くように。私も、あの子に会いたい。でも、会いたいなんて言える資格が、私にあるのだろうか?
『わかった!あたし、いちばんすてきなおんなのこになる!それで、サクリにあったときに たっくさんほめてもらうんだ!』
「うんうん、それが一番うさ。元気になって、良かった」
『おねえさん、ありがとう!』
「うっ……おれは、男うさ……」
『ねえねえせんせい!あたしのしゅっか、いつ?いつ?』
小さく呟かれたレープ様の嘆きは聞こえていなかったようで、こちらに走りより師匠を見る。いつもの澄んだチョコチップがふたつ、キラキラと輝く。
「そうだなあ……明日にするか?」
『あした?!いいの?』
「ああ。早く出荷したいのだろう?」
『うん!はやくおいしくたべてもらって、サクリにあいにいきたい!』
「ふふ、わかった。じゃあ明日にしよう」
『わーい!』
そして、最後にエイミーは私を視界におさめて笑う。
『みならいちゃん、おねがいがあるの!』
「……なあに?」
『かくざとう、えらんでほしいの!みならいちゃんに!』
「えっ?!角砂糖……?」
『うん!』
「いいじゃないか、見習いくん。選んであげるといい」
隣を見る。師匠が腕を組んで微笑んでいる。
「良いんですか……?」
「ああ。ちょうど夜の食事もまだだし、角砂糖を与えてみるといいよ」
「じゃ、じゃあ……ありがとうございます」
「あ、おれも見てていいうさ?ドールが角砂糖を食べる瞬間、本当にいつ見てもいいもの………うさ」
「っくく、いいよ。うさ」
「ちょっと、馬鹿にするなうさ!真剣に悩んでるんだ!………うさ!!」
師匠とレープ様が言い合っているうちに、角砂糖の棚に向かう。桃色、蜜柑色、葡萄色……様々な角砂糖が小瓶に入れられ並んでいる。前にノア様から受け取ってきた宇宙の角砂糖や水中の角砂糖も仲間入りしていた。どれにしようか。エイミーに一番似合うものはどれだろう。真剣に、小瓶を見ていく。
ふと、ひとつの小瓶に目が奪われた。小瓶に貼られたラベルシールにはこう書かれている。
『レモンカード』
それはとても爽やかな黄色で、あの子の瞳を思い起こさせるような、本当に綺麗なレモンイエローで。流れるように、当たり前のように、私はそれを手に取った。
「これにします」
「……いいね。いいチョイスだ」
「ありがとう、ございます」
『わー!みならいちゃん、ありがとう!』
「うん……はい、どうぞ」
小瓶から一粒つまみ、エイミーに渡す。『いただきます!』と丁寧な挨拶をして、彼女は角砂糖にかじりついた。しゃくしゃく、さりさり。彼女の食事音だけが部屋に響く。そして、最後の一粒まで食べ終えた瞬間。
「……!」
エイミーの髪がきらきらと輝き、毛先部分から色が変わり始める。私たちはそれを黙って見守る。否、声を出すこともできなかった。それは、ただ普通の女の子が魔法少女が変身するように、神聖で、神秘的な光景だったから。髪の輝きがおさまってきた。エイミーの髪は、真白なシュガーホワイトから、つややかなレモンカードへと姿を変えていた。
『かみが あったかい……わあ、きれいないろ!うれしい!』
エイミーが飛び跳ねている。ふわりと、レモンの香りが鼻腔をくすぐる。
『みならいちゃん、ありがとう!このいろ、サクリのめのいろにそっくり!うれしい!』
「……喜んでもらえて、良かった。あんまり跳ねると欠けちゃうから、ほどほどにね」
『はあい!』
エイミーを部屋に戻し、くるりと振り返る。微笑む師匠の後ろで、レープ様が涙ぐんでいる。……涙ぐんでいる?!
「れ、レープ様……?」
「ああ、こいつ涙もろいんだよ。気にしないでやってくれ」
「う、っ……出荷の前にたった一度だけ、食べるのを許される……ぐす、あの髪色が変わる瞬間、何度見ても神秘だうさ……!」
「し、神秘的なのはわかります。私も思ったので」
「きみもそう思ううさ?!でしょう!!シュクルドールは本当に神聖なものなんだうさ〜!!」
私の両手を取り、ぶんぶんと振る。いつだかのイルミルィム様を思い出させるその行動も、手が違うだけで大幅に変わる。レープ様の手は線が細く、でも男らしい。上下に振る力もとても強い、腕が持っていかれそうなくらいに。
「……レープ?」
「!」
師匠の冷ややかな目に気付いたレープ様がぱっと私の手を離し、またひとつ咳払いをした。
「……ごめん、取り乱した…………うさ」
「い、いえ。大丈夫です」
「ありがとう……とにかく、エイミーはもう大丈夫そうだから、おれは行く…………うさ」
「ああ、急にすまなかったな。ありがとう」
「おれも素敵なものを見られて嬉しかったよ………うさ。それじゃ」
レープ様はひらりとゆるく手を振って、ドールの間を出て行った。
「さて、私たちも出ようか」
「はい」
「今日もたくさんありがとう、見習いくん。そして明日はエイミーの出荷だ。急だが、よろしく頼むよ」
「わかりました。またね、トルルー、エイミー」
『うん、またね みならいちゃん!』
『みならいちゃんばいばい!あした、よろしくね!』
- - - - - - - - -▷◁.。
エイミーの出荷の儀を終え、彼女が入ったプレゼントボックスを師匠に渡す。
「師匠、終わりました」
「ありがとう。これで残すはトルルーだけになったね」
「はい」
「君の世話係はトルルーが出荷されたらおしまい、の予定だったんだが……実はもうひとり、近いうちに創ることになってね。まだ次の世話係の目処がたっていないから、その子の世話も任せたいんだ。どうかな?」
断る理由もないので、二つ返事で了承する。
「やりたいです。私もドールと触れていたいので」
「助かるよ。その子で本当に君の世話係は終わり、別の子に引き継ぐから。最後のドールだと思って、よろしく頼むね」
「はい」
最後の、ドール。どんな子になるのだろう。